インタビュー

もっとたのしく、もっとおいしく。創業110年、トーキョーサイダーの精神を受け継ぐ

もっとたのしく、もっとおいしく。創業110年、トーキョーサイダーの精神を受け継ぐ
PROFILE
丸源飲料工業株式会社 代表取締役 社長
阿部 貴明

ラムネの仲買から始まった、110年の歴史

当社は今年、創業110年を迎えました。もとをたどると、110年前に私の4代前にあたる創業者が新潟の柏崎から東京に出てきたところから始まっています。私自身はもちろん直接会ったことも話したこともないんですけど、東京に出てきて、ご縁があって最初はラムネの仲買の仕事についたんですよね。ほどなくして自分でつくってみようということで、製造販売を始めたと聞いています。

清涼飲料水は「晴れの日」の楽しみだった

当時はちょうど明治の終わりから大正の頭にかけて、日本で清涼飲料水がうまれ始めた時期でした。それより前は、水やお湯、お茶しか飲み物がなかったんですよね。炭酸飲料のような贅沢な飲料は存在していなかったですし、水にCO2を吹き込むという技術自体が、極めて新規性の高い商品だったんだと思います。

なので、最初のころは日常使いというよりも、家族でどこかに遊びに行ったとき、デートで映画館に行ったとき、初めて遊園地に行ったとき、氏神様のお祭りのときといった、日常のなかのちょっとした「晴れの日需要」に対応する商品として、ラムネをつくり続けていたんだと思います。

関東大震災、戦争、そして「トーキョーサイダー」

そこから話は少し飛ぶんですけど、大正5年の創業のあと、関東大震災があり、しばらくすると戦争が始まります。特に東京の下町、私は今も住んでいるエリアなんですけど、東のエリアは壊滅的にやられてしまった場所なので、焼け野原にまた戻ってきて、そこから再建しました

最初にやった仕事は、それまで瓶の口をビー玉で栓をしていたラムネを、王冠の栓を使ったサイダーに変えたことでした。1947年、終戦から2年後です。当時は瓶に詰めていたお酒もお酢も醤油もみんな王冠だったんですけど、炭酸飲料も王冠を使って、東京の名前をつけて「トーキョーサイダー」として、復興のシンボルとして、旧両国国技館の、GHQに接収される前の焼け残ったドーム型の建物をモチーフにしたデザインをつくったんですよね。この意匠も登録して、トーキョーサイダーの商標も登録して、いろいろなことをしながら清涼飲料水の仕事を再開したと聞いています。

外資の飲料メーカーには「勝てない」、だから業態を変えた

戦前・戦中までは、炭酸飲料というと日本国産の、比較的小規模な事業者が当社と同じようにラムネやサイダーをつくっていました。ただ戦後、米軍と一緒に外資系の大きな清涼飲料水メーカーさんが日本に上陸してきて、これはもう勝てないなという状況になったんですよね。

同時に1960年代の後半から70年代の頭にかけて、日本の外食が大きく変わっていく時期でもありました。ハンバーガー屋さんやドーナツ屋さん、アイスクリーム屋さん、ファミリーレストランのような、洋風のチェーンオペレーションをする外食が洋風文化と共に日本に入り始めたんです。それまでの日本の外食といえばお寿司屋さんや蕎麦屋さん、うどん屋さん、天ぷら屋さんといった、いわゆる食堂ビジネスでしたから。

そのタイミングで当社は大きく業態転換をして、外食のチェーン店さんに向けたデザートの原料や飲料の材料、たとえばミルクシェイクのフレーバーだったり、かき氷のフレーバーシロップだったり、フルーツトッピングを供給する会社になっていきました。当時の目玉商品のひとつが、アメリカから輸入を始めたチョコレートドリンク、いわゆるココアのようなものです。最初は米国から来たハンバーガーチェーンさんやドーナツチェーンさんに採用いただいて、今となってみると街中で見かけるチェーンさんのほとんどとお仕事させていただいていますし、多くの外食チェーンさんとは1号店からのお取引が続いています。

40歳、突然の代替わりで社長に

私自身は4代目の社長にあたります。先代である父は68歳で急に亡くなってしまい、私が40歳になってすぐのタイミングで、いわば強制終了のような形で社長を引き継ぐことになりました。まだ30年にはなりませんが、25年ほど社長をしています。

年上の役員たちとの世代間ギャップ

私が仕事を始めてしばらくして創業80周年があり、社長になってから90周年、100周年をやって、今回110周年を迎えました。それだけ長く、この仕事をしてきたことになります。

当時、私が40歳で社長になったとき、他の役員は全員私より年上で、1番年上の方とは20歳以上違ったんですよね。比較的早いバトンタッチだったので、当然、社内に先輩たちはたくさんいましたし、社歴の長い方々もいらっしゃいました。そういう意味では、世代間のギャップを埋めながら、それまでの歴史を踏まえて尊重しつつ、将来に向けて新しいことは何かを考えるというのは、苦労というより、いろいろ工夫をしなければいけない時期だったと思います。

一方で、早く社長という立場になったことで、外部でむしろ立派な社長さんや他社の経営者の方々と若くしてお会いする機会が多かったんですよね。いろいろな立場の方々から教えていただく機会に、普通より早く恵まれたのかなと思っています。

アメリカで気づいた「日本の当たり前」

大学卒業後、新入社員として少し仕事をしたあと、すぐにアメリカに出てMBAを取得しました。当時はアメリカで学位を取ると、学生ビザから自動的にインターンとして働けるビザに切り替わる仕組みがあって、それを利用して、当社と合弁事業をやっていたパートナー企業のアメリカ拠点で見習いの仕事をさせてもらったんですよね。

そこで何かを成し遂げたというよりも、日本以外の場所から日本を見る機会があったこと、日本がいかに平和で恵まれた国かということに改めて気づけたことが、その後の仕事にすごくプラスになったと思っています。

日本で毎日生活していると当たり前だと思っている「常識」って、実はそれぞれの国でしか通用しないものなんですよね。英語で「コモンセンス」と言いますけど、これはつまり文化なんだと思います。当社がテーマにしてきた食、外食はまさにその文化の基本になる部分で、どんなものを、どんな場所で、どんな人たちと、どんな気持ちで食べるかということ自体が、生命を維持するためだけでなく、楽しむための行為になっているんですよね。

たとえば1974年に、先ほどお話ししたチョコレートドリンクを日本に輸入するための合弁会社をアメリカの会社とつくったんですけど、こうした海外とのネットワークが広がっていったことで、当社では今でも製造する商品の原料の多くを、グループ内の輸入機能で調達しています。物を輸入するだけでなく、そのアイデアや使い方、それを使ったメニューといった、広い意味での新しい食文化を紹介できることが、直接貿易をしているメリットとしてすごく大きいと思っています。食品会社でここまで自前で貿易をする会社はあまり多くないので、これは当社の独自性のひとつだと思っています。

テーマは「おいしく」より先に「たのしく」

これから10年のビジョンとしては、基本的に食から大きく離れることはないと思っています。創業のラムネからずっと一貫しているテーマは「楽しく」なんですよね。長年使っているキャッチフレーズに「もっとたのしく、もっとおいしく。」というものがあるんですけど、この順番がすごく重要で、美味しさより先に楽しさがないといけない、楽しむシーンや楽しむ人がいて、より美味しくなると考えています。

色で表現する「映え」の展開

当社は主食材で美味しいご飯をつくるような仕事ではなく、どちらかというとファンフード、楽しいフードを、晴れの日需要に近いところで提供する会社です。今やっていることの延長線上でもっとありうると思うのは、いわゆる「インスタ映え」のような、楽しくキラキラした表現と推し活のようなものとの連動です。今も色を使ったゼリーやシロップで、野球選手のモチーフカラーやキャラクターのカラー、チームカラー、俳優さんや女優さんのイメージカラーといった色で食の楽しさを表現していますが、これが結果的に楽しい仲間との共通の話題になっていくといいなと思っています。

シニア世代に向けた「たのしい食」

もうひとつ、全然違う切り口で当社が遅れていて、追いつかせなければいけないと思っているのがシニア、グランドエイジと呼ばれる一定の年齢以上の方々の領域です。今まではどちらかというと若い方や女性がターゲットになることが多かったんですけど、これからは一定の年齢になられた方々が長く楽しく生きていけることをサポートできる食であるべきだと思っています。

健康で元気な方もいれば、少し体調を崩されて制限がついた食事になる方もいます。その制限のいちばん極端なかたちが病院ですけど、病院にしても介護施設にしても、どのシーンであっても食は楽しくないといけないと思うんですよね。今までは現役世代、その中でも比較的若い年代向けの商品やメニューが多かったですが、今後はそこにプラスして、シニア世代、グランドエイジ向けの外食や食事提供のための食材を、しっかりつくっていけるといいなと思っています。

学生に伝えたい「なぜ」を持ち続けること

若いということ自体が特権なので、今できること、今しかできないことを一生懸命やることはやっぱり重要だと思います。何にでも興味を持つのと同時に、何事にも疑問を持つことも大事にしてほしいんですよね。うまくいかなかったときに、単純に見える理由だけでなく、なぜこうなったのかを深く考えて原因を探る、この「なぜ」を日頃からキープしてもらいたいと思っています。分かったふりにならないように、興味のあることは徹底的に追求しながら勉強してほしいですね。生まれたばかりの赤ちゃんが言葉を話せるようになると、お父さんお母さんに向かって「なんで、なんで」と言い続けますよね。あれは成長の原点なので、なぜと思わなくなった人は成長がゆっくりになってしまうと思います。

もうひとつは、道具がどんどん発展していくということです。特にIT系、デジタル系の道具はどんどん発達していきますし、AIについても私は決して悪いことだとは思っていません。むしろ大歓迎で、最新の道具とツール、その価値をアップデートし続けて上手に利用することも、若い年代の皆さんの特権のひとつだと思っています。

最後にもうひとつ、これは私の経験からなんですけど、翻訳ツールがどれだけ発達しても、言葉はやっぱり文化なんですよね。日本語しか解らないと、結果的に日本のことしか解らない人になってしまう可能性があって、それだと世間がすごく狭くなってしまう気がします。日本語が世界の共通語になることは、少なくともしばらくはないと思うので、今、世界でほぼ共通語とされている英語には、学生のうちにぜひ触れてほしいですし、興味を持ってほしいと思っています。これもコミュニケーションのツールなので、試験勉強としての英語ではなく、共通の言葉が英語という人たちとちゃんとコミュニケーションが取れる人になってもらえるといいなと思います。

編集後記

創業110年、大正時代のラムネの仲買から続く歴史を、こんなに鮮やかに語っていただけるとは思っていませんでした。とくに印象的だったのは「もっとたのしく、もっとおいしく。」という順番へのこだわりです。私自身も普段、効率や成果ばかりを追いがちですが、楽しさが先にあってこそ結果がついてくるという考え方に、はっとさせられました。なぜを持ち続けるという言葉も、就職活動を控える身として胸に刻みたいと思います。貴重なお話をありがとうございました。