研究者を目指していた大学時代
挑戦と成長に満ちた、理系大学での濃密な4年間
もともと私は理系の学生で、当時は研究者になる道を見据えて日々の学びに向き合っていました。周囲からも「進級条件が非常に厳しい」とされる大学だったため、常に高い意識を持って机に向かう忙しい日々でしたが、アルバイトやサークル活動にも全力で取り組みました。学問と課外活動を両立させながら、今振り返れば、とても充実した等身大の大学生活を送っていました。
就活はコンサル業界に絞った
大学4生の頃まではメーカーなどで研究や開発に携わりたいと考えていましたが、経営コンサルタントという職種を知り、一気にコンサルティング業界への就職を目指して舵を切りました。会社に入ってからはコンサルティング部門に配属され、就活自体もコンサルティング業界を中心に受けていました。仕事内容を知ったときに、私にとって面白みを感じたのが一番の理由です。クライアントの目標達成や問題解決に向き合っていける仕事だと感じて、心が動きました。
野村総合研究所での13年間
mbaへの留学が起業への転機に
新卒で入社したのは野村総合研究所です。トータルで13年間、起業するまで在籍していました。その中で、私の中で起業への意欲が芽生えたきっかけの一つが、会社の制度で経験したアメリカのMBA留学でした。ファイナンスや起業関係の授業が強い大学院で、周りの同級生には起業する人間も多く、その姿に刺激を受けたのは正直なところあったと思います。起業論の授業やビジネスコンテストなど、アメリカでは「自分で始める」ということが投資として捉えられていて、その2年間は自分に影響を与えたと感じています。帰国した直後から強く思っていたわけではなく、だんだんとその思いが強くなっていったという感覚ですね。
コンサルではなく自分自身で向き合いたかった
13年間の中で様々なコンサルティングプロジェクトを経験しましたが、コンサルティング案件はどうしても数か月单位でどんどんプロジェクトが変わっていってしまい、一つの事業やサービスに自分自身が主体として向き合うことがなかなか難しいと感じていました。人がやっていることを支援することにもやりがいを感じていましたが、自分自身でやってみたい、将来挑戦しなかったことを後悔したくないという思いが、起業したときの原動力だったと思います。
Nishika創業とピボットの歴史
AIコンペティションのプラットフォームから始めた
弊社は2019年に創業しましたが、事業としては何度かピボットしています。始めはデータ分析コンペティションのプラットフォームを作るところからスタートしました。海外にある同様のサービスをお手本に、企業がスポンサーとなってデータを提供し、参加したエンジニアたちが精度の高いAIモデルを競い合う仕組みです。1位のモデルを作った人には賞金をお渡しし、企業には最も精度の高いモデルをお渡しするという流れですね。アメリカではGAFAと呼ばれるような大手企業や大手銀行でも普及していたので、日本でも同じように広がるだろうと考えました。
データを出せないという壁にぶつかった
事業の拡大を目指す中で、一番のハードルになったのがデータの提供でした。コンペティション形式では参加者全員が同じデータを使う必要があるのですが、日本の企業にとって自社のデータを外に出すことへのハードルはとても高く、公共機関ではコンペティションを実施できても、民間企業ではほとんどのお客様が「自社のデータは出せない」という結論に至ってしまいました。参加していたのは日本トップクラスのエンジニアたちで高い精度のAIができても、その環境をうまく生かせないというのが実情でした。
人材紹介事業もうまくいかなかった
そこで次の一手として打ったのが、コンペ参加者の人材紹介事業です。コンペティションはランキング形式なので、どれくらい技術力があるかが評価される点は企業にとって魅力的でした。しかし、参加者はすでに一流企業で活躍しているレベルの方が多く、転職する意欲が高いわけではなかったんですね。企業側の需要は十分にあったものの、参加者側の転職ニーズとかみ合わず、苦しい期間が続きました。
議事録ツールで光が見えた
次の一手が必要だと感じていた頃、自分たちでプロダクトを作りたいという思いはずっと持っていました。そんな中、オンプレミス型のAI技術を使ったアプリケーションを模索していたところ、精度高く文字起こしと議事録作成をしたいというニーズを、たまたま複数のお客様から同時にいただいたんです。もともとコンペティションで精度を追求する技術があったので、プロダクト事業を展開していきました。初めはオンプレミス版から始め、その後クラウド版も同時に展開し、ここ2年ほどで成長の基盤ができてきました。この流れを受けて、コンペティション事業は完全に終了し、プロダクト事業とAIソリューション事業の2つに絞っています。
一番苦しかった4年間
起業した人はみんなそうだと思うのですが、簡単にはうまくいきません。伸びない状態が続く中でも、事業を大きくするために投資を続けなければならない時期があり、それが正直一番苦しかったです。当時ほどではありませんが、今でも楽かと言われるとそうではないですね。
Nishikaが目指す社会
社名に込めた「自分にしかできない」という想い
社名は「にしか」という日本語から付けています。「あなたにしかできない」と言われる喜びや、「自分にしかできない」と思えたときの高揚感や充実感を、もっと世の中に増やしていきたいという想いを込めました。
人にしかできない仕事にシフトしていく
生成AIが出てきて、世の中は大きく変わっていると感じている人も多いと思います。産業革命やIT革命のように、それまでの仕事が変わっていくことはこれまでも常に起きてきました。自動車が出てきて馬車の引き手という仕事はなくなりましたが、その人たちは別の”人間にしかできない”仕事にシフトしていったと考えています。同じことがこれから起こるはずで、AIにできることはどんどんAIに任せていい。人にしかできないこと、突き詰めると自分にしかできないことに集中していく社会をつくりたいと思っています。社会人になって20年以上経ちますが、「この仕事は自分にしかできない」と思えたときや、「君にしかできないから任せたい」と信頼されたときは、やりがいを強く感じます。そうした瞬間がもっと増えれば、みんなが前向きに働き、それが生産性やパフォーマンスにもつながり、大きな目で見れば日本経済も元気になっていくのではないかと考えています。
学生へのメッセージ
素直に前向きに取り組むことが大切
学生時代は学生らしく過ごせればいいと思っています。日本が数字の上で厳しい状況にあるのは確かですが、それを悲観してばかりいても仕方がありません。私自身もそうありたいと思っていますが、何事も自分がこれだと思ったことに素直に、前向きに取り組むことが、いくつになっても大切だと感じています。それはスポーツでも、勉強でも、サークル活動でも、旅行でも、対象は何でもいいと思います。真剣に取り組んだ経験は、後で别の形で役に立つものです。学生時代は自分で使い方を選べる時間が圧倒的に多いので、その時間を大切に使ってもらえたらと思います。
編集後記
山下さんのお話はとても学びの多いものでした。特に、コンペティションから人材紹介、そしてプロダクト事業へと4年かけてピボットを重ねてきたお話には、事業を続けることの難しさと粘り強さの両方を感じました。「自分にしかできない」を増やしたいという言葉は、就活を控える学生にとっても、これからのキャリアを考えるうえでのヒントになると思います。あわせて、ほかの起業家の方々のインタビューもチェックしてみてください。