インタビュー

28歳で老舗仲卸「三恒」の代表に。三上正剛が受け継ぎ、広める「いただきますの心」

28歳で老舗仲卸「三恒」の代表に。三上正剛が受け継ぎ、広める「いただきますの心」
PROFILE
株式会社 三恒(さんつね) 代表取締役
三上 正剛

突然回ってきた代表の椅子

2年勤めた会社を辞めて市場へ

弊社は大阪の福島区にある中央卸売市場の中卸で、創業して今年で95年目ぐらいになる、老舗というか歴史のある会社です。私自身は三代目になります。

会社名の「三恒」は、創業者である祖父の三上恒次郎から取っています。

私が代表になったのは今から25年ほど前です。28歳のときに、先代である私の父が他界したタイミングで、代表に就任しました。想定よりもかなり早いタイミングでの就任で、父の会社に戻ってからまだ2年ちょっとしか経っていませんでした。全然畑違いの仕事をしていたので、本当に想定外のタイミングでの就任だったと思います。

家業は昔からずっと身近だった

小さい頃から家業は身近でした。魚屋なので、年末はとくに忙しく、小学校のころから中学、高校、大学とずっと手伝いに行っていました。中央市場なので、イメージでいうと豊洲や築地みたいな場所です。夜中の仕事ですが、そういうところでずっと手伝っていたので、会社の業務内容自体はある程度把握できていたと思います。

その一方で、しんどい仕事ですし、労働環境もあまりよくない。働いている人たちも深夜勤務でいろいろな問題を抱えている人が多かったので、いずれは継ぐんだろうなと思いながらも、同じ業態のままでは継ぎたくないという気持ちもありました。社長業をやりたいという思いも昔からあったので、そんなにすぐ継ぐつもりはなかったんですが、父の体調不良もあって、急遽、市場に戻ってきたという流れです。

広告代理店から一転、鮮魚の世界へ

ものづくりが面白かった前職

最初は広告代理店に3年弱ほど勤めていました。媒体というよりもセールスプロモーションの会社で、キャンペーンの企画や販促POPの制作など、どちらかというとものづくり寄りの代理店です。先輩がその業界にいて、話を聞いていて面白そうだなと思い、入社しました。かなり違う畑ではありましたが、すごく面白そうだと感じていました。

三恒の仕事、卸から加工・提案まで

塩干品で培った95年

事業内容は水産物の卸売りです。95年の歴史のなかで得意としてきた商材は塩干品といって、塩鮭や干物、たらこ、明太子など、塩をして加工するものです。日本や世界で獲れた魚を各メーカーが加工したものを弊社が仕入れて、スーパーや魚屋、百貨店に卸すというのが基本のスタイルです。各メーカーは一社ごとの細かい対応が難しいので、消費地である市場にいったん荷物を預けて、私たちがそれを分荷したり提案したりする。その代行のような役割を95年続けてきました。

しかし最近は、塩干品や冷凍管理できる商品については、大きな冷凍センターを持つ物流会社が市場の代わりのような機能を果たすようになってきています。冷凍で管理できるものは市場を通さなくても管理できるからです。そのぶん、相場感があって一日置くと品質が落ちてしまう鮮魚など、商売として難しいものが市場流通に残っている状態です。大手商社が扱いにくいそうした鮮魚に、弊社も商売の軸をシフトしてきました。もともとは卸売り中心でしたが、通販やBtoCの店舗展開、最近では飲食店にも広げるなど、提供先はどんどん変化しています。

POP一枚で売り場を変える

弊社の強みは大きく二つあると思っています。ひとつは加工工場を持っているので、商品を確保したり付加価値をつけたり、加工したりできること。もうひとつは販売先のサポートです。今のスーパーは対面販売がほとんどなく、魚の説明ができないまま並んでいるだけの状態になっています。マグロやシャケ、エビは売れても、それ以外の魚はどう食べればいいかわからず、なかなか売れません。そこでPOPを作ったり、食べ方を一緒に提案したりする販促を自社で行い、店頭で説明できない部分を見える化しています。オリジナル商品を自社で作れることと、販売先の販促を支えられることが、弊社の強みだと思います。

一番つらかったのは、人が辞めていくこと

資金繰りより重かった社員の独立

資金的な部分は多くの経営者が同じような問題を抱えていると思いますが、私が精神的に一番つらかったのは、育ててきた社員が辞めてしまうことでした。20代からスタートして30歳、31歳と年を重ねるなかで、寝食を共にして弟のように一緒にやってきたメンバーが一人前になったタイミングで辞めて独立してしまうことが続いた時期があって本当につらかったです。

理念がなかったことに気づいた32歳

なぜ辞めるのか、と考えたとき、彼らのなかにもっと稼ぎたい、こんなことがしたいという夢や思いが芽生えてきて、それ以上の価値観や目標を私自身が提供できていなかったことに気づきました。会社の理念や目標をきちんと伝えられていなかったんです。当時は資金繰りも苦しく、20代後半でまだ銀行の信用もないなか、まずは会社を潰さないという思いが一番強かった。そこにビジョンや理念という発想はまだありませんでした。

社員が辞めていくなかで、自分の勉強不足に気づく機会にもなりました。魚の売買は日々勉強できますが、経営についてはほとんど何も知らずに経営していたんだと痛感したのが32歳ぐらいのときです。それをきっかけに経営者の集まりに参加したり、本を読んだりするようになりました。なんぼ大きい志やビジョンを掲げても、財務がしっかりしていないとふわふわしてしまう。理念と収益の仕組みは両輪でやっていかないといけないと、今は思っています。

いただきますの心を広めていく

上皇后さまの涙から学んだこと

30代のころ、私は中央市場の魚屋という仕事が正直あまり好きになれませんでした。周りの人々に自慢できるような職場だとは思えなかったからです。もっと魚屋の仕事に誇りを持てるようになりたいとずっと感じていました。

そんななか、あるきっかけで、いただきますの心という考え方に出会いました。京都にある私立大学の名誉教授だった所功先生の講演を聞く機会があり、2011年の東日本大震災のころの話をされたんです。当時の首相が被災地を訪問した際に罵声を浴びせられた一方で、上皇后陛下が訪問されたときは、みんなが涙を流して喜んだ。この違いは何かと問われ、答えは徳の違い、人間性の違いだと。その徳がどこで培われたかというと、一日三度、国民の健康と幸せを祈りながら、いただきますとごちそうさまを唱えていることだ、という話でした。この話を聞いたとき、いただきますの心には人間成長の機会があるんだと実感しました。

それから弊社は「いただきますの心を大切に」を社是にし、食卓に笑顔と感動を創造するという理念を掲げています。魚を通じて、このいただきますの心を広めていくこと、残していくことが、これからのビジョンです。

「いただき」という店名に込めた思い

いただきますの歌を作ったり、いただきますムービーを作ったり、飲食店の名前も「いただき」にしています。ロゴは口の字を斜めに書いた「枡」のマークです。将来的には大阪やシンガポールなど海外にも出せたら面白いと思って、この名前にしました。いただきますは感謝する心です。作ってくれた人への感謝、動植物の命への感謝、自分の意思だけでは動けていないこの体そのものへの感謝。そうした心のとらえ方を、これからも広めていきたいと思っています。

学生へのメッセージ

誰かの評価より、自分の人生を

自分の人生なので、他者の評価ではなく、自分がどう生きたいかをベースに考えてほしいと思います。どこの会社に行けばいいかということより、自分の働き方や生き方を追求していくほうが、結局は人生を切り開いていきます。そのために、宗教的な部分や哲学的な部分も含めて、考え方や生き方をしっかり勉強していくといいと思います。ノウハウよりも、そちらのほうが最終的には自分をつくっていきます。

いいところに行けばいい、というわけではありません。目の前のことをこつこつ一生懸命やること、目の前の人に喜んでもらうことの積み重ねが、一番大事だと思います。

編集後記

三上さんのお話で印象的だったのは、資金繰りに苦しみながらも、社員の独立という出来事を通して理念の大切さに気づかれたという経緯でした。私自身、学生団体の運営で目先の課題対応に追われがちですが、目標を掲げることと足元を固めることは両輪だという言葉が強く残りました。「いただきますの心」という一見シンプルな言葉の奥にある人間観にも触れられ、大変学びの多い時間でした。