インタビュー

傘一筋三十三年、辻野義宏が語る「一円で売られた会社」から見つけた起業の道

傘一筋三十三年、辻野義宏が語る「一円で売られた会社」から見つけた起業の道
PROFILE
アンベル株式会社 代表取締役
辻野 義宏

傘業界に飛び込んで33年

営業からのスタート

傘の会社に入社してから最初の3〜5年間は、修行のような気持ちで営業に取り組んでいました。その後、会社の商品企画や方針に対して「この企画では売れないのではないか」「もっとこう変えたほうがいいのではないか」と意見をするようになりました。20代前半から中盤にかけては、勢いだけはありましたが、会社をより良くしたいという思いで、さまざまな提案をしていた時期です。

そんな中で、会社に改善案を伝え続けていたところ、「そこまで言うなら、自分でやってみろ」と言われ、商品企画や開発、その商品をどのようにつくるかというものづくり側の仕事へ挑戦することになりました。

中国・台湾で学んだものづくり

20代後半からは、中国や台湾の生産現場へ足を運び、傘づくりについて学びました。
どのような工程でつくられているのか、どんな素材が使われているのかを現場で理解しながら、仕入れ先や工場と交渉を重ね、自分が思い描いた傘を形にするための試作を何度も繰り返しました。

振り返ると、営業から始まり、企画、開発、そしてものづくりの現場まで、傘に関わる幅広い経験を積み重ねてきたことが、現在につながっています。

1円で売られた会社

突然の事業承継

商品開発の経験を積み、その後は商品部長というポジションまで任せてもらっていました。

しかし、ある時、オーナー社長が体調を崩され、「経営から退きたい」という話を内々に受けました。当時、私は30代後半でした。

その後、会社はM&Aによって別の企業へ譲渡されることになりました。買収先は当初、資金力のある会社に見えていましたが、実際には経営状況が厳しく、買収後にさまざまな問題が明らかになっていきました。

 

帳簿の裏に隠れていた借金

しかし、その後、帳簿だけでは見えなかった問題が明らかになっていきました。隠れていた負債が発覚し、銀行からの融資も止まることになりました。資金繰りが悪化した結果、会社は最終的に破産することになります。振り返ると、社長が体調を崩され、経営から退くという話が出た時点で、すでに会社は債務超過の状態でした。そのため、会社の売却といっても、実際には1円で譲渡される形でした。その代わり、買収先は会社の債務も含めて引き受ける形となり、約2億円の負債を抱えた状態で会社を買収しました。結果として、オーナー社長側の債務も整理されることになりました。

うるう年の倒産

会社が買収された後も経営の立て直しは難しく、約2年後には資金が尽き、倒産することになりました。倒産した日は、うるう年の2月29日。今でもその日のことは強く記憶に残っています。

 

お客様からの電話がきっかけになった起業

個人携帯に鳴り続けた連絡

もともと独立したいという思いがあったわけではありませんでした。起業に向けた心の準備やマインドセットも、まったくできていない状態でした。ただ、商品部長という立場だったこともあり、倒産後も、すでに発注をいただいていて、これから納品を控えているお客様から私の個人携帯に連絡が入り続けました。仕入れの予定が崩れてしまえば、お客様自身の売上にも影響が出てしまいます。「これは何とかしなければいけない」と思い、工場に連絡をして、「会社自体はなくなってしまったが、生産は続けてほしい」とお願いしました。
さらに、前職時代につながりのあった貿易会社の方にも協力していただき、お客様へ商品を納品し、回収した売上を工場へ支払うという形で、まずは目の前の取引を守ることに奔走しました。

小さな環境からのスタート

個人事業主のままでは対応しきれない状況になり、会社を設立することを決めました。決して綿密な事業計画を描いて始めた起業ではありません。お客様から必要とされたことをきっかけに、目の前の課題に向き合う中で始まった、いわば外部から背中を押される形での起業でした。

OEM(Original Equipment Manufacturing)からD2Cへ

受け身のビジネスモデルへの危機感

会社設立当初は、前職で行っていた事業を引き継ぐ形でスタートしました。自社の特徴も資金も十分にある状態ではなく、まずは目の前のお客様の依頼に応えることから始まりました。当時は、お客様から「こういう傘をつくりたい」という要望をいただき、それを形にして製造・納品するOEM事業が中心でした。ただ、OEMはお客様の需要に左右されやすいビジネスモデルでもあります。特にコロナ禍では大きな影響を受け、売上も落ち込みました。この経験から、「自分たちが価値を届けられる商品を持たなければいけない」と考えるようになり、自社商品の開発・販売に力を入れる方向へ舵を切りました。現在はD2C事業にも注力しています。

機能性で勝負する自社商品

現在展開しているのは、軽量で丈夫な傘、形状記憶によって畳みやすい傘、遮光性に優れた日傘など、機能性を追求した商品です。単にデザイン性だけではなく、「使う人が日常で感じる不便をどう解決するか」という視点で商品開発を行っています。

いい傘の見分け方

素材と生地に宿る違い

「いい傘」と一言で言っても基準はさまざまですが、分かりやすいポイントの一つは素材です。例えば、カーボンなどの素材を使用した傘は、高価な素材である分、軽さと丈夫さを両立できます。そのため、高品質な傘の一つの指標になります。

もう一つ重要なのが、縫製や生地へのこだわりです。

超軽量な傘をつくるためには、細い糸を高密度で織った生地が必要になります。ただ、一般のお客様からすると「こんなに薄い生地で本当に雨を防げるのか」と感じることもあり、価値が伝わりにくい部分でもあります。

しかし、傘業界では、その薄さと高い密度こそが、軽さや耐久性を実現するための重要な技術とされています。

畳みやすさという新しい基準

近年では、「畳みやすさ」も傘選びの重要な基準になっています。日傘の需要が高まる中、遮光性を高めるために生地の構造が複雑になり、厚みが出ることで畳みにくくなる傾向があります。だからこそ、機能性を保ちながら、いかに使いやすく収納しやすい傘をつくるかが、これからの傘づくりにおいて重要になっています。

 

傘業界の転換点

日傘は美容目的から暑さ対策へ

これまでの日傘は、UVカットや美白など、美容目的で購入されることが多い商品でした。しかし近年では、暑さをしのぐためのアイテムとして日傘を使う人が増えています。特に都内では、ここ数年で男性が日傘を差す姿も珍しくなくなり、電車移動が中心の地域では自然な光景になってきました。日傘は雨傘と違い、基本的には濡れることがないため、カバンに入れて持ち運びやすいというメリットがあります。また、使わない時にはコンパクトに収納できることから、折りたたみタイプの需要が高まっています。さらに、晴雨兼用タイプの商品も増えており、朝は晴れていても夕方に雨が降るといった急な天候の変化にも対応できる点が、現代のライフスタイルに合っていると感じています。

ビニール傘の位置づけの変化

もう一つ大きな変化は、ビニール傘に対する消費者の意識です。
以前は「急な雨の時に買うもの」というイメージが強かったビニール傘ですが、近年では価格も上昇し、大手コンビニで購入すると800〜1,000円程度する商品も増えています。品質も向上し、以前のような一度使ったら終わりというものではなく、繰り返し使える商品になっています。その結果、自宅にビニール傘を何本か置いておく人も増え、長傘を持ち歩く需要は徐々に減少しました。その代わりに、晴雨兼用で持ち運びやすい折りたたみ傘が選ばれるようになったというのが、ここ2〜3年で感じている大きな変化です。

傘を「憧れの商材」へ

バッグや靴のような存在へ

ビジョンと言うと少し大げさかもしれませんが、私はもっと物を大切にする文化をつくりたいと思っています。例えば、バッグや靴を購入するときは、ブランドやデザイン、背景にこだわって選ぶ人が多いと思います。スニーカーで言えば、Nikeのように、ブランドの世界観やストーリーを含めて「これが欲しい」と思わせる価値を提供している商品もあります。

一方で、傘はまだそこまでの文化やブランド価値が確立されていません。良い商品をつくるだけではなく、その魅力を伝えるマーケティングやブランディングにも、まだ大きな可能性がある業界だと感じています。

使い捨てない文化をつくる

だからこそ、「これが欲しい」と思ってもらえる製品やブランドを育てていく必要があると考えています。一度購入したものを長く大切に使ってもらう。バッグや靴のように、背景やブランドへの憧れを感じてもらえる商材にしていきたいというのが、私の目指している方向性です。傘には、日用品として気軽に使われるコモディティとしての価値もあります。一方で、こだわりや品質を追求した「良いもの」として選ばれる価値もあるはずです。

弊社はその中でも、価格だけで選ばれる商品ではなく、価値を感じて選んでもらえる「いい傘」のポジションで勝負していきたいと考えています。

現在、社員は8名ほどです。

 

学生へのメッセージ

条件ではなく、熱中できることを選ぶ

人生は一度きりだからこそ、給与や休日といった条件だけで仕事を選ぶのではなく、自分が得意なことや、熱中できることを仕事にしてほしいと思っています。

これからは、決められた作業を正確にこなすだけの仕事は、AIによって大きく変化していくはずです。だからこそ、私は学生の皆さんには「クリエイター」であってほしいと思っています。

AIを使って生み出したものをさらに発展させていくことはできますが、何を生み出すのか、その元となるアイデアを考えることは人間にしかできません。

そして、何事も継続して取り組んでほしいと思います。続けることでしか得られない知識や経験があり、それが自分だけの強みになっていきます。

私自身、傘に関わって33年になりますが、長く向き合ってきたからこそ見える景色があります。もともと傘が好きでこの業界に入ったわけではありません。釣りが好きだったことで、レインウェアの撥水性や透湿性といった知識が自然と身についており、それが傘づくりにも通じる部分がありました。

釣り竿にもカーボンやグラスファイバーといった素材が使われていますが、傘の骨にも同じ素材が使われています。振り返ると、自分が積み重ねてきた経験や興味が、今の仕事につながっていたのだと思います。

掛け合わせで唯一無二に

これからの時代は、自分の強みを掛け合わせることがより重要になると思っています。

例えば、「英語が得意」「翻訳ができる」という一つのスキルだけでは、AIによって代替される可能性があります。しかし、得意なことを二つ、三つと掛け合わせることで、そこにしかない価値が生まれます。

例えば、ネットに詳しい、英語ができる、そして傘の専門知識がある。その三つが組み合わされば、海外に向けたマーケティングや販売戦略を考えられる、唯一無二の存在になれます。

まずは自分自身を深く理解し、自分が熱中できることや得意なことを見つけてほしい。そして、それらを掛け合わせることで、自分にしかできない価値をつくっていってほしいと思います。

編集後記

取材をさせていただく中で、辻野さんのお話は特に印象に残りました。会社が1円で譲渡され、その後倒産を経験するという大きな転機を経て、お客様からの電話をきっかけに起業されたという歩みには、単なる「挑戦」という言葉だけでは表現できない責任感や覚悟を感じました。また、傘を「憧れの商材」にしたいというビジョンも、長年業界に向き合い、ものづくりの本質を理解してきたからこそ生まれる考えなのだと感じました。一つの分野に長く向き合いながら、自分の経験や強みを掛け合わせて価値を生み出していく姿勢は、これから社会に出る学生にとって大きな学びになるインタビューでした。