株式会社VICTASで代表取締役社長を務めている松下浩二です。VICTASは、国際卓球連盟(ITTF)公認のラバーやボールをはじめとする卓球用品を手がける、創業95年の卓球用品メーカーです。学生時代から卓球一筋で生きてきて、日本人として初めてプロの卓球選手になり、現在は経営者として世界一を目指しています。
兄の背中を追いかけた幼少期
兄の影響で卓球を始めた
卓球を始めたきっかけは、5つ上の兄です。兄が中学校の卓球部に入り、一生懸命練習している姿をずっと見てきました。部活が終わり、ご飯を食べたあとに、近くの卓球場へまた通っていました。あるいは、仕事帰りの大人たちを相手に、試合を申し込んでいたりととても活発でした。送り迎えは両親が行っており、時々それについていくようになりました。私はというと、双子の片割れと一緒に過ごし、待っている間に父たちと遊び感覚で卓球をやっていました。
野球や剣道、水泳(競泳)もやっていたのですが、卓球は自分の力で白黒はっきりつけることができますし、チームスポーツよりも個人スポーツのほうが合っているなと、小学生ながらに感じていました。面白そうだからちょっとやってみようというのが、始めたきっかけです。兄の影響が大きかったと思います。
卓球漬けの学生時代
小学校から卓球を始めて、割と早い段階で日本チャンピオンや世界チャンピオンになりたいという夢を持つようになりました。そこからは、中学・高校・大学と、卓球を軸に進学先を選び、本当に卓球漬けの毎日でした。普通の学生のように、友だちと飲みに行ったり遊びに行ったりということは、まったくなかったです。朝から晩まで、365日卓球漬け。大学生くらいからナショナルチームへ所属し国際大会にも出るようになり、自由な時間はさらになくなりました。
「貧乏になりたくない」から始まったプロへの道
卓球はいい会社への手段だった
あまりいい考えではないのですが、小さいころから貧乏になりたくないと強く思っていました。お金持ちになりたいという思いがあり、卓球で明治大学へ進学したのですが、当時の私にとって卓球は「いい大学、いい企業に入るための手段」でした。ですから、大学を卒業して就職をしたら、卓球は早めにやめようと最初は思っていたのです。長く卓球ばかりやっていたら、出世はできないと思っていました。
大学は明治と早稲田で迷ったのですが、卓球も勉強もやらせてくれる大学がいいなと考え、明治大学へ進学しました。ある程度がんばって、一部上場企業の実業団にお声がけいただいて入社することができたのですが、そこで挫折を味わうことになります。
実業団で感じた挫折
入社してから3か月ほどで、自分と会社の先輩や同僚とのレベルの差を痛感しました。卓球はやめようと思っていたはずなのに、この会社の中では戦えないだろうと確信しました。そこで自分には何ができるのかと考えたときに、頼れるのはやはり卓球しかなかったのです。
大学4年生のときに、興味本位でスウェーデンのプロリーグに留学させてもらった経験があります。当時、日本には卓球のプロも、プロリーグもなかったので、それならば自分が日本人として初めてのプロになろうと決心しました。
先輩たちの姿を見て決めた
正直、プロに「全振り」するのは怖くはなかったのかと、よく聞かれます。ただ、人生は一度しかないですし、最初に入った会社の卓球部の先輩たちを調べてみると、誰一人として部長になっていなかったのです。卓球をやってきた人間は、そんなに上には行けないのだろうなと、納得してしまいました。このまま窓際族で人生を終わらせたくないという思いと、世界選手権やナショナルチームにいた先輩たちの半数くらいが、結局は会社を辞めて卓球関連の仕事に就いていたという事実もあり、葛藤しました。
同級生たちには「いい会社に入って給料がもらえているのに、なぜ辞めるのか」とよく言われました。プロにはケガや成績不振で終わってしまうリスクがあるのも事実です。それでも、最終的にはまた卓球に関わるようになる自分が見えていたので、リスクというよりも自然な流れだと感じていました。日本人として初めてのプロ卓球選手というのは、たとえ失敗しても自分の中で大きな価値があると、当時から思っていました。
引退後、卓球メーカーの経営者になるまで
後輩のためのマネジメント会社
現役は41歳まで長く続けさせてもらいました。なかなか若い選手が育ってこない中、のちに東京オリンピックで金メダルを取る水谷隼選手がナショナルチームに入ってこられて、この選手は世界を取るなと感じていました。彼らのような世代が育ってこられたのを見て、自分の役割は終わったと思い、引退を決めました。
現役中、海外のクラブやスポンサーとの交渉を自分ひとりでやっていたのですが、後輩たちに同じような煩わしいことをさせたくないと思い、33歳のころに卓球のマネジメント会社を立ち上げました。引退後もその活動を続けていました。
もっと社会に貢献したいという思い
半年ほど経ったころ、なんとなく物足りなさを感じるようになりました。同じフロアでゴルフのマネジメント会社を経営していた同級生の会社がどんどん大きくなっていくのを見ていて、自分ももっと大きなことをして社会に貢献したいと思うようになったのです。それまでは、いろいろな方に支援していただきながら選手をやってきたので、今度は自分が返す番だという気持ちがありました。
そのためには経済的な基盤が必要です。当時、大学院で卓球のプロリーグを立ち上げる研究をしていたのですが、勉強していく中で「自分の得意分野を外れた事業をすると75%は失敗する」という統計を知りました。野球選手が焼肉店やラーメン店を始めて失敗するのも、この統計に組み込まれているようなものです。それなら、自分が成功する可能性が高いのは、やはり卓球に関わる事業だろうと考えました。卓球コーチやショップの経営では規模が知れているので、支援できる金額にも限りがあります。卓球メーカーであれば、うまくいけば数十億円規模の売上、数億円規模の利益を出せる可能性があり、そこから社会に還元していけるのではないかと思ったのです。
多額の負債と引き換えに手にした社長の椅子
社員50人と負債を条件に
卓球メーカーを一から立ち上げるのは大変なので、契約していたメーカーの社長で、仲がよかった方へ相談に行きました。大阪にある、いまの会社の創業家の方です。「こういう夢を持って社会に貢献したいので、会社を譲ってもらえませんか」と話をしたところ、条件さえのめば構わないと言ってもらえました。その条件が、社員50人と、多額の負債を抱えることに繋がってしまったのです。
恩師が出資してくれた
会社を譲り受けるには多額の資金が必要だったので、まずお金を集めなければなりませんでした。私は体育会系の人間なので、まず明治大学時代に一番お世話になった総監督の恩師のところへ事情を報告しに行きました。すると「それはいい話だ」と言っていただいて、その場で出資を申し出てくれたのです。
恩師は、実はウィッグメーカーの創業者でした。アデランスやアートネイチャーが有名な業界の中で、国内3番目の規模だったスヴェンソンという会社です。出資をしていただいてから3か月ほど経ったころに、社長への就任が決まりました。2009年、私が卓球メーカーの経営者になった瞬間です。
負債の大きさに不安はなかったのかとよく聞かれるのですが、正直、根拠のない自信がありました。自分はある程度日本のトップでやってきたので、営業マンとして店舗を回ったり、卓球を教えに行ったりすれば、それなりのシェアは取れるだろうという感覚があったのです。もともと国内シェアは3番手だったので、製品開発などのアドバイスも十分にできると思っていました。
自分たちで売る、自分たちの製品
直接お客様の声を聞く強み
VICTASは卓球専門のメーカーで、創業は1931年。95年間ずっと卓球用品を作り続けてきた会社です。全国に卓球を教えに行ったり、支援したりする活動も長く続けています。
強みとしてよく挙げているのは、営業マンが自分たちの製品を自分たちで売るというスタンスです。お客様にダイレクトに製品を伝えられますし、直接お客様の声を聞くこともできます。その声をもとに商品開発や改善、サービスの向上につなげられるところが、VICTASらしさだと思っています。
トップ選手を抱える戦略
卓球業界も含めて、スポーツ業界というのは製品力だけでなく、いかに有名なトップ選手と契約するかが勝負を分けます。うちのような業界3番手の会社は、製品力やプロモーション力だけでは、上位2社になかなか勝てません。日本卓球メーカーのトップは、トップ選手と契約して効果を波及させる戦略で戦っています。
トップ選手との契約には大きな費用がかかるため、当社は営業力を強化し、実際に製品を使っていただいて他社製品から切り替えていただくやり方を大切にしています。将来的には当社もトップ選手を抱えられる体制を作りたいと考えています。
経営者として味わった苦労
社員との信頼関係づくり
経営を始めた当初は、すべてが手探りでした。ライバル会社の契約選手だった人間がいきなり社長になったわけですから、社員からすれば「卓球選手にそんなことができるわけがない」と思われても仕方がありません。そのギャップを埋めるのが、一番大変でした。
最初の7年間、Tリーグの立ち上げに関わる前までは、売上を一度も落とすことなく、大きく伸ばすことができていました。新しいブランドを立ち上げて、そこから成長させていけたのも大きかったと思います。
業績悪化からの立て直し
その後、Tリーグの立ち上げに携わりましたが、会社が大変な状況になったため2020年に社長として復帰しました。戻ってきたときには、売上が3分の1になっており、負債も以前より大きく膨らんでいました。社員数も、私がいたころは60人ほどだった規模が、100人近くまで増えていたのです。経営者が変わるだけでこんなに会社が変わってしまうのかと、驚きました。
やると言った以上はやるしかないので、5年かけてようやく元の状態まで立て直すことができました。資金の工面も大変でしたが、それ以上につらかったのは社員とのやりとりです。給料は上がらず、状況も悪化し、ボーナスもカットせざるを得ない状態でした。会社にいてほしい社員が辞めていくのを止められないのは、本当につらかったです。会社の状況がよければ引き止めることもできますが、状況が悪いとそれも難しくなってしまいます。
立て直しの要因は、意外とシンプルでした。間違ったことを正せば、元に戻るのです。会社規模を、60人台の適正な人数に戻し、身の丈にあったオフィスへ変える。時間もお金もかかることなので、それまで会社が持つかどうかという不安でしたが、周りに助けてくださる同級生が多かったこともあり、なんとか乗り越えられました。運にも恵まれたと思っています。
世界一の卓球メーカーへ
上場を目指して
いつも掲げているのは、世界一の卓球メーカーになるということです。そして、日本を含めた世界を、卓球を通じて明るく元気にしたいという思いがあります。卓球メーカーで上場した会社はまだないので、上場を目指し会社を大きくし、そこで得た利益を社会へ還元していきたいと考えています。
国内だけでなく、世界人口83億人といわれる海外にも目を向けて事業を広げていきたいですし、卓球の枠を超えて、ほかのスポーツにも挑戦してみたいという思いもあります。まずはトップの選手を獲得できるだけの余裕を作り、実行に移していきたいです。
学生へのメッセージ
考える前に行動する
人生は一度しかないので、自分が思ったことはすぐに行動に移したほうがいいと思います。考える前に、行動しながら考える。日本という国は、生まれた瞬間に世界の上位20%に入るような恵まれた国です。周りで餓死したという話を聞いたことがある人は、まずいないと思います。それくらい裕福な国なので、本当に何でもできると思うのです。
中途半端な気持ちでは目標は達成できないかもしれませんが、意気込みと決意、信念があれば、思ったことをすぐに行動に移せます。夢や目標があれば、それを叶えられる可能性は誰にでもあります。卓球のチャンピオンにはひとりしかなれませんが、夢や目標を叶えるチャンスは全員に開かれているのです。ぜひ、夢と目標に向かって突き進んでください。
VICTASのよくある質問
どんな人材を求めていますか?
とくに力を入れたいのは営業職です。バックオフィス業務はすでにAIの導入が進んでいるので、これから強化していきたいのは営業の部分です。スポーツの会社なので、元気があって素直な方であれば、多少経験が浅くても歓迎したいと思っています。
新卒採用やインターンは行っていますか?
はい、行っています。ご興味があれば、ぜひ公式LINEにご登録いただければと思います。面談などのご希望も、そちらから対応できます。
編集後記
今回、松下さんのお話を伺い、一番印象に残ったのは「考える前に行動する」という言葉でした。私自身、早稲田大学で学生団体の運営に関わりながら、頭で考えすぎて一歩を踏み出せずにいることが多いです。多額の負債を前にしても「根拠のない自信」で前に進んだお話は、単なる勢いではなく、幼いころから積み重ねてきた覚悟に裏打ちされたものだと感じました。就職活動で条件面ばかりに目が向きがちな私たちにとって、経営者自身のビジョンに触れられる、貴重な機会になりました。