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「留年」がくれた気づきから始まった挑戦

「留年」がくれた気づきから始まった挑戦
PROFILE
株式会社エンルーツ 代表取締役
駒田 雄也

自由になったら、崩れた大学生活

授業もバイトも麻雀も、なんとなく

私の家は、両親も弟も大手製造会社に勤めているような、いわゆる普通の家庭です。大学も、愛知県内で就職するには困らないだろうという、偏差値もそこそこの大学に進学しました。高校生までは野球にそれなりに打ち込んでいたのですが、大学に入って自分の意志であらゆることを決められるようになった途端、正直なところかなり崩れてしまったんですよね。大学でも野球部には所属していたのですが、100%打ち込めていたかというとそうではなくて、ある程度これまでの経験があるからこそ、ほどほどにこなせてしまう自分がいました。授業も適当に受けて、なんとなく部活をやって、夜はバイトをして、パチンコに行って麻雀をして。今思えば、本当に自堕落な大学生活を送っていたと思います。

留年という「情けない経験」が教えてくれたこと

自分の人生、このままではまずい

そんな大学生活のなかで、一つだけ本当によかったと思える経験があります。それが留年です。4年生で卒業できず、大学に5年生として残ることになりました。周りがどんどん卒業していくなかで、自分だけ大学に残らなければいけないという状況は、当時の自分にとってはとても情けなくて、ダサい経験でした。周りからすれば「留年しただけじゃん」と思われるようなことかもしれませんが、自分のなかではそれまである程度順風満帆に来ていたつもりだったものが、急にへし折られたような感覚があったんです。なぜこうなってしまったのか、と考えたときに、当然、大学生活を頑張っていなかったからなのですが、そこではじめて「このままだと自分の人生は相当まずい」ということを、身にしみて実感しました。当時は恥ずかしくて情けない経験だと思っていましたが、今振り返ると、あれは本当にいい経験だったと感じています。

水曜休みが導いた、社会人としての第一歩

大学に通いながらの新人時代

私の場合、留年はしたのですが、就職はできたんです。というのも、就職先が自動車ディーラーで、水曜日が休みの会社だったんですよね。卒業できなかった原因は、必修単位を一つ取り忘れていたことだったのですが、その単位を取得する授業がちょうど水曜日にあって、たまたま会社の休みと重なっていました。それを知った就職先の副社長が「働きながらでも大学に通えるなら構わない」と言ってくださって、社会人1年目は大学に通いながら働くという、貴重な体験をすることになりました。休む時間なんてほとんどなくて、休みの日は大学に行って、それ以外は個人営業のディーラーなので休み関係なく働いていました。この経験を通じて、社会人になってから一気に気が引き締まったことを、今でも明確に覚えています。「ここで必死にやらなければ、たかが1年で終わってしまう」という思いがあって、それが仕事にコミットする習慣につながっていきました。

自動車ディーラーへの就職には、実は特別な戦略があったわけではありません。周りがどんどん内定を決めていくなか、私は就職活動すら始めておらず、当時は麻雀にはまって雀荘に入り浸るような生活をしていました。周りから心配されて、そろそろ就活をしなければと思っていた矢先、たまたま参加した合同企業説明会でスパッと決まったというのが実際のところです。就活を長引かせると遊べなくなるから、早く終わらせたいという理由で決めた会社でした。結果的に、水曜休みという偶然が、大学に通いながら働くという貴重な経験につながったのですから、不思議な巡り合わせだったと思います。

珍しいキャリアを持つ副社長との出会い

この人の下でなら、挑戦できる

就職した先の副社長は、大学を出たあと広告代理店に勤め、その後自分で広告会社を立ち上げて、それを譲渡してから実家の一族経営の会社に戻ってきたという、当時私たちがいた東三河エリアではかなり珍しいキャリアの持ち主でした。思想もかなり独自のもので、私はそこに強く感銘を受けたんです。この人のもとで働けば、自分もいろいろな挑戦ができそうだと感じたのが、正直なところ、その会社に惹かれた理由でした。その副社長とは今でも仲がよく、非常に運命的な出会いだったと思っています。

マイナビで鍛えられた営業の基礎

1日200件のテレアポが生んだ自信

ディーラー時代は副社長の思想や理念に共感しながら、自社の採用活動のリクルーターのような役割も担っていました。そこからマイナビに転職し、そこでの経験が自分の基礎をつくってくれたと感じています。マイナビでは、考える余白をあまり与えずに、とにかく行動する、いわば軍隊のような営業スタイルでした。1日200件のテレアポをこなし、たくさんの訪問をして受注する、それができない人はやめていくという環境です。ただ、そこで生き残って成果を出し、マネージャーになるまで続けられれば、それなりの成功体験と自信がつきますし、それが独立への後押しになる人もいるのだと思います。自分自身は、やれば成果が出るとわかっていることなら、やればいいじゃないかというタイプだったので、そこまで苦には感じませんでした。

初めて部下を持って、一番苦労した時期

会話が通じない、でも数字は待ってくれない

マイナビ時代で一番苦労したのは、初めて部下を持ったタイミングです。プレイヤーとして1年半働いたあと、拠点立ち上げの責任者としてマネージャーになりました。当時は東海エリアで働いていたのですが、最短クラスの昇格スピードだったそうです。拠点の立ち上げなど経験したこともないなかで、会社からは容赦なく予算とノルマが降ってきます。それをこなせなければ詰められるという、しんどい毎日でした。初めて持った部下は、なかなか会話も噛み合わず、計算も苦手な、当時の私からすると「宇宙人」のような存在に感じていました。頼れる人もおらず、どうすればいいかわからないまま、それでも数字は待ってくれない。そんな状況を乗り越えられたのは、情報のキャッチアップを徹底したことでした。本を読むだけでなく、YouTubeなどさまざまな媒体から新しい情報を取りに行くことを、時間があるときはずっと続けていました。それが自分の幅を広げてくれましたし、あの時期の自分を救ってくれたと思っています。ちなみに、その頃苦労を共にした元部下は、今では弊社で活躍してくれています。

独立という選択

理念のズレが後押しになった

マイナビを辞める1年前に、先に独立していた先輩から誘われて、その会社に入社しました。大手の看板を外して、自分の力だけで成果を出していくフェーズに一気に切り替わったのですが、そこでの1、2ヶ月ほどで、それなりの利益を生み出すことができたんです。ここで「自分はやっていけそうだ」という感覚を得られましたし、マイナビにいたときは会社の看板を背負ってやるべきことをやっていましたが、そこから出てみると、自分が本当にやりたいことをやりたいという思いが強くなりました。ただ、私を誘ってくれた元上司とは、今後どうしていきたいかという部分でずれが生じてしまったんです。自分は自分のやりたい方向があり、上司は会社としての方向があって、そのままナンバー2のような立場で続けていくのは自分にはしんどいと感じ、入社してわずか2か月でその会社を退職し、独立することを決めました。独立を決めた根底には、幸せを追求したいという思いがありました。マイナビ時代から、自分の部下やお客様、そして家族に対しても、幸せにできていない人が多いと感じていましたし、課題を解決できないままサービスを売らなければならないジレンマも抱えていました。だからこそ、自分でやるなら幸せを軸に置きたいと思ったんです。この「幸せ」という言葉は、今の弊社の理念の根底にもずっとあります。

紹介だけで広がった、最初のお客様

テレアポは一度もしていません

独立してからの最初のお客様は、連絡をいただいたところに全力で対応することから始まりました。そこから、既存のお客様の紹介でどんどん広がっていきましたし、三河エリアという地方ならではの、地場の経営者団体にも所属して、そこで応援してもらいながらお客様を紹介していただくという形で事業を広げていきました。テレアポやDMは一切していません。今思えば、それは人柄のようなものに魅力を感じていただけた結果なのかもしれません。

三河という地で挑む理由

売上は、信頼の定量化

弊社は、ただお金を稼ぐだけのビジネスではなく、社会貢献や地域貢献という軸を大切にしています。お客様からいただく売上は、私は信頼の定量的な数字だと思っています。この地域にどれだけ貢献できたか、そしてそれに満足するのではなく、影響力を広げるためには会社を大きくして売上を伸ばしていく必要があります。東京や大阪、いわゆる東名阪エリアはマーケットとしては大きいですが、その分競合も多い。地方はマーケットこそ小さいかもしれませんが、競合が少ない分、チャンスがある市場だと思っています。この三河という地場で、ベンチャー企業をどう大きくしていくか、そのゲームに挑めることこそが、弊社ならではの面白さだと感じています。地元にしっかりと足をつけながら、限られたキャッシュのなかで、地元で有名な会社にしていく。東京でスタートしているスタートアップとはまた違った挑戦の仕方ですが、それはそれで非常に面白い挑戦だと思っています。もちろん、故郷が三河ではない学生でも、入社したいという気持ちがあれば大歓迎です。

AIとどう向き合うか

意思決定を支援できるかどうか

AIについては、かなりポジティブに捉えています。人がやるべきことと、やらなくていいことは、明確に区別すべきだと思っていて、AIに任せられる部分はどんどん任せるべきです。そこに人が介在する価値がないのであれば、AIに任せたほうが、人の介在価値が求められる部分での生産性がより高まりますし、結果的に会社から個人に還元できるものも増えていくはずです。人材紹介という領域でいうと、AIによるマッチングのプラットフォームが今後当たり前になっていくと考えていて、弊社でもそうしたものをつくりたいと思っています。そうなると、単に人を紹介するだけの人材紹介会社は減っていくのではないかと感じています。それでも、人が介在する価値がなくなるわけではありません。求職者に選択肢を与えるだけでなく、意思決定そのものを支援できるかどうか。企業に対しても、ただ求人広告の枠を売るのではなく、意思決定にどれだけ深く関われるかというところに、これからの価値が生まれてくると思っています。弊社では、お客様に対して自分ごととしてコンサルティングをすることを大切にしていて、その結果、お客様のほうから「こういう提案をされているんだけど、どう思う」と相談を持ちかけていただけるようになりました。そうした、意思決定を半分委ねてもらえるような関係を築けるかどうかが、これからのHR企業にとって重要な分かれ道になると感じています。

学生へ伝えたいこと

選択肢を狭めないでほしい

これから社会に出ていく学生の皆さんに伝えたいのは、とにかく選択肢を狭めないでほしいということです。あらゆる情報を取りに行って、世の中にどんな仕事があるのか、どんな業界があるのか、今後の情勢がどうなっていくのか。合っているかどうかは気にせず、まずは情報を集めて、自分なりに考察し、仮説を立ててみてください。そのうえで、自分が納得できる選択をしてほしいと思います。その選択が正しいかどうかは誰にもわかりません。ただ、自分でいろいろな情報を得て、考えて、行動を起こしたのであれば、そこには納得感が生まれますし、納得感があれば人は頑張れると思うんです。私自身は、たまたま深く考えずに選んだ道でも頑張れたタイプでしたが、それはむしろ珍しいケースだと感じています。今の弊社にいる若手社員を見ていても、意思決定に慎重になる子は多いです。だからこそ、納得するまでしっかり情報収集をして、自分で決めて、行動してほしいと思います。自分の意思決定に責任を持つこと。キャリアにおいてどれだけ意思決定を重ねてきたかが、その人の本当の強さにつながると思っています。就職先に入社してからではなく、その意思決定そのものが、キャリアの第一歩です。学生の皆さんには、納得いくまで考えて、行動して、しっかりと意思決定してほしいと思います。

編集後記

駒田さんのお話をうかがって、「留年」という一見ネガティブな経験が、その後の人生を大きく変えるきっかけになっていたことがとても印象的でした。行動しながら考える、そして自分の意思決定に責任を持つ。この2つの言葉は、進路に迷う私たち学生にとって、大きな指針になると感じました。