インタビュー

早稲田に受かっていたら、起業していなかった。コンビニのチョコティックパンで1日半しのいでいた貧乏大学生が、売上9億円規模の会社をつくるまで

早稲田に受かっていたら、起業していなかった。コンビニのチョコティックパンで1日半しのいでいた貧乏大学生が、売上9億円規模の会社をつくるまで
PROFILE
株式会社Epace 代表取締役
佐藤 駿介

愛知で青春を使い切った

部活も学級委員もやった

昔から社長になりたかったとか、そういうものは全然なかったです。愛知県の出身で、小中学校のころは部活のキャプテンや学級委員をやるタイプではありました。しかし、中学から高校にかけては学級委員や生徒会に身が入らなくなってしまい、部活と行事に振り切っていった感じです。

空手の黒帯とバスケ

小学校では夏は野球、冬はバスケという生活で、空手もやっていました。空手は中学1年で黒帯を取って、そこからはバスケに絞ろうと決めてやめています。中学はキャプテン、高校は副キャプテンで、公立高校なりに頑張って、最後は県大会16位で終わりました。

自称進学校で文武両道

高校はすごい進学校というよりは、自称進学校くらいのところでした。勉強ばかりではなく、文化祭も体育祭も本気でやる学校で、地元ではキラキラしていると言われるような雰囲気だったんですよね。学生生活はとにかく使い切ったなという実感があります。

東京と、滑り止めの法政大学

早稲田に受かっていたら

法政大学の法学部は、ぶっちゃけ完全に滑り止めでした。ほかは落ちていて、受かったのが法政と明治の情報コミュニケーション学部だけだったんです。早稲田も受けていて全部落ちました。もし早稲田に受かっていたら、大手企業に就職するなりしていて、起業はなかったんじゃないかなと思っています。なるようになっているな、という感覚ですね。ただ、入った以上は休学してあえて学生ブランドを使うなどせずストレートで卒業しようと決めていたので、4年で卒業しました。

声をかけられて芸能へ

中高のころから芸能界に行きたかったわけではなくて、東京や芸能界がどんな感じなんだろうという憧れが多少あったくらいでした。せっかく東京に来たからには、というのと、ご縁が重なったのが大きいですね。原宿や表参道で声をかけていただくことがあって、初めて名前を聞くような事務所も含めていろいろ受けました。どうせやるなら仕事をいただけそうなところがいいと思って自分から受けにも行って、最終的にお金回りや実績も含めて某有名女優や俳優のいるバランスの良い事務所に入った時期があります。

3,000円が払えなくなった

活動そのものはすごく楽しかったです。しかし、殺陣もダンスもボイトレもやったことがなかったので、スキルをつけるためにワークショップへ通う必要がありました。1回で3,000円、新宿まで出てボイトレでまた3,000円、と積み重なっていく。当時は神楽坂や飯田橋の焼肉屋でアルバイトをしていて、月10万円ほどしか稼げていなかったです。お年玉を切り崩しながらやっていても、このままだと借金になるなと思ったんですよね。

同じころ、周りとの感覚の差も感じていました。サークルはすぐにやめてしまったので、大学での友人は学部学科の人たちが中心だったんです。裕福な家庭の子が多くて、アルバイトをせずに親のクレジットカードを持っている子や、就職のコネを持っている子がいる。私の実家は貧乏ではなかったにせよ、感覚が違うなと思っていました。そこにお金が理由で楽しかった活動を手放すことが重なって、自分で稼げる力を身につけようと決めたのが大学1年の12月から1月ごろです。

稼ぐ力を身につけた1年

ゼロイチでやってみろ

最初から靴を磨いていたわけではありません。芸能のつながりが残っていたので、恋愛リアリティ番組に出ていた方をキャスティングする仕事から始めました。フォロワーが10万人、15万人といても、実は恵比寿の居酒屋で週4日働いていてお金になっていない、という方も多かったです。そういう方にライブ配信やSNSマーケティングを覚えてもらって、自分でも稼げるとわかってほしくてサポートしていた時期もあります。

とある経営者の方から「それはどこかの会社のサービスありきで稼いでいるだけ。自分のサービスをゼロイチで立ち上げて、1円でもいいから自力で稼いでみたら?」とアドバイスをいただきました。その経営者の方は学生時代にストリートでの靴磨きビジネスを経験されていたそうなのですが、私ももともと革靴が好きで道具も持っていたので、「それなら自分も一度挑戦してみよう」と思い立ったんです。

靴磨きで80万円

もともと人に声をかけるのが得意なタイプではなかったのですが、断られ続けるうちに耐性がつき、いまでは声をかけること自体にまったく抵抗がなくなりました。3カ月ほどで、靴磨きだけで累計200万円ほどの売上を作りました。あのとき出会った方と、いまも仕事で関わっていたりします。

我流で覚えたSNS

SNSマーケティングは完全に我流です。ライブ配信のサポートは業務委託で関わっていた会社に教えていただくこともあったものの、それ以外はほとんど独学でした。固定給をいただいたのは、芸能活動をしていたころの焼肉屋のアルバイトが最後なんですよね。我流に、お会いした方のよいところを盗ませていただいて積み上げた、という感じです。

人に会うしかなかった

100人に会って残る5%

案件の取り方はいちばん苦労したところでした。学生起業をしている人は親や親戚が経営者というケースが多いんですけれど、私にはそれがまったくなくて。出身も愛知で、東京につながりがあるわけでもない。だから、いま思えば行かなくてもよかった交流会にもたくさん参加しましたし、ビジネスマッチングアプリで100人以上にお会いしました。いまもつながっているのは、たぶん5%いるかいないかですね。

オーダースーツから広がった

紹介していただける関係性を作るために、まずは自分からオーダースーツを購入してみたこともあります。すると、そのスーツ会社の経営者の方が、まだ何者でもない私にたくさんの方を引き合わせてくださったんです。そこからさらに紹介の輪が広がっていきました。目の前の仕事で着実に成果を出していくと、新たなご紹介につながり、「こういう仕事もお願いできない?」と頼まれる幅も徐々に広がっていきましたね。

適材適所のために会社を作った

得意ではないものは手放す

個人でやっていると、スキルがあるのに買い叩かれている方や、案件が取れない方に出会います。私は営業や経営企画、マーケティングを考えるほうが得意で、プログラミングも数週間さわってみましたし、映像編集もAdobeのソフトを触ってはみたものの、得意でも好きでもなかったんです。それなら、「お互い適材適所で好きなことと得意なことを仕事にできたらいいんじゃないか」そう思って作ったのが弊社です。いいペースで働ける人を作る、というところから社名も来ています。そこからマーケティングの仕事が増えて、人材も集まって、応えられる範囲を広げてきました。

株を買い戻した一期目

株主構成や経営権について十分に理解しないまま起業し、創業初期に株式を買い戻す経験もしました。共同創業者は2人おり、うち一人は現在も弊社ホームページに掲載しています。株式の保有比率が偏っていた時期もありましたが、1期目のうちに買い戻し、体制を整えることができました。

当時は8つ上と9つ上の2人と組んでおり、私は20歳から21歳でした。弊社のホームページにも掲載していますが、中心メンバーの一人は外資系コンサルティング会社を経て参画したメンバーで、学生時代から組織のリーダーを務めていた人間です。私自身、好きなことを仕事にして事業を行っている姿に惹かれ、一緒に始めました。若いうちにこうした経験を積んできたことは、20代の経営者としては強みになっているのかもしれません。

8期目までにあった修羅場

二日後に届いたLINE

今年の3月で8期目に入りました。実は三期目くらいまでは、フリーランスの延長のような感覚でやっていたんです。何十人、何百人の社員を抱える大きな会社にしたい、という気持ちがもともとなかったので、四期目から、高校の同級生でかなり信頼している人間を社員として迎え入れました。以前に個人向けのプログラミングスクールを運営していた時期があって、彼は一期目のころからそこで学んでくれていたので、社員になったのは四期目でも、関係としては3年、4年ありました。

その彼がすごく頑張ってくれていて、将来の役員候補だと思っていたんです。観光領域でこういう事業をやりたい、というプレゼンも受けました。それが2年前の3月の水曜日で、「よし、やろう」となって、旅行会社の部長の方に顧問へ入っていただくところまで整えました。ところが、その後まもなく彼から退職の意向を伝えられました。辞めること自体は仕方ないんです。ただ、友人だからこそ、最後に対面で話せなかったことが心残りでした。

重なった数字と祖母との別れ

同じ時期に、いろいろなことが重なりました。祖母が亡くなって、私にとって唯一の祖父母だったので、急いで葬儀に向かったのを覚えています。更にクライアントからの未払いが2,000万円ほど発生して、弊社は2月決算なので税金の支払いが4月末までに4,000万円ほど必要でした。加えて、これは完全に弊社が悪いんですけれど、お世話になっている社長からいただいた大きな案件が炎上してしまっていたのです。最終的にその案件は鎮火して、いまも取引が続いています。2年前の3月は、本当にばたついた1ヶ月でした。乗り越えたからこそ、いまはネタとして話せますし、自信にもなっています。

いいペースで働ける人を増やす

誰もがとは思っていない

ビジョンは一期目からずっと一貫しています。いいペースで働ける人を作る、というところですね。ただ、正直に言うと「誰もが」とは思っていないんです。意思を持って頑張ろうとしている人を引き上げるならやりたいですけれど、そう思っていない方をわざわざ無理に引き上げる必要はないと考えています。好きなことと得意なことを仕事にして生き生きしている人が、少なくとも自分の周りで増えたらいい。そういう環境はこれからも作っていきたいですね。

内製化は1年で終える

マーケティング業界のイメージは、昨今あまりよくないなと感じています。事業会社がマーケティングコンサルを外注し続けて、支援側は儲かっているのに、事業会社は儲かっていない。そういう構図が日本にはかなりあると思うんですよね。

受託の立場からすると、3年以上ずっと頼み続けていただいたほうが儲かるのは事実です。それでも、内製できる部分は内製化していったほうがいい。だから弊社は、内製化支援を軸にしています。Epaceが目指しているのは、業務を代行し続けることではなく、企業の中にマーケティングの知識と実行力を残すことです。戦略や運用ルールの設計、担当者の育成、効果検証の方法まで共有し、最終的には顧客自身が判断し、改善を続けられる状態をつくっている。依存関係を作らず、必要な部分は内製化していただくという姿勢が、弊社の大きな特徴だと考えています。だからこそ、依頼主に当事者意識があって内製化したいという意欲があるなら、1年と期間を決めて「この予算で内製化しましょう」と進める。ここはクライアント企業様に刺さるポイントのひとつになっていますね。

有名なところだと、リクルートさんの「じゃらん」の内製化を担当したのは弊社ですし、直近だと東急さんやADKの内製化支援もあります。一方で、売上1億円未満くらいの会社さまがSNSを始める際、半年と期間を決めて内製化を目指すといった規模の支援もやっています。

デジタルの町医者でありたい

いわゆる運用代行会社というよりは、デジタルの町医者のような存在でありたいと思っています。デジタルのことを何でも相談できて、その会社自体がきちんと事業を回していて、それぞれうまくいっている。そこが弊社の刺さるポイントかなと。上流からデジタルマーケティングの施策実行まで広く関われる体制で、P&Gや博報堂TBWAなど最先端と言われる場所で成果を出してきたメンバーも、業務委託を含めて3人ほどいます。大きな会社ではないにせよ、デジタルマーケティングのスキルはきちんと身につく環境だと思っています。

自社事業を持ち続ける理由

全部黒字でやっている

自社事業としては、ネイルサロンを3店舗、飲食を5店舗やっていて、飲食は別会社にしているものもあります。あとは一枚板など木材を扱う会社の株式も持っています。規模としては大きくない事業ばかりであるものの、それぞれきちんと黒字で経営できていて、集客もすべてデジタルでおこなっています。机上の空論ではなく、事業を運営しているからこそ、本当の意味で経営の課題を理解できている会社だと思うんですよね。

自社でも飲食店やネイルサロンなどを運営し、商品設計、価格設定、集客、採用、現場オペレーション、収益管理まで実践しています。そのため、広告の数値だけではなく、施策が最終的に売上や利益、現場の負担にどう影響するかまで踏み込んで提案できます。自社で試してよかったインフルエンサーをクライアントにご提案するなど、自社事業があるからこそのデータも活かしています。

24歳の提案でカフェを開けた

採用の目線で魅力をお伝えするなら、直近の例がわかりやすいかもしれません。5月1日に浜松町でカフェを開店したんですけれど、これは第二新卒で入って1年経つかどうかの24歳のメンバーのアイデアなんです。1,500万円以上、資金を含めると2,000万円ほど投資しています。もちろん何でもかんでも投資するわけではなくて、赤字にならないし本業にもプラスになる、いい事業だと思ったから始めました。何年こういう成果を出さないと事業を作れない、役職をもらえない、といった話は弊社にはありません。頑張っているメンバーが叶えたいことを、代表である私自身が伴走して一緒に事業を作るところからやる。なかなかない魅力なんじゃないかなと思っています。

社員はまだ14人です。バックオフィスの経理まわり以外のメンバーは、こういうことができるようになりたい、というタイプが多いですね。営業電話や営業メールは一切していなくて、お問い合わせと紹介、代理店経由でご相談をいただいています。サイトのドメインパワーも50くらいはあり、自社できちんとマーケティングをしているから問い合わせも取れている、という状態です。

学生のみなさんへ

正解よりPDCA

失敗もありましたし、こんなことになるんだったら、と思うこともありました。それでも、結局はどう乗り越えるか、やりきるかのほうが大事だと思っています。インプットばかりして正解を見つけようとして動けない状態よりも、当事者意識を持って取り組んでみる。リスクヘッジや準備はもちろん大事にしたうえで、学生のうちに少しでも自分が責任を持って取り組んだことで成果を出す、という状態を持っておくのはよいことなんじゃないかなと。PDCAをとにかく回しまくる力のほうが、地頭のよさや学歴よりよっぽど大事なことだと思っています。

編集後記

早稲田に通う身として、「早稲田に受かっていたら起業はしていなかった」という一言に一番揺さぶられました。志望校に落ちたことを起点として語れるまでに、その後の時間をどう使ったかが問われるのだと思います。3,000円のワークショップ代が払えなくなった悔しさから始まって、路上の靴磨きで80万円、交流会で100人に会って残ったのは5%。派手さのない積み重ねの話ばかりで、だからこそ説得力がありました。修羅場の描写も生々しく、経営の楽しい面だけを見ていた自分には効き目が強かったです。正解を探す前に回してみる。残りの学生生活で試してみます。