インタビュー

コロコロコミックからバングラデシュへ。保護猫の名を継いだサステナブル経営

コロコロコミックからバングラデシュへ。保護猫の名を継いだサステナブル経営
PROFILE
株式会社FrankPR 代表取締役
松尾 真希

https://franksdgs.com/

就職氷河期、雑誌編集部から始まったキャリア

コロコロの編集部で社会人生活が始まった

学生時代は、コロコロコミックの編集部でアルバイトをしていました。先輩に誘われて早稲田大学在学中から入り、そのまま居続けた形です。ちょうど就職氷河期だったので、働ける場所があるならそこで働けばいいんじゃないか、という気持ちもありました。

少し編集部の事情が変わり退職することになりました。そこから、もともと気持ちとしてはあったハワイの大学や大学院に行きたいという思いが動き出して、留学することになりました。

ハワイで出会ったサステナビリティ

留学先にハワイ大学を選んだのは、母と長年やっていたフラダンスの縁がきっかけです。ハワイに住んでいる方たちと友人になり、住んだらいいじゃんと勧めていただいたことも大きかったですし、食事の面でお腹があまり強くない私にとって、生ものなどが多い日本食が食べられる環境の方が暮らしやすそうに思ったという理由もありました。

ハワイ大学の修士課程で選んだのが、都市や地域をどのように発展させていくかを学ぶ都市・地域計画学部です。当時の日本ではまだ知られていなかったサステナビリティという概念に、そこで初めて出会いました。誰も知らないような時代で、日本だと霞が関の方しか知らないというくらいの状況だったと思います。

英語はほとんど話せない状態で行きましたが、話さなければいけない状況に自分を追い込むしかないと思っていました。ただもともと英語自体は好きだったので、頑張れました。ハワイ大学には学部から大学院まで、6年ほど在籍していました。

なぜ環境の勉強を選んだのか

もともと、環境を守るような仕事にはどんなものがあるのだろうと考えていました。コロコロの編集部時代に、子どもたちが情報にすぐ影響される様子を近くで見ていたこともあり、自分自身も最初に影響を受けたものをずっと好きでいる感覚があって。私の場合はそれが『風の谷のナウシカ』でした。環境を守るような活動を仕事にできないかとずっと思っていたんです。

当時の日本には環境活動家という選択肢くらいしかなく、もっと社会や未来のためにできる仕事がないかと考えていたときに、ハワイ大学の寮の友人が教授を紹介してくれて、その学部に進むことを決めました。

東日本大震災が変えた進路

NGOでのファンドレイジング経験

休学中に東日本大震災が起きました。仲のいいイギリス人の友人がNGOを立ち上げて、インターネットラジオのような形でヨーロッパやアメリカに情報発信し、ボランティアを募る活動を始めたんです。私はそこでファンドレイジング(資金調達)の担当になりました。

当時流行り始めたFacebookなどのSNSを使って支援団体を探したり、海外に流れていた不正確な情報を正して、日本で普通に生きている人たちがいることを伝えたりする、いわばマーケティングのような役割です。英語ができるからという理由で突然任されたのですが、これが今のキャリアの原点になっています。きちんとした就活をしたことは実はなくて、いつも誘われて仕事をしてきました。

バングラデシュでの創業

夫からの誘いで見た現実

夫であり、株式会社FrankPR(フランクピーアール)取締役副社長兼CMOの菊池とは、起業家の先輩という関係で出会い、結婚しました。菊池が会社を一つ売却したあと、新しい事業を立ち上げるという流れで「来週、バングラデシュに行くから」と言われて。レザーブランドを立ち上げると聞いたんです。面白そうだと思って、ついていってみることにしました。

現地の街は、アスファルトもない砂利道を人と車と人力車が行き交うような、これまで見たことのない光景でした。福祉が十分に整っていないなかで、事故や病気で体の一部を失っていても普通に働いている人たちの姿や物乞いをする子供達も強く印象に残っています。何かできないかと考えたのを覚えています。

働けない女性たちとの出会い

街を歩いていて、働いている女性がほとんどいないことにも気づきました。現地の友人に理由を聞くと「働かないのではなく、働けないんだよ」と教えてもらったんです。宗教的な背景や、女性を表に出さない文化的な事情がありました。

もともと研究をしていたこともあり、フィールドワークのなかで、女性の貧困が子どもの貧困に大きく関わっているのではないかと考えるようになりました。ストリートチルドレンや児童労働が当時大きな話題になっていました。一緒に現地で活動していた友人や出会った職人も同じようなことを感じていて、それなら女性や障がい者の皆さんもを応援できるビジネスをつくろうという思いが、創業のきっかけになっています。

現在の事業とその強み

PR型LLMO対策という新しい支援

最近立ち上げたのが、PR型LLMO対策という事業です。AI時代に、企業や個人がAIから推薦されるような存在になるためのマーケティング支援を行っています。PR型LLMO対策については弊社のCMOの菊池に話をしてもらいます。

菊池友佑:背景にあるのは、生成AIの設計思想そのものに、社会課題の解決という価値観が組み込まれているという点です。中小企業がこれまでサステナビリティに取り組みきれなかった理由として、取り組んでも売上に直結しない、人的リソースが必要だと言われてきた事情がありました。AI時代になり、サステナビリティに取り組むことでAIから良い情報として発信されるようになった環境の変化があります。そこで、サステナビリティ支援やメディア取材の獲得支援を通じて、AIに評価される企業や個人づくりを行っています。立ち上げてまだ半年ほどですが、上場企業さまを中心にご契約いただいている状況です。

権威を積み上げることが対策になる

AI時代のマーケティングで大切なのは、権威のある情報として参照されることだと考えています。ある研究発表では、AIは権威のある情報を優先的に参照する傾向があり、その割合はおよそ6割にのぼるとされているそうです。実績やメディアからの評価、アワードの受賞など、第三者が客観的に評価した情報を積み上げていくことが、AI時代における権威の獲得につながります。

従来のSEO対策が被リンクなど比較的機械的に測れる指標を重視していたのに対して、AIによる外部評価はどう評価されているかという解像度がより高くなっている印象です。もともと良いものを持っているのに、社会にうまく評価されていない、アピールできていない企業さまが多いので、それを引き出して外部に評価される形に整えていくのが弊社の役割だと思っています。

サステナビリティという唯一無二の強み

弊社ならではの強みは、サステナビリティへの取り組みそのものです。ある研究発表によると、AIは社会課題解決や環境改善に関する情報を優先的に取得する傾向があるとされています。マーケティング支援を行う会社のなかで、弊社ほどサステナビリティに強い会社はなかなかないと思います。

弊社は外務省の「第6回ジャパンSDGsアワード」で「外務大臣賞」をいただいており、この賞は日本の一般企業では30社ほどしか受賞していません。サステナビリティやSDGsの取り組みは新卒採用や業務提携の判断材料になることも多く、それを引き出してAIに学習させられる企業は、弊社以外になかなかないのではないかと感じています。

保護猫「フランク」に込めた思い

松尾真希:社名のFrankPRは、飼っている保護猫の名前から来ています。ハワイから戻ってきて、自分が社会に対して無力だと悩んでいた時期もあったなかで、夫に飼いたいと言われたのもあり、猫を保護しました。その報告をしたときに「未来に対してサステナブルでいい選択をしたね」と教授に褒めてもらったことがあって、この言葉がすごく印象に残っているんです。

そこから着想を得て、お客さまが意識せずともサステナブルな社会を作っていける、そんな選択を自然にできるような仕組みやサービスを作り続けたいと思っています。以前手がけていたバングラデシュのRaffaello(ラファエロ)というブランドも、今のPR型LLMO対策も根っこは同じです。保護猫のフランクのように、誰かが手放してしまったものや価値に気づかれていない会社の取り組みを、また誰かが大切に紡いだり知られていけるようなサービスや製品を、情報の面でも物販の面でも広げていきたいと考えています。

学生へのメッセージ

若いうちは何でもできると思っています。AIに負けない人間の強みは、やはりコミュニケーションだと思うんです。日本だけにとどまらず、いろいろな国に行ってみたり、自分の当たり前が通じない場所に身を置いてみたりすると、人としての器がぐっと大きくなります。AIがどこまでも進化していく時代だからこそ、最後に残るのはありのままの人間らしさで、そのなかで大切なのはコミュニケーションだと思うんですよね。幅広い方たちと関わるなかでたくさんの気づきを集めて、軽やかに生きていってほしいと思っています。

編集後記

今回、ビジョン図鑑編集部としてお話をうかがい、代表・松尾さんの経験の幅広さに驚かされました。ハワイ留学からNGO活動、バングラデシュでの創業まで、常に「行動してみる」ことから道を切り開いてきた姿が印象的でした。保護猫の名前を社名にするという発想にも、社会をサステナブルにしたいという一貫した思いが感じられます。AI時代のマーケティングという新しい挑戦にも、これまでの歩みが確かに生きていると感じました。