インタビュー

すべては「流れ」の中で。日本から世界へダンス・ミュージックを届け続けて27年

すべては「流れ」の中で。日本から世界へダンス・ミュージックを届け続けて27年
PROFILE
株式会社 サウンド・シンジケート 代表取締役
田中 裕之

https://19boxrecordingsparklimitedmuzik.blogspot.com/

https://www.facebook.com/JukeboxRecordings/

https://www.facebook.com/ParkLimitedMuzik/
http://www.sound-syndicate.com
blog : https://dj19inthemix.blogspot.com/

DJ 19 IN THE MIX

19BOX RECORDINGS
https://www.beatport.com/label/19box-recordings/8565
https://www.traxsource.com/label/16460/19box-recordings
etc

PARK LIMITED MUZIK
https://www.beatport.com/label/park-limited-muzik/8567
https://www.traxsource.com/label/16461/park-limited-muzik
etc

ラジオに導かれた音楽人生

中学時代に出会ったラジオ番組

音楽の仕事を意識したきっかけは、中学時代から聴き始めたNHK-FMの『クロスオーバーイレブン』という番組です。パーソナリティが存在せず、スクリプトの朗読を挟んで関連する曲などを5分でも10分でも1曲をフルでかけるスタイルの、架空のサウンド・トラック的な画期的な番組でした。昔はFM雑誌が何誌もあって、そこに載っているプレイリストをチェックしてはテープに録音する「エアチェック」という文化があり、選曲の妙にハマって、音楽に携わる仕事がしたいと思うようになりました。

毎日のようにCDショップへ

地元は山口県です。インターネットのない時代だったので、地方にいると情報はあっても欲しいレコードやCDが手に入らなかったんです。だから東京に出てきてからは、毎日とは言わないまでも、基本的にCD/レコード・ショップを巡り、新旧含めて買い漁る学生時代でした。その延長でFMラジオ番組の制作会社でアルバイトをするようになり、不思議なことに現在までずっと音楽業界に身を置いています。

流れに身を任せた起業

福岡で感じたもどかしさ

アルバイトから卒業後にそのまま社員になって番組を担当していたころ、福岡にFM局が開局することになったんです。東京でいうTOKYO FMに対するJ-WAVEのような存在で、FM福岡に続く「CROSS FM」という名前で、開局前の試験放送の段階から転勤となりました。地元の下関から橋を渡ればすぐ福岡、しかも本社が北九州の小倉なので、仕事を理解していなかった両親も聴取可能なエリアとあって、ようやく納得してくれました。そこで朝の番組を担当していたんですが、洋楽オンリーで聴取率的には1位だったのに、編成に元々AM出身の方が多く、「日本の曲をかけろ」という要求を何度もされたんです。仕方がないので、尖っていたこともあり、坂本龍一さんのように、かっこいいと思える日本人の曲だけ少し混ぜてオンエアし(笑)、かなり衝突しました。

書くことで「第一人者」に

もうひとつ悩んでいたのが、発信する場所による差です。福岡で新しい曲をかけても、結果的にトレンドになることは難しく、全てが東京発になってしまう。既成事実として残すには、ラジオの電波ではなく、文章を書くのが一番だと考えて、東京に戻ってクラブ系音楽雑誌の編集者になりました。結果的に、国内発売の前に紹介するようなスタンスの雑誌だったので、元々やりたかったCDの解説、いわゆるライナーノーツの執筆依頼も来るようになったんです。

頼まれて始めた楽曲制作

雑誌では毎号2つも3つも特集を組んでいました。広告をもらってタイアップ記事の羅列を載せるだけでは読者の共感を得られないので、海外に直接コンタクトを取って別のアーティストのインタビューを含めて特集を組むなど、見せ方を工夫していたんです。すると各レコード会社から「このジャンルのコンピレーションを作ってほしい」と依頼が来るようになり、さらに「自分の曲も出してみたら」と声をかけられて、「DJはやっていますけど、曲は作ったことがないです」と答えたら、エンジニアをつけるから一緒に作りましょうと。それが楽曲制作のスタートでした。

1999年、レーベルを立ち上げ

初期の頃は誰かと組んだりしながら学びつつも、少し修正するにも手間とお金がかかるので、最終的に自分で曲を作るようになっていきました。元々、とあるレコード会社と3カ月に1回、MIX CDを出すシリーズを始め、毎回自分の曲も入れていたんですが、その際にレーベル表記のない曲が入っていると、CDを買った人が「これはどこで買えるんだ」と困ってしまう。海外の契約を待っていると間に合わないので、レコード会社の方から「レーベルを作ったらどうですか?」と提案されて立ち上げたのが、1999年からスタートした「19BOX RECORDINGS(ジュークボックス・レコーディングス)」です。運よく初回からすぐにソールドアウトになりました。

2001年、会社を設立

評判がよくなってきたので、途中から海外プレスの拠点を変えることで音質を上げ、有名DJにもプレイしてもらえるようになりました。そうなると次は必然的に海外発信に。当時の日本は輸入するだけで、音楽を輸出することは基本的に難しかったんです。そこで、編集者の仕事に区切りをつけてから、2001年に「株式会社サウンド・シンジケート(SOUND SYNDICATE INC.)」を立ち上げました。ただ、会社の設立も自然の流れというか、独立したいとはまったく思っていなかったんですが、運が重なっていろいろな人に助けていただいた結果なんですよね。

誰でも世界デビューできる時代

今はどこに住んでいても手を挙げればレーベルも立ち上げられます。アグリゲーターと呼ばれるデジタル・ディストリビューター(音楽配信代行業者)と契約すれば、たとえばApple MusicやiTunesを通じて約190の国と地域で発売されるので、売れる売れないは別にして誰でも世界デビューできる時代です。当時、レコードを日本から世界へ向けて販売することは不可能だったので、イギリスの配給会社と契約するために分厚い契約書をやり取りして、ようやくたどり着くような時代だったんです。しかも、年間スケジュールを出させられ、決まったリリースを途中で覆されることもありました。

アジアで一番長く続くレーベル

日本から世界へ発信し続ける

弊社は「クオリティ・ダンス・ミュージックを発信する」というテーマを掲げてきました。今でこそ日本のアーティストも多く海外に進出していますが、当時は日本のレーベルなんてそもそも知られていなかったんです。日本人DJで世界的に知られていたのは、ニューヨークで活躍する富家哲(Satoshi Tomiie)さんくらいでした。

27年目を迎えたレーベル

レーベルは1999年の立ち上げから27年目になります。この手のレーベルは1年で閉鎖・倒産してしまうことも多いので、インディペンデントのダンス/クラブ系レーベルとしては、おそらくアジアで一番長く続いていると思います。幸いなことに世界中のレコード・ショップにアナログ・レコードが並ぶ状態でしたが、配給会社の倒産に伴い2007年にデジタルへ移行しました。そして、2004年から続く姉妹レーベルの「PARK LIMITED MUZIK(パーク・リミテッド・ミュージック)」を含めコンスタントにリリースを継続しています。

膨大なアーカイヴが強み

長く続けてきた分、楽曲数が多く、カタログとしてのアーカイヴが増え続けています。その楽曲数を活かして、いろいろなところに音楽を提供できるのは、他社にない強みだと思います。起用するアーティストは世界中バラバラなんですが、一時期ロシアでCDをリリースした際にはやはりロシアの方からコンタクトが増え、アルゼンチンの方が多い時期を過ぎ、今はフランスやメキシコなど、国や知名度にこだわらずクオリティを重視し、新しい才能をフックアップする役目をずっと担っています。

無名のレーベルが道を切り開くまで

「お前は誰だ」からの出発

最初は「日本のレーベル?聞いたことがない」という反応からのスタートでした。幸運にも、海外配給を始めて3タイトル目で世界的なコンピレーションに楽曲が選ばれ、それ以降はイギリスの『DJ Mag』や『Muzik』、アメリカの『URB』といった今は亡き有名雑誌のどこかに必ずピックアップされるようになりました。そこからは楽曲やリミックスを依頼すると、アーティストの方が喜んで手を挙げてくれるようになったんです。

海外とのやり取りの苦労

ただ初期は、知らない日本のレーベルからの依頼というだけで、かなり高額な契約を吹っかけられることもありました。契約書を交わした段階ですぐに入金がないと「訴えてやる」と言ってくる人もいたんです。今ならPayPalですぐに払えますけど、当時は銀行で海外送金をすると2週間、下手をすると1カ月のタイムラグがあるので不可能。そんな理不尽な要求をしてくる人も、過去にはいましたね。

前職の経験が活きた見せ方

レーベルを続けられたのは、雑誌の編集者やラジオの経験が結果的に活きたからだと思います。たとえばカヴァー曲を制作するにも、ビートルズのように何万回とコスられた曲では目新しさがない。「この曲は知っているけど、ここを突いてきたか」と思わせる選曲が大事かなと。あと、たとえばイギリスのメディアはイギリス人よりもアメリカ人やほかのヨーロッパの人をピックアップしやすい傾向にあったので、イギリスの曲をオリジナルにしたら、リミキサーはアメリカの人にする。そうするとアメリカとイギリス、両方の媒体に載りやすくなるんです。

ジャンルを変えて多面的に

オリジナルがプログレッシヴ・ハウスなら、他のリミックスはテック・ハウスやディープ・ハウスにするなど、ジャンルを変えて多面的に見せることも意識しています。ワン・ジャンルに特化したレーベルなら意味がない手法ですが、弊社のメイン・レーベルのコンセプトは「クオリティ・ダンス・ミュージック」なので、幅広くいろいろなことをやっていると伝えたいんですよね。それに、熱心なファンでも毎週追い続けるのは難しいもの。だから10年前や5年前の曲を今の曲と並列でコンピレーションに収録し、過去の曲が階層深い位置で眠らないよう心がけています。「こんな人・曲も出していたんだ」と知ってもらうきっかけにもなります。

名義を変えて飽きさせない

たとえば国民的バンドが毎週デジタル・シングルを出しても、3〜4週目ぐらいからは徐々に飽きられてしまうと思うんです。僕自身も一応は弊社のメイン・アーティストなので(笑)、ひとつの名義で出し続けるのではなく、今回はA、次回はBと名義を変え、ジャンルやパートナーも変えて差し込むようにしていました。自分で曲を作れる人ほど陥りやすいのが、ただ単に毎回自分の曲ばかりリリースしてしまうこと。誰も知らない人の曲は、そもそも聴きに来てもらえません。それがレーベルが続かなくなってしまう根本的な原因だと思います。

過去の財産を未来の価値に

企業と新しい音楽体験を

今後は、豊富なアーカイヴという過去の財産を活かして、色んな企業の方々と組んでいきたいと考えています。予算によっては、すべてをオリジナルで作るのは難しいこともありますよね。舞台音楽を手掛けるときも、オリジナルは数曲だけで、あとは弊社の過去の楽曲をエディットして使うことで予算を抑えるなどし、逆に幅がある音楽性を演出することが可能となります。弊社にはデザイナーもいるので、商業施設などではデザインも含めたサウンド・ブランディングも手掛けています。映像にシンクロさせて音楽を使いたい、しかもフリー音源ではなく、もっとかっこいいことがしたい。そんな他とは違う何かを求める企業の方々との関係を増やしたいですね。

アニメやゲームにも挑戦

手掛けている楽曲が歌番組に出るようなポップスではないので、国内マーケットには限界があります。世界的にチャートでは常に結果を出しているので、それを国内にフィードバックしつつ、うまく海外でも活用してもらえる使われ方を広げたいんです。日本が海外に進出しやすい分野といえば、ゲームやアニメ。ゲーム会社にはこれまで楽曲を提供したことがありますが、実はアニメとはまだ接点がないんです。アニメやゲームで、もっと弊社の楽曲を使ってもらえたらうれしいですね。

学生へのメッセージ

アイデアは自分の手で形に

まずはトライすることが大前提です。昔のように失敗したら大きな借金を背負うような時代ではないので、極端な話、お金をかけなくても実行は可能。思いついたことがあれば、人に相談してアイデアを取られるくらいなら自分でやったほうがいいと思います。僕自身も過去に色々なアイデアを搾取されてきました。0から1を生むアイデアは、根本的に一番重要なもの。クラブ・ミュージックに於いてのサンプリングにはリスペクトが介在しますが、リスペクトのないものはただの剽窃です。大人数が必要な大がかりなものでない限り、自分でやってみることが人生の変わるきっかけになるんじゃないかなと思います。

チャンスは世界中に広がっている

創業当時は音楽出版に詳しいスタッフや、海外との連携を手伝ってくれるスタッフらと一緒にスタートしました。海外と契約するとなると最終的にFAXでやり取りし、国際電話をかけなければなりませんでした。お金もかかるし、緊張もするんですよね。でも今は英語が苦手でも、翻訳ツールやAIを使えばいくらでも海外とやり取りできます。皆さんのチャンスは日本だけでなく世界中に広がっています。

編集後記

「独立したいとはまったく思っていなかった」という言葉が、とても印象に残っています。起業というと明確な目標から逆算するものだと考えていましたが、田中さんは目の前の仕事に全力で応え続けた結果、レーベルを立ち上げ、会社を設立されていました。27年続くレーベルの裏には、リミキサーの国の組み合わせやジャンルの見せ方など、編集者時代に培った工夫がありました。私自身も小さく事業を始めている身として、「アイデアを取られるくらいなら自分でやる」という言葉に背中を押されました。まずは手を動かしてみようと思います。