インタビュー

過去を振り返れば「1本の光の筋」が見える。半導体商社から教育へ、世界平和に直結する仕事を

過去を振り返れば「1本の光の筋」が見える。半導体商社から教育へ、世界平和に直結する仕事を
PROFILE
REDFOX株式会社 代表取締役
福山資康

REDFOX株式会社で代表取締役をしている福山資康です。2007年に独立し、経営コンサルティングや起業支援を手がけながら、学童保育「ゆめかなキッズ」や学習塾「ラサールスタディルーム」の運営もおこなっています。幼児から大学受験、そして社会人まで、人の成長に伴走するのが今の私の仕事です。

半導体商社で培った振れ幅

鹿児島から上京し工学の道へ

私は鹿児島県の出身で、大学進学を機に上京しました。就職活動の時期は、ちょうど「就職氷河期」と呼ばれていた頃でした。当時は企業の情報が載った冊子が学生の手元へ届き、そこからDMを送り、面接してもらう仕組みでした。大企業も含めて次々と選考が進んだこともあり、就職活動で苦労した記憶は特にありません。

最初に出したDMが縁に

結局ご縁があったのは、最初にDMを出した「株式会社マクニカ」という「半導体を扱う国内の商社」でした。そこは「外資系の半導体」も扱っていて、私はエンジニアとして入社しました。当時の自分としては、半導体というものに対して、「なんだか面白そうだし、これから伸びていく業界なんじゃないか」と感じたことも決め手でした。「何者かになりたい」という強い思いはなく、本当にたまたまのご縁です。

30歳前に感じた危機感

もともと物事を仕掛けるのが好きな性分で、入社後は数字を目標に走っていきました。当時の勤め先では、「3カ月に一度査定があり、数字を上げればそれに応じたボーナスが入る環境」でした。もちろん、この先、60代や70代でも、現役時代と変わりない収入があるのであれば、左うちわかもしれない。しかし、まだ30歳にもなっていない当時の自分からすれば、「己のキャリアの方向性が固まりきらない時期に多額の報酬をもらい続けていたら、価値観がおかしくなってしまうかもしれない」と「感覚的に」ですが、そう思いました。

60名のチームを任された

その後は、営業・技術・マーケティングの担当者を合わせた60名ほどのチームを任されました。プロダクトを抱えていると在庫も40億円ほどになるので、その管理も担っていました。さらにISO(スイスに本部を置く国際標準化機構が定める国際的な工業規格)の管理責任者として、社長を筆頭とした通常の指揮命令系統とは別のラインで、社内のワークフローなどを健全化するプロジェクトのリーダーも本業と兼務しました。組織マネジメントから採用まで一通り経験し、国内の商社、外資系メーカー、外資系商社と、立場の違う会社もひと通り見てきました。

家族を守るための独立

3カ月働かずに考えた

私が昔から持っている価値観は、「どんな時代が来ても家族を守っていけるか」、「家族とともに幸せでいられるか」です。家族が幸せでいるためには、社会が真っ当でなければなりません。そうは言っても、「輸出入が関わる業界」は、「政治や為替ひとつで会社を取り巻く環境がガラッと変わり」ます。しかし、ある時ふと、「月曜から金曜までフルスロットルで働くリズムを一度リセットしよう」と思い、「3カ月間休職して今後を考える」ことにしました。そして、仕事から離れている中で決めたのが「独立」でした。

成功報酬で数十社と契約

「商社やメーカーで、半導体業界の営業・技術・開発に携わってきた私にできることは何か」と考え、至った結論は、「良い技術や面白いソリューション、コンテンツを見つけて紹介し、売上に繋がった際に成功報酬をもらう」というスタイルでした。実際、「独立後の最初の半年ほどで数十社と契約」できました。単身で動いていたこともあり、とにかく「紹介できる商材」、つまりは「扱える武器を増やしたかった」ことも理由でした。

その後、「企業のコンサルティングや営業支援」も始めました。「どの業界で何を」という明確なビジョンはありませんでした。言わば、「己自身が何の役に立てるのかを試す」ための「ある種の力試しのような独立」だったと思います。

強みは営業と技術の両方

営業畑の人間には「技術面での経験」がありません。また、技術職以外の人間は、「技術に関するマネジメントや実務の経験があまりない」というケースが多い中、幸運なことに、私自身は両方を経験してきました。在籍していた会社がアメリカのサンディエゴに本社を置く企業に買収され、「本社はアメリカ、上司はイギリス人」という環境になったこともありました。マーケティングマネージャーとしてプレゼン資料を作っていたら、「福山が英語でプレゼンしたほうがいい」と言われ、急遽、翌日のプレゼンを英語で発表したこともありました。ですから、これらの「さまざまな経験そのものが私の強み」だと自負しています。

頼られる存在でありたい

新卒1年目の時点で、「お前がプロジェクトを仕切ってくれ」と言われるなど、「トラブルシューティングは得意」でした。また、「人事の仕事もして」いましたし、プライベートな面でも、「他人には話したことがない」という相談を受けることもよくありました。

私自身、「スポーツや勉強で突出した才能があったわけではない」からこそ、「誰かのお手伝いとして最短で最高のチームをつくり、最高の結果をもたらす人間になろう」というのが、14歳頃から「明確な目標」として心の中に掲げていました。ですから、これまでの経験値に基づき、「ソリューションプロバイダー(経営課題などを一手に引き受ける問題解決業者)やエージェント的な立場で伴走できること」も私の強みでしょう。

すべては世界平和に直結する

真っ当な社会であってほしい

2000年前後には、「牛肉100%と表示されていたミンチに、実は豚肉が混ぜられていた」など、企業の不正が次々と明るみになる事件が相次ぎました。その頃から、「それまでは表に出なかった事象が、表に出るようになってきている」と感じました。また、2001年には、「9.11のテロ」もあり、大勢の方が亡くなった。そのため、私は「私の見えない世界では、何が起ころうとしているのか」、「果たして本当に宗教同士は対立しているのか」と考えるようになりました。

薩摩から受け継いだ誇り

鹿児島県、特に旧国名で言う「薩摩」地域には、「貿易を背景に技術を研究し、常に世界を見ていた」という誇りのようなものがあります。だから、私自身、「生まれながらに薩摩プライドをもっている」という感覚があります。だからこそ、「全ての取り組みは世界平和に直結しなければならない」とも考えています。

SDGsに関しても、「環境問題を巡り先進国と途上国の間で駆け引きがある」など、議論がさまざまあります。もちろん、「議論」自体はあってもいいと思います。しかし、最終的に目指すべきは「世界平和」であるべきです。日本は「原爆を経験した唯一の国」であり、戦後80年以上を経る中で、被爆当事者の方は年々少なくなっています。だからこそ、「今のうちに、彼ら彼女らの経験を次代が引き継いでいかなければならない」でしょうし、「最も重要な課題」だとも思っています。

5人の女性の挑戦を支えた

独立後は、商社やメーカー、設計会社のお手伝いをしてきました。経営者や起業したい人、特に主婦の起業など、さまざまな方を支援する中で、2017年には「幼児教室」を立ち上げました。幼児教室は「保育士の資格や許認可がなくても始められる」ため、当時、支援していた5人の女性が「始めたい」とおっしゃったことも契機となりました。そうは言っても、「起業経験がない方々が社会事業として続けていく」ためには、商店街などの周りの方々に認知していただくだけでなく、運営上の責任も負わなければなりません。そこで、「弊社が法人格として責任を持つ」形でスタートさせました。

立ち退きから第二次創業へ

2019年、借りていた一軒家から「半年以内に立ち退いてほしい」と言われました。おそらく、「オーナーさんの世代交代に伴う事情」だったと記憶しています。当時、定期的に通ってくれていたのは3家族ほどだったため、「続けるかどうかの判断を迫られ」ました。しかし、この立ち退き騒動を機に弊社は幼児教室へ全面的に投資し、「駅前ビルの2フロアを借りる」ことにしました。本当に当時は「生徒数もそれほどいなかった」ため、「第二次創業」くらいの気持ちでした。現在では、生徒数も増え、100名ほどが在籍しています。

幼児から大学受験まで

幼児教室を続けていると、「乳幼児の弟妹を預かってほしい」、「お兄ちゃん、お姉ちゃんの勉強も見てほしい」という声が届くようになりました。さらには、通っていた子どもたちが大きくなる中で、「中学受験のための勉強も見てほしい」という要望も出てきました。そこで、新たに「学習塾」や「学童」も始め、気づけば「中学受験」や「高校受験」、「大学受験」まで面倒を見るようになっていました。

元々「大人向けのコンサルティングや教育研修」、「学生の就職・転職相談」も事業としていたこともあり、結果的に「幼児教育から社会人までが一連で繋がり」ました。それを強みに今後は、「フランチャイズ起業のお手伝い」や「オンラインを活用したサテライト教室」なども構想しています。M&Aに関しても、「される側もする側も経験して」きました。そうした経験も相まってか、「生徒が減ってしまったので辞めたい」という塾のオーナーさんから相談され、「そこの生徒さんが学び続けられるようにその塾を引き継いだ」事例もあります。

推薦入試入学者の増加を追い風に

大学受験に本格的に関わるようになって気づいたことは、「入試そのものが大きな転換期を迎えている」ことでした。私たちの時代は、「推薦入試で入学する人は全体の1〜2割程度」だった印象ですが、今は「推薦入試が過半数」となってきています。推薦入試では、「なぜこの大学のこの学部、この学科なのか」や「入学後は何をしたいのか」などを「自己推薦」や「志望理由書」などを通じて、「ある程度明確に示す必要」があります。

入社後3カ月以内に辞める人も多い時代に、「大学に入る段階からその後のライフプランやキャリアプランを描くことが大事になってきた」こと自体が、私にとっては「追い風」ですし、「素晴らしい時代」だとも感じています。事実、大学は教育の場であると同時に「研究機関」であり、「研究室やゼミでは最先端の研究がおこなわれて」います。そのため、ひとりひとりが「何に興味を持ち、どんな方法で何を切り拓いていくのか」がとても大事です。さらに言えば、推薦入試のためにおこなう「自己分析」は、いずれ「就活でも生きてくるはずだ」とも思っています。

ひとりひとりの羅針盤を定める

例えば、「偏差値が70なければ受からない学校に行きたい」のであれば、「偏差値70になるための勉強」はもちろん必要です。ただ、それは「受験をするうえでは当たり前のこと」です。私たちが見ているのは、「この生徒は何をしている時に一番輝いているか」です。大人も企業も子どもも、必ず「唯一無二の力や才能」を持っています。私はコンサルティングをする際には、「企業の羅針盤」や「社長個人の羅針盤」など、「8つのポイントで相手を見る」ようにしています。もちろん、この考え方は、「生徒さんの方向性を見極めること」にも活かしています。

夢を叶える「ゆめかなキッズ」

弊社が運営している学童の名前は「ゆめかなキッズ」と言います。「子どもたちひとりひとりの夢を叶えるために、周囲の大人たちは全力で実現しようとする」ということを意識しています。そうは言っても、単に「良さそうな体験を用意する」のではなく、「この子は何をやりたいのか」を起点としています。

例えば、「お城が好きな子たち」には、「滋賀県の彦根城に行ってみよう」など、「それぞれの興味に基づいた合宿」を年に3〜4回組むこともあります。またご家庭の事情で、「見たい映画があってもなかなか行けない」という子もいることから、「先生たちが実費で映画に連れて行く」ということもあります。

兄弟のように育つ縦のつながり

弊社の教室には、私立校に通う子や地域の公立校に通う子、少し離れた駅からわざわざ来てくれる子もいます。家族や学校の友達だけでなく、あちこちの学校に通う子どもたちが「兄弟のように仲良く育っていく」という姿に意味を見出しています。「何人が偏差値70の学校に受かりました」と標榜するのではなく、「学年を越えた縦の繋がりをしっかり育んでいきたい」と思っています。いわゆる「サードプレイス」として、「家族のように子どもたちの夢をお手伝いしていく」立場でありたいと思っています。そのためにも、「さまざまな家庭事情に寄り添えるよう、私たちにできることをやっていこう」と努めています。

子どもたちと社会課題へ

世界平和のために、国際交流にも取り組んでいます。たとえばマレーシアには、「移民や難民の子どもで国籍がなく、国の援助での教育を受けられない子どもたち」がいます。そうした子どもたちを支えるNGOなどで社会活動をしている方とのご縁から、年に2回ほど交流会を開いています。

地域では、養護施設や高齢者施設、医療センターなどに「何かできることはありませんか」と声をかけ、バザーに協力したり、子どもたちが作ったクリスマスツリーを届けたりしてきました。2年前の能登の地震の際には、「被災された方々に何ができるか」を子どもたちと一緒に考え、歌やメッセージ、物資を届けています。

勉強以外の場面で「絵が上手だね」や「ものづくりが上手だね」とひとりひとりが認められていくことが繰り返された子どもたちは「自己肯定感がとても高い」傾向にあります。中には、「学校にはちょっと行きたくないけれど、ここには行きたい」という子もいます。そうは言っても、弊社の教室での体験は、やがて「大学の推薦入試に向けたポートフォリオや志望理由書にも繋がっていく」でしょう。「社会の課題に向き合う人材を育み、その子たちの力や機会に、大人やプロフェッショナルが全力で協力する」、言わば「仕事を通して人のご縁を繋ぎ、本当の意味での世界平和へ近づけていきたい」と思っています。

学生のみなさんへのメッセージ

喜怒哀楽すべてを糧に

最近の大学入試では、まず「自分を知る」ための「棚卸しのような作業をする機会が多い」かなと思います。20歳前後の学生さんにも、十分に「自分の人生のストーリーがある」はずです。おそらく「喜怒哀楽」の一言では足りないくらいに「いろいろな経験があった」でしょう。悔しい思いも含めて、その全てが「自分にしかできないことを見つけるための経験」であり、エネルギーであり、糧だと思います。

過去は変えられません。しかし、「なぜこの出来事が自分に降りかかったのか」、「なぜ運良くこういう経験ができたのか」など、「良いことも悪かったことも、正面から向き合って受け止めてほしい」と思います。要するに、「上手くいかなかったから」と言ってふて腐れるのではなく、「自分にしかできないことがあるんだ」と受け止めてほしいのです。どんな企業、どんな人にも、唯一無二のミッション、つまりは「使命」があります。過去を振り返った時、つらかったことも楽しかったことも、「自分が重ねてきた経験」という「1本の光の筋」として見えるはずでしょう。そして、その延長線上に将来を見据えてください。

今はAIやインターネットがあります。テクノロジーを存分に使いこなしたうえで、「AIでは答えられない領域」、つまり「自分にしか湧かない疑問や課題を見つけていってほしい」です。大学3年生にもなれば、「ある程度わかってきている方も多い」かと思います。企業研究の進め方を考える参考として、「自分の存在意義」も軸にしてみてください。

自分だけの使命に大義がある

「自分にしかできないことを追求する」ことは、一見すると「個人的な話に見える」かもしれません。そうは言っても、「やりたい・やりたくない」や「好き・嫌い」だけで人生を選べば、意図せず「社会にとって良くない事象も含まれてしまう」可能性があります。「自分にしかできないこと」には、必ず「社会の役に立つ大義」があります。「義を見てせざるは勇無きなり 」と言いますが、「大義に基づいた自分だけのミッションを追求して」いけば、「より良い道が開ける」ように思います。

この企業のよくある質問

Q. REDFOX株式会社はどんな会社ですか?

 経営コンサルティングや起業支援を軸に、学童保育や学習塾も運営しています。幼児教育から大学受験、そして大人向けの研修やキャリア相談まで、人の成長に一貫して伴走できることが特徴です。

Q. なぜ経営コンサルティングの会社が教育事業を手がけているのですか?

 2017年、支援していた5名の女性が「幼児教室を始めたい」と相談してくれたことがきっかけです。「弊社が法人格として責任を持つ」形でスタートし、生徒さんやご家族の声に応えるうちに、学童・学習塾へと広がっていきました。

Q. 福山さんが事業で大切にしていることは何ですか?

「全ての取り組みが世界平和に直結しなければならない」です。「家族が幸せでいるためには社会が真っ当でなければならない」という強い思いが、経営支援や教育にも繋がっています。

Q. ゆめかなキッズにはどんな特徴がありますか?

子どもたち一人ひとりの「やりたい」を起点に、興味に合わせた合宿や国際交流、地域の施設との交流などをおこなっています。学年を越えた縦のつながりを大切にしているのも特徴です。

Q. 大学生へのメッセージを教えてください。

喜怒哀楽全ての経験を糧にして、過去を振り返った際に見える「1本の光の筋」の延長線上に将来を描いてほしいです。「自分にしかできないこと」には、必ず社会の役に立つ大義があります。

編集後記

半導体商社のエンジニアから独立し、幼児教育から大学受験までを手がけるようになった福山さん。一見ばらばらに見える経歴が、お話を聞くうちに、まさに「1本の光の筋」でつながっていくようでした。特に印象に残ったのは、「自分にしかできないことにこそ大義がある」という言葉です。私自身、学生起業に挑戦する中で、やりたいことと社会に役立つことの間で迷う場面がありました。「過去の経験から目を背けずに向き合うことこそが、答えに繋がる」のだと気づかされました。就職活動を控えた方にも、ぜひ読んでほしいインタビューです。貴重なお話をありがとうございます。