インタビュー

挑戦した事業は20以上。「推し」から生まれる熱狂を、経済圏に変える挑戦

更新: 2026年9月18日
挑戦した事業は20以上。「推し」から生まれる熱狂を、経済圏に変える挑戦
PROFILE
NEL株式会社 代表取締役社長
西田 陸

アパレルEコマースで学んだ、商売の難しさ

服をつくり売った学生時代

私が最初に熱中したのは、自分たちで服を作って、Amazonや楽天市場などのEコマースで販売する事業でした。きっかけは同じゼミにいた友人からの誘いです。当時、その友人は有名企業の株式を保有していて、資産をどう使おうかという話になったところで声をかけてもらいました。あえて難しいビジネスを選んだのには理由があって、母がアパレル系のデザイナーをしていたことと、学生のうちにやるなら在庫のSKU管理が複雑で、かつ男女によって展開が変わるような、いちばん難しいビジネスに挑戦したかったからです。アパレルとEコマースをかけ合わせたのは、この2つが重なった結果でした。

友人の資産が事業の種に

当時はまだ「推し」という言葉より「萌え」という言葉が使われていた時代です。服を作って売るといっても、今でいうインフルエンサーにあたる読者モデルの方々に商品を宣伝してもらう形をとっていたので、一般的なEコマースの売り方というより、ファンビジネスに近い商売をしていました。今のosinaに直接つながっているわけではないですが、少し近いところはあるかなと思っています。

修行の場として選んだ就職先

新規事業ができる場所を探して

就職活動では、数社選考やインターンに参加したくらいで、あまり多くの企業を回っていません。軸にしていたのは、1年目から新規事業に携われる会社であることと、いちばん情報が集まる業界であることの2つです。学生時代の4年間でマーケティングの難しさを痛感していたので、その知見が集まる業界をずっと探していました。学生時代の事業は事業譲渡という形で区切りをつけ、新卒として就職する道を選んでいます。月商は数千万円ほどにとどまっていて、このままでは年商数億円が限界だと自分の力を感じていたので、もっと大きな桁の商売を修行できる場所を探したいという思いもありました。

WPP出身者の下で学んだ1年

結果として、関西の広告代理店に入社しました。理由は、同じタイミングで転職してくる役員の方が、世界的な広告会社であるWPPの日本支社長を務めていた方で、その方の直下につけてもらえる条件があったからです。22歳から約1年間、みっちり学ばせてもらいました。

友人の一言から始まった起業

友人の一言が背中を押した

起業のきっかけは、大学時代に知り合った友人が先に起業していたことです。就職して1年目の年末に、その友人から「うちに転職するか起業するか、どちらかにしろ。就職して起業しないやつがあまりに多い」と発破をかけられました。この言葉に背中を押される形で、起業する意思決定をしています。

先に起業、事業は後から決めた

なにをやるかは、実は後から決めました。先に起業することを決め、発破をかけてくれた友人からベンチャーキャピタルを紹介してもらって資金を調達でき、そのタイミングで事業内容を固めています。もともと個人やクリエイターがインターネットを通じて力をつけ、スキルを伸ばしていくストーリーが好きだったので、今でいうnoteのようなコンテンツプラットフォームを起業当初に立ち上げました。いいねの数やビューの数に応じて報酬が入る仕組みを取り入れています。この考え方は起業当初から変わらず、今の事業の主軸にもつながっています。

20以上の事業に挑戦して見えた勝ち筋

20以上の事業に挑戦してきた

現在、弊社が運営している「osina」は、生活者の「好き」「推したい」という熱量を起点に、UGCを創出する推し購買プラットフォームです。
商品体験をもとにしたリアルな発信をTikTok・Instagram上に生み出し、SNSでの話題化から購買までを後押しします。

もともとTikTokの広告代理店事業から派生して生まれました。リリースのタイミングでは、かなり確信を持てていました。これまで20個以上の事業に挑戦してきた経験があり、事業のつくり方やインサイトの掴み方をフォーマット化できたためです。会社の中には事業をつくるための項目が100個ほど整理されていて、私自身もそうですし、社内で新しい事業をつくりたいメンバーも、その型に当てはまるものをいつも探しています。

仮説と撤退ラインを決める

新しいことをやりたいと思ったら、まず仮説を立て、その仮説が撤退ラインまで棄却されたら手を引くという進め方をしています。2025年くらいまでは私からのトップダウンで事業を推進することが多かったのですが、この1年は現場のメンバーが気づいたらトライしているケースも増えていて、その考え方に私がフィードバックする場面が多くなってきました。年齢やキャリアに関係なく、手を挙げた人をどんどん抜擢する社風もあります。

月給15万円から今に至るまで

月給15万円からの5年間

順調に見えるかもしれませんが、いくつもの事業にチャレンジして、たくさん失敗してきました。起業してから5年ほどは月給15万円から20万円くらいで過ごしていて、26、27歳くらいまでその状態が続いています。この経験があったからこそ、ようやく今の伸びにつながっていると感じています。

キャッシュアウト寸前の日々

いちばん厳しかったのは、単純に事業をつくっても当たらないことです。会社のキャッシュがなくなりかけるところまで何度も追い込まれたタイミングもありました。ただ、新しい事業をつくっては失敗し、また失敗する繰り返し自体から得られる学びが大きく、その過程そのものに熱狂していたので、精神的にもフィジカル的にも苦しいという感覚はあまりありませんでした。苦しさすら楽しめないと、スタートアップという挑戦は続けられないと思っていて、それが自分自身の強みだとも感じています。

偏差値もキャリアも問わない採用方針

偏差値もキャリアも問わない

弊社が求めるのは、なによりビジョンへの共感です。それに加えて、更地の状態から一からゼロで学び、なんでもやる勢いがある人を求めています。逆に、それに付随する経験や偏差値は一切問いません。社会に出れば、偏差値に関係なく実績次第でキャリアアップできる世界だと思っているので、下剋上のような気概を持って挑める人が弊社には合っていると感じています。

生意気なくらいがちょうどいい

「学生インターンに向けては、本当の商売に携われる環境だということを、いちばんのアピールポイントとして伝えたいです。「osina」というプロダクトがあるので華やかに見えるかもしれませんが、実際はかなり泥臭いこともしていますし、本当の商売に学生時代から携われる環境は珍しいと思っています。人材としては、生意気なくらいがちょうどいいとも思っていて、私以外にもう1人いる取締役も、新卒時代は会社側が扱いに困るくらい生意気だったそうです。そういう人ほど、弊社としては投資し、抜擢したい人材になります。

2030年、グローバルへ

年収300万円以上のクリエイターを200万人創出する

私たちは2030年までにグローバルに進出することを決めています。アジアを含むグローバル商圏で、クリエイターや個人が弊社のプラットフォーム経済圏だけで生活できるくらいの報酬、具体的にはアジア10カ国で平均年収300万円以上のクリエイターを200万人創出できる経済圏をつくることが、今いちばん目指しているポイントです。今のアジアの新興国は平均年収が約150万円程度の国も多い。その倍額の収入を得られる新しいお仕事を作り出したいと思っています。また、東南アジアや中国は日本より経済も人口も伸びているマーケットなので、そこをしっかり取りに行きたいと考えています。

SNSはまだまだ伸びる

弊社の事業はSNSという基盤に乗ったビジネスなので、SNS自体がグローバルで広がっていることを追い風に、事業を展開していきたいと思っています。SNSを使うユーザーだけでなく、そこに紐づく広告費もグローバルで伸び続けていて、国内でもテレビに代わるプラットフォームとして使われ始めているので、まだまだ伸びる余地があると見ています。

学生の今だからこそ、大きな失敗を

大きな失敗をしてほしい

今学生に戻ったとしても、今の事業をやると思います。SNSの感覚は、私よりも今の学生の方が優れているからです。次になにが流行るか、なにが面白いかという感覚的な判断は、若い世代の方が得意だと思っているので、こういったドメインの事業ほど、若い方に経営してもらう方が会社にとってもいいと考えています。だからこそ、若い方々の採用にも力を入れています。学生時代だからこそできる、たくさんの失敗、大きな失敗をしてほしいと思っています。それは起業するにせよ、就職して大きな会社でキャリアを積むにせよ、すべての礎になるはずです。

致命傷にならない挑戦を

失敗を怖がるなというのは暴論で、誰しも失敗は怖いものです。ただ、致命傷にならなければ問題ありません。リスクや失敗はマネジメントするものなので、致命傷にならないリスクを取ること、失敗したときのカバー策をあらかじめ考えておくこと、ここまで挑戦したらやめるというラインを決めておくことが、挑戦を後押ししてくれます。実際、私も新しいことに挑戦するときは、事前に勝ち筋となる戦略をかなり練っていますし、会社全体として致命傷にならないレベルでのトライを重ね、うまくいけば大きく投資するという、ある意味保守的なやり方をしています。とにかく挑戦すればいいというものではなく、今の学生の皆さんは情報もネットワークも私が起業した頃より豊富にあると思うので、それを生かしながら挑戦してもらえたらと思います。

編集後記

今回の取材で、20以上もの事業を経験されてきたという西田さんのお話が、いちばん印象に残りました。月給15万円だった時代から、資生堂さんのような大手をクライアントに持つまでの道のりには、たくさんの失敗が積み重なっていたのだと感じます。「致命傷にならない失敗」という言葉は、挑戦を迷っている学生にとって、大きなヒントになるのではないでしょうか。私自身も、慎重になりすぎず、まずは行動してみようと思えるお話でした。貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。