学生時代、バブルのど真ん中で天邪鬼だった
バブル絶頂期の学生生活
私が大学生だった頃は、ちょうどバブルがどんどん膨らんでいた時代でした。自分をしっかりとPRできれば、どこの会社にも入れるような雰囲気がありました。また、大企業に入っておけば一生困らない、倒産することもないといったような、いかにも昭和的な考え方が根強くありました。
ただ、私は天邪鬼なので、大企業に入ったところで、面白いことなんてあるのかな・・・と思ってしまったのです。皆が目指していたメガバンクや総合商社などに対するモチベーションは全くありませんでした。そこから、皆とは真逆の方向に歩き始めることになりました。
ゲームセンターで一番を目指す
少しさかのぼりますが、高校時代はアーケードゲーマーでした。新宿のゲームセンターはかなり制覇していて、自分の名前がたくさん張り出されていました。セガが新しいゲームをリリースする際は、マーケティングの一環で、ゲーマー代表として呼ばれたりしていました。
しかしある時、いつものようにセガの直営店で記録を出して帰ると、次の日に何者かによって記録が抜かれていて、その日以降、抜き返したらまた翌日抜き返されているという日々が続きました。そんなある日、新しいゲームを出すから来て欲しいと言われて、いつものセガの直営店に行ってみると、そこで姿なきライバルが待ち構えていました。なんと会社員でした。どうりで強いわけです。お金を持っている会社員とお金に余裕のない高校生との戦いだったのです。しかしライバルをしっかり認識したことで、闘争心に火が付きました。
この頃から1番ではないと気が済まないような性格が形成されていったのではないかと思います。ただ、どんな世界においても、人がたくさんいるところで1番になるのは非常に難しいです。しかし、人が集まっていないようなところであれば1番になりやすいです。だから、誰も気が付かないようなことや、誰もやらないようなことをやって、そこで頭角を現せばいいと考えるようになったのではないかと思います。これは「井の中の蛙大海を知らず」とは違っていて、大海のことを知っている蛙が、どこの井戸かを見極めた上で、その井戸に飛び込むというわけです。
大赤字の会社に飛び込み、新たな親会社とのカルチャーギャップに直面する
あえて赤字会社を選んだ
結局、就職したのは赤字会社でした。あのバブルの時代にそんな会社には誰も入らないのではないかという会社にわざわざ入ったのです。それが誕生したばかりのニフティです。パソコン通信からインターネットの黎明期にかけて、ナンバーワンへと上り詰めた会社です。
ニフティは富士通と日商岩井(現在の双日)が50%ずつ出資していた合弁会社でしたが、私が入った時はまだ赤字でどうなっていくのかわからない状態でした。しかし、私の選択は正しい選択となり、ニフティは急成長を遂げて一気に上場することになりました。私にとってもこれは貴重な体験で、価値ある経験をたくさん積ませていただきました。その後、ニフティは分裂し、コンシューマーユーザーの多いインターネット接続事業などが、富士通から切り離されて売却されることになりました。私はインターネット接続事業に精通していたので、売却先の新しい親会社の直下のニフティへ行くことになりました。
新しい親会社とのカルチャーギャップと価値観の相違
新しい親会社の直下のニフティではネットワーク事業の責任者でしたが、新しい親会社とニフティの事業に対する考え方や企業文化が全く違うという大きなギャップに悩まされました。そして1ヶ月も経たないうちに、この環境では事業の成長を加速させることは難しいと考えるようになったのです。その後、幹部社員が続々と辞めてしまい、私が「素晴らしい!」と思えるような人がいなくなってしまいました。そして、自分が目指すべき人もいなくなり、刺激もなくなってしまったことで、新たな挑戦に臨みたいという強い思いが徐々に芽生え、今の会社の立ち上げにジョインすることにしたのです。
ドラマのような展開
ニフティが分裂して売却される前の話に戻りますが、その時、私は経営戦略の責任者をしていました。ニフティの売却候補先はいくつかありました。その中で素晴らしく相性の良い会社がありました。ニフティの全事業において最高のシナジーを追求することができ、より大きな成長を実現できると感じた会社でした。そして、その会社のグループになることもほぼ決まりかけていました。しかし世の中そう簡単にはいかないもので、99%決まっていた話が、ギリギリの直前(前日の夕方)になって、なぜか突然信じられないことが勃発して、一瞬にしてすべてがなくなってしまったのです。テレビドラマのような衝撃的な展開でした。もし破談にならなければ、おそらく私はそのままニフティで仕事を続けていたと思います。
「尊敬できる人がいなくなった」ことが起業の引き金に
尊敬できる人がいなくなった
先ほど話したように、私がニフティを辞める直前はかなり多くの人が辞めていき、私の心を揺さぶるような刺激を放つ人はいなくなってしまいました。このままニフティに残り続けても自分自身の成長はないなと感じたタイミングでした。ちょうどその時、たまたま今の会社を立ち上げようとしている知人と会うことになり、創業のための運転資金を出資することにしたのです。これが今の会社にジョインするきっかけでした。そして、よしやるぞという勢いで、スタートアップの起業という茨の道を突き進み始めたのです。ニフティに残るという選択肢もありましたが、自分自身の成長のために、あえて波乱万丈の道を選びました。
株主から社長へ
当初、私は創業期に出資した株主(Co-founder)として営業活動に集中していたのですが、半年後に、急遽、社長として会社を牽引することになりました。突然すぎて戸惑いしかありませんでしたが、とにかく限界まで頑張ってみようと走り始めました。と言っても、事業はそれほど甘くはなく、次から次へとピンチの大波が襲ってきて、気が付いた時には私財をすべて会社に突っ込んでいました。しかしながら、ようやく修羅場をくぐりぬけ、事業についてもなんとか右肩上がりに上昇させることができました。
LoRaWANで、少子高齢化の日本を裏方から支える
事業内容は大きく分けて2つあります。1つは、少子高齢化が進む日本を支えるにはセンサーネットワークが欠かせないという考えのもと、Low Power Wide Area(LPWA)という通信規格の中でも、グローバルスタンダードに近いLoRaWAN(ローラワン)を使ったセンサーネットワークの通信プラットフォームを提供しています。日本でLoRaWANといえばセンスウェイ、というくらいの立ち位置になっています。
ただ、始めてみると、通信プラットフォームの提供だけではまだ市場の裾野が広がっておらず、これから10年、20年かけてゆっくり育てていく事業であることがすぐにわかりました。このままでは事業がなかなか成長しないので、得意の通信に立脚した課題解決型のソリューションを提供することにしました。今、着目している市場は労働安全衛生市場です。作業員や従業員を熱中症や転倒などの事故から守るためのソリューションを提供しています。
ウェアラブルデバイスの光学式心拍センサーで心拍数や皮膚表面温度を把握して熱中症予防対策をしたり、加速度センサーで転倒検知を行ったりしています。また、WBGT(暑さ指数)センサーで作業現場の環境を可視化して管理者に通報したりしています。
センサーネットワークの通信のプラットフォームを提供することと、労働安全衛生市場向けのソリューションを提供すること。この2軸で今は事業を進めています。
全国網構想を一旦止めて、力を蓄える
会社としての方向性は少子高齢化の波をどう支えていくかというところに強くこだわっています。今は労働安全衛生市場向けの課題解決型のソリューションに注力していますが、道路や建設などの作業現場では、これまで人が目視確認しているような作業でも、今後はセンサーなどに任せれば自動化や省人化できそうなことはまだまだたくさんあります。
また、もともとはセンサーネットワークの全国網を提供したいという思いで立ち上げた会社ですが、全国網の構築には100億円、200億円という規模の投資が必要になるので、今はストップしている状態です。市場もまだ成熟していないので、まだまだ先にはなりますが、いつの日か力を蓄えて、市場を見据えた上で再度挑戦を考えたいと思っています。そして、ゆくゆくは日本の社会インフラ全体のモニタリングに貢献できるようなプラットフォームやソリューションを生み出していきたいと考えています。
学生へのメッセージ ― やりたいことを、早く見つけてほしい
私の兄弟は海外に住んでいます。アメリカで育った甥っ子や姪っ子たちを見ていると、驚くほど早い段階で自分の将来ビジョンを描いていました。そして、その夢に向かってとにかく徹底的に可能性を追求しようと全力で頑張っていました。もしどうにもならなくなったら、そこで初めてつぶしの効く人生を選べば良いと割り切っていました。アメリカでは「やりたいことを追求してチャレンジすることこそ人生だ!」と考えるのが当たり前の社会なのだと感じました。
一方で日本は、会社を立ち上げて大成功したいといったような憧れはあったとしても、本気で憧れの道を突き進んでいる人はそれほど多くはないです。気が付けば、なんとなく社会人になってしまったというケースも多いように感じます。しかし、ここで惰性に流されてしまうと、あっと言う間に定年退職して終わってしまいます。これは実にもったいない展開です。一度しかない人生だからこそ、早い段階でしっかりと何をやりたいのか見据える必要があると思います。社会人になってからでも見出すことはできます。与えられた環境の中で、与えられた仕事を極めることで、気付きを得て、やりたいことを見つける人もいます。
会社選びについても同じです。今は売り手市場で、私たちのバブル期とやや似たような空気があるかもしれません。大きな会社なら倒産しない、誰もが知っている、格好良い・・・という理由だけで選んでしまうと、結局何のためにその会社に入ったのかがわからなくなり、結果、行き詰ってしまう可能性があります。
私自身は大企業には行きたくないという強い意志はあったものの、入社時に何をやりたいのかは見出せていませんでした。営業や開発の仕事だけはやりたくないという意志はありましたが、最悪なことにいきなり営業に配属されてしまいました。しかし、最低でも1年間は我慢しようと決めて、その間は周囲の皆様に迷惑だけはかけないようにしたいと思い、とにかく諸先輩方の見よう見まねで一心不乱に嫌いな営業の仕事に集中しました。しかし、半年もしないうちに、奇跡的に大きな受注が取れたりして、いつの間にかニフティの営業を極めることになっていました。嫌いだった営業が、いつの間にか得意な仕事になっていたわけです。私はたまたまラッキーでした。一歩間違えていれば辞めていたのに、あえて1年間我慢するという選択肢を選んだことで、天職を見つけることができたわけです。
大企業においては自分が行きたい部署に配属される可能性は低いです。私が入社した当時のニフティはやや小さな企業でしたが、それでも誰もが行きたい部署に行けるというわけではありませんでした。ただ、どんな企業においても、与えられた環境の中で、全力でその仕事に向き合うことで、いつの間にかその仕事が天職になるということはあると思います。
また、やりたいことを追求したいのであれば、スタートアップ企業という選択肢もあります。スタートアップ企業の方が自分のやりたいことに手を挙げやすい環境です。しかし、スタートアップ企業でも大企業でも、大事なことは、やりたいことをしっかり見出して、それを磨き上げて、その世界でナンバーワンを目指すという意欲です。極めようとする心がけが何より重要だと思います。その心がけが自分自身を成長させていく原動力になります。
編集後記
今回のインタビューを通して、「あえて茨の道を選ぶ」という一貫した姿勢に強く惹かれました。バブル絶頂期という周囲が浮足立つ環境の中でも、自分の頭で「本当に面白いのはどちらか」を問い続けた神保さんの生き方は、就職活動を控える私自身にも刺さるものがありました。99%決まっていた話が、ギリギリの直前で突発的な事態に陥り、すべてなくなってしまったということも、今の会社の起点になっているというエピソードも印象的で、キャリアは予測できないからこそ面白いのだと感じました。日本の少子高齢化社会の裏方として支えるという事業の姿勢にも、強い信念を感じるインタビューでした。