インタビュー

産めないなら、生み出せばいい。インドで見つけた「もう一つの人生」

STORYTELLING Consulting LLP Co-Founder & CSO 見上すぐり
PROFILE
STORYTELLING Consulting LLP Co-Founder & Chief Storytelling Officer (CSO)
見上 すぐり

茨城で生まれた、自由なようで不自由だった子ども時代

自由人の家庭で育った

私は茨城で生まれました。母が芸能やピアニストなど音楽系の仕事をしていて、父はテレビ業界の人だったので、うちはいわゆるサラリーマン家庭とはかけ離れていたんですよね。野原を駆けずり回るような、ちょっと自由人系の家でした。

でも例外なく、私も含めて家族はどこかで「社会をきちんと気にして生きる」ということから逃れられない人たちで、とくに母がその傾向が強かったんです。だから、三井住友信託銀行というところに勤めることが、いつの間にか私のタスクとして設定されていました。

履歴書が書ききれなかった

一方で、ある程度の余白もあったんだと思います。私、実は就職活動をしていないんですよ。まず「なんで履歴書を書かなきゃいけないんだろう」という疑問を持ってしまう人間で、周りが10社くらい書いてルイ・ヴィトンやシャネル、リクルートを受けていくなかで、一応それらしく書こうとはしたんですけど、書ききれませんでした。アルバイトも続いたことがなくて、社会的な部分がすっぽり欠落していたんだと思います。

とりあえず就職しないで実家に帰って、少し止まって考えようというところから始まって、茨城と東京の生活のギャップに耐えられなくなり、東京に戻りました。いわゆる第二新卒というかたちで、住友信託銀行に派遣社員として入って、そのまま職掌転換の試験を受けて、就職というかたちになったという経緯があります。

住友信託銀行で見つけた「普通」と、失ったもの

38kgまで瘦せた

住友信託銀行では5年ほど働かせていただきました。優秀な方たちに囲まれて、非常に勉強になった一方で、まさにその環境のなかで、眠れなくなって、体重が38kgまで落ちてしまいました。心療内科に通うようになって、「不安症」と診断されました。このまま続けるのは難しいなと感じたんです。

離婚して、すべてを失った

そのタイミングで結婚と退職が重なりました。メンタルが不安定なままだと結婚生活もうまくいかなくて、2年ほどで別れてしまったんです。人生でいちばん底辺だった時期だと思います。自分がなんとなく思い込んでいた「社会的にある程度のポジションで生きていく」というタスクから、離婚というかたちで完全に外れてしまったので。

でも、初めてすべてを捨てられたような感覚もあったんですよね。人の目も気にならなくなるくらい、本当に大変な状況まで落ち切ってしまうと、逆に自分の好きなことをやりたいと初めて思えるようになりました。30歳くらいでようやく「自分の人生って何だろう」と考え出した、かなり遅咲きの人間です。

どん底で見つけた「好きなこと」

ベンチャーで知った新しい世界

祖父がアメリカ大使館で翻訳をしていたこともあって、そうした仕事や、時間と場所に縛られない働き方を探すようになりました。会社に行くことや、時間を守ること、長く働いた人や声の大きな人が評価されることに、どうしても合点がいかなかったんです。

そこで出会ったのが、10人ほどの規模で、女性がトップを務める裁量権の高いベンチャー企業でした。上司にはアメリカ人もいて、マーケティングやローカライゼーション、IRといった新しい概念とともに「日本は世界のスタンダードとは違う」ということを教えてもらいました。

「日本OS」じゃなかった私

そのとき気づいたのは、自分がずっと感じていた違和感は、自分だけの問題ではなかったということです。両親が特殊な仕事をしていて、祖父も外資で働くような人だったので、そもそも私の前提が「純日本OS」ではなかったんですよね。そのことにやっと気づき始めたころ、二回目の結婚をしました。

インドという国に出会って

隣人が前提を共有しない国

子どもができて、半年後にインドに行くと言われたとき、私は33歳くらいまでずっと働き詰めだったので、正直「ゆっくり休息するのはちょうどいいや」というくらいの感覚でついていきました。

そこでインドを好きになった理由が、隣にいる人が同じ言語を話すとは限らない国だということなんです。宗教も違えば、食べるものも価値観も商習慣も全部違う。だから「隣にいる人が当たり前」という前提で会話が始まらないんですよね。日本の空気を読むことができなさすぎて、自分の言うことがことごとく外れてしまい、どうしたらいいかわからなかった辛さから、やっと抜け出せる感覚がありました。

女性起業家たちの豊かさ

インドで、後にIPOする友人を通じて、女性起業家たちに出会いました。自分の人生も仕事も家族も、全部を全力で愛している人たちで、なんて豊かなんだろうと思ったんです。それを欲張りだとすら思っていない。「当たり前だよね」という感覚なんですよね。日本だと、結婚すると自分を犠牲にして家庭を守っていく文化がどうしても強いので。

スタートアップをする女性を、家族が支え、旦那さんが支え、資金も出る。ヘルパーさんの文化がエコシステム全体を支えている。そういうところにとても魅力を感じて、自分でも起業できるかもしれないと思うようになりました。

起業、そして「もう一つの命」

全員に反対された

ただ、起業するにあたっては日本人からほぼ全反対されました。夫も含めてです。インドでビジネスをするのは大変だし、女性で資金もない。しかも、インドは会社を畳むときにものすごくお金がかかるという議論にもなりました。

産めないなら、生み出せばいい

ちょうどそのタイミングで、第三子を授かりました。子宮頸がんの治療もしていたこともあって、流産してしまいました。これ以上子どもを持つことは難しいとわかったんです。子どもという存在で世界を広げていくか、何か別のものを生み出すか。どちらでもよかったのですが、そういう作業がしたかったんですよね。

子どもはもう難しいとなったとき、自分自身が幸せの源泉をつくる側にならなければいけないと思いました。それなら、やりたいことをやる、やりたい世界をつくっていく、時間や立場や場所に縛られない世界をつくればいい。そこから始まったのが、今のSTORYTELLINGという会社です。

STORYTELLINGという会社

偶然が重なって生まれた会社名

当時「ストーリーテリングマーケティング」というのがアメリカで流行っていました。フリーランスとして、海外のマーケティングのトレンドを英語文献から拾って日本語にまとめ、日本のマーケティング会社に売るという仕事をしていたんです。同時に子育てもしていたので、ディズニー作品もたくさん見ていました。

ブランド名をつけるときは、覚えてもらいやすいことと、陳腐化しないことが大事だと感覚的にわかっていたので、誰にでも覚えてもらえて普遍的な「ストーリーテリング」という言葉を選びました。子どもからマーケター、アメリカの医療業界まで幅広く使われるフレームワークだったので、それ以上の深い意味をつけたわけではありません。

プッシュ型が、昔から苦手だった

私のビジネスにとって大事な概念のひとつが、非同期のコミュニケーションです。オンライン上ですべてが完結する、空間を共有している感覚値というものですね。だからAsanaやZoomのような仕組みが、自分の哲学と近いんです。

もうひとつは、プッシュ型ではなくプル型のセールスだということ。私自身、セールスが本当に苦手で、大学時代にテレアポを3日でやめたくらいなんです。人が欲しいと思っていないものを無理やり売りつけるような作業に、心が持たなくて。

Googleのアルゴリズムを信じている

SEOが好きな理由も、そこにつながっています。Google が掲げている、「世界中の情報を整理し、あらゆる人がアクセスでき、役立つものにする。」という哲学、そのバックエンドにあるアルゴリズムそのものが、私にとってはひとつの「正義」なんですよね。そのアルゴリズムをしっかり組むことと、クリエイティブの両方をやり切ることが、STORYTELLINGの軸になっています。

テクノロジーとクリエイティブ、両方をやる

日系企業のかけ橋として

お客さまが達成したいことに対して何でも提案できるよう、Webサイト制作からソーシャルメディア運用、PR、ポップアップ、インフルエンサーマーケティングまで幅広く手がけています。正直、インフルエンサーマーケティングは苦手で、もともと住友信託でB2Bをやっていたこともあって、B2Cよりも B2B のほうが得意なんですよね。

クライアントの9割は日系企業さまです。チームは日本人とインド人の混成なので、価値を発揮できるのは、日系企業さまとインドのコミュニケーションギャップや文化のギャップを埋めるところだと思っています。

少数精鋭のチーム

他社さまは、どうしてもクリエイティブに寄ってしまったり、開発に寄ってしまったりしがちなんですが、お客さまが本当に欲しいのは両方なんですよね。だから、テクノロジーとクリエイティブ、データポイントをしっかり取って成果を見える化する、透明性のある世界をつくることを大事にしてきました。今は、インド企業がグローバルに展開したいときや、グローバル企業からのご相談も増えてきています。チームの人数は決して多くなく、10名ほどで、少しずつ増えているところです。

インドで働くということ

クリエイティブハブになる国

インドは、ここ数年でクリエイティブの世界におけるハブになっていくと思っています。グローバルレベルの賞を取る映画制作プロダクションもありますし、10年から15年ほど前からアメリカ映画のオフショア先にもなっているんです。「インセプション」のような有名な作品の制作にも、実はこちらの制作会社が関わっていたりします。中国が世界の製造業の拠点になったように、クリエイティブとテクノロジーの集積地としてのインドに身を置けることに、今いちばんワクワクしています。

頑張った分だけ報われる

インドは、行動量が多い人間が勝てる市場です。理由はわからないのですが、流動性やアクション量の多さが関係しているのかもしれません。日本だと、頑張っても頑張っても評価されず、何が足りないんだろうと感じることが多かったのですが、インドは頑張った分だけ、金銭的にも社会的地位にも成果として返ってきます。

思い通りにならない日常

一方で、自分たちの思いどおりになることは基本的にありません。台風で外に出られない、選挙で急に学校が休みになる、といったことが日常的に起こる、不確実性の高い国です。計画というものが組めない状況へのストレス耐性というか、「まあいいや」という精神性がないと、続けていくのが難しいんですよね。そこを受け入れられるようになると、とても面白い国だと思います。

ストーリーテリングは、なぜ必要か

所属が揺らぐ時代に

ストーリーテリングという手法は、不確実性の高い状況や国でこそ重要になると思っています。自分たちはどこに所属していて、その中で何が善で何が悪なのか、自分は何者なのか。人が探し続けるその作業を、対話を通じて共有し、「私たちは同じ仲間だよね」と確かめ合うことが、ストーリーテリングの本質だと思うんです。

会社がいつなくなるかわからず、世界的にも分断が進んでいる今、自分の所属が危ういものになっていると感じています。私自身、人生を通してずっと自分探しをしているようなものなので、だからこそ、この手法がみんなに必要だと思っています。ただ、日本人はこれまでわかりやすい分断が少なかった分、その必要性への理解がまだ薄いようにも感じます。

信頼されているのに、伝わらない日本

海外から見た日本は、信頼の塊のような存在です。私自身、あれだけ苦手で居心地が悪かった日本ですが、世界のいろいろな人と話すと、言っていることとやっていることが一致している、ビジネスにおいてとても誠実な国だと感じます。

それなのに、デジタル上でのふるまいはどこか不誠実なんですよね。デジタルマーケティングやブランディングが遅れていたり、1兆円企業なのに簡素なWebサイトのままだったり、SNSを匿名でやっていたり。AIの時代のアルゴリズムは、誰が発信しているかという主語をはっきりさせることを求めているのに、匿名のままでは、デジタル上に存在しない会社や人になってしまいます。製品は最高なのに、それを届ける力が弱い。そこをお客さまにしっかり伝えていくことが、これからの私たちの役割だと思っています。

学生たちへ

行動する軽さ

私自身が本当にだめな大学生だったので偉そうには言えないのですが、行動することはやっぱり大事だと思います。インターンに来てくれる子たちを見ていても、優秀で頭が良い子ほど、考えすぎて行動できないことが多いんですよね。旅に出てみる、バイアスを持たずに動いてみる。何も考えず、何も捨てるものがない状態でインドにふらっと来るような軽さが、きっかけになると思います。

問いを投げ続ける

やりたいことを見つけるには、まず「自分は何がやりたいんだろう」という問いを自分に投げないと始まりません。その答えが見えてくるのは5年後、10年後だったりするんですよね。私も、自分自身に問いを投げてから10年くらいかけて、やっと「私はこういうことがやりたかったんだ」とわかってきました。深く自分の中で考える作業はとても面倒で、うつっぽくなってしまうこともあるので、あまりディープにやりすぎないほうがいいとは思うのですが、その問いがなければ何も見えてきません。インドは内省すること、自己認識をビジネススキルとして大事にしている国で、そういう感覚は、日本にももっとあっていいと思います。

自分を追い込む環境をつくる

人はどうしても怠けてしまうものなので、深く考えるには動機が重なることが必要だと思っています。私の場合は、ビジネスを始めてしまったので「どうやったら自分の価値が出るんだろう」「どうやったらお客さんがお金を払ってくれるんだろう」と、自分を追い込む状況をつくらざるを得ませんでした。失注を繰り返すたびに、正しいことを言っていても価値にならなければ意味がないと痛感します。私たちは資本主義社会の中で生きているので、「価値=お金がいただける理由」をつくることは、とても大切だと思っています。

編集後記

今回のインタビューを通して、いちばん印象に残ったのは「産めないなら、生み出せばいい」という見上さんの言葉でした。不安症で38kgまで痩せてしまった経験や離婚という出来事を、そのままどん底として終わらせず、次の行動につなげていく姿勢に、大学生である自分自身、まだまだ考えが甘かったと気づかされました。とくに「問いを投げてから10年かけて答えが見えてくる」という言葉は、すぐに結果を求めがちな自分にとって、じっくり自分と向き合うことの大切さを教えてもらったように感じます。インドという不確実性の高い環境だからこそ育まれた強さと柔軟さを、これからの学生生活のなかでも大事にしていきたいと思いました。