英語はツール、目的ではない
受験英語でディベートへ
大学時代に熱中していたのは、英語ディベートのサークルです。日本人学生が英語でディベートするんですが、特徴的だったのはテーマが直前に発表されること。「死刑制度を廃止する」みたいなトピックが渡されて、賛成か反対かは運営側に割り振られる。自分の意見は関係なくて、20分後にはスタートです。
英語力はどこから?って聞かれるんですが、基本は受験英語ですね。入学当初は留学経験もなかったし、ホームステイをちょっとやった程度で。でもまあ、みんな最初はそんなもんでした。
4年生の時に大学対抗の大会で優勝したら、スポンサーが JAL だったので、商品がロンドン往復チケットでした。小遣いまでいただいちゃって、それで卒業旅行のヨーロッパ一人旅 2 週間を賄いました。
英語は目的ではなかった
ただ、英語そのものに興味があったわけじゃないんです。英語はあくまでツールで、使わないと意味がない。英語が目的になるようじゃいけないな、というのはずっと思っていました。
だから。就職先に英語関係は選びませんでした。結果的には京セラ(京セラ株式会社)という製造業を選びました。当時の日本の製造業はまだ世界的に力があって、外資系金融の日本支社にいるより、製造業の方が世界を相手に主体的に仕事できるんじゃないかという気持ちがあったためです。
そこでレアメタルの調達部門に配属されて、社内の商社みたいな役割を果たしていました。当時はまだレアメタルを知らない人も多かった時代で、世界のレアメタル事情をいろいろ調べて意思決定者にフィードバックするような仕事です。ルーティンというより、自分で考えて動く裁量がそこそこあったので、それが後々、よい経験になったと思います。
製造業からホテルへ
現地化しきったアメリカ赴任
京セラの後は別の自動車部品メーカーに移って、アメリカに3年半出向、家族と赴任しました。向こうで財務をやっていたんですが、私がいる3年のうちに、もともと日本人じゃないとできないとされていた仕事を全部現地化してしまいました。やりきった感があったのと同時に、そろそろ家業に入ろうかなという気持ちが出てきたんです。
家族から「継いでほしい」と言われたわけでもなくて、自分のタイミングで判断しました。それまで家業を継ぐことをあまり考えたことがなかったので、どちらかといえば自然な流れでしたね。
死ぬまでやる覚悟で入った
製造業からホテルへ、業界も業種も全然違うじゃないかと思われるかもしれませんが、正直あまり不安はなかったです。入るからには死ぬまでやるつもりでいるので。
逆の方が大変だと思うんです。「ホテルを 20 年やってきました、では今から世界最先端のネジを作ってください」って言われたら、さすがにちょっと…ってなりますよね。飲食や宿泊はユーザーとして自分も利用する B to C のサービスなので、そこはだいぶ違うかなと。
株式会社中島屋ホテルズは今年で創業 110 周年を迎えます。私は 5 代目で、代々家業として続いてきた会社です。
「自分の価値は自分で決める」
環境の中にいる自分を見る
大企業と違って、代表取締役になると全部自分でやらないといけない。そこで苦労しなかったか?とよく聞かれますが、そこで製造業時代から比較的裁量のある仕事をやっていた経験が活きました。
アメリカに赴任すると、日本の本社が細部までコントロールする訳ではないので、裁量が 3 倍以上に広がる感覚があります。責任感のある人はより伸びるし、潰れてしまう人もいる。何もやらない人もいる。出向あるあるですよね。
潰れる人と活躍する人の違いは何か?客観的に見ていて思うのは、「どうなりたいか」という姿が描けているかどうかじゃないかな、と。自分が主語になりすぎて、「私がこう思うのに周りはなんだ」となってしまうと、環境に振り回されていく。でも社会に出れば、市場も組織も環境の方が圧倒的に大きいんです。環境があって、その中にいる自分、という視点を持てるかどうかで、全然変わってくると思います。
SNS診断に一喜一憂しなくていい
今の若い人たちを見ていると、なんとか診断とか占いみたいなものにすごく頼りたがる。そして結果に一喜一憂しているようです。
自分の価値を決めるのは自分、結局。他の人にどう思われようと、正直自分には関係ないことじゃないですか。
SNS で評価が(一見)見える化されるようになって、同調圧力も強くなってるとは思います。当社でも若いスタッフのモチベーションのために、そういう診断やソーシャルな文化を完全否定するつもりはなくて、上手く活用しようとはしていますよ。でも「それをやったら自信をなくした、不安になった」なら、やめた方がいいです。
私たちの学生時代だって、不安はそれなりにありましたよ。「自分探しの旅」とか言ってインドに行く人もいたし(笑)。ただ、当時はインターネットの速度が今の 1000 分の 1 くらいで、スマートフォンもなかった。情報量に適度なリミットがあったから、今ほど外部の評価に振り回されなかったのかもしれないですね。
AI にしても同じで、情報とツールがあっても最終的な判断は自分でしなければいけない。そこだけはずっと残り続けることだと思っています。
静岡のローカル性を世界へ
「お節介なおもてなし」が110年続く理由
中島屋ホテルズが長く愛されているのは、ホテルでありながら旅館っぽいおせっかいなおもてなしを大切にしてきたからだと思います。お客様との距離が近いというか、敷居がそんなに高くない。代々、その感覚が受け継がれてきている感じがします。
料理に関しても、「おいしいと言ってもらいたい」という思いが強くて、料理人たちが頑張っている。あと、建物は当然古くなっていくので、ほぼ毎年どこかをリニューアルしています。「老舗はいつも新しい」という感覚でやっています。
ローカルとニューヨークを繋ぐ
弊社は10年前からニューヨークに不動産を持っていて、今50室あります。現地の日系企業に運営を委託しているのですが、そこを活かして「アーティスト・イン・レジデンス(アーティストが一定期間ある地域に滞在して創作活動を行うこと)」みたいなことをやっていきたいと思っています。
静岡のアーティストが 1 〜 2 ヶ月ニューヨークに滞在して成果を持ち帰ってもらったり、逆にニューヨークのアーティストが静岡に滞在して静岡の魅力を作品に落とし込んでもらったり。
静岡には徳川家康の時代から伝統工芸を継承している職人もいれば、地元で面白いことをやっているローカルアーティストもたくさんいます。ただ、その価値がうまく組み合わさっていなかったり、まだ発見されていなかったり、今の人の目線にアップデートされていなかったりする。そこを掘り起こして価値に変えていく作業が、今一番面白いと感じているところです。
「グローカル」って言うとちょっとダサいんですが(笑)、自分たちのルーツとネットワークの中で、110 年の中島屋らしさと静岡のローカル性を掛け合わせて、県外の方にも知ってもらえる価値に育てていく。それをどんどん進めていきたいと思っています。
編集後記
「自分の価値は自分で決める」という言葉が、インタビューを通じてずっと軸になっていると感じました。SNS 診断に頼ることの多い私たちの世代に対して、否定でも説教でもなく、ただ「関係ないじゃないですか」と言い切るところに、妙な説得力がありました。製造業からホテル経営へというキャリアチェンジにおいても、不安より「やるならやりきる」という感覚で動いてきた方なんだと伝わってきます。静岡のローカルな価値とニューヨークを繋ぐ構想は、まさに英語をツールとして使ってきた学生時代からの一本線が通っているようで、学生の頃に何かを「目的」ではなく「手段」として磨いておくことの意味を、改めて考えさせられました。