インタビュー

人の後ろを走るな。ヨットが教えてくれた、オリジナルで生きる理由

PROFILE
株式会社QVファクトリー 代表取締役
是永 裕次郎

レースという生き方

ヨットが変えた物の見方

小学校のころは地味な子どもでした。サッカーを少しやったこともあるけれど、団体競技も球技も全然ダメで。ただ、小学5年生のとき親に勧められてヨットは、中学校くらいまでずっと続けていたんです。

転機になったのは、先輩の後ろをずっとついて走っていたときのこと。先生に怒られたんですよね。「人の後ろを走るな。絶対に抜けないから」って。

風向きはみんな同じでも、進む角度を変えることで前に出る可能性がある。 同じ方向に走って、後ろをついて走り続けている限り、前には出れないし 決して一番にはなれない。 それをそのとき初めて教わって、今でも鮮明に覚えています。

たぶんあのころから、ひねくれてきたんだろうなって思うんですよ(笑)。「人と違うアプローチをしないとダメなんだ」っていう感覚が、あそこからずっと根底にあります。

高校を辞めてバイクに賭けた

高校 1年生のときヨットの国体の強化選手に選ばれていたんですが、もうその時期にはバイクのレースにすっかり夢中になっていて。結局1年で高校を辞めました。

バイクのレースが好きだったのは、見栄もへったくれもないからですよ。ゴールラインを先に通過した人が勝ち。苦労しようが、どんな方法を取ろうが、結果がすべてなんです。そういう世界が好きでしたね。

学校を辞めてからは、家がスーパーを経営していたので早朝市場で荷物運びをしたり、飲食店でアルバイトをしたり。知り合いのつながりで防水屋の仕事に入ったり、派遣で電気工事や解体業を転々としたりもしました。二十歳ごろになってから、ブリヂストンタイヤの直営店に正社員として就職したのが、まともに働き始めた最初だったかな。

平日は働いて、土曜の夜に移動して、日曜日はコースで練習。月曜は洗車と洗濯、火水木金は整備。そのサイクルを十年以上続けていました。

視覚障害という転換点

「被害者」にだけはなりたくなかった

バイクのレースを続けていく中で、だんだん暗いところが見えにくくなっていたんです。横から来るバイクが見えていなくて、気づいたら周りから「危険なやつ」って言われるようになっていて。三十代になって、出張で車を運転することが増えたとき、ちょっとヒヤリとする場面もあって、病院に行ったら進行性の視覚障害だとわかりました。

実は兄が、私が中学生のころに同じ視覚障害で大学を中退して盲学校に入っていたんです。障害が分かったとき、親のせいだって家中が大荒れになって。「俺の人生を返せ」って。その様子をずっと見ていた私は、「親の言いなりで大学に行ってもいいことなさそうだ、どうせ死ぬなら好きなことをしよう」と思ってバイクのレースを始めていたんだなって、あとになって気づいたんです。

自分が同じ障害だとわかって盲学校に入ったとき、また兄のことを思い出しました。もう十年以上連絡を取っていなかった兄のことを。「自分は兄とは違う」、そう思っていましたし、障害があることを理由に選択肢を狭める、自分を被害者にする、そういう生き方だけは絶対に嫌だって、ずっと思っていました。

国の費用でタダで資格を取れた、だからこそ

盲学校でびっくりしたのは、三年間の学費も寄宿舎の宿泊費も食費も、全部公費でまかなわれることです。専門学校に行けば五、六百万かかるような鍼灸マッサージ師の資格が、タダで取れる。

それまで税金を払えなくて差し押さえ通知が来たり、ガスを止められたりしていた私が、障害者手帳を持った瞬間に、すごく楽に生きられるようになった。「こんな世の中でいいのかな」って、逆に戸惑ったくらい。

でも盲学校にいると、「目が悪いからこの仕事しかできない」という考え方の若い子が結構いて。それが兄と重なったんです。この子たちが、たとえ視覚障害があっても自己実現できたら、本人も、その親も、絶対に喜ぶはずだって。

「障がい者が輝く社会を作る」というビジョンを作ったのは、ちょうどその盲学校の学生時代のことです。国の費用で免許を取らせてもらった、だからこそこの業界で頑張ろう、という気持ちがありました。

同じ立場の人を勝たせたい

紹介だけで集客できる仕組みをパクった

開業してからの一番の課題は、やっぱり集客でした。晴眼者(視力に問題がない人)の施術者と視覚障害者の施術者がいたら、患者さんはどちらを選ぶか。見えている人の方が細かな変化にも気づけるじゃないか、そう思われることもある。

同じ土俵で戦うなら、何か武器を持たないと勝てない。そう思って、うまくいっている人たちがどうやっているのかを調べ、会いに行って話を聞きました。そこで気づいたのは、一人でやろうとすると限界があるということ。見えなければ見えている人の力を借りればいいし、仕組みを作ることが大事なんだと。

広告費をかけずに、紹介だけで集客できる仕組みを、うまくいっている人のやり方を参考にして作りました。あとは、鍼灸マッサージには療養費という保険の仕組みがあるので、それを深く理解するために業界団体に入って、今は保険審査にも関わる役員もしています。

雇用関係ではなく、仲間として

法人を立ち上げたのは去年のことです。それまで十年以上、個人事業で施術を続けてきました。

法人を作るにあたって、従業員を雇うという形にすごく抵抗があったんですよ。私自身、転職を二十回以上してきたから分かるんです。入社するときは頑張りますって言って、辞めるときも辞めますって言う。雇用の縁が切れた瞬間に、もう二度と会うことがなくなる。経営者はきっと良くなってほしいと思っていても、退職した途端に縁がなくなる。それが寂しいなって。

この業界のいいところは、会長だろうが新人だろうが、みんな個人事業主として対等なんですよ。そういう関係性がいいなって思って、今は「同じ立場の人をどうやったら勝たせられるか」を考えています。

シェア治療院で自己実現の場を作る

シェア治療院を始めたのは、そのビジョンの延長です。固定費を抑えて、自己実現したいという人のために何ができるか。その人が成果を出したときに一緒に喜べる、そういう関係でいたいんです。

視覚障害があると、掃除や洗濯、衛生管理はとても難しい。だからうちでそれを全部引き受けますよ、と。駅から近くてルートを体で覚えさえすれば通えるし、資料作りもサポートできる。そういう環境があれば、障がいがあっても自己実現できると思っているんです。

まだ視覚障害のある方の利用者は多くないけれど、まずは同じ立場の人みんなが自己実現できる場所を作っていくことが、「障がい者が輝く社会」への一歩だと思っています。

学生へ

やりたいことは、やりたい時にすればいい

今年、放送大学を卒業しました。二十四歳のときに通信制の高校を卒業した勢いで入学していたんですが、一単位も取らないままフェードアウトして、二十何年越しの卒業です(笑)。

何年か前にやりたいことリスト 100を作ったとき、「勉強したい」と思っていることに気づいて、問い合わせたらまだ席があって、お金を払えばいつでも始められますよって言われて再開しました。昔はパラボラアンテナ買って、VHS にダビングして、大変だったけど、今はパソコンでポチっとするだけで授業が始まる。すごくいい環境ですよね。

学歴のある上の兄弟を見ていても、全然幸せそうじゃないなって思っていたんです。だから、やりたいことはやりたい時にすればいいんじゃないかなって、今でもそう思います。

休学してでも、やりたいことがあればやった方がいい。学校ってどこかイエスマンを作ろうとするんですよね。「決まり通りにしないと社会に出たら困る」って平然と言う。でも社会に出たら、人と違うところをアピールしないと覚えてもらえないじゃないですか。学校で言われていることと真逆のことが求められる。

難しい世の中だと思うけれど、だからこそ、自分の軸をちゃんと持っておくことが大事なんじゃないかなと思います。

編集後記

「人の後ろを走るな」——小学生のときにヨットで教わったその言葉が、是永さんのすべての選択の根底にあることが、取材を通じてよく分かりました。高校中退、20回以上の転職、視覚障害の告知。傍から見れば波乱と思えるような経歴の一つひとつが、「自分はどう生きたいか」という問いへの真剣な向き合い方から来ているように感じました。特に印象的だったのは、同じ視覚障害を持つ兄の姿を「反面教師」ではなく「鏡」として見つめ、障害があっても自己実現できる環境を自分で作ろうとしている姿勢です。「雇用ではなく仲間として」というシェア治療院の思想は、是永さん自身が長年かけて学んできた働き方への答えなのだと思います。やりたいことをやりたいときにやればいい、という言葉は、就活に向けて焦りを感じている私にとって、素直に響きました。