岡山のカースト社会で生きた学生時代
なんちゃってヤンキーだった
学生時代は、岡山の田舎で過ごしました。地方の学校には独特の「カースト」のようなものがあって、わりと残酷だったんですよね。私はそのカーストの下のほうにはいたくないという思いがあって、当時はヤンキーかヤンキーじゃないかというのが、学校の中での立場を大きく左右する時代でした。
私自身はヤンキーというわけではなかったんです。ただ、カースト的に上のほうへ食い込むためには、ある程度ヤンキーでいないといけないという空気があって、なんちゃってヤンキーのような形でヤンキーの友達とつながっていました。
一緒に良くないことをしながらも、心の中では「ちゃんと勉強しないといけないな」と思っている自分もいて、結局は楽しいほうに流されてしまうんですよね。人からどう思われるかが気になって、自分の力ではなく所属によって立場を守ろうとする、ちょっとずる賢いタイプの人間だったと思います。
氷河期世代が選んだ就職先
不動産業界で叩き込まれた3年間
学生時代を終えて最初に勤めたのは、上場している大手の不動産会社です。私たちの世代は就職氷河期で、不動産の営業職はブラック企業しか募集していないような状況でした。入社してからは本当に厳しく、売れなければ会社にいられなくなるくらいの精神的なダメージを受けながら、生き残った人間だけが残っていく環境です。さすがにこのままではいられないと思い、3年で退職しました。
出社不要に惹かれた転職
次に選んだのが、デジタルベンチャー企業です。当時は起業ブームの中で「ベンチャー企業」という言葉がすごくかっこよく聞こえていた時期でした。その会社は岡山に営業所があるわけでもなかったのですが、新しく拠点を立ち上げる人を募集していて、出社しなくてもいいんじゃないかと思って就職したんです。これが、結果としてそのまま20年以上勤めることになったベンチャー企業でした。
「所属」が目的になった瞬間
役員手前まで上り詰めた
40歳を過ぎたあたりから、会社はとても楽しい時期を迎えます。上場企業をM&Aするくらいまで会社が大きくなり、私自身も役員のひとつ手前くらいの立場まで行き、給料も良くなっていました。けれど、所属さえしていれば生きていけるとわかった段階で、なんだか面白くなくなってきたんです。いることそのものが目的になってしまうと、つまらなくなっていくんですよね。
自由を失っていく日々
私はアイデアマンで、会社の中でいろいろな企画を出すタイプでした。でも会社が大きくなるほどルールが増えて、自由にできないことが増えていきます。ベンチャー企業として楽しくやっていたことが、どんどんできなくなっていきました。発言しても却下されることが増え、いれば高い給料がもらえるという理由だけで在籍している状態に、つまらなさを感じるようになっていったんです。
クビになったから、起業した
マインドを変えるための会社
会社をやめる勇気もなく、いろいろ模索した結果、私は会社に在籍したまま、別に会社をつくってみることにしました。YouTubeを見ながら自分で会社を立ち上げてみて、会社というものに対する自分のマインドを変えられないか試してみたんです。
年収1000万円が消えた日
ところが、会社員のまま別の会社をつくることが、勤め先への背任行為にあたるとは思っていませんでした。それが会社に知られてしまい、クビになってしまったんです。当時の年収は1000万円くらいあったのですが、それが一気にゼロになりました。なんとも間抜けなスタートですが、今はとても感謝しています。
クビにならなければ、たぶん起業はできていなかったと思うんですよね。起業したい気持ちはあっても、起業する理由も、やりたいことも見つからなかったはずです。長くサラリーマンを続けていると、自分で事業を考えつかなくなってしまいます。転職しても同じことで悩むだろうとわかっていたので、もう起業しか道はないと思い、クビになった翌月に会社をつくり直し、起業しました。これが株式会社KANAMEの始まりです。
サイネージはやらないと決めた
太陽光営業からの再出発
起業したものの、何をするかはすぐには決めていませんでした。私は20年以上デジタルサイネージの仕事をしてきていたので、正直なところもう飽きてしまっていたんです。それに、サラリーマン時代に自分が採用した仲間たちと競争相手になりたくありませんでした。前の会社のお客さまだった方々とも、競合するような形にはしたくなかったんですよね。だからサイネージの仕事は一切やらないと決めて、それまでとは違うことを探していたところ、知り合いの経営者から太陽光の営業コンサルを頼まれました。やったことのない分野だったので、太陽光について一生懸命調べながらコンサルをしていましたね。
採用の苦労がノウハウに
太陽光のコンサルでは、人に売らせることはなかなかうまくできなかったのですが、自分自身に知識が身についたので、自分で営業してみたら結構売れたんです。同時に、ゼロから営業所を立ち上げた経験から、採用や人材育成にはずいぶん苦労していました。世の中を見渡すと、採用や育成に困っている会社がたくさんあります。自分が苦労したことがノウハウとして定着していたので、そうした会社に向けて採用支援の仕事をするようになりました。
一本の見積もりから始まった
採用支援の仕事を一生懸命していたところ、サラリーマン時代にとても可愛がってくれていたオーナーさんから連絡がありました。「あなたにはこれをやる責任があるんじゃないか」というようなことを言われ、LEDビジョンの見積もりを出すことになったんです。
しっかり利益を出した見積もりを出したところ、「高すぎる」と言われて競合に流れそうになってしまいました。それでも、もう少し安く提供することになり、これが弊社にとって最初のLEDビジョンの仕事になりました。そこから営業をしていないにもかかわらず、昔のお客さまのほうから声をかけていただくことが増えていき、LEDビジョンを手がけることが事業として広がっていったという経緯です。
8割を占めるメディア開発
事業の柱を決めずに起業したので、しばらくは探しながらやってきました。今、形になっている事業のひとつが、街中に街頭ビジョンを設置してメディアとして活用するメディア開発です。これが売上のおよそ8割を占めています。残りの2割が採用支援です。
入社後のギャップをなくす
採用の課題として大きいのは、入社前と入社後のギャップです。夢を描いて入社したのに、現場が思っていたイメージと違っていてやめてしまう。これは企業にとっても、入社した人にとっても損失です。前職で私が自分で採用した人はほとんどやめていません。良いところも悪いところも、入社前にきちんと説明していたからです。それでもいいと思ってくれた人だけを採用していたので、最初の段階でギャップが生まれにくかったんですよね。
このやり方を再現できないかと考えて、現場の様子を伝えるYouTubeチャンネルや、まだ今ほど一般的ではなかった3年前からTikTokを使った採用支援を、建築や土木の会社向けに提供してきました。
今ではIndeedのような採用媒体も当たり前になっていますが、どう出していいかわからなかったり、採用のWebページをどうつくればいいかわからない会社も多くあります。そうした採用周りを丸ごと引き受け、面接まで代行する採用代行を、地元岡山でいくつかの会社に向けて手がけています。
ご縁が仕事につながる
お客さまとの出会いは、経営者が集まるいろいろなコミュニティに参加する中で生まれています。そこで知り合った経営者の方々の悩みを聞いて、提案させていただくという形が多いですね。
同級生のビルに灯った光
大雲寺ビジョンが生まれた日
岡山では今回、街頭にLEDビジョンを設置する取り組みを進めています。地元の岡山に、ここにビジョンがついたら街が元気になるだろうという思いから始まったものです。たまたまそのビルを所有していたのが、高校時代の同級生でした。同級生のところへ行って提案したところ、やってみようということになり、形になったんですよね。さらに、そこに流す広告主にも、同じ高校の同級生の会社が2社入ってくれました。ご縁がつながって、ひとつの媒体ができあがった形です。
岡山と日本を元気にする
岡山の玄関口にあたる場所で映像が輝いているのを見たとき、街がちょっと元気になったように感じたんですよね。そのときに、自分は街を元気にしていく仕事をしたいんだと、あらためて気づきました。メディア開発を通じて、ご縁のある岡山という街を元気にしていきたいですし、それを続けていくことで、日本全体が元気になっていくようなことをやっていきたいと思っています。
もうひとつ大切にしているのは、挑戦する人たちを応援することです。もともと中途半端なヤンキーのような人間だった私が、いろいろなことに挑戦しながら、少しずつ成長させてもらってきたという感覚があるので、これから挑戦していく人たちを応援していきたいと思っています。
挑戦する若者へ伝えたいこと
負荷がなければ筋肉はつかない
採用という立場で今の若い人たちを見ていると、本当に賢く、倫理観もしっかりしていて、人間としての質は私たちの世代よりも高いと感じています。尊敬するばかりですね。一方で、私たちの世代は就職氷河期という厳しい環境の中で、理不尽なことを乗り越えてきました。当時はむちゃくちゃだったと思いますが、あの時代を越えてきたからこそ、今の自分があるとも感じています。
筋トレで筋肉をつけようと思ったら、負荷をかける必要があります。ところが今は、会社で働くことに負荷をかけないように気を配ってサポートしてくれる環境が当たり前になってきています。それはそれでひとつの正解だと思うのですが、負荷がかからない分、いわば「筋肉」がつきにくい環境が増えているのではないかとも感じるんですよね。
素晴らしい人間性と倫理観に、経験という筋肉がついたときが最強だと思っています。最強になりたいかどうかは、それぞれの自由です。もしなりたい人がいるなら、あえて負荷がかかる場所を自分から選んでいくことも、面白い選択肢のひとつとして提案したいですね。
編集後記
今回お話を伺って、印象に残ったのは「クビになったから起業できた」という逆転の発想です。私自身、学生のうちから何かに挑戦したいと思いつつ、踏み出すきっかけを探しているところがあります。山根さんの「負荷がなければ筋肉はつかない」という言葉は、安定を求めがちな今の自分にも刺さるものがありました。同級生のビルにビジョンが灯ったという、ご縁から事業が広がっていくお話も印象的で、人とのつながりを大切にする姿勢から学ぶことが多いインタビューになりました。