第一志望ではなかった大学で、出会った一冊の本
落ちこぼれ寸前からの逆転
第一志望の大学に合格できなくて、同志社大学に入学したのです。もう完全に落胆していて、「もう一回受けよう」と親父に話したくらいで。そうしたら「まずは大学生活を一生懸命やってから考えなさい」と。
その失意の中で出会ったのが、国際ジャーナリストの落合信彦さんの著書『アメリカよ! あめりかよ!』でした。貧しい境遇の中から英語を勉強してアメリカに渡り、大成功を収めた話で、「よし、自分も頑張ろう」と気持ちが切り替わったのです。1年生のうちはほとんど授業にも出ず単位を落としてアルバイト三昧でしたが、その本に背中を押されてから気持ちが変わりました。2年生からは真剣に取り組んで、最終的に成績はほぼ「優」で卒業できました。
1日1冊、1000冊の読書
勉強に火がついてからは、本を1日1冊読むようにしました。大前研一さんや長谷川慶太郎さん、邱永漢さんといった、どちらかというと中堅ビジネスマンが読むような本を中心に、経済・国際情勢・お金の話を貪欲に読み込んでいきました。
就職活動では「ガクチカは読書、1000冊読みました」の一言で押し通しましたが、それだけでほとんどの選考を通過できたのです。
世界一の銀行から、尊敬する人の会社へ
エリート集団の中の劣勢
第一勧業銀行(現:みずほ銀行)に入行したとき、同期183人のうち7割が東大・早稲田・慶應の出身でした。しかも配属されたのは首都圏の小さな支店。本店で為替ディーラーを目指していた自分としては、かなり厳しいスタートでしたね。
でも、またも親父の言葉に従って「じゃあ一生懸命やってから考えよう」と切り替えました。支店で全国一番の成績を取って本店へ異動、そこで初めて同期に並べた気がしました。
UC Berkeley ではなく、青山学院MBAへ
学生の頃から「32歳でUC Berkeley MBAを取得し、マッキンゼーに入る」という目標を立てていました。でも現実には英語力が追いつかなくて、気づけば期限が迫っていて。
そのタイミングで青山学院大学がビジネススクールを新設するという話を聞いたのです。当時のボストン コンサルティング グループ(BCG)日本代表だった内田和成さん、ゴールドマン・サックスのM&Aで活躍した服部暢達さん、東大を退官して青学MBAコースに着任したばかりの経済学者・野口悠紀雄先生——そういった超一流の教授陣が揃っていて、英語も使うと。これしかないと思い、銀行に通いながら通学しました。
自分と重ねられる人を師に選ぶ
MBAを終えて銀行を辞める決断をしたとき、行き先として選んだのは成毛眞さんが立ち上げた会社でした。成毛さんはマイクロソフト日本法人の社長として、売上を90億円から1800億円にまで成長させた方です。
BCGの日本代表だった堀紘一さんが作った会社とどちらに行くか迷ったのですが、東大法学部・ハーバードMBAという堀さんのキャリアと、同志社大学経済学部出身の自分を比べたら、参考にすべきは成毛さんの歩んだ道だと思ったのです。自分が目指せる人を手本にしないと意味がないですから。
常に劣勢から、勝てる場所を見つけて全力を注ぐ
パソコンも使えないまま飛び込んだ
成毛さんの会社はマイクロソフトやアクセンチュアのエンジニア出身者のコンサルタントばかりでした。IT知識はほとんどなく、パソコンも苦手な状態で飛び込みました。入社初日にパソコンが置いてあって「自分でセットアップしろ」と言われた時は途方に暮れました。
ITでは太刀打ちできないと悟ったので、自分が強みを持てる「数字」の領域に集中しましたね。中堅・ベンチャー企業の経営企画支援というポジションを確立して、なんとか首をつないだわけです。
点と点がつながった瞬間
その後はいくつかの上場企業の役員を経て、40代でA.T. カーニー (現・Kearney)という外資系戦略コンサルティング会社にも在籍しました。そして47歳で独立し、投資及びコンサルティング会社を作りました。コンサルで稼いだお金を株に投資して倍に増やし、その資金を中小企業への投資に充てようと考えたのです。
ただ「自分のお金を預けられる人間は自分だけだ」と思って、投資先の会社に自分が乗り込んで社長になろうと決めました。
その投資先がプロモツール株式会社でした。35歳の頃に転職活動の面接でたまたま出会った人物が、15年後に「父の会社を高く売れなかったので相談したい」と連絡をくれたのです。「だったら私が投資して一緒に会社を成長させよう」と話が進み、2022年にハンズオン投資を実行し、2024年に代表取締役社長へ就任しました。 人とのご縁って、本当に不思議ですよね。
「チャーリーとチョコレート工場」から始まった香りの事業
冗談が生んだ、画期的なビジネス
プロモツールはもともと化粧品のプロモーション用品を販売している会社でした。創業者の井上がポーラ化粧品のフランス現地法人社長を経て帰国後に設立した経緯から、「プロモーションツール」を略した社名になっています。
香りのビジネスへの転機は、映画「チャーリーとチョコレート工場」の日本公開でした。試写会でインパクトのある演出をしたいという相談を受けた先代が、冗談半分で「映画館でチョコレートの香りを流せばいい」と言ってしまったんですね。それが「面白い、やってくれ」という話になって、機材も素材も急きょかき集めて実施したら、映画も大ヒット、香りの演出も各メディアに取り上げられたのです。そこからチョコレートメーカーのプロモーション用途で香りの依頼が来るようになったのです。
日常のあらゆる場所に、当社の香りがある
今では、TOHOシネマズのMX4D(香りが出る体験型映画館)で使用される香りも当社が手がけています。 JJALの国内主要空港ラウンジ には「Morning」と「Evening」の2種類をオリジナルで開発して、今ではアロマオイルなど香りグッズとしても販売されています。
さらに万平ホテル、グランドニッコー、飛鳥IIIという豪華クルーズ船……。ドラッグストアのシャンプー・柔軟剤売り場にぶら下がっているアロマテスター(香り見本)も、日本でいちばん多く作っているのは当社です。女性でドラッグストアに行く方なら、ほぼ100%どこかで当社の製品に触れているはずです。こうした実績は、少数精鋭のチームによって生み出されています。当社では、若手社員であっても企画提案から顧客対応、商品開発、プロジェクト推進まで幅広く関わります。
私たちは単に香りを販売している会社ではありません。香りを通じて企業や施設のブランド価値を高め、人々の記憶に残る体験を設計する会社です。「香り」というまだ発展途上の市場だからこそ、1人ひとりが事業をつくる当事者になれるのです。
BCG、Amazon等から優秀な人材が集結
近年は当社のビジョンに共感し、多様なバックグラウンドを持つ人材が集まり始めています。
BCG出身者、Amazon出身者、理系大学院で専門分野を研究してきた調香師、インターンには東大や京大の学生など、規模は小さくても専門性の高いメンバーが集う組織になりつつあります。
私たちは学歴や経歴そのものを評価するのではなく、それぞれが培ってきた知見や専門性を掛け合わせることで、香りの新しい市場を創り出そうとしています。
10年以内に売上高300億円、さいたまを「香りの街」に
5年以内の上場、そしてグローバルへ
社長に就いてまだ3年ですが、10年以内に売上300億(就任当時の100倍)、これから5年以内に上場という目標を掲げています。その先には、BtoC(一般消費者向け)の店舗ビジネスも展開していきたいと考えています。
SHIRO(シロ)は7年で売上が数億から300億円になりました。Aēsop(イソップ)はオーストラリア発ですが投資ファンドによる買収後に大きく成長しています。当社も私が投資して成長させているという意味では同じストーリーです。目指すのは、日本の素材——、檜(ひのき)、ゆず、クロモジなど——を使ったオリジナルの香りを持って、フランスそしてヨーロッパ市場に乗り込むこと。フランス料理を日本人シェフが作って、パリで三つ星を取るようなイメージです。
香りが都市をつくる
もう一つ、大きな夢があります。香りには医療的な効果があって、たとえば森林浴が認知症の進行を遅らせたりうつを和らげたりするのは、フィトンチッド(phytoncide)——樹木や植物が放出する揮発性有機化合物(主にテルペン類)の総称——の働きによるところが大きいとわかってきています。
だとすれば、同じ効果を室内で再現できれば、医療やウェルビーイングの分野にも応用できるはず。埼玉県さいたま市に香り技術研究所を持つ当社が核となって、産官学が連携した「香りのライフサイエンス産業」を街ごと育てていきたいんです。埼玉大学が世界の香り研究の拠点になって、調香師が東大理系女子の人気職業になる——そういう未来を本気で描いています。
学生へのメッセージ
やって後悔したことは、一度もない——香りで共に世界を変えよう !
私がこれまで一緒に働きたい人には共通点があります。それは当社のコーポレートバリューであるHonest(素直に)、Curious(好奇心をもって)、Grit(やり抜く)を体現する人です。私自身、思うような進路にいけず、思い悩んだことがたくさんあります。それでも、その時々で自分にできる挑戦を続けてきた結果、今があります。
当社プロモツールも同じです。完成された大企業ではなく、これから世界ブランドを作っていく会社です。だからこそ、会社の成長とともに自分も成長したい人に来てほしいと思っています。やりたくてもやらなかったことは、後になって必ず後悔します。でも、やって失敗したことで後悔したことは一度もないです。私自身、20代のうちに実現できなかった夢を、後になって違う形で叶えてきました。18歳から22歳の学生時代は二度と戻らないけれど、その時やりたいことに全力で飛び込んでいれば、それが必ずあとでつながっていきます。失敗を恐れる必要はないです。50代の私でもまだやっているのですから、20代の皆さんにできないわけがない。
ぜひ、ジャイアントキリングを一緒に成し遂げましょう。私たちはまだ挑戦中です。世界に通用する香りブランドを、日本から一緒につくっていきましょう。
編集後記
今回インタビューをさせていただいて、緒方さんのキャリアには一本の太い軸があると感じました。それは「劣勢でも、自分が勝てる場所を見つけて全力を注ぐ」という姿勢です。第一志望の大学に落ちても、銀行で小さな支店に配属されても、ITコンサルでパソコンが使えなくても——そのたびに状況を冷静に分析して、自分の強みを起点に逆転してきた。VISION図鑑の取材を通じてさまざまな経営者にお会いしてきましたが、「参考にすべき人は、自分が目指せる人だ」という言葉は特に印象に残りました。就職活動を前に、なんとなく有名企業や華やかなキャリアを追いかけていた自分を振り返る機会をいただけた気がします。香りという、目に見えないけれど日常のいたるところにある事業の魅力も含めて、ぜひ多くの学生に読んでほしい記事です。