インタビュー

下請けの町工場から、世界に挑むメーカーへ。愛知ドビー3代目社長の現場主義

下請けの町工場から、世界に挑むメーカーへ。愛知ドビー3代目社長の現場主義
PROFILE
愛知ドビー株式会社 代表取締役社長
土方邦裕

学生時代と家業への道

理系大学で学んだ厳しさ

私は東京理科大学の出身です。学生時代に何かに熱中したという思い出は、正直あまりありません。塾の講師のアルバイトをしたり、居酒屋でアルバイトをしたりしながら過ごしていましたが、理科大はとにかく授業が厳しく、朝の1時限目から8時限目、9時限目まで授業が詰まっていて、遊ぶ時間はほとんどありませんでした。誰かの家に集まって宿題やレポートを片付けて、終わったらみんなで少しお酒を飲む、というのが当時の過ごし方です。それが楽しくなかったわけではありませんが、周りの大学生が自由に遊んでいるのを見ながら、自分たちは勉強と研究に追われている、つらい思い出の多い学生時代でした。

経営工学を選んだ理由

学部は理工学部の経営工学科を選びました。父が鋳造(ちゅうぞう)の町工場を経営していたので、その流れで経営工学を学んでみようかなという、軽い気持ちで決めた進路です。深い理由があったわけではなく、家業に関係する分野を選んだという感覚に近いと思います。

豊田通商から愛知ドビーへ

鋳造の現場で覚えた技術

大学を卒業して最初に入社したのは豊田通商(とよたつうしょう)です。3年半ほど勤めたあと、愛知ドビーに移りました。当時はまだ15人ほどの会社で、26歳で入社して一から職人として技術を身につけようと、鋳造の現場で働きながら、営業に回り、下請けの仕事を集めました。その後は、工場で働きながら、鋳造を学べる専門学校のような場所にも通っていました。

31歳で社長になった

そこから31歳で社長に就任しました。若いうちに代表になったとよく言われますが、町工場ですから、こういうことはめずらしくないと思っています。当時は会長としてまだ父がいましたし、特別に怖いという気持ちはありませんでした。

創業から続く愛知ドビーの強み

2つの工程を一括で

弊社の大きな特徴は、小さな会社ながら、鋳造と精密加工という2つの工程を両方持っていたことです。普通であれば、鋳造工場で部品をつくったあと、別の精密加工工場にもう一度仕事を出さなければならず、伝票も2枚必要になりますし、管理も複雑になります。弊社に注文を出せば、一気通貫で部品が仕上がってきます。このメリットを気に入っていただけたことが、長く続けられてきたひとつの理由だと思っています。

250人を超えても変わらないこと

15人の頃と変わらない思い

ホームページにある通り、従業員は250名を超えています。15人だった頃と比べて何が変わったかと聞かれると、自分自身はそれほど変わっていないと思っています。ただ、15人の頃は全員の家族構成まで知っていましたし、コミュニケーションの取りやすさという利点がありました。さすがに今はそこまではできません。

仕組みでつながる

だからこそ、皆さんとどうコミュニケーションを取っていくかが、今のポイントになっていると感じています。意見を吸い上げる場をつくったり、総務を含めた仕組みづくりをしたりして、解決できるようにしたいと、今も意識しています。

採用で見ているもの

ひとつのことを続けてきた人

採用で魅力を感じるのは、ひとつのことをずっと続けてきた方です。中学から大学までバレーボールを続けてきたという方でもいいですし、旅行が好きで続けているという方でもいいと思います。何かを突き詰める経験は、仕事にも通じる大事な力だと思っています。アルバイトでもかまいません。学生時代の同級生に、実家が大変な中でファストフード店のアルバイトを長く続け、出世してアルバイト料も上がり、その後いい会社に就職して、最終的には独立して今は社長になっている人がいます。ひとつのことを突き詰める方は、社会人になってからも活躍するのだと、その姿を見て感じました。

頑張る力は先天的なのか後天的なのか、答えるのが難しい問いです。それでも、頑張る人は昔から頑張っていますし、頑張らない人あまり性格が変わらない印象があります。1時間ほどの面接でそこまで見抜くのは簡単ではありませんが、よさそうだと感じた方に内定を出しているというのが実際のところです。

スキルより人間性

スキルはやる気があれば入社後に覚えられますし、それよりも人間性を重視しています。

バーミキュラというブランドの誕生

鍋という答え

Vermicular(バーミキュラ)は、弊社がつくっている鍋のブランド名です。鍋やフライパン、炊飯器などをつくっていて、私が入社してから立ち上げたブランドです。愛知ドビーは、もともとドビー機という繊維機械を製造するメーカーでしたが、繊維産業の衰退により、私が入社した頃には、船や自動車の部品をつくる下請けとなっていました。もともとメーカーだったこともあり、自分たちがつくった製品がお客様のもとに届く喜び、感謝の声を聞けることにやりがいと感じていた職人が多く、その頃は工場にあまり活気がありませんでした。もう一度、メーカーとして自分たちだからこそ製造できる製品を生み出し、職人たちの活気を取り戻したい、と考えて、メーカーに返り咲こうとしたときに、鋳造と精密加工という2つの工程と、職人の技術や工場の設備を生かせるものは何かと考え、行き着いたのが鍋でした。

世界中に市場がある

まず日本市場で販売を広げ、そのあとアメリカや中国へ進出しました。鍋やフライパンは世界中の誰もが使うものですし、形もほとんど変わりません。市場が世界にあると考えて、積極的に出ていきました。現地に自分で乗り込んで交渉するのではなく、まず中国の支社長やアメリカの社長を採用し、その方たちに営業を広げてもらうという形で展開していきました。

AIとものづくりの現場

任せられるところは任せる

AIは今も少しずつ取り入れていますし、これからも積極的に導入していかなければならないと考えています。注文をPCに入力したり、資料をつくったりといった作業は、AIに任せていけばいいと思っています。

工場の作業は人がやる

一方で、工場の作業はAI化できません。人がやらなければならない部分です。AIを使ってつくったものをさらに人が精査して、よりよいものに仕上げていきます。1時間かかっていた作業が1分で済むようになるかもしれませんが、人がいらなくなるとは思っていません。

アメリカと上海での挑戦

赤字からトントンへ

アメリカも中国も、最初は赤字でした。乗り越えるときに考えるのは、まず赤字からトントンの状態に持っていくにはどうすればいいか、ということです。トントンになって心にゆとりができてから、戦略を考えていきます。これが基本のやり方です。大きな借り入れをして投資を受け、一気に勝負をかけるという方法もありますが、弊社はすべて自社でものをつくっているので、そういう考え方はあまりとっていません。手堅く進めながら、徐々に拡大していく中で訪れるチャンスを見逃さずに拾っていきます。そうして今があります。

やめないことの大切さ

何より大切なのは、やめないことです。やめてしまえば、もう一生できません。大きな赤字を出さないように手堅く進めて、いつでも立ち上がれる状態をつくっておくことが大事だと思っています。チャンスがあると思って進出した以上、そのチャンスが時代の流れや環境の変化でなくなってしまうのであれば、それはやめるタイミングかもしれません。そうでなければ、やめるタイミングではないので、努力を続けていきたいと思っています。

これから1年から3年で目指すもの

ヨーロッパ、中東、アフリカへ

ホーロー鍋というジャンルは、もともとヨーロッパの文化です。それをメイド・イン・ジャパンの技術でさらに機能を高め、水を使わなくても料理ができるくらい精度の高い鍋に仕上げてきました。もとがヨーロッパの文化である以上、いつかはヨーロッパに進出し、さらに中東やアフリカでも展開していきたいと考えています。

現地現物を貫く

経営で一番大切にしているのは、「現地現物(げんちげんぶつ)」という言葉です。人から聞いた話だけで判断せず、自分の目で見て、現地に行って物事を判断することを大事にしています。工場はもちろんですが、たとえばどこかの店舗の売れ行きが悪いときも、人から聞くだけでうまくいかないのであれば、自分の足で行って、ヒアリングをして決めていきます。ものづくりがとくに好きというわけではないかもしれませんが、家業がものづくり企業だったので、自然とそうなったのだと思います。

編集後記

「現地現物」という言葉が、最後まで印象に残るインタビューでした。15人だった会社を250人規模まで育てながらも、「自分はそれほど変わっていない」と話していたのが印象的です。下請けからメーカーへの転身も、赤字を抱えながらの海外展開も、すべて自分の目で確かめることから始まっているのだと感じました。学生起業の経験がある身としても、まずは自分で決めて動いてみることの大切さをあらためて教えていただいたように思います。