教職課程を取りながら、遊びに命をかけた学生時代
遊びも学びも本気だった
学生時代は沢山遊んでいました。何かに打ち込んでいたというよりは、本当に遊ぶことに命をかけていたような大学生活でしたね。
ただ、教職課程だけはしっかり4年間取っていて、地理歴史と公民の高校教員免許、中学校の社会科の免許、それから社会教育主事の資格も取得しました。図書館や生涯学習の施設など、行政の仕事に就ける資格です。遊びながらも、なんだかんだ頑張って取ったなという感じです。授業もちゃんと出て、ストレートで卒業しましたし、バンドもやっていました。遊びとバンドを中心にしながら、教職課程も取るという学生生活でしたね。
教育実習で見えた限界
もともと教師はなりたい仕事のひとつで、憧れも持っていました。ただ大学3年生のときに3週間の教育実習に行って、自分が先生として活躍しているイメージも、やりたいことを実現しているイメージも湧かなかったんです。先生方には失礼な言い方になってしまうかもしれませんが、学校という小さな箱の中ですべてが完結してしまう感覚があって、もっといろいろな世界を舞台にしてみたいという思いが漠然とありました。学校という場所でずっと働き続けるのはどうなんだろうと考えて、教師になるのは完全にやめました。
一部上場企業からのキャリア放浪
震災と就活のタイムラグ
新卒として就職活動をしていたときは、ちょうど東日本大震災にぶつかったタイミングでした。そこから日本のほとんどの企業が採用を自粛するような状況が1年ほど続いたんです。私も大学3年生のうちに一次面接だけ受けて、二次面接以降の連絡が来たのは大学4年生の春ごろでした。突然「面接を通過しているので来てください」と連絡が来るような、タイムラグのある就活でしたね。
給料と営業力で選んだ会社
当時は将来やりたいことも思い付かず、就活にそこまで本気になれずにいました。教師は違うと思っていたものの、どの会社で働きたいかも、どんな仕事に就きたいかも見えていなかったんです。最終的には、内定をもらった会社が東証一部上場企業だったこと、それから不動産は売るのが大変な分だけ営業力がつきそうだったこと、給与が高かったことという理由だけで入社を決めました。それが私の社会人生活のスタートです。
数字で見えた昇進の壁
不動産会社で2年ほど働くうちに、ある程度自分でも営業ができるようになって、成績も上がるようになりました。給料は高かったのですが、課長や部長になっていくには年齢を重ねる必要があって、年収1,000万円も少なくとも三十歳を過ぎないと届かないような会社だったんです。そんなに何年も待てないなという思いと、海外で働きたいという気持ちが漠然と出てきたタイミングで、インドネシアのジャカルタで働けるという話がある商社へ転職しました。ただ、結局その話がなくなってしまい、それなら金融の分野で実践的なことを学びたいと思って、アメリカのロサンゼルスに本社を置く不動産系金融企業の日本支社で働くことになりました。いろいろな経験をさせてもらったと思っています。
セブ島で見つけた起業の種
起業のビジョンが見えなかった
社会人経験を積むなかで、起業に興味を持ちながらも、自分で何かをやってみたいという思いはずっとありました。ただ、不動産の販売にしても商社の大規模な取引にしても、そこから自分が独立するビジョンはまったく見えなかったんです。サラリーマンとしてはできても、自分で起業してこれをやるというイメージが湧かず、起業したいのに何も思い付かない状態でした。海外に行けば何か見つかるかもしれないと思い、セブ島に渡ったという流れです。
社内ベンチャーで留学代理店を立ち上げる
セブ島では、英語の学校で集客とセールスを担う部門に入社して、事業部長を任せてもらいました。セブ島留学をしたい日本人を集めて、自分たちの学校に留学してもらう仕事です。ただ、問い合わせをもらっても学校が合わないと感じられて、他の学校に流れてしまう方も少なくありませんでした。それはとても機会損失だと感じて、社内ベンチャーとして、留学の代理店にあたる事業を立ち上げさせてもらったんです。セブ島にあるほぼすべての学校と提携して、留学生を紹介するかたちで紹介手数料をいただく仕組みでした。
8か月で黒字化した自信
自社での集客もあわせて続けながら、この事業は8か月ほどで単体として黒字化することができました。いろいろな学校と提携するなかで、自分たちの学校の良いところも悪いところも、紹介先の学校の良いところも悪いところも見えてくるんです。そのうちに、自分で学校を作ってみたい、運営してみたいという気持ちが芽生えてきました。社内ベンチャーとして会社のお金と組織を使い、ゼロからのビジネスを黒字化できたという自信もあったので、このモデルなら自分で立ち上げて学校を作れると考えて、当時の社長に退職と独立の話をして、ビジネスをスタートさせました。
セブ島に「ストロングジャパン経済圏」をつくる
語学学校を中心とした多角化
現在はセブ島の中で、弊社ストロングジャパン経済圏をつくってしまおうというイメージで事業を展開しています。本社は東京の新宿にあり、国内拠点は宮崎や福岡、沖縄にもありますが、主戦場はセブ島です。メインとなるのは英語の語学学校の経営で、そのほかに求人サービスなども手がけています。
不動産事業も現地に根ざして
不動産事業では、世界各国の富裕層や日本人の方に不動産の売買を提案するほか、賃貸の仲介では現地の方にも幅広く紹介をしています。教育をメインにしながらも、事業を横に広げてきたという感覚ですね。
「0円留学」という仕組み
働きながら学ぶ留学
いま力を入れているのが「0円留学」です。授業料と滞在費用が0円になる中長期の留学プログラムで、語学学校に併設する形でコールセンターとBPOセンターを運営しており、そちらで仕事の場も提供をしています。留学生には1日の半分を仕事、半分を留学に充ててもらい、英語も仕事も学べるというコンセプトです。お仕事の対価を、授業料と滞在費用に充当をさせて、働きながら長期で留学できるという座組を組んでいます。
次の舞台はマルタ共和国
長期的なビジョンとしては、この0円留学ができる学校を世界中につくっていきたいと考えていて、次の展開先はマルタ共和国です。マルタはイタリアの地図でいうと、靴の先っぽにあたる小さな島国で、英語とイタリア語の両方が話せます。実はヨーロッパの方はあまり英語を話せず、英語を学びに行く留学先としてマルタが選ばれる地域になっているんです。街並みが綺麗で海があり、リゾート地でありながら物価も安く、世界遺産に登録されているほど美しい国と島でもあります。まだマルタ留学はそこまで広まっていないので、現状はセブ島だけの0円留学を、マルタでも再現性高くつくっていきたいと思っています。
円安や物価高で、日本人が海外に出にくい状況は今後も増していくと感じています。お金や住む場所、言語を気にせず、やる気さえあればすぐに0円留学に挑戦して海外に行ける環境を、会社として広げていきたいというのが長期的なミッションです。
学生に伝えたいこと
海外で働くのはそんなに難しくない
世の中にもっと伝えたいのは、海外で働くことはそんなに難しくないということです。商社マンやエリートとして海外でバリバリ働くのはハードルが高いと思いますが、それだけが選択肢ではありません。日本語のコールセンターや日本食のお店、日本人がお客さんとして来る海外のお店、日本への進出を考えている海外企業など、思ったより英語力が高くなくても働ける場所は多いんです。海外で働く、住むというのは夢のまた夢のように憧れだけで終わってしまう方も多いので、それはもったいないと感じています。ハードルが高いと感じている方がいれば、まずは相談からでも、働くのはこんなに気軽なんだと伝えたいですね。
借金してでも遊びに行ってほしい
最近は学生と話す機会も増えていますが、いまの時代は起業した経営者の発信が世の中に出すぎているようにも感じます。学生のうちから起業しろ、インターンで働けという話も多いですが、私自身は学生のうちは目いっぱい遊んでほしいという思いが強いです。コミュニケーション能力や発想力、人脈は、友達や遊びの中から生まれる本物だったりするので、卒業後の四十年、四十五年という長い仕事人生を考えると、限られた4年間は全力で遊んでほしいと思っています。
あまり良い話ではないかもしれませんが、借金をしてでも、卒業旅行や友達との海外旅行には絶対に行ってみてほしいですね。大学4年生の1年間を仕事に使っても、そこまで社会人経験は変わりません。海外旅行にどれだけ使っても20万円、30万円ほどだと思うので、それくらいなら親に借りて、社会人になってから返せばいいだけです。今しか得られない経験は、絶対に得てほしいと思っています。
編集後記
早稲田大学3年生で、学生起業に片足を突っ込んでいる身として、寺本さんのお話はとても刺さりました。教師をあきらめ、大企業に入り、海外に飛び出し、8か月で事業を黒字化させるという一つひとつの経験が、最終的にすべて「教育」という一本の線につながっていく展開に、正直かなり興奮しながら聞いていました。とくに「借金してでも遊びに行け」という言葉には、就活を意識し始めた自分にも刺さるものがありました。0円留学という仕組み自体もおもしろく、あわせてマルタでの展開にも注目していきたいです。