自信のなかった子ども時代
人見知りとコミュ障の日々
小中学校時代は、いじめられていました。いわゆる「陰キャ」で、人と関わるのがとにかく苦手な子どもだったんです。母親もかなり厳しい性格だったこともあって、いつも人の顔色ばかりうかがってしまう。自分に自信なんてまったくない、そんな子供時代でしたね。
中学から高校にかけて、長野県から山梨県へ転校しました。もともと人とコミュニケーションを取るのが得意ではなかったのですが、転校をきっかけに、その苦手意識はさらに強くなってしまいました。せっかく話せるようになった友達も、翌日には急によそよそしくなったり、無視されたりすることが続き、人と関わることにますます自信を失っていきました。部活動も中高あわせて10種類くらい入りましたけど、どれも長続きしない。すぐにやめてしまう。誰かと一緒に目標を達成した経験も、人と深く仲良くなった経験もありませんでした。よく経営者の方って輝かしいエピソードがあるじゃないですか。野球で甲子園に行きましたとか。私にはそういうものがまったくなかったんです。
介護に捧げた大学時代
当時、母親が糖尿病を患っていて、糖尿病性腎症と糖尿病性の網膜の出血を起こしてしまいました。人工透析を1日8時間、週に4日から5日間毎日のように病院へ通う生活です。目もほとんど見えなくなっていて、半径1mくらいしか見えない状態でした。
大学は東京の大学に進みましたけど、ゼミとアルバイトと介護で、ほとんど学生時代は終わってしまいましたね。姉妹が4人いたのでとにかくお金がかかる家庭で、両親は経済的にかなり切迫した中で子どもたちを大学に行かせてくれていました。だからこそ「ちゃんと稼ぐ力をつけて、親に恩返ししたい」という思いが強かった。その一心で就職活動を頑張りました。
ただ、私はもともと人見知りで、人と話すのが得意ではありませんでした。
就職活動をしたのは、就職氷河期の真っただ中。受けた企業は、ほとんど不採用でした。面接では緊張してしまい、頭が真っ白になって、思うように話せません。
実際に、「あなたの長所を3つ教えてください」と聞かれたときには、「忍耐強いこと、明るいこと、忍耐強いこと」と、緊張のあまり同じ答えを繰り返してしまったこともあります。
銀行営業から起業へ
最下位のスタート
女性が一人でも生きていけて、しっかり稼げる仕事がいい。そう考えて、銀行の営業職に入りました。
ところが1年目、関東の同じ分野の営業担当者が700人いる中で下から数番目。ノルマは数百万円あったのに、初年度の成績は2,500円しか稼げなかった。結果、とにかく厳しいと評判の上司がいる支店に配属されて、ひたすら怒られる日々です。
でも、コツコツ回り続けていると成果は出るもので、2年目の夏を越えた頃には営業トップを取れたんです。4年目、5年目になると仕事がどんどん面白くなって、ちょっと天狗になっていました。「この支店の売り上げを上げているのは私だ」なんて調子に乗っていた時期もありましたね。
その後、銀行内の企画部門に入る機会をいただきました。新しいことに挑戦しようとしたんですけど、大きな組織の中で自分の意見を通すのは本当に難しい。銀行って失敗しないように育てられるんです。学閥の世界で、東大、京大、早稲田、慶應に行っていないと支店長にはほぼなれない。そういう現実を目の当たりにして、どこかモヤモヤするようになりました。
愚痴を言う自分が許せない
極めつけは、当時の上司の存在でした。その上司は、部下に仕事を教えようとしない。教える力もない。それなのに、部下が失敗すれば責任を押しつけ、大きな成果が出れば、今度は自分の手柄として持っていってしまう。そんな人でした。
そこで気持ちが切れてしまいました。何のために一生懸命仕事をしているんだろう。働くって何なんだろうと。営業トップを走り続けてきた自負はあったし、「深澤だから買うよ」と言ってくださるお客様もいた。やりがいは確かにありました。けれど、嫌な上司に疎まれ、やりたいことがあっても叶わない。休みも給料も出世も退職金も、何ひとつ自由にならない。当たり前のことかもしれないけど、その不自由さにすごく直面したんです。
多くの方は5年目、10年目になると会社の愚痴を言い始めますよね。飲みに行って不満をこぼす。でも私は、それがどうしても嫌だった。お金をいただいてプロの仕事をしているはずなのに文句を言って、その先何年も会社にお世話になる。こんな恥ずかしいことはないなと思って、起業しようと決めたんです。
「裸の自分」で道を切り拓く
「好き」だけでは稼げない
いきなり会社を辞めるのは、さすがに年収の大きい会社だったので勇気が出ず、まずはダブルワークで始めました。銀行で営業をしていたので投資に詳しかったし、不動産も勉強すればわかる。アフィリエイトやネットショップの開業など、いろいろ手を出してみたんです。
結果は、失敗でした。副業や起業って「好きなことをやりたい」と始める方が多いんですけど、その気持ちだけだと多分うまくいかないんですよ。商品やサービスをお客様に届けて、貢献の対価として初めてお金をいただける。それがよければリピートが起きて、口コミが広がって、売り上げにつながっていく。こんな当たり前のことに気づかず、空いた時間に好きなことをちょこちょこやっているだけでは、結果が出るわけがありませんでした。
挫折を経て、ちゃんと経営で独立している方に学んだり、経営者仲間と切磋琢磨したりする場所が必要だと気づきました。ダブルワークを続けながら小売の知識、会計の知識、マーケティングやお客様への意識づけなど、ひとつずつ身につけていったんです。
信頼は看板ではなく人間性
事業が軌道に乗ってきたタイミングで、私は独立を決意しました。
ただ、起業してから求められるコミュニケーションは、銀行員だった頃とはまったく別物でした。
銀行の営業って、電話しても訪問しても、「◯◯銀行の深澤です」と名乗れば「ああ、◯◯銀行さんね」と話を聞いてもらえるんです。でも看板がなくなった途端、「株式会社深澤の深澤です」と言ったところで「お前誰だよ」から始まる。お客様を探す力も、新規開拓する力も、仲間を作る力も、すべて「私」という人間そのもので勝負しなければならなくなりました。
そうやって求められる基準の高い場に身を置いたとき、自分の人生の中で積み重ねてきたコミュニケーションの癖が全部あらわになったんです。自信のなさからガードしてしまう癖、まず人を疑ってかかる癖。人を疑っていると、絶対に人とは近づけないんですよね。だからまず人を信じなくちゃいけない。
何者でもない自分が「絶対に結果を出す」というコミットメントを持って人と関わると、自然とオープンになれるし、信頼も築けます。そうしてできた人間関係では、絶対に約束を守る。目の前の人によりよいものを提供できる自分でありたいし、言ったことは必ずやり切る。これを続けていくと、人のご縁ってどんどん広がっていくんですよね。
ダブルワーク時代は寝る時間を削ってやっていました。「どうやってやるんですか?」とたまに聞かれるんですけど、寝なければいけるって答えてますね。人と違う結果がほしいなら、人と違う努力をするべきだと思うんです。時間の使い方はそのまま人生の使い方ですから。
もうひとつ意識していたのは、自分より基準が高い人、目安でいうと収入が桁違いに高い方と、週に一度は必ず話す時間を取ること。「まだまだいける」「もっとすごい人がいる」と自分をリセットし直せるんです。同じ会社や学校の友達と一緒にいるのが悪いわけではないけれど、成功に向かうかというと向かわない。引きずられてしまうんですよね。だから「時間の使い方」「誰と一緒にいるか」「メンタルの方向性」この3つは徹底的に変えてきました。
人とつながる経営のかたち
チームで高め合う場を作る
現在、株式会社ANでは美容室「SALON」やアロマギフトショップ「Nature(ナチュール)」、沖縄料理とナチュラルワインのビストロ「BISTRO CHURA」などの飲食・店舗経営のほか、不動産や人材紹介業、そして地域フェスの企画運営まで幅広い事業を手がけています。「地域を盛り上げたい」という血気盛んな若い人たちが集まってきてくれるので、その思いを形にする事業を今も立ち上げ続けているところです。
私が一番得意だと感じているのは、チーム作りです。「人を育てる」という表現は少し傲慢なので、もっと正確に言えば、生まれも育ちも学歴も職歴も違う人とバディシップを組んで、高い目標を追いかけること。その中で私の人生も目の前の人の人生もよりよくしていく。これを事業を通じてやっていることが、弊社ならではの強みだと思っています。
私のもとに集まってくる方は、将来起業したいという方がほとんどです。飲食なら自分のお店を持ちたい、アロマなら自分の店舗を作りたい。意識が高くてやる気もある。ただ、やる気があるだけだとサークルみたいになってしまうんですよね。大事なのは、職業観や人生観、人間性を一緒に磨きながら仕事に向き合うこと。仕事はただお金をもらう作業ではなくて、人に喜んでもらえたり、自分が成長できたり、そこに喜びがあるうえでお金をいただける。それがどれほど素晴らしいことかを一緒に感じていきたいんです。
弊社の大きな特徴として、スタッフのアイデアが事業になっていくという点があります。イベント事業や講習会、各業界の講演会など、いろいろ手がけていますけど、すべて私のアイデアではなく、集まったスタッフが「やりたい」と思って実現させたもの。人が集まるだけでなく、そこから継続的に実行して形にしていけるところが、なかなかない強みだと感じています。
自分との闘いが一番の壁
起業してから一番大変だったのは、自分との闘いです。世界情勢が変わったとか、景気が悪くなったとか、外部の要因もいろいろあるんですけど、結局いつも最後に立ちはだかるのは自分自身なんですよね。
とくに人との出会いと別れが激しくて、「こんなことでへこんでいる自分はダメなんじゃないか」「メンタルの弱い自分には無理なんじゃないか」と、何度も心が折れそうになりました。「もうダメだ」と思ったことは数えきれないくらいあります。でもそのたびに仲間に励まされ、助けられて、ここまで来ることができた。もうダメだと思ったときにこそ本当の人間性が出るんです。歯を食いしばって踏ん張り続けること。それが結局、どんな場面でも一番大変でした。
お金の問題に直面したこともあります。自分の手元にお金が入ってこないとわかって、工面するために走り回ったこともありましたね。けれど後から振り返ると、そういう経験がすべて宝物になっている。メンタルを強くしたり、準備力や危機管理の意識を高めたりする糧になる。最後にはすべて自分の身になっていくんです。
未来を描いて走り出せ
経営者を育てて貢献する
私の目標は、事業全体で年商約50億円、総資産約30億円を作ること。具体的には、年商1億円規模の経営者を100人育てるという計画で、今まさに動いています。
弊社がどんどん発展していけば、やりたいことをやりたいように頑張れる力を持った人が増え続ける。SDGsや社会貢献、芸能関係など、やりたいことが多い方って学生さんにはとくに多いですよね。ただ、普通に会社に入ってしまうと大体実現できなくなってしまう。その土台を作れるのが弊社の役割だと思っていて、「頑張りたいけどきっかけがない」という方にアシストしていけるような貢献をしていきたい。今もそのために走り続けています。
過去にとらわれるな
若い方に伝えたいことがあります。
「今の自分にできること」や「過去にやってきたこと」を基準に将来を考える方がとても多いんです。「数字に強くないから」「こういうことはできてこなかったから」と、過去の自分を理由にしてしまう。はっきり言って、そんなことは関係ありません。
大きく望んで、本当にやりたいことをちゃんと決めて走り出したら、得意不得意なんて絶対に突破していける。過去は過去であって、これからいくらでも作っていけるんです。だから決して自分を抑え込まないでほしい。
もうひとつ。「この人と働きたい」「この人みたいになりたい」と思う人のところに、ぜひ連絡を取ってみてください。本当に稼いでいて、貢献マインドを持っている経営者は、みんな教えてくれます。私は40代ですけど、それでも手を挙げて「教えてください」と言えば教えてもらえる。20代や学生だったらなおさらです。
若い方は何も持っていないように見えて、実はたくさんのものを持っています。理想の人を見つけて、その人からちゃんと学び取っていく。この2つができれば、自ずと道は定まっていくはずです。ぜひやってみてください。
編集後記
深澤さんのお話で最も印象に残ったのは、「愚痴を言う自分が恥ずかしい」という感覚でした。不満を抱えながらも行動に移さない自分を許せなかったからこそ、起業という決断が生まれたのだと感じます。いじめやコミュニケーションへの苦手意識、お母様の介護という経験を経て、「何者でもない自分」から出発された深澤さん。裸の自分で人と向き合い、信頼を一つひとつ積み上げてきたからこそ、今の仲間やお客様との絆があるのだと思います。「過去は関係ない。大きく望んで走り出せ」というメッセージは、一歩を踏み出す勇気が持てない方にとって、きっと大きな力になるのではないでしょうか。