インタビュー

サッカー選手の夢から、上海でデジタルマーケティング会社を創業するまで。

サッカー選手の夢から、上海でデジタルマーケティング会社を創業するまで。
PROFILE
酷丽谱网络科技(上海)有限公司 代表取締役
塩谷 朋也

サッカーに明け暮れた大学時代

プロを目指してサッカー漬けの日々だった

大学は大東文化大学の外国語学部中国語学科というところに入りました。ずっとサッカーをやっていて、当時の夢はプロサッカー選手になることだったので、正直授業にはほとんど出ていなかったです。二年生から三年生に上がるときは、仮進級のような扱いになるくらいでした。当時は、夜は22時〜6時までアルバイト、夕方からはサッカーの練習に参加していたこともあって、授業に出席する余裕は殆どありませんでしたから。

ただ、三年生のはじめごろに膝を痛めてしまって、体もボロボロになってきていたんです。トップレベルの大学サッカーでも、フィールドに出ている22人のうちプロになれるのは1人いるかいないかという状況を見て、このレベルで1人しかプロに行けないなら無理だなと思って、サッカーをやめました。

顧問の勧めで中国留学

サッカーを辞めた後にふらふらとしていたところ、大学サッカー部の顧問の先生から、せっかく中国語学科に入ったんだから行ってきたらどうだ、と声をかけてもらいました。当時、中国への留学費用は年間20万円から30万円ほどで、学費自体もとても安かったんです。これから中国の時代になって伸びていくから、という言葉もあって、とりあえず行ってみるかという軽い気持ちで留学を決めました。2010年ごろの話です。

当時の中国は、今のように発展しきってはいなくて、デリバリーサービスもなく、覚えているのはマクドナルドが電話でデリバリーをしていたことくらいです。今でこそUber eatsのようなサービスが日本にもありますが、当時はタクシー免許を持たない人が有償で乗せてくれる、いわゆる白タクシーのようなものが横行していました。違法とはいえ、みんなが貪欲に自分の生活を良くしようとしているエネルギッシュな姿を見て、衝撃を受けました。食堂に行けば、食事の場ではなく24時間勉強する場所として使われている。これはそのうち日本は抜かれてしまうんじゃないか、というカルチャーショックを受けた出来事でした。

建設現場からバーの仕事、そして中国企業への就職

留学を終えて帰国し、大学は無事に卒業できたんですけど、個人的な事情もあって就職活動は一切していませんでした。卒業後は地元の建設会社に入って、1年ほど働きました。その後は地元である神奈川県横須賀の、アメリカ海軍基地の近くにあるどぶ板通りのバーで2年ほど働きました。中学校の同級生から、英語も学べるからという理由で誘ってもらったのがきっかけです。お客さんの8割から9割はアメリカ人だったので、英語の勉強にはなりました。

ただ、どぶ板通りはもともとの地主しかテナントを持てないような場所で、空きが出ることはほとんどありません。将来性が無いと感じて、次第にサラリーマンになろうと考えていきました。

そこでまず探したのが中国系の企業です。オンライン面接を受けたところ、そこは教育とテクノロジーを掛け合わせたエドテック企業で、面接一回で合格をもらい、翌日から中国に来てくださいという流れになったんです。2016年ごろのことでした。後から知ったんですけど、ゴールドマン・サックスやサイバーエージェント、ソフトバンクなどが出資しているユニコーン企業だったんです。

正社員として住居はついていたものの、給料は日本円で月8万円から10万円ほどでした。中国の企業なので基本的に労働法は通用せず、成果報酬型で、朝6時から電話をかけまくって夜12時に帰るような生活を2年ほど続けました。電話越しでオンライン英語教材をクロージングまで行う仕事だったんですけど、人より量をこなしていたぶん、少しずつ売上が伸びていって、東京オフィスの立ち上げのために一度日本に戻ることになりました。

独立のための転職、そして起業

東京で2年ほど過ごしたあと、また中国に戻りたいという思いが強くなっていきました。そこで入社したのが、独立する前の前職にあたる会社です。ECサイトの運営代行や中国のSNS運用を手がけている会社で、創業社長が日本人だったんです。大学生のころから自分で会社を立ち上げたいという思いがあったので、どうせなら創業社長のいる会社で学びたいと思って入社しました。

そこで2年ほど働いたあと、2021年ごろに独立して起業しました。前職の社長には独立の意向をきちんと伝えていて、快く送り出してもらいました。

中国市場に特化したデジタルマーケティングという事業

今のメインの事業は、中国における日系ブランドのEC運営代行やSNS運用、映像制作といったデジタルマーケティングです。このノウハウは前職で培ったもので、そこがそのまま今の事業につながっています。

弊社の強みは、日本から中国への新規参入を考えているお客さまに対して、大手広告代理店と比較すると、テストマーケティングの段階での小回りの利く対応ができることです。予算感も3分の1ほどでご提案できることが多くて、大手だと予算感が合わずお断りされてしまうようなお客さまを、こちらで拾わせていただくようなイメージです。窓口対応を日本人が担当していることもありますし、専門領域の高い分野においても豊富な実績と高度な知見があるので、お客様の安心感につながっていると感じています。

最近は、日本から中国というだけではなく、中国のメーカーや旅行業の企業さまが日本に進出したいというお話も増えてきています。中国のサッカースパイクブランドの案件では、SNSで見つけたブランドに直接伝手をたどって訪ねていき、対面で営業をかけたところ、日本展開のデジタルマーケティングを一緒にやりましょう。という話になりました。意外と、突っ込んでみるとなんとかなるものです。

文化の違うチームをマネジメントする難しさ

社内は中国人スタッフが8割から9割ほどなので、日本人スタッフは少ないです。文化の違いから、マネジメントは正直かなり難しいと感じています。たとえば、人前で明らかなミスをしても、決して叱ってはいけない。日本のようにまんべんなく短所を埋めていくというより、短所はこちらで巻き取って処理をして、長所を伸ばしていったほうが、本人のやる気にもつながりやすいと感じます。

目指すのは日本の国力を上げること

今後も、中国のデジタルマーケティングと日本のマーケティングを主軸にしていきたいと思っています。そのうえで、伸びている市場には積極的に手を出していく必要があると考えていて、東南アジアなど今後伸びそうなマーケットを、常にウォッチしていくつもりです。日中を主軸としながら、少しずつ世界展開をしていって、事業を拡大していきたい。

しばらく日本を離れて中国という異国で暮らしていると、外から見た日本の経済環境がどうしても気になってしまいます。私自身、国籍は日本人なので、日本の経済発展のために何かできることを見つけられたら一番いいなと思っています。最終的な目標は、日本の国力を上げていくことです。

学生へのメッセージ

大きな金額を動かす経験をしないと、自分が扱っている商材より大きな金額のイメージが湧かないと思うんです。100億円、1000億円、1兆円という規模のお金を動かす会社に入らないと、その景色がどんなものかは見えづらい部分があります。だからこそ、なるべく大きいことを最初から目標に設定したほうがいいんじゃないかと思います。

大きいことをやっていれば、小さいことは対応できると思うんですけど、小さいことをやっていて急に大きいことに対応しろと言われても、つぶれてしまうことが多いと思います。日本の学生の方は優秀な方が多いので、まずやってみようというスタンスさえ持てれば、最強な人材になれるんじゃないかと思います。若いうちは何回ミスしても、そこまで大きなダメージにはなりません。ぜひ、いろいろな経験やチャレンジに踏み出してもらいたいです。

編集後記

今回は、上海を拠点にデジタルマーケティング事業を展開する塩谷さんにお話を伺いました。サッカー、留学、建設会社、バー、中国企業への転職と、まさに激動の道のりを歩まれてきたお話には、率直にとても引き込まれました。「大きいことを目標にする」「まずやってみる」という言葉は、これから就職活動やキャリアを考える学生にとって、大きな一歩を踏み出す勇気をくれるメッセージだと感じています。