インタビュー

拾ってもらった人生だから、次につなぐ。花屋になりたかった元バンドマンが苫小牧の不動産屋の社長になるまで

拾ってもらった人生だから、次につなぐ。花屋になりたかった元バンドマンが苫小牧の不動産屋の社長になるまで
PROFILE
エイシン不動産株式会社 代表取締役社長
岡本 卓也

学校に行かず、夢だけを追いかけた10代

熱すぎる思いが、社会に合わなかった

私は学校に通っていなかったので、いわゆる学生時代の思い出というものがありません。代わりにあったのが、音楽バンドの活動です。正直、恥ずかしい話なんですけれども、社会に適合できないくらい夢を追いかけていました。音楽で食えないなら生きてる意味がないくらいに思っていました。

でも、自分の好き勝手にやっていると、当然人に迷惑をかけてしまいます。迷惑をかける手前で40歳、50歳までやりたくはなかったんです。迷惑をかけないでやっている人もいますけど、じじいになるまで夢を追いかけているのは、すごくダサいと思ったので、19歳で一旦区切りをつけました。

花屋という仕事に恋をした

道端で見つけた、活気のある花屋

区切りをつけたあと、どうしようかなと思ったときに浮かんだのが、花屋でした。きっかけは本当にささいなことです。私は花というものを、母にカーネーションを1本買うくらいの印象しか持っていませんでした。家に花があったわけでもありません。それが、たまたま道端で見つけた花屋にすごく人が入っていたんですよね。

働かせてくださいと頼んだら、とりあえず高校に入ってから来いと言ってもらえました。全く自分の人生において必要ないんじゃないかと思っていたものが、めちゃくちゃ必要な人がたくさんいる。そこに興味が湧いたんです。

その花屋の社長がいつも言っていたのは、いかに安くていい花を、長持ちする花を届けるかということでした。ほかの花屋にはまねできないことをしていたんですよね。だからお客さんも「あそこの花は長持ちする」「安い」と、唯一無二の存在として通ってくる。その社長にも、想いとビジョンがあり、そこから多くを勉強させてもらいました。

中卒から通信制高校へ、花屋修行の日々

当然、その時はまだ中学校しか出ていませんでした。高校に入学したら来ていいと言ってくれたので、通信制の高校に入学して、実際に花屋で働けるようになったんです。葬儀の花やウエディングの花を担当したり、スーパーの花屋や葬儀専門の花屋で働いたり、いろいろな現場を経験しました。将来は自分で花屋を経営したいと思っていたので、そのために経営も営業も勉強しておいた方がいいと考えて入ったのが、今の会社です。

花も不動産も、思いを届ける仕事

なぜ花屋になりたかったかというと、花って別に世の中になくてもいいはずのものだと思って生きてきたんですよね。それが商売として成立している。人の思いを届ける商売って、すごく素敵だなと思ったんです。

不動産屋という仕事も、実はそこに近いところがあります。家を案内したり、土地を売ったりすることがメインの仕事ではありますが、その裏には人それぞれの思いがあります。だから今、花屋ではなく不動産屋をやっているんです。

拾ってもらった不動産業界

学歴も経験もない、それでも拾ってくれた

将来経営をするうえで営業経験は絶対に必要だと思い、いろいろな営業職の面接を受けました。ただ、こういう経歴だったので、履歴書を投げられたり、鼻で笑われたりすることもありました。

そんな中、今の会社であるエイシン不動産の当時の社長が「面白そうだから明日から来い」と言って、拾ってくれたんです。その恩返しの思いも、今の私を支えています。はじめは社長ではなく、一従業員として入社しました。

「お前、将来頼むな」の一言

もともとそんなに人数の多い会社ではなかったのですが、当時の社長がよく「お前、将来頼むな」と言ってくれていました。当時はそこまで真に受けていませんでした。でも実際にその立場になって、いろいろなスタッフと関わるなかで、人も増え、利益もちゃんと残せる会社になってきました。これは、いい社長やいいスタッフに出会えた運の良さもあると思っています。

弊社ならではの強み

歩合ではなく、固定給で人を育てる

一般的な不動産屋は歩合制で、利益を生めない人はどんどん淘汰されていく会社が多いと思います。弊社は歩合ではなく、固定給で人を育てる会社です。私自身、入社した当初は売り上げをつくれず、居場所がありませんでした。そんな私を、当時の上司や社長が根気強く教えてくれたんです。その思いを引き継いで、今は弊社のスタッフに同じように接するようにしています。

不動産屋はお金を稼げばいいというものではないと思っています。地域の課題や困っている人に寄り添って、はじめて感謝され、対価をいただける。そこへの思いは、かなり強く持っています。

誰も手を出せない土地を、未来のために預かる

たとえば北海道には、原野のように値のつかない不動産がたくさんあります。子どもや孫が将来相続しなければならない、もらっても困る不動産です。そうした土地を、弊社は有料で引き受けて預かっています。おそらく私が生きている間には、その土地が生かされることはないかもしれません。それでも、変な使われ方をしないよう北海道の自然を守り、未来の子どもたちにいい形で活用してもらえるように、事業として取り組んでいます。

ひとり暮らしの高齢者に、そっと寄り添う

北海道でひとり暮らしをしているおじいちゃん、おばあちゃんも多くいます。息子や娘は東京や大阪、地方に出ていて、本人は「私はここで死ぬまで暮らすんだ」と言う。そういう人たちに安心してもらうために、無料で鍵を預かって、困ったときに駆けつけられる体制を、今まさに整えようとしています。

先代の背中を継ぐという重圧

3年間、ずっと胃が痛かった

大変だったのは、やはり先代がとても偉大で男前な社長だったことです。その跡を継いだ形になるので、プレッシャーもありましたし、3年ほどはずっと胃が痛い状態が続きました。

会社をうまくいかせなければいけない使命がある立場になると、当然目もつり上がりますし、スタッフに対して適切とはいえない発言をしてしまったこともあったと思います。それで離れていったスタッフもいました。でも、その経験を通して自分も成長させてもらいましたし、今は深い思いを持った人たちが集まってきてくれています。うちの業界は求人を出しても若い人があまり来ないと言われることが多いのですが、弊社には「ここで働きたい」と言ってくれる人が来てくれます。あのつらかった経験が、今に生きていると感じます。

SNSで伝わる、会社の空気

求人には、弊社の雰囲気を伝えるためにSNSを活用しています。今はきちんと調べてくれる時代なので、情報発信は意識して続けています。

離職を防ぐという点では、正直なところ弊社は「ゆるい」会社です。それが合わないと感じる人もいます。歩合制で頑張った分だけ評価されたい、給料に反映してほしいという人は、弊社だとミスマッチになってしまいます。だからこそ、入社前にその人の人柄や思いを見極めながら、弊社の考え方をしっかり伝えて、ミスマッチを防ぐようには意識しています。

次の世代につなぐという使命

39歳で引き継いだ会社を、10年以内に次へ

私は先ほど話したとおり、拾ってもらった人生です。運よくいい人たちに巡り会えたので、これを次につなげたいと思っています。私の使命は、次につなげることしかありません。いい形で引き継がせてもらったように、次の世代にもつなげていきたい。それが当時の社長であり今の会長の思いであり、私自身の思いでもあります。

苫小牧という本当にニッチでローカルな場所で、ただの不動産屋ではなく、社会に必要とされる不動産屋を目指しています。私は39歳でこの会社を引き継がせてもらいました。じじいになるまで居座るのは良くないと思っていて、若い人がどんどん意見を出し合い、新しい感覚を取り入れながらやっていくことが、社会にとって必要だと考えています。10年以内には次に引き継ぎたいと思っていますが、それが5年でも10年でもいいんです。今のところ「この人」という候補が決まっているわけではありませんが、幸い若いスタッフが働いてくれているので、同じ思いを持った人とつながっていけたらいいなと思っています。

下積みが、将来の自分をつくる

10代の苦労は、20代で必ず役に立つ

これを聴いている学生の皆さんに伝えたいのは、ありきたりな言葉かもしれませんが、下積みは絶対に大事だということです。私自身、自分で選んだ道でしたが、本当に苦労しました。でも、10代で得た苦労は20代で役に立ちますし、20代で得た苦労は30代で本当に役に立ちます。そうやって、どんどん成長していけるんです。

今の若い人たちは意識が高く、すぐに結果を求めがちかもしれません。でも、下積みを欠かさないでいてくれると、素敵な大人になれるんじゃないかなと思っています。

編集後記

今回インタビューをさせていただいて、岡本さんの言葉のひとつひとつに「拾ってもらった」という感謝と、それを次につなげたいという思いが一貫して流れていることが強く印象に残りました。学歴や経歴だけでは測れない人の可能性を、ご自身の経験をもとに信じ続けている姿勢が、弊社が学生や20代に届けたい「条件より思い」というメッセージとも重なるように感じます。誰かに拾ってもらった経験があるからこそ、次は自分が誰かを拾う番だという循環は、就職活動をしている学生にとっても大きなヒントになるのではないでしょうか。貴重なお話をありがとうございました。