看護師の道しか見えていなかった
学生時代はとにかく忙しい
私は今は経営者ですが、もともとは看護師でした。総合的な大学というよりも、看護師を学ぶ学科にいたので、一般的な大学生がやるようなアルバイトやいろいろな活動には、なかなか手が出せないくらい忙しい毎日でした。
卒業したらそのまま就職
学生のころから看護師というところしか見えていなくて、卒業したらそのまま就職する。今にして思えば、実はすごく狭いところにいたのかなと感じます。
20代ではじまった介護
結婚の直後に育児と介護
卒業して病院に勤務して、結婚したのは24歳のときでした。その後すぐに育児が始まって、さらに20代のうちに、主人の親戚にあたる叔父と叔母の介護をしなければいけない状況が起きたんです。
資格があれば簡単だと思った
私自身は看護師でしたから、介護なんて簡単なものだという勝手な思い込みもありました。当時は女性が家族の介護をするのも育児をするのも当然、と誰も疑いもしない世の中でしたし、私もフルタイムで働いていたわけではなかったので、親戚の介護を買って出たんです。
精神面までのしかかる
やってみると、すごく大変でした。看護師であってもです。介護って、食事を食べさせるとか、おむつ交換をするとか、そういう作業だけでは終わりません。精神的にもかなり負担になってきます。叔母が入所している介護施設からは徘徊(はいかい)してしまったから探しに来てほしい、救急車に一緒に乗ってほしいと24時間いつでも電話がかかってきて、スマホを手放せない生活になっていきました。
制度の外は家族が担う
仕事とこの介護の両立は非常に難しいと感じましたし、介護施設に入れば家族に代わって何でもやってもらえるかと思ったら、そうではありません。介護保険や医療保険でできないところは全て家族さんで対応してくださいね、と言われたときには、この世の中の制度の難しさに驚かされました。
自分も家族も犠牲になる
仕事もセーブしなければならないし、子どもの幼稚園の行事も我慢して行けなくなる。私も家族も犠牲になることが起き始めて、これはダメだなと思って検索をかけたんです。「私に代わって介護をやってくれるサービスはないかな」と探しても見つかりませんでした。
特殊なのは自分だと思った
もしかしたら20代でこんなことをやっている私が特殊なのか。世の中の女性たちはみんな家族のケアを苦痛なくやっているんだろうか。私は根性なしなんだな、とがっかりした時期もありました。周りに介護をしている友達もいないので、相談する先もなくて、かなり悩んでいましたね。
困りごとを仕事に変える
友人の依頼が転機になった
30代になると、同じ時期に育児をしていたママ友たちの親の介護が始まって、みんな同じように苦労しはじめるんですよ。「ヘルパーさんが全部やってくれる」と思っていたら、介護保険制度で使える範囲が決まっていると知り、愕然とするんですよね。そのときに友人から「神戸さんは看護師だから、いろいろ手伝ってくれそうな気がするから、ちょっとアルバイトしてよ」と言われました。これってビジネスになるし、お困りごとの解決になるんだなと思ったんです。
子どもの中学入学で起業
子どもたちが落ち着いた時期、ちょうど中学生になったタイミングで、思い切って起業しました。それが今につながる経歴になりますね。
鳥取から全国へ広がった
本社は鳥取県にあります。自分の目の届くところでやりたいなという思いでスタートしました。今は12年目で、全国放送で特集を組んでもらったり、ワールドニュースで取り上げてもらったりするようになって、そこから問い合わせが届くようになったんですよね。看護師のなかには、公的保険で使えない部分にもどかしさを感じている人が多くいます。社会貢献したいので隙間時間で、という声もあって、あれよあれよという間に全国へ展開してきました。
ヤングケアラー支援という選択
一人の大学生からの相談
ヤングケアラーという言葉に、それなりに知名度が出てきたのは3〜4年前だと思います。私自身は起業している最中に、とある大学生から相談を受けました。その時点では、私もヤングケアラーという言葉を知りませんでした。学業と家族のケアですごく苦しんでいると聞いて、放っておけないなと思いました。しかも彼は20代で、私も26歳くらいで介護が始まって苦労していたので、重なる部分があったんですよね。
個人では信用されない
これをヤングケアラーと言うんです、と彼から教わって、まずは会社ではなく個人で相談窓口を立ち上げて動き始めました。しかし、個人のおばちゃんがやっていても、普通は知らない人に相談するなんてありえない、となりますよね。やっぱり信用してもらえる後ろ盾が必要だと思いました。
鳥取県に駆け寄った
そこで、本社のある鳥取県にすぐ駆け寄って、これは社会課題だから一緒にやりませんか、と持ちかけたんです。担当課の方や県知事が「全国に先駆けてやれるんだったらやろうよ」と言ってくださって、鳥取県で始めたのが5年前になります。
支援は6県に広がった
その噂を聞きつけた他の自治体から、うちの県でもやりたいんです、と問い合わせが届くようになりました。徳島や香川をはじめ、いろいろな県からです。千葉県、愛知県、鳥取県、香川県、徳島県、沖縄県の6県で、自治体とタッグを組みながらヤングケアラーの支援をおこなってきました。
出前授業で伝えている
介護は、学生さんにとって自分のことではないと思いがちですよね。それでも、今日の夜に突然お父さんお母さんが倒れて、明日からヤングケアラーになるかもしれない。家族のケアがいつ始まるかは誰にもわかりません。だからこそ初めての介護をする時に困らないように啓発活動をやりたいと思っていて、小学校や中学校、大学にも出向いて出前授業をしています。ヤングケアラーについて学ばないにしても、自分や家族に何かケアが必要な状態になったときに困らないように。そこを伝えたいんです。
介護のジャンボジェット機
夢を諦めない世の中にする
弊社のビジョンは、介護を理由に夢や希望を諦めない世の中を作りたいです。どの世代の人たちも救いたいという思いがあります。小学生で家族のケアをしている子どももいれば、60代・70代で90代の親をケアしている人もいます。進学したい、就職したい、それなのに家族のケアのために諦めなければいけない。そういうことはなしにしようね、という世の中をつくりたいんです。
保険の外を担う事業
だからこそ、私たちのような相談窓口や研修機能があります。介護保険ではどうにもならない部分を担っているのが、「わたしの看護師さん」という事業です。
ファーストクラスが燃料を払う
私は、介護という名前のジャンボジェット機を飛ばすイメージで事業をやっています。普通の飛行機もそうですけれど、ファーストクラスの席が満席になって、しっかり座席のお金を払っていただけると、その飛行機の運営は黒字化すると言われていますよね。介護という名前のファーストクラスに乗ってくださるのが、「わたしの看護師さん」や、その上位クラスにあたる「ナーシングケアプレミアム」を使ってくださる方々です。
使うことで誰かが救われる
このサービス料金は、高いですよ。それでも、使っていただくと、売上の一部が後部座席に乗っているヤングケアラーたちの支援に回っていく仕組みにしています。ご理解いただいた利用者様からは、「自分たちが使うと世の中の人たちが救われるのよね」、「それならば私たち使うわ」と、大変ありがたい言葉を言っていただけたんです。直接の寄付って、なかなかできないじゃないですか。使うことで支援に回せる。この介護のジャンボジェット機を、高く、そして長距離飛ばしたいなと思っています。
企業と一緒に取り組む
法改正で義務になったこと
飛行機を長く飛ばすには、ファーストクラスに乗ってくださる方をたくさん探さなくてはいけません。現在は広報をしながらサービスを使ってくださる方を探しています。あわせて、切り口が少し変わるのですけれど、育児介護休業法の改正という動きがあります。従業員が仕事と介護を両立できるように、介護離職を防ぐための義務項目が、国から企業に対してかなり多く挙げられました。
準備できていない企業が多い
介護の研修をしなくてはいけない、相談窓口を設けなくてはいけない、といった項目がいっぱいあります。しかしながら、これがまだ企業に浸透していなくて、準備ができていない状態なんですよね。私たちも広報や研修を続けているのですけれど、皆さん結構困っていらっしゃいます。
介護離職は企業の損失
人材がどんどん減っているなかで、介護を理由に辞められてしまうと、せっかく育てた従業員の後任がなかなか見つかりません。辞めれば親の介護ができるという安心感を得る人もいます。それでも所得はぐんと下がって、経済的に苦しくなってしまうんですよね。
苦手な部分はプロに任せる
介護をやらなくていいわけではなく、両立できるようにしたい。親のケアのなかで、たとえばお話を聞いてあげることが得意なら、お土産を持って話をしに行けばいい。「おむつ交換が苦手であれば、そこはプロに任せればいい」という視点を持つことが大切です。この考え方を理解してもらえるようになれば、介護に向き合う気持ちが楽になるんです。2025年から、企業には介護相談窓口や研修を実施する義務があるので、そこに私たちが入らせていただいて、企業に勤める人の介護離職防止もしたいと思っています。
燃料はここからも生まれる
企業に相談窓口の運営費をいただければ、それがまたヤングケアラー支援の燃料費になります。介護でスタートした会社ですけれど、ずっとやっていると、もちろん高齢者も尊いし大事なのですが、これからの国を背負っていく人をどれだけ支えられるかが気になってくるんですよね。愛おしい若者たちを支えたいんです。
学生のみなさんへ
相談は夜にしか来ない
LINEの相談窓口には、介護だけでなく、些細なことからいろいろな悩みが入ってきます。この窓口は夜に運営しているんですよ。行政の目線はどうしても平日の日中だけ、しかも電話です。行政の働き方改革を思えば夜に窓口を開設できないのはわかるので、否定するつもりはまったくありません。ただ、実際の学生さんは日中は学校に行ってますよね。
夜9時からが自分の時間
学校から帰ってきても、夕飯を作ったり、いろいろな手伝いをしたりしなければいけない。ようやく自分の時間を取り戻すのは、案外夜の9時過ぎだったりします。そこで、寝る前にちょっとつぶやきたい時間帯はいつなのかと考えて、毎日18時から23時まで、お盆も正月も関係なく開けています。
LINEにした理由がある
あえてLINE相談にしているのは、若い人たち、とくに中学生が知らない人と喋るのを苦手にしているからです。はじめはチャットでやりとりして、それでも喋りたいとなれば、この電話番号にかけてきてと伝えると、電話をくれる子もいます。千葉県などではリアルイベントもあるので、一緒にゲームをしたり、悩みを聞いたりもしていますね。窓口の立ち上げにあたっては、大学生をはじめいろいろな人にインタビューして回りました。どうやったら使いやすいの、と聞きながら。最初はTwitter、今のXから始めたところからの積み重ねです。
一人じゃないと知る場所
オンラインサロンも月に一回、ZOOMで開いています。URLを送って、参加は自由。顔を出さなくてもいいし、名前も消してかまいません。声を出してくれる人は稀で、ほとんどはチャットです。たわいもないことをやりとりしながら、ヤングケアラーっぽい私たちです、という人たちに、あなたは特別じゃない、一人じゃないよ、とわかってもらえたらいい。それが弊社の魅力だと思っています。創業者の私からすると、もうこれは趣味みたいなものなんですけどね。
困ったら役所に行こう
家族のケアはいつ始まるかわかりません。家族が困ることもあれば、自分自身が怪我をして立ち直れなくなることだって起こります。相談の仕方って、学生時代に学んだことではないんですよね。みんなそこで困って、家族のなかで抱え込んで、疲弊して、取り返しのつかないところまで追い詰められてしまう。だから、困ったら役所に行こうよ、とだけは伝えてあげたいです。役所に行けば、対応してくれる窓口を必ず紹介してもらえます。家族のケアがあっても夢や希望を諦めない世の中になりつつあるので、一人で我慢しないでくださいね。
編集後記
社会課題と収益が同じ導線でつながっている事業を、これほどはっきり見せてもらったのははじめてでした。ファーストクラスの燃料代が後部座席の支援に回るという設計は、寄付でも慈善でもなく、事業として回り続ける形になっています。しかも出発点は20代での介護経験という、当時はつらいだけだったはずの出来事です。学生起業をかじっている身としては、困りごとを事業に翻訳するとはこういうことか、と背筋が伸びました。介護はまだ遠い話だと思っていましたが、「困ったら役所に行こう」という言葉は、今から覚えておきたいです。