ADKで見つけた「好きなこと」
部署異動で得意分野が見えた
最初は営業からスタートして、そこからローテーションみたいな形で部署異動が続きました。クリエイティブ的なこともやれば、イベントも担当する。若い頃に部署移動が多かったのは、いろいろな経験ができたという意味で、あとから振り返ればラッキーだったなと思っています。
その中で、私が好きなジャンルというのが見つかった感じがしました。得意不得意はもちろんあったと思うのですが、意外と企画やイベントが好きだということが見えてきたんです。
上司の指示より自分で仕事を作る方が好きだった
上司から「これをやれ」と指示されて、的確にこなすのはあまり得意ではなくて、自分で仕事を作り出す方が向いているタイプでした。あるとき、社内プロジェクトの立ち上げを任されました。当時、ADKは上位2社と違って大きなコンテンツをあまり持っていなかったので、強みとなるエンターテインメント・コンテンツを作り上げようというプロジェクトです。
音楽であればこういうアーティストとのつながりが強い、映画であればこういう作品でいろいろできる、というものをいくつも作っていく取り組みでした。私はその中で音楽のプロジェクトとスポーツのプロジェクト、ふたつのプロジェクトリーダーを担当することになって、企業内企業のような形で動いていたんです。上司から与えられる仕事ではなく、自分で強みを作れたという経験が、今の創業につながっていると思います。
JOC出向とオリンピックの現実
最初は上司に出向を断った
2012年、ロンドンオリンピックのときに、公益財団法人日本オリンピック委員会(JOC)に出向しろと上司から言われました。当時は、自分の好きなことを社内でやれていたので、それをやめて出向するのは気が進まず、一度は断ったんです。その要請を辞退した際、「スポーツ関連の業務に関わる人間にとって、JOCへの出向は大変名誉なこと。なぜ断るのか」と叱責されました。
一日悩んだ結果、経験としては悪くないだろうということで受け入れて、JOCに出向することにしました。
スポーツ界の内側を知った
結果的にはこれがすごく良かったと思っています。オリンピックの現場で経験を積めるというのは誰でもできることではないですし、オリンピック委員会のかなりコアな部分で仕事ができました。そこでスポーツ界のトップの協会というのがどういうものかを知ることができたのです。日本のスポーツ界はこれまでの広告会社での自分の経験を活かせば、十分に貢献できる領域と知り、「やっていける」という自信につながりました。
会社のしがらみと独立への決意
組織の厳しい現実
キャリア的には、旭通信社からアサツーDK、ADKへと会社が大きくなっていく中で、ずっと好きなことをやらせてもらってきました。ただ、好きなことをやっていた分、会社からはあまり評価されていなかったですね。上司からすると、自分の仕事を任せて、しっかりやってくれる部下の方が可愛い。私は信頼されていた営業から直接仕事をもらっていて、上司経由で仕事を受けるタイプではなかったので、「勝手に仕事をしている」という見え方をされていたと思います。
年齢が上がると管理職的な役割も求められるようになりますし、能力があるとは限らない同年代の人が上司になることもあります。年齢が上がるにつれ、会社のしがらみを感じるようになりました。大きな会社は決して「いい人」の集合体でありません。「成功は自分の手柄」「失敗は〇〇のせい」といった、ドラマさながらの理不尽な現実が、そこにはありました。
2015年、独立を決めた
会社を辞めた直接のキッカケは東日本大震災の復興支援の仕事でした。決して儲からない仕事ですが自分はどうしてもやり続けたいという気持ちが強く、「大手の会社であれば利益度外視でも続けるべき」という私の主張は、当時の上司からは全く認められない状況でした。一番、ジレンマを感じた事かもしれません。
また、JOC出向中にロンドンで感じたオリンピックの凄さ、企業内企業として自分の強みを作れた自信、そして迎える「東京2020」をオリンピックの中枢でやりたい(ここに居てはダメ)という強い思い。それらが重なって、2015年の独立につながりました。
スポーツコンテンツを売る会社
ジャンプと海外サッカーが強み
弊社の強みは、海外のサッカー選手とスノースポーツのネットワーク、そしてオリンピックです。もともと広告代理店にいたので何でもできてしまうのですが、「ワンストップで何でもできます」という自己紹介が一番好きではありません。スキーと海外サッカー、そしてオリンピックという領域をはっきりとブランディングしてきたことが、今の仕事につながっていると思っています。
「弊社は何の会社ですか」と聞かれたときは、「スポーツのコンテンツを売っている会社です」とお伝えしています。アスリートや大会、連盟といったスポーツコンテンツの協賛スポンサー業務を担っていて、海外サッカーで活躍したレジェンド選手のライセンス契約をはじめ、日本国内における窓口業務なども手がけています。
選手のマネジメントも手がける
スキージャンプ競技においては、全日本スキー連盟と長年にわたり連携してきました。オリンピック金メダルを獲得したスキージャンパーのマネジメントを2年半ほど担当したほか、女子ジャンプ界も黎明期から長きにわたり活性化に携わってきました。また、ミラノコルティナ2026でメダルを獲得した次世代の実力派選手たちとも、メダル獲得前のブレイク前から深く関わっています。
一番のきっかけになったのは、あるレジェンド選手です。もう10年、20年近くサポートさせてもらっていて、彼のチームのサポートをする中でトップ選手との関わりが広がっていきました。今年引退する選手など、直近まで多くのトップ選手のお仕事に携わっています。
ゲームのキャラクター契約が売上の柱
大会協賛やスポンサー契約の仕事も
選手のサポートだけでなく、大会まわりの盛り上げ施策も手がけています。VIPラウンジの買い切り販売をはじめ、競技場の会場装飾や、大会で使用するゼッケンのセールスなども手がけています。こうした大会セールスや盛り上げイベントといった業務は、弊社の安定した事業基盤として確実に遂行しつつ、その一方で、常に新しい仕掛けを創り続ける会社でありたいと常にチャレンジしています。
海外のサッカーレジェンドの招聘・来日コーディネートも過去に手がけてきました。5日間のスケジュールを組んで、J1サッカークラブとのイベントを企画したり、ゲーム会社、アウトレットパークでのトークショーや、食品会社のYouTube撮影、雑誌の撮影などをコーディネートしたりといった仕事です。
海外スター選手のライセンス契約
弊社の売上の柱のひとつが、国内屈指の大手ゲームメーカーに登場する海外レジェンド選手のビッグネーム契約です。元イタリア代表のレジェンド選手や、元フランス代表のスーパースター、ブラジル、アルゼンチンの伝説的な選手などの契約も手掛けています。
地域とオリンピックにも関わる
下川町のジャンプ聖地化プロジェクト
スキー業界とのつながりは、スキーやスノーボードの人気が右肩下がりだった時期に、全日本スキー連盟に業界を活性化する企画をADK時代にプレゼンしたのがきっかけで、そこから20年以上お付き合いが続いています。また、スポーツツーリズムの領域では、観光庁やスポーツ庁の国の事業として、地域活性化にも取り組んでいます。
去年手がけたのが、北海道の下川町というスキージャンプの町のプロジェクトです。人口2,500人ほどのこの町から、オリンピック選手が8人も輩出されています。この驚異的な実績は、実はあまり広く知られていません。これをもっと世の中に知ってもらいたいという思いで、スポーツ庁の事業として「下川町スキージャンプ聖地化プロジェクト」を実施しました。弊社の得意分野であるスキージャンプというコンテンツを通じて、地域振興を国の予算で作るという取り組みでした。
パリのジャパンハウス運営
JOC出向時代にお世話になった方からお声がけいただき、独立後の目標のひとつであった東京2020組織委員会職員として働く事ができました。また引き続きのご縁で、パリオリンピックのTeam Japan Houseのプロジェクトにも1年間携わりました。本番では約1ヶ月間、事前準備からパリに詰めて、施設運営全体を大手旅行会社さんと一緒に担当し、その中で運営統括という重役を担いました。
過去には、フリースタイルフットボール協会の事務局長を務めていた時期もあります。サッカーボールひとつでいろいろな技を見せる、あまり知られていない競技ですが、そのネットワークから、沖縄県のスポーツツーリズムとして、世界大会の企画・実施運営を行いました。競技の活性化、スポーツの普及も弊社の仕事です。
社員は増やさない、少数精鋭で走る
少人数だからできること
過去3名雇っていた事もありますが、現在、社員としては私ともう1名だけです。それ以外はインターンの学生と事務まわりのパートの方がベースで、他は社外の方と連携してやっています。ですが、まだ発表できない大型新規プロジェクトも動き出しそうになっていて、常に挑戦を続けている感覚です。関係者には幅広くやっているように言われますが、実際は積み上げてきた歴史が幅広く見えているんだと思っています。
会社を大きくするより、好きな仕事を続けたい
生涯をかけて打ち込める仕事だと思っている
少人数なので、やれることはどうしても限られてきます。世の中には十年もあれば上場するような優秀な起業家がたくさんいますが、会社を大きくしたい、上場したいという発想は正直ありません。今、自分が好きなやりがいのある仕事で食べていけているというところが、弊社の一番の強みだと思っています。
仕事の量は年齢とともに減っていくと思いますが、仕事が好きなので一生やっていけると思います。人生を通じて長く情熱を注げる仕事だからこそ、いつまでも若々しい感性を保ちながら、自分たちが「本当に面白い」と確信できるビジネスだけを追求していく。これこそが、現在の弊社のビジョンです。
就活生へ伝えたいこと
レールを外れて見つけたもの
とにかく、敷かれたレールの上を走るというのは、個人的にはおすすめしません。それが得意な人、それが合っている人もいるとは思うのですが、私の立場としては、ぜひレールを踏み外して、自分だけの何かを見つけてもらいたいと思っています。
私自身、早稲田中学・早稲田高校を出て、アメリカの大学に進学しました。しかし、いい大学、いい会社に勤めるということにずっと違和感があったんです。いい会社って何だろう、自分がやりたいことって何だろう、と問い続けてきました。
見つかったのは30代だった
様々な仕事を経験できて、自分は音楽やスポーツなどエンタメの仕事が好きなんだと気づいたのが30代です。そこから自分の強みを作って、独立したのが40代半ばでした。それでも長い人生を考えれば全然遅くはありません。学生時代に絶対に見つけなければいけないわけではないですし、今の時代は転職も選択肢としてあります。また、社内での異動もできます。
強いていうならば、1年で辞めてしまうのはもったいないと思います。3年くらいその中でやってみると、必ず学ぶものがあります。ひとつの仕事で学びを得て、次の仕事に進んでいけば、必ず自分が本当にやりたいものにたどり着けるはずです。人生100年時代と言われていて、60歳で定年してその後は老後、という時代ではもうないと思います。この先はみなさん65歳でも70歳でも働く時代になるはずです。無理して働くという意味ではなく、やりたいことであれば情熱を持って働き続けられる。私自身、好きなことができているので、70歳になっても80歳になっても続けたいと思っています。30代で見つけて、40代で独立して、50代の今でも楽しく仕事し、新しいプロジェクトの立ち上げにワクワクしていられます。ぜひ、自分の人生に中長期的なロードマップを引いて、進んでもらえたらと思います。
編集後記
丸山さんのお話を伺って、いちばん印象に残ったのは「いい会社って何?」を問い続けてきたという言葉です。就活をしていると、つい「いい会社」「安定した会社」という基準で考えてしまいがちですが、丸山さんのように30代で好きなことに気づき、40代で独立するという道もあるのだと知り、少し肩の力が抜けました。自分のペースで、自分だけの強みを探していきたいと思います。