鉄拳に明け暮れた青春時代
内緒で日本一になった
もともとは、ゲーマーをしていたんですよ。「鉄拳」という格闘ゲームがあるんですけど、それでまず鉄拳王になり、飛鳥というキャラで日本一になって。そこから世界一になりたくなってしまって、3年間、鉄拳だけをするという期間がありました。結果として世界一にはなれず、世界でベスト8というところまでいきましたね。
やるんだったらトップを取ろう、という感覚は昔からあって。何かに集中すると決めたら、とことんのめり込んでしまうタイプだと思います。
会計士の勉強はカモフラージュだった
大学を卒業したあとは、公認会計士を目指して専門学校に通う、という肩書きは持っていました。でも、それは表向きの姿でした。実際はずっと鉄拳に打ち込んでいて。親は、私が会計士の勉強を頑張っていると思っていたんですよね。内緒でやっていたので、怒られることもなかったです。
そこから、ティッシュ配りをきっかけにイベントの企画制作運営の仕事を始めました。
人生を賭けるミッションを見つけて
27歳、命の使い道を考えた
イベント事業でお金を稼げるようになったんですが、27歳くらいのときに、このままお金儲けだけをやっていても意味がないなと思うようになりました。人生は一回しかないので、だとしたら自分の命を何に燃やし尽くすかを考えたんです。
日本の国力を上げると決めた
そこで、日本をよくしようと決めました。47都道府県を活性化して日本の国力を上げることをミッションに掲げて、それを成し遂げるための会社を27歳のときにつくりました。それが株式会社47PLANNINGです。そこからいろいろな事業をやってきたなかで、株式会社奈良井まちやどを立ち上げ、宿である「BYAKU Narai」の運営を始めることになります。
いちばん長く続けてきた事業はイベントの企画制作運営で、10年以上やっていました。今はその事業を譲渡していて、47PLANNINGとしてはBYAKU事業に集中しています。
東日本大震災という転機
実家は津波で全壊した
創業から今日までにおいて、一番の転機は東日本大震災です。福島県いわき市出身ですが、実家が津波で全壊しました。自分が28歳のときの出来事です。知り合いも震災で亡くなりました。生かされた者として恥ずかしくない生き方をしたい、自分にできることは何だろうと考えるようになりました。
炊き出しもやったんですが、地元のおじちゃん、おばちゃんたちが涙を流して喜んでくれる一方で、いいことをしたなという自己満足で終わってはいけないとも思ったんですよね。経済を回さなければいけないという使命感が芽生えました。
覚悟を持って飲食店街をつくった
そこから実家の再生とあわせて、地元経済の再生に取り組みました。空き店舗が並ぶシャッター街になっていた30店舗のスナック街を丸ごと借りて、復興飲食店街「夜明け市場」をゼロからつくったんです。飲食店経営の経験はゼロでしたが、いわきの復興を前に進めるためには私自身が動くしかない。そうした覚悟でプロジェクトを立ち上げました。
私がやらなければ、いわきは前に進まない。そう思って、やるしかないという覚悟で進めました。志が大きくて美しいと、周りの人は協力してくれるということを、あのときに実感しましたね。今も15年ほど続いていて、16店舗の新しいお店が入って営業しています。
「BYAKU Narai」という宿ができるまで
百の家、百の人、百の物語
日本の宝を百年後に残していくというコンセプトで、宿のブランド「BYAKU」をつくりました。「宿」という字は、家(ウ冠)に人(人偏)と百と書きます。そこから百の家、百の人、百の物語というように読み解いて、その物語が何百にも重なっていくようにという思いを込めて「BYAKU」という名前にしました。
竹中工務店との共同事業
竹中工務店との共同事業として、この「BYAKU」という事業を立ち上げました。いわゆる「分散型ホテル」というモデルで、築200年の酒蔵を始めとした古民家を4棟改修し、4棟16部屋で宿を運営しています。国指定の重要伝統的建造物群保存地区の長野県塩尻市の奈良井宿という中山道の宿場町にある建物です。
日本一を目指す今
開業3年でミシュランを獲得
BYAKU Naraiは、開業から3年で1ミシュランキーを獲得できました。文化財を再生した宿として、あと5年でこの分野の日本一になろうと思っています。高級宿でいえば、日本では「ほしのや」や「ふふ」といったブランドがありますが、文化財や歴史的な建物を改装した日本一のブランドにBYAKUを育てて行きたいと思っています。
先日は、Forbesから「Destinations of the Year 2026」として、日本で30か所のうちのひとつに選んで頂けました。
右脳と左脳のバランス
運とセンスだけで10億円まで伸ばした
事業を進めるうえで大切にしているのは、右脳と左脳のバランスです。最初の10年ほどは、運とセンスだけ、右脳だけでずっとやってきて、それで10億円まで売上を伸ばしました。自分はセンスだけで成長できると思っていた時期もあったんですが、そこから伸び悩んでしまって。
グロービスで学び直した
そこで、グロービス経営大学院に通って学位を取得し、左脳を鍛えることにしました。ただ、左脳寄りになりすぎると自分の強みが発揮できなくなるので、あくまで軸は右脳に置きながら、なぜそれが必要なのか、誰のために何が必要なのかを考える筋肉をつけるようにしています。
通っていた時期はちょうどコロナ禍と重なって、本来は通学だったところがオンライン化されたおかげで、どこにいても授業を受けられるようになり、なんとか卒業できました。
学生へのメッセージ
命さえあればなんとかなる
東日本大震災の時、私の父は津波に流されたんですが、たまたま生きていました。父が生きていたから実家を再建できましたし、今、私はやりたいことをやれています。もし父が亡くなっていたら、実家の会社を継がなければならず、BYAKUもつくれていなかったと思います。
命があるかないか、それが一番大きいことなんだと、あの時目の当たりにしました。失敗は沢山ありますが、死ななければいつか達成できます。諦めなければ、それは本当に成長の糧になるということを、身をもって経験してきました。
人生は一度きり
人生は一回しかありません。ゲームなら途中でセーブしてやり直せますが、人生はそうはいかないからこそ、自分の命を燃やし尽くしたいと思っています。年収5,000万円や1億円を達成したとしても、死ぬときに「やり切った」と言えるのか。そこだと思うんですよね。
だからこそ、あえて簡単には達成できないことをミッションに設定しました。日本の国力を上げるというのは、とても難しいことです。それでも、日本の国力の下降トレンドを1ミリでも上げることができたら、生きた意味があったと思えるはずです。死ぬ間際にやり切ったと思える人生を歩むために、一歩踏み出す勇気を持ってほしいと思います。失敗が怖くて踏み出せないという人も多いと思いますが、命さえあれば、いつでもどこからでも挽回できます。
編集後記
今回のお話を聞いて、覚悟を持って行動することの重さを実感しました。震災という大きな出来事を経て、自分にできることを突き詰め、ゼロから飲食店街をつくり上げた行動力には圧倒されます。ゲームに没頭していた学生時代から一貫して、決めたことをとことん突き詰める姿勢が今のBYAKUにもつながっているのだと感じました。「命さえあればなんとかなる」という言葉は、失敗を恐れがちな私たち学生にとっても、大きな後押しになる言葉だと感じました。人生を懸けられるミッションを持つことの意味を、改めて考えさせられるインタビューでした。