インタビュー

大吉方位に導かれた独立、そして「なくなる仕事」を渡り歩いた30年

大吉方位に導かれた独立、そして「なくなる仕事」を渡り歩いた30年
PROFILE
有限会社アド・バルーン 代表取締役
高橋 邦夫

日本大学理工学部から、まさかの独立へ

最初の会社を追い出された

もともと私は日本大学理工学部出身で、最初に入った会社もいわゆる製造系の会社でした。でも、そこで自分が「屋内にはいられない」と気づいてしまったのです。外で働きたいという気持ちが強くなりました。

その後、音楽関係の営業の会社に移りまして、群馬に転勤になりました。ちょうどそのころ、私のお客さんでもあった知り合いが求人の仕事を始めたいと言い出して、手伝ってくれと頼まれたのでそちらに移りました。、28歳くらいで群馬に来て、30歳で転職。32歳くらいまでその会社で課長として働いていました。

伊勢神宮参りが人生を動かした

私はもともとスピリチュアル的なものが好きです。友人から「今年は60年に1度の大吉方位があって、それが南西の方角だ」と聞きました。群馬の高崎から南西に向かうと、ちょうど伊勢神宮です。それで伊勢神宮に行こうということになりまして、ゴールデンウィーク明けくらいに参拝しました。そんなに真剣な気持ちではなく、正直に言えば軽い気持ちで「自分がうまく独立できますように」とお願いしました。

そうしたら、そこから1年間、本当にいろいろなことが起こりまして、結局その会社を出なければならなくなり、追い出されるような形になりました。

求人時代の縁が命綱になった

とはいえ、やることもないので、以前求人の仕事をしていた縁を頼りに、自分で始めようと挨拶回りをしました。そこでよく頑張ったと評価してもらえて、いろいろな仕事をいただけるようになったのです。

ただ、最初のころは突然放り出された状態でお金もなかったので、1年間、火災保険会社の代理店制度を利用して、研修を受けながら給料をいただいていました。当時の支店長が事情をわかってくれていたので、保険の仕事もこなしつつ、お客さんの仕事を少しずつ増やしていって、それが今の私につながっています。

会社としてちゃんと有限会社の登記をしたのは8月ですが、実質的には前の年の4月ごろ、伊勢神宮に行ってからちょうど1年後くらいから、もう強制的にやらざるを得ない状況で動き出していました。学生時代に社長になりたいとか独立したいという思いは特になくて、前々職で営業をやっているうちに、なんとなく「自分の城を持つ」というイメージができてきた、というくらいのものでした。

アナログを軸に、幅広く手がける

名刺から看板まで社内で

弊社はアナログを中心に、名刺やチラシ、パンフレットを手がけていまして、最近は看板の制作までおこなうようになりました。加工機を社内に多く持っているので、小ロットのものであれば自社内で制作が完結できるのが強みです。

デザイン事務所はデザインをしてそれを外部の印刷会社に発注する形が多いですが、弊社はデザインから制作、さらに看板になると現地調査をしたうえで施工まで、社内で一貫しておこなえます。ここが弊社ならではの部分だと思っています。

小ロットで生き残る

正直に言って、印刷業界は今、競争が激しい業種です。今後なくなりはしないと思いますが、大きな案件は出づらくなってきています。うちは同じものを大量に刷るというより、バリアブルで少量の印刷に少しずつ形を変えてきました。大きな案件は利益を取るのが難しくなっている一方で、小規模だからこそ回せる部分があると感じています。

何度も仕事の柱を失いかけた

ある大型店の広報を任された

創業から今に至るまで大変なことはたくさんありましたが、いちばん大変だったのは、当時、群馬県内でも大きな存在だったあるスーパーの広報を任せてもらえたことがきっかけでした。高崎店や前橋店、渋川店へ挨拶に行ったところ仕事をいただけまして、チラシも販促物もDMもすべて任せていただき、これだけで1億円分の仕事があると思うほどでした。

本部集中で仕事が消えた

ところが、その業態が経営統合されてから、店舗ごとの発注だったものが本部集中に変わり、東京側ですべて決めるやり方になってしまったんです。結果として仕事が急激になくなっていきました。

まずいと思いながら営業を続けていたところ、ちょうどそのころパチンコ店が急に宣伝を始めた時期と重なりました。白黒だったチラシが2色、3色、4色と派手になっていく流れにうまく乗ることができまして、そのあと件の大型店グループが倒産した際も、売上規模がちょうど基準を下回っていたおかげで支払いを受けられ、ぎりぎり難を逃れました。

生協の仕事へ引き継がれた

その後もパチンコ業界は、夜11時に依頼を受けて翌朝には印刷して納品するようなスピード対応が求められるようになり、印刷会社でないと対応できない領域になっていきました。しばらくそこで仕事をこなしていましたが、その流れの延長で今も続いている生協の仕事につながりました。

振り返ると、ひとつの柱がだめになるタイミングで、別の柱が立ち上がる、という綱渡りのような形で、なんとかつないできました。次のものを見つけられるかどうかが、続けられるかどうかの分かれ目だったと思っています。

デジタルとアナログを融合させたい

AI に脅威も感じている

正直なところ、AI の進化には不安も覚えています。今までデザインとは無縁だった人でも、プロンプトを入れるだけである程度の形にできてしまう時代になりました。ただ、まだどこか文章もデザインも「AIっぽさ」が出てしまうもので、そこをいかに払拭できるかに、逆に活路があるとも思っています。ただ、今まで一から頼まれていたデザイン料が出しにくくなっているのも事実で、ネット印刷の広がりとあわせて、脅威を感じています。

アドQRで新しい形をつくる

弊社では今、デジタルとアナログの融合を模索していまして、アドQRというものを導入しました。チラシや名刺に QR コードを入れることで、そこから顧客情報を取得したり、プレゼンテーションにつなげたりする機能があります。これを軸に、今後の展開を考えています。AI についても今、レクチャーを受けながら勉強中です。アナログの仕事自体はなくなりはしないと思いますが、これからは小ロット・多品種を集める形が、会社としての強みになっていくと考えています。

学生たちへ、現場の技能を大切にしてほしい

いまの時代、人手不足と言われながら、一方で仕事がないという声も聞きます。このミスマッチは深刻だと感じています。IT 技術者はこれからますます需要が高まると思いますが、そのぶん競争も激しく、常に新しい情報を追いかけ続けなければならない厳しい世界です。

私の考えでは、AI を使える大工さんや、AI を使えるコックさんのような、一次産業に近い現場の仕事が今後は貴重になっていくと思います。たとえば建築でも、今は AI で設計はできますが、その通りに造ろうとすると無理が出てくることが多く、そこを調整できるのが職人の腕なんですよね。だからこそ、IT や AI を身につけたうえで、現場の技能をあわせ持てると、非常に強いと思います。

農業も同じで、ドローンを飛ばしたり、ハウス内の温度管理をすべて IT で制御したりすることで、高級ないちごを1粒10万円で売るような例もあると聞きます。事務系の仕事だけでなく、現場を絡めた業種にも目を向けてみると、自由度の高い働き方を選べるのではないかと思います。

編集後記

高橋さんのお話を通して、伊勢神宮への参拝をきっかけに人生が大きく動き、その後も何度もピンチを乗り越えてきた道のりに引き込まれました。とくに印象的だったのは、危機のたびに新しい柱を見つけて乗り越えてきたという姿勢です。AI の時代だからこそ、現場の技能を磨くことに価値があるというメッセージは、これから社会に出る私自身にも刺さるものがありました。貴重なお話をありがとうございました。