インタビュー

遠回りの末にたどり着いた、「動画を戦略に変える」という答え

遠回りの末にたどり着いた、「動画を戦略に変える」という答え
PROFILE
緋乃株式会社 代表取締役
田中 祐樹

学生時代と営業との出会い

堕落した経済学部生だった

私は京都府の長岡京市出身で、高校までは京都で過ごしました。通っていたのは私立の進学校で、国立を目指す雰囲気の学校でした。その中で自分の学力で行けたのが和歌山大学の経済学部で、関西圏だからという理由で進学しました。和歌山に地縁があったわけではありません。1回生、2回生のころは、バイトをして、友達とパチンコや飲み会に行って、という、よくいる経済学部生だったと思います。

友人の変化に焦りを感じた

大学3年生になったとき、同じ寮のようなところに住んでいて、いつもバカなことをしていた友人が、大阪で営業のインターンを始めたんです。ベンチャー企業に入って、近畿各地のドコモショップに派遣される仕事でした。しばらくすると、その友人と話が噛み合わなくなってきました。それまでアホみたいな話ばかりしていたのに、急に社会やビジネスの話をし始めたんです。そこで初めて「これはやばいかもしれない」と思いました。1年後には就活が始まるので、自分も早くそちらへ行かないといけないと感じて、私も営業インターンを始めました。

営業が自信につながった

ドコモショップでは、iPadを買うつもりがなかった方に提案して追加で買ってもらったり、クレジットカードを契約してもらったりする営業をしていました。インターンには、一般の方に営業するBtoCのプログラムがあって、ノルマを達成するとBtoBのプログラムに進める仕組みでした。私はBtoCでそこそこ結果を出して満足してしまい、就活が始まる3年生の3月ごろに辞めました。当時は「ガクチカ」という言葉はありませんでしたが、この経験があったおかげで、自信を持って就活に臨めたと思います。

エイベックスから起業、そして和菓子屋へ

未来が見える営業がしたかった

ドコモで営業をしていたとき、売ったあとのことがまったくわからないと感じていました。たとえば、お孫さんとビデオ通話ができるからとiPadを買ってくださった年配の方がいても、本当にそう使っているのか、買って人生がよくなったのかは確かめようがありません。だから「未来が見える営業」がいいなと思ったんです。そんなとき、実家でテレビをつけたらAAAのアリーナツアーのニュースがやっていて、ファンの方がどう思ったかはSNSでわかるし、こんなに取り上げられるんだと気づきました。芸能にも営業部門はあるはずだと考え、日本で一番大きい芸能会社を目指して、エイベックスに入社したんです。芸能が好きだったわけではありません。

10ヶ月で会社を辞めた

営業部門は上下関係が厳しくて、会食やお酒など夜の付き合いも多く、理不尽に感じることもありました。特定の誰かが嫌いというわけではありませんが、そういう環境は自分にあまり合わないと思ったんです。わがままを言っても仕方がないので、どうすればいいかを考えた結果、自分が社長になるしかないという答えにたどり着きました。それで、10ヶ月で辞めました。東京にはまったく思い入れがなかったので、起業するなら京都だと思い、京都へ戻りました。

和菓子屋で起業準備をした

京都に戻ったものの、お金は何もなく、京都市の地理や文化もよくわかっていませんでした。そこで、お金を貯めながら起業の準備ができる仕事として、祇園の老舗和菓子屋に転職したんです。和菓子が好きだったわけではなく、伝統や文化を学べそうだったことと、お寺がお客様のため営業時間が寺の開門と閉門に合わせられていて、公務員のようだと思ったことが理由でした。17時ごろまで働いたあと、夜中の12時まで高校の友人と2人で起業の活動をする生活を、1年間続けました。

年間売上は5万円ほどだった

1年間いろいろ頑張りましたが、社会を知らない状態だったので、年間の売上は5万円ほどにしかなりませんでした。これはもう無理だなと気持ちが下火になってきたころ、株式会社Next Keymanというベンチャー企業に、たまたま拾ってもらいました。どうせ自分が起業してもベンチャー企業をつくるのだから、先にベンチャーに入ったほうが勉強になると考えて入社しました。事業内容も知らないままでしたが、とにかく和菓子屋を抜け出したかったという背景があります。

動画事業を立ち上げた

Next Keymanは新卒採用まわりの事業をしていましたが、私はそこにまったく興味がなかったので、動画の事業をつくりました。和菓子屋にいたころも、趣味で動画をつくっていて、ちょうどそのタイミングでコロナになり、人材領域が縮小していく一方で、動画が一気に伸びました。平社員として入った私は、マネージャー、取締役、共同代表と進み、4年ほど続けてきました。動画事業が大きくなり、事業スピードを加速させるために分社化し、2025年5月に緋乃株式会社を立ち上げました。今は2社の代表をしています。

緋乃の事業と強み

動画制作とSNS運用が軸

弊社の事業は、動画制作、SNS運用、モデルのキャスティングの3つです。主なお客様は、採用に困っている企業様や、会社のプロモーション、発信に悩んでいる企業様です。よくあるのは、採用のためにSNSを立ち上げたものの、社内のリソースが足りず、どんなSNSがいいのかもわからないというケースです。そうした企業様に、外部から企画、撮影、編集まですべて対応し、バズらせたり、認知を広げたりするほか、採用に必要なコンテンツもつくっています。

動画に本気で向き合う

SNSコンサルの業界は、ふわっとしている会社も多いと感じています。ベンチャーが「若い人たちならできるでしょう」という勢いで、SNSコンサルを始めるケースもあります。弊社はSNSコンサルから始まった会社ではなく、もともと行政のプロモーション動画をつくるほど、しっかり動画制作をおこなってきました。この「本気で動画をつくる」という点が、ひとつ目の強みです。

モデルまで社内で完結できる

私は芸能出身なので、モデルやIPを扱うことに慣れていて、得意です。社員さんの顔を出したくない場合や、顔を出してもよいけれど退職したときの肖像権まわりがややこしいため、モデルを起用したいというケースがあります。普通は別のモデル事務所を間に入れるのでコストが高くなりますが、弊社なら一気通貫で対応できるため、コストを抑えながら進められるのが強みです。

苦労したこと

資金繰りに苦しんだ

大変だったことは2つあります。ひとつはお金まわりです。売上が費用に対して足りない時期が1〜2年ほど続き、まず銀行借入を考えましたが、与信枠を使い切ってしまい、次は個人で借りるしかなくなりました。個人の借入というと、今月5万円足りないから、友達のご祝儀が3万円足りないからというレベルを想像しがちです。しかし法人だと、数十万〜数百万円単位で足りなくなります。月に200万円足りない状況で個人の借入を重ねると、本当にぎりぎりになります。今はその時期を脱して、当時の借入を少しずつ返しています。サラリーマンならありえない状況でも、経営者なら小さな会社でも起こりえます。

信用は状況が決める

もうひとつは、人間への理解が深まったことです。「信用できる」という言葉は、仲がいいからとか、10年一緒にいるからとか、とても感覚的に使われていますよね。でも私は、結局は状況が決めると考えています。裏切れる状況にいる人は、長い目で見ると裏切る可能性が高く、裏切らない人は、裏切れない状況だから裏切らないんです。仲がいい、絆があるといった少年ジャンプのような話は現実にはほとんどなく、裏切ったほうが得な人は裏切りますし、裏切っても自分に何のメリットもなく美しくない状況にある人は裏切りません。若いころは「頑張っているから」「気合が入っているから」と見誤っていて、傷つけられた経験も、傷つけてしまった経験もあります。今は浅はかだったなと思います。

目指すビジョン

動画という戦術を戦略に変える

弊社の基本理念は「動画という戦術を戦略に変える」です。大抵の企業は動画を戦術的に考えがちで、かっこいい動画をつくりたい、仕事内容がわかりやすい動画をつくりたい、社員インタビューを撮ってみよう、といった発想になります。戦術としては間違っていません。ただ、何のためにつくり、どんな流れの中でその動画が必要なのかまで考えられている企業は、ほぼないと思っています。500万円かけたのに誰にも見られず、何の役にも立たなかったでは、もったいないですよね。たとえば不人気業界の認知度を上げたいTikTokプロモーションの相談なら、不人気とは何か、人気業界の人気とは何か、というところから考えて、解決の流れの中に動画をどう置くかを提案します。こうした考え方が広まれば、無駄な自己満足の動画がなくなり、見た人にもつくった人にも価値あるものになって、いい社会になると思っています。

関西の人材流出を変えたい

もうひとつのビジョンは、関西の人材流出についてです。私は関西出身で大学まで関西にいましたが、結局は東京に行きました。自分で言うとおこがましいですが、エイベックスに受かるくらいなので、就活生の中では優秀なほうだったと思います。そういう人が関西に目もくれず東京へ行ってしまうのは、クリエイティブ職は関西にないと勝手に思い込んでいるからではないでしょうか。東京が好きなわけでも、行きたいわけでもないのに、です。それは、関西の魅力ある企業の発信が足りていないからでもあります。SNSコンサルや動画制作は人気の業界だと思うので、頭を使って本気でやれる会社として弊社が大きくなれば、関西の優秀な人材が関東へ行かなくても、関西で挑戦できると考えています。

学生へのメッセージ

選べる期間は短い

就活生や、これからどんな仕事をしたいか考えている学生に伝えたいのは、「選べる期間は想像よりも短い」という危機感です。大人はよく「まだ若いから何でもできるよ」と言いますが、あれは嘘だと思っています。冷静に考えると、転職できる年齢には制限があって、だいたい35歳以下です。社会に出るのが23歳なら、10年ほどしかありません。転職できる回数も、2〜3回が限界でしょう。5回も6回も転職していい企業に行けるのは、ヘッドハンティングされるような、よほど優秀な人くらいだと思います。

遊んでいる時間はない

若いころは、遊びも恋愛も海外旅行も、いろいろなことに時間を使いたくなりますよね。人生全体で見れば大事な経験ですし、子どもができたら行けなくなるので、若いうちに行くのもよいと思います。ただ、キャリアとして考えると、そこに時間を使っている場合ではありません。私は10ヶ月でエイベックスを辞めたおかげで、大手病にも染まらずに済みました。そこから社長と奥様が切り盛りされている中小企業に入って、世の中の実態を学びました。表参道で働いている自分には想像できなかった世界でした。オフィスで靴音を鳴らして、きれいなスーツを着て、社員証をピッとして、高いビルで働くことがビジネスだと思っているうちは、本当のところにたどり着けないと思います。

25歳で決まる

私がそれに気づいたのは23歳、24歳のころで、そこから5、6年ベンチャーに飛び込み、今は30歳で会社を持って事業をしています。同期を見ていても、大手に9年、10年近くいると、それ以外の道は考えにくくなるように感じます。自分で事業をしたい、社長や経営者になりたいという学生には、時間はあまりないと伝えたいです。25歳くらいで決まると思っていて、25歳の成果が26歳の自分をつくるからです。社会人2、3年で、どう生きていくかはほぼ決まってしまうと思います。過激な発言ですが、30歳になっていきなり独立しようとしても、成功するのはかなり難しいです。一方で、大手で大きな仕事をしたい、地元で働きたいという人には、この話は当てはまらないと思います。とはいえ、こうした記事を読んでくださる学生は前者のタイプが多いと思うので、遊んでいる暇はないと伝えたいです。

編集後記

「選べる期間は想像よりも短い」という言葉が、強く印象に残りました。田中さんは、友人の変化に焦りを感じて営業の世界へ飛び込み、エイベックスを10ヶ月で辞めて起業の道を選ばれました。遠回りに見える経験の一つひとつが、いまの事業につながっていると感じます。また、「動画という戦術を戦略に変える」という理念からは、手段に振り回されず、何のためにやるのかから考える大切さを学びました。学生起業を考えている私にとっては、耳が痛いと同時に、すぐ動く後押しにもなる内容でした。ぜひ、あなたも最初の一歩を考えてみてください。