インタビュー

「ありがとう」の積み重ねが道をつくる。研究者に寄り添い続けたエンジニアが描く、日本の技術者の未来

トランジット株式会社 代表取締役 田中 聡
PROFILE
トランジット株式会社 代表取締役
田中 聡

研究者の隣で開発したエンジニア時代

研究者のデータを支える仕事

創業する前は、会社員としてエンジニアをしていました。主に薬学や生物学の研究者さんたちが使うシステムをつくっていたんです。研究者さんって、普段からたくさん実験をされるんですよね。そうすると実験データがどんどん出てくるので、そのデータを管理したり、グラフや表で見やすく可視化したりするシステムを開発していました。ほかにもいろいろな計算や自動での一括処理など、研究を裏側から支える仕事が中心でしたね。

研究所で見つけたやりがい

私は2回転職していて、会社員として3カ所の職場を経験しています。1社目はIT系の企業で、2社目は製薬会社の研究所、3社目は精密機器会社の研究所でした。1社目では開発案件を受けて、プログラミングで形にしていくスタイルだったんです。一方で研究所では、研究者さんたちと一緒になって「こういうの欲しいよね」という声を聞きながら開発していました。そちらのほうが、私にはやりがいがあると感じたんですよね。

ユーザーの近くで作り続けたい

ユーザーさんの近くで開発すると、何をつくるかは自分で判断して決めなくてはいけません。ユーザーさんに見せて「これだとダメだよね」と言われることもあり、責任がのしかかる大変さはあります。それでも、喜んでもらえる姿を間近で見られるのは大きなやりがいでした。転機になったのは、もともと携わっていた国のプロジェクトです。そこで会社に残る道もありましたけど、そのオファーはお断りしました。技術だけの部署に行くよりも、ユーザーさんと触れ合いながら開発していきたい。そう考えて、自分でやっていくと決めたんです。

システム開発と講師の2本柱

生物学・薬学のシステム開発

弊社の事業のひとつは、会社員時代から続けているシステム開発です。お客さんから「こういうものをつくりたい」という依頼を受けて、それを満たすシステムを形にしていく仕事ですね。当時の仕事のつながりが大きく、今でも多いのは生物学や薬学の実験データの分析システムです。生物学系のデータベースなども手がけています。実験データ以外の業務システムをつくることもありますし、本業ではないもののホームページ制作の依頼を受けることもあります。

ブログとYouTubeから講師へ

もうひとつの柱が講師の仕事です。以前ブログを書いていたら、地元の職業訓練校から「講師をやってくれませんか」と連絡をいただきました。YouTube(ユーチューブ)チャンネルを見た企業からも「うちでコースをやってくれませんか」と、企業研修の依頼をいただいたんです。当初はプログラミングを教えるだけでしたけど、最近はデータサイエンスや統計学、生成AIといった分野の需要も増えています。今はシステム開発と、企業研修や職業訓練校の講師という2本柱で事業を進めています。

創業1年目の試行錯誤

警備員のバイトは週3日まで

創業してすぐは、仕事もお金もまったく入ってきませんでした。なので最初は、警備員のアルバイトをしながら事業を続けていたんです。警備員を選んだのは、シフトの自由がきいたから。入れない日をあらかじめ伝えておけば、その日は入らなくてよかったんです。それに給料が2週間に1回だったのも、お金に困っていた当時の私にはありがたかったですね。ただ、アルバイトは多くても週3日までと決めていました。

週3と週4の大きな違い

そう決めたのは、学生時代の居酒屋でのアルバイト経験があったからです。最初は週2〜3日だったシフトが、だんだん週4〜5日に増えていきました。週3日だとバイトに行かない日が普通で、「今日はバイトがあるから行こう」という感覚なんです。ところが週4日になると、バイトがある日のほうが普通になってしまうんですよね。警備員の仕事をメインにはしたくなかったので、週3日までというルールは絶対に守っていました。

先輩経営者の教え

そんなとき、先輩の経営者からアドバイスをもらいました。会社員は、会社がもっているお金が回る仕組みの一部しか担っていないそうなんです。だから創業した途端、お金が入ってくる仕組みを自分でつくらなくてはいけなくなる。そこでつまずく人は多いと教わりました。その先輩から言われたのが、「相手から『ありがとう』と言われることを意識してください」という言葉です。ありがとうがたくさん集まって大きくなれば、それがお金になる。その言葉にハッとさせられました。

昔のつながりが仕事を運んだ

思い返すと、それまでの私は目先のことばかり見ていたんですよね。もともと私は、相手から感謝されたい、喜んでいる姿が見たいという思いで創業しています。原点に戻ろうと考えて、もうちょっとだけ我慢しようと決めました。すると1年ほどたって、昔の知り合いから「仕事をやってくれないか」と連絡が来るようになったんです。知り合いの知り合いが困っているから助けられないか、という相談も増えていきました。新しいお客さんが来るものだと思っていた私にとって、状況を変えてくれたのは昔の仕事でつながっていた人たちでした。

ユーザーと一緒につくる強み

使われないシステムを防ぐ

私の強みは、昔から経験してきた「ユーザーと一緒につくる」という姿勢だと思います。システム開発は、技術者だけで進めてしまうことが少なくありません。私がIT業界に入った2001年はITバブルと呼ばれていた頃で、いろいろな企業がIT化やシステム化に取り組んでいました。ただ、つくってみたら思っていたものと違って、お金をかけたのに使われないということがたくさんあったんです。私はクライアントさんと一緒につくることを意識しているので、そうしたリスクは比較的少なく、要望どおりのものをつくれるのかなと思います。

専門用語を使わない説明力

実は私、情報系の学部を出ているのに専門用語が苦手なんです。とくにアルファベット3文字の略語などはまったく覚えられなくて、同業者の話がわからないことがトラウマになっていました。ところがあるとき、お客さんから「田中さんって技術者なのに専門用語が全然出てこなくて、話がわかりやすいですよね」と言われたんです。そのとき、ふと「これって強みなんだ」と気づきました。今は専門用語にこだわらず、説明力でお客さんにわかりやすく伝えることを意識しています。

日本を情報化社会の先進国に

エンジニアは作業員ではない

20世紀の工業化社会で、日本は自動車やロボットなどで先進国だったと思います。ところが21世紀の情報化社会になって、残念ながら日本はだんだん先進国ではなくなってきている印象があります。IT分野は欧米が主導権を握っていますし、人工知能でも欧米や中国に遅れを取っている状況です。私は、日本の技術者には作業員的なイメージが強いと感じています。依頼を受けたら言われたとおりにつくる、という見られ方ですね。技術者の募集を見ても、「Python(パイソン)の〇〇ができる人」のように技術単位の募集が多いんですよね。

専門家が育つ環境をつくる

エンジニアは作業員ではなく、専門家でなくてはいけないと思っています。言われたものをつくるだけでなく、お客さんの要望を聞いて、技術の知識をふまえて「こういうふうにシステム化したらどうですか」と提案できることが大切です。だからこそ、技術者も「金融系に詳しい技術者」「物流系に詳しい技術者」のように、ドメイン(専門分野)単位で見られるようになってほしい。将来は、そうした専門家的な技術者が集まり、育つ環境をつくりたいと考えています。技術者を教育するサービスも立ち上げて、日本が情報化社会で先進国入りするための技術者を一緒に育てていけたらうれしいですね。

依頼型から自社発信へ

課題は、そうした基盤をつくるための経済力や人脈がまだ足りないことです。今は一人で開発しているので、そろそろ人を雇いたいとは思っています。ただ、ときどき仕事が途切れる時期もあり、給料を払えるかという不安から、なかなか仲間を増やせずにいます。現在は依頼を受けて開発する仕事が中心です。これからは自分でサービスやシステムをつくって、「これでどうですか」と提案していきたいですね。そうして売上を安定させ、仲間を増やして基盤をつくっていけたらと考えています。

学生へのメッセージ

英語は「なんとかなる」

学生時代を振り返ると、もっといろいろなことにチャレンジしておけばよかったという後悔があります。たとえば私は、ホームステイや旅行、留学などで海外に行きたいと思っていました。ただ英語力に自信がなくて、結局やらずに終わってしまったんです。社会人になってから、会社でアメリカの学会で発表してくるように言われました。準備期間の半年間、必死に英語を勉強して臨んだものの、もともと苦手なのでペラペラとまではいきません。それでも、そのとき感じたのは「なんとかなるな」ということでした。

失敗を恐れず挑戦を

英語のテストのように、完璧に聞いて完璧に話そうとすると難しいですよね。でもコミュニケーションなら、相手もフォローしてくれます。だからなんとかなるし、「これなら学生のときに行けたな」と思ったんです。世の中、思ったとおりにうまくいかないこともあります。ただ、思っているほど失敗ばかりするわけでもありません。学生のみなさんには、失敗してもいいんだという気持ちで、やりたいことを見つけてどんどんチャレンジしてほしいなと思います。

編集後記

田中さんのお話でとくに印象に残ったのは、先輩経営者から受け取った「ありがとう」の教えです。私自身、学生起業に挑戦するなかで、つい売上や数字ばかりを追ってしまうことがあります。相手からの感謝が積み重なってお金になるという考え方は、ビジネスの本質を突いているように感じました。また、専門用語が苦手という弱みを「わかりやすさ」という強みに変えた姿勢にも勇気をもらいました。残りの学生生活は、田中さんの「なんとかなる」という言葉を胸に、失敗を恐れず挑戦していきたいです。