インタビュー

モヤモヤしていた学生が、インドで起業するまで。凡人の「掛け算戦略」とは

モヤモヤしていた学生が、インドで起業するまで。凡人の「掛け算戦略」とは
PROFILE
株式会社グローバル・ジャパン・コンサルティング 代表取締役社長
田中啓介

モヤモヤしていた学生時代

不純な動機で選んだ大学

学生時代に熱中していたことは、正直に言うと特になかったんです。中高6年一貫の男子校に通っていたことから、大学選びも、国立でかつ女性が多い理系学部はどこだろう?というかなり不純な動機で探していました。そこで見つけたのが、京都工芸繊維大学の造形工学科です。

デザインと建築が融合したような少し特殊な学科で、国立ということもあり、日本全国から学生が集まっていました。運よく合格できたものの、周りは小さいころから絵を描くのが好きな人や、建築家に憧れている人、週末はカメラを持って街を歩き回っているような人ばかりでしたね。

デザインのセンスもなく、建築に対して特別な興味もなかった私にとっては、少し場違いな場所だと感じていました。 

ワーホリで自分探しの旅へ

同期のデザインや建築に対する熱量にはついていけませんでしたが、それでも卒業したら仕事をしていかないといけない。「どうしよう?」と悩んだ末に大学を休学して、オーストラリアへ1年間ワーキングホリデーに行きました。

半分は遊びで、半分は英語の勉強。いわゆる自分探しの旅ですね。当然それで自分が見つかるわけもなく、英語だけは勉強しながら、1年間オーストラリアでフラフラと過ごしていましたね。でも今振り返ると、ここで身につけた英語が、私の最初の武器になったと思っています。 

英語を武器にUSCPAへ

休学期間はトータルで2年間でした。このまま社会人になっても、何をしたいのか、何ができるのかもわからないし、自分の強みもアピールしにくい。せめてオーストラリアで学んだ英語を活かせる資格を取ろうと考えて、アメリカの公認会計士(USCPA)の勉強を始めました。

結局、学生時代には合格できないまま就職活動に突入しています。60社ほど受けてほぼすべて落ちてしまい、最後の最後に大阪の小さな税理士法人に拾ってもらう形で2005年に就職しました。 

税理士事務所から外資系、そしてインドへ

医療特化の税理士事務所で4年半

新卒で入ったのは医療に特化した小さな税理士事務所で、お客様は中小規模の医療機関が中心でした。税務顧問として毎月お客様を巡回し、前月の財務諸表を説明しながら「昨年より費用が増えていますね」「利益が出ているので節税をどうしましょうか」といった話をする仕事です。

英語を使うようなグローバルな仕事はまったくないのが実態で、学生時代に勉強した英語やアメリカの会計士の勉強を通じて得た知識は活かせないままでした。モヤモヤした気持ちを抱えながら働いていた記憶があります。

3年かけてUSCPA合格

そこで2年目くらいから、このままじゃいかんと思うようになりまして。USCPAの勉強を再開し、2年ほどかけて2009年にようやく合格しました。資格を取ってもう少しグローバルな環境に自分を置きにいこうと考えました。そのために、資格にすがりついて勉強したという感じです。

せっかく合格したので、それを使ってよりグローバルな環境に転職しようと、入社から4年半経ったタイミングで転職活動を始めました。 

日系か外資系か

内定をいただいたのは2社。上場企業で日系空調機器メーカーと、ナスダック上場企業で医療業界のアメリカ系CROです。どちらがよりグローバルな環境で働けるかを考えて、日系企業の担当者にいつ海外駐在に行けるかを聞いてみたんです。

返ってきたのは「入社して3年、5年実績を出したら可能性はあるかもしれない」という答えでした。今考えれば当然の話ですが、当時の私は、3年も5年も待っていられないと思っていたんです。

一方のアメリカ系企業は、入社した瞬間から上司が外国人で、同僚はインド人だらけという環境だと聞いて、こちらのほうが面白そうだと入社を決めました。 

外資系での日本人の役割

入社初日から上司は台湾人、同僚はイギリス人やインド人という環境で、毎日ずっと英語で仕事をすることになりました。大変ではありつつも、刺激的で面白かったです。ただ、1年・2年と経つうちに、やっぱり海外で仕事がしたいと思うようになりました。

そこで、台湾人上司に海外駐在のポジションはあるか相談したんです。でも今振り返って考えてみると当たり前なのですが、外資系企業が日本人を採用するのは、日本語と英語の両方ができるからですよね。会社からすれば「お前は日本にいろ」という話なんです。

上司は私の思いを汲んで、台湾のポジションを用意すると言ってくれたものの、現地採用になるので給与は3分の1ほどになります。給与を下げてまで海外にいくのであれば自分が行ってみたい国に行こうと、新たに転職活動を始めました。 

経産省のプログラムでインドへ

転職活動の結果たどり着いたのが、南インドのチェンナイにある会計事務所です。正式には海外に最大半年間、自分が希望する国に行ける経済産業省のインターンシッププログラムに応募する形で、まずはその会計事務所に受け入れてもらいました。

それで2012年に初めてインドへ渡り、インターンの終了後は、そのまま現地採用で雇ってもらうことになったんです。その後、約2年間チェンナイでの仕事や生活を続けてから知人の会計士とともに会社を共同創業しました。 2014年の12月のことです。

給料を上げるために起業

創業のきっかけは、現地採用で給料が低かったことです。どうやったら「自分の給料を上げられるか」と考えたとき、もう一度転職するか、当時の社長に条件交渉をするかという選択肢を考え、中長期的にコミットができる体制として株主として一緒に事業を育てていきたい旨、提案をしました。。

今振り返れば断られて当然の提案だったわけですが、案の定断られましたね。そこで転職するか、自分でやってみるかを考えて、最終的には自分でやってみようと思うに至りました。

経理から広がったバックオフィス支援

進出企業の経理を代行

日本の税理士事務所でもアメリカの会社でも経理の仕事をしていたので、自分にできることといえば、経理などバックオフィスのサポートでした。そこで、インドに進出する日本企業の経理をインド側で代行するサービスを始めたんです。

いわゆる会計事務所のサービスを自分でやってみよう、というのがスタートでした。最初は経理サポートに特化していたものの、日本企業の皆さまから、人事労務もサポートしてほしい、契約書のレビューはできるか、人の採用を手伝ってもらえるかなど、さまざまなご依頼が増えていきました。 

創業12年で広がった事業

創業から12年目を迎えて、少しずつ事業領域が広がってきました。現在は経理を中心に、人事・労務・総務・法務といったバックオフィス機能の代行サポートや、企業の中にバックオフィス機能を立ち上げるための内製化支援、M&Aや合弁会社の設立および事業立ち上げの伴走支援サービスを提供しています。

社内には会計士や弁護士、カンパニーセクレタリーと呼ばれる日本の司法書士のような資格者など、50人ほどのメンバーが在籍しています。こうした専門人材とともに、日本企業のインド進出を支援しています。 

立ち上げ初期を支えたい

最初は、お客様がどんなことに困っているのか、私もわかりませんでした。経理という切り口からサービスを提供するなかで見えてきたのは、インドに進出したばかりの企業ほど、そもそも何をすべきなのかがわからないことです。

バックオフィスだけではなく、インドの法令に対するコンプライアンス対応も含めて、やるべきことはたくさんあります。どの順番・優先順位で手をつけるべきかは、日本人だけでは判断が難しいものです。さらに自社でインド人を雇っても、どこまで信用していいのか、業務のレビューや管理も簡単ではありません。

そこを弊社がバックオフィス機能や法令遵守対応をいったん代行し、最初の1〜2年間でひととおり業務をおこなうと、事業の立ち上げに必要なことの全体像が見えてくるんです。そうした立ち上げ初期のサポートを、バックオフィスの観点からおこなっています。 

「帰任しない日本人」という強み

2〜3年で人が入れ替わる

私は今もバンガロールに住んでいて、インドに常駐する日本人が実務をサポートできる安心感こそ、弊社の一番の強みだと思っています。インドに進出する日本企業は、駐在員が2〜3年の任期で定期的に入れ替わるんですよね。後任の方が来るたびに、社内のノウハウを引き継ぐのは簡単ではありません。

そしてサポートする側の会計事務所やコンサルティング会社においても、担当者が同じようにどんどん入れ替わってしまいます。

一方、独立して自分で起業した人間の強みは、帰任がないことです。いつ日本に帰ればいいんだという別の難しさはあるものの、私もインドに14年いますし、長く在籍しているメンバーもいます。 

日本人は営業をしない

他の会計事務所でよく見られる傾向として、日本人担当者は営業活動を期待されがちです。新しいお客様を取ってくるための営業活動にかなりの時間を割くと、1日24時間しかないなかで、本来提供すべきサービスの品質に直結するインド現場の実務に携わる時間が限られてしまう。

そうすると、仕事は取れてもサービスの品質が上がってこないんですよね。そこで弊社は、日本人は基本的に営業をしないという方針を取っています。創業者として私は典型的な営業活動もしますが、軸足はデジタルマーケティング活動により重きを置いています。 

目指すのは町医者のような存在

営業に行かなくても、お客様から問い合わせていただけるポジションをつくれれば、自分たちは現場の実務に時間を使えます。イメージは町医者ですね。お医者さんから営業されたら嫌じゃないですか。体調が悪くないときは必要ないですし、困ったときに行くわという話なので。

会計事務所も同じで、困っていないお客様に営業で訪問しても、お互いの時間を奪うだけだと思っています。困ったときに見つけてもらえる、思い出してもらえる。そのために普段から情報発信をしたり、SNS上での影響力を高めることが重要だと考えています。情報発信をするためには自分自身が勉強しないといけないので、何より自分自身が成長できる機会になるんですね。 

「脳内検索」で1位になる

自分たちを必要としているお客様に、どうすれば見つけてもらえるのか。そのための努力を続けることがすごく重要だと考えています。 記事を書いたり、YouTubeチャンネルを運営したりしているのもそのためです。Google検索で1位になるのも大切だと思います。

でも、それ以上に大事なのは、お客様が困ったときに、頭の中ですぐに思い出してもらえる存在になることだと思います。いわば「脳内検索」で1位になることですね。そのために動画を活用していますし、いろいろな人と会うことに時間を惜しまないようにしています。

インド人社員とのウェットな関係

インド人はすぐ辞める?

会社は2社あり、全体で60名ほどのメンバーがいます。そのうち日本人は12名です。最近入社した方もいれば、7年・8年と一緒に仕事をしているメンバーもいますね。インド人も含め、できれば中長期的に一緒に働ける関係をつくっていきたいと思っているんです。

インドはジョブホッピングの社会で、インド人はすぐ辞める、すぐ転職するという話をよく聞きますが、決してそうではないと思っています。 

家族も巻き込む付き合い

弊社では、従業員が会社に期待するものとして、給料や上司との関係性、働きやすさだけでなく、従業員の家族を巻き込むようなファミリー感を期待されていると感じており、会社としてそこに対して長年配慮をしてきました。

こういったファミリー感をベースに企業文化をつくることができれば離職率は下がる。日本よりもウェットな付き合い方をすれば、そのぶん従業員も応えてくれるものと確信しています。ここもインドの面白いところだと思います。 

凡人だからこその掛け算戦略

開拓精神ではなく生き残り戦略

開拓精神があると言っていただけるのはありがたいんですが、自分ではあまりそう思っていなくて、どちらかというと生き残り戦略です。自分がそれほど優秀じゃないことは、自分が一番わかっているつもりです。

会計業界を見渡すと、優秀な有資格者はたくさんいて、その中でナンバーワンになるのはそう簡単ではありません。一方でインドは、みんながあまり行きたがらない場所です。インドに住みたいなんて言うと、変な人だと思われるくらいですよね。でも敵が少なければ、勝てる確率は上がります。 

英語×会計×インド

もうひとつは掛け算の考え方です。何もなかったところからオーストラリアで英語を勉強して、まず英語という武器を持ちました。次に、資格の勉強をするなかで会計や税金が自分の専門性になり、大阪の税理士事務所での勤務を通じて、それがもうひとつの武器になった。

この英語と会計を組み合わせて、どこで勝負するのか。英語と会計にインドを掛けると、そんな人はほぼいないわけです。これは結果論ではありますが、あまり優秀ではない自分が結果的に一定の価値を提供できるようになったのはこの掛け算が効いたからだと思っています。 

3つの強みで唯一無二に

もう少し抽象的に言うと、掛け合わせるものは何でもいいと思うんです。英語と会計とインドのように、それぞれの要素は特別でなくても、3つ揃ったとき同じ人はほとんどいなくなる。

自分の強みを3つくらい掛けると、唯一無二の存在になれる可能性があると思います。圧倒的に優秀ではない人だからこそできる、凡人なりの戦い方です。

インドで迎える「これからの10年」

インドの潮目が変わった

私自身、すぐに日本に帰ることは考えていません。むしろ、このタイミングでインドで仕事ができるのは、本当に幸せなことだと感じています。14年前から「これからはインドだ」と言われ続けてきたのに、一向にインドの時代は来ないじゃないかと、ずっと思っていました。

でも、ここ最近は本当に潮目が変わったと感じています。お問い合わせの件数も、インドに視察に来る企業や出張者の数も、圧倒的に増えました。地政学的な観点からもインドは注目されていて、これからの10年は、インドが最も盛り上がる時期になると実感しています。今はまさに、そのスタート地点にいると思っています。

時流に乗らない手はない

日本の高度経済成長期を私たちは直接経験できていませんが、今のインドはまさにそういう時代にあります。これからの10年をインドで過ごせるのは、そうそうない稀有なチャンスです。

だからこそ、このタイミングを思う存分楽しみたいと思ってます。いろいろなビジネスチャンスがあるなかで、自分の人生にとって面白いと思える事業や、自分の使命感に合うこと、ワクワクすることを、インドに絡めてやっていきたいと考えていますね。

学生へのメッセージ

環境を変えてみる

私自身、大学時代はずっとモヤモヤしていました。今の学生の皆さんが社会人生活や、大人たちをどう見ているのかはわかりません。でも、もし自分のやりたいことがない、これからの人生になんとなくモヤモヤしているという人がいるなら、環境を変えることはすごく重要だと思います。

あわせて知ってほしいのが、日本という国がいかに「異常」な国かということです。便利で、ご飯も安くておいしくて、お互いを共通認識で言わずとわかり合える。そんな国は世界的に見てもかなり珍しいんですよね。

期待値が高いと不満になる

日本で暮らしていると、当たり前の基準や幸せの基準が極めて高くなります。何事も期待値が高いと、それに満たないサービスを受けたときに腹が立ったり、残念に思ったりします。期待値が高いからこそ、ネガティブな感情を持ってしまうことが多い。

その点、インドに来ると良くも悪くも期待値を下げざるを得ません。不便しかないし、インフラも整っていない。つまり、幸せの沸点が一気に下がるんです。日本では100度にならないと沸騰しないところが、インドにいると30度くらいで沸騰する(笑)。幸せだと感じやすくなることは、人生において本質的にとても大切なことだと思っています。

日本に帰国してコンビニに行くだけでワクワクしますし、おいしいご飯を食べられるだけで幸せを感じます。インドに初めてスターバックスができたときも、すごく嬉しかったですし、今まで買えなかった物が買えるようになったときも感激しました。日本の高度成長期を生きた先人たちもまさに同じような熱狂とワクワクの中にいたのかもしれないと考えたりもします。

日本の方からすれば、どうでもいいと思われるかもしれません。でも、それは期待値の問題で、期待値が下がれば、そんなことでさえ幸せに感じられる。これが場所を変えることのスゴさだと思うんですよね。

場所を変えれば人も変わる

大前研一さんが、自分を変えるには付き合う人を変えるか、時間の使い方を変えるか、場所を変えるか、その3つしかないと言っています。付き合う人を変えるのは、そう簡単ではありません。

でも場所を変えれば、付き合う人は自動的に変わります。場所を変えるのは一番難しいようで、実は簡単な選択肢だと思うんです。これからの人生や社会人になることにモヤモヤしている人は、環境を変えるためにどんな選択肢がありそうか、一度考えてみると面白いのではないでしょうか。

日本は遊園地のようなもの

日本に限らず、発展した都市や国ほど、とんでもない消費社会になっている気がします。エンターテインメントや物欲、食欲を満たしてくれる仕掛けが社会に用意されていて、私たちはお金を払ってそれを消費している。

でもそこに、自分が本当にやりたかったことは反映されているのか、考えることが重要だと思います。遊園地にアトラクションがあるから毎日それに乗って楽しんでいるけれど、そのままこの消費活動だけで「人生が終わっていいのか」と考えることが大事です。私は、日本そのものが遊園地のようなものに見えています。

自分と向き合う時間をつくる

日本の常識は世界の非常識。それを客観的に体験すればするほど、自分自身と向き合う時間が増えていきます。おいしい食べ物もエンターテインメントもなく、毎日何をすればいいかわからないような場所に行くほど、自分の人生つまり時間をどう使うのが一番幸せなのかを考えることになります。

日本をディスるつもりはまったくありません。むしろ、最高の国だと思っています。ただ、海外に行ったり場所を変えたりすることの価値は、そこにあるんじゃないかと思っています。 

編集後記

田中さんのお話で一番心に残ったのは、「凡人だからこそ掛け算で戦う」という考え方です。私も学生として将来の進路を考えるなかで、周りの優秀な人と自分を比べて焦ることがあります。

しかし、ひとつの分野で一番を目指すのではなく、英語・会計・インドのように強みを掛け合わせて、競合の少ない場所で勝負するという発想は、自分のキャリアを考えるうえで大きなヒントになりました。

「日本は遊園地のようなもの」という言葉にもハッとさせられました。当たり前に囲まれた環境を一度離れてみることも、選択肢として本気で考えてみたいと思います。