音楽の夢から、パチンコホールの現場へ
音楽学校への道が閉ざされた
私はずっと音楽をやっていて、音楽学校への入学も決まっていたんです。ところが入学金を払う段階で、父の会社が倒産してしまって。今思えば、たかだか数百万円の話なんですけどね。それなら自分で学費を稼ごうと決めて、仕事を探し始めました。当時はイエローページのようなもので探していて、時給が一番高かったのがパチンコホールだったんです。ゆるい時代だったので、1日12時間くらい働かせてもらえて、時給は1,200円。私にとっては最高の環境でした。
時給で選んだ業界の合理性
シンプルに「お金が高いから」という理由で、この業界に入ったんです。今考えると、これはすばらしい選択だったと思うんですよね。時給が高いところというのは、やっぱり伸びている業界なので、合理性があったのかなと。「鶏口牛後(けいこうぎゅうご)」と言うんでしょうか。大きな組織の後ろにつくより、伸びている場所で先頭に立つ。結果的に、そういう選び方をしていたんだと思います。
コンサルファームで学んだ仕事の原点
会長から受けた教え
その後、私はコンサルファームに入ります。そこの会長は本当に有名な方で、パチンコ業界を見たときに「これは楽勝だ」と思ったらしいんです。競争倍率が高くなる、いかにも意味のありそうな仕事ではなく、人が嫌がるわけではないけれど人が集まりづらい。そういう場所なんですよね。ただ、そんな会長から言われたのは「和輝、仕事は真面目にやった方がいいぞ」という言葉でした。今でもよく覚えています。
会社員経験はほぼない
当時の私は、契約が切れたら給料がストップするという働き方でした。それはもう、会社員ではないですよね。振り返ると、私には普通の学生だった経験もないし、どこかの会社に勤めた経験もほぼないんです。最初から自分の力で稼ぐ世界にいた。そういう意味では、このあとの独立も、私にとっては自然な流れだったのかもしれません。
独立、給料2万4000円からの再出発
月額12,000円の情報配信
自分で事業を始めたときは、事業モデルをもっとライトにして、月額12,000円でいろいろな情報を配信するサービスをやっていました。Google(グーグル)が出るか出ないか、という時代だったと思います。そうすると、毎月何百万円あった給料が2万4000円に落ちたんです。売上がないので、当然ですよね。世の中の社長がいちおう堂々としていられるのは、全員が客ゼロのところからやってきているから。最初はみんな、綱渡りなんです。
ロレックスを売った創業期
仲間が増えていくのは、人件費が払えるようになってからです。0から1をつくる時期は本当に苦しくて、私は最終的にロレックスを売りましたからね。売って、ちょうど収支がプラスになる。そんな時代でした。そこから少しずつ売上が立つようになって、ようやく仲間を迎えられるようになっていきました。今のチームがあるのは、あの綱渡りの時期を越えてきたからだと思っています。
外的環境をエネルギーに
あの時期を振り返って思うのは、外的環境をどう受け止めるかが人生の本質だということです。地震や震災は全員に起きたことですし、アメリカなら9.11もありました。父が亡くなった、母が亡くなった、両親が離婚した、そういうローカルな出来事でもいいんです。外的環境を自分のエネルギーにできない人は、どこに行っても難しいだろうなと思っています。
見切り発車で挑んだ開発
ベンダーに託した勝負
苦労はずっとしています。そのなかでもとくに大変だったのが、1年ほど前、ここぞと思って勝負に出たシステム開発ですね。今となってはAIで全部できちゃうんですけど、当時のAIはまったく使い物にならなかった。なので、ベンダーさんにシステムの開発を依頼しなければいけなかったんです。見切り発車で動き始めたので、あれはちょっと危険すぎました。二度とやりたくはないですね。
運命めいたものを感じた
それでも、あのときのことを振り返ると、運命めいたものを感じるんです。みんなそれぞれ使命があると思っていて、「そこで事業をしっかりやりなさい」という話だったのかなと受け止めています。だからこそ、私も頑張るようにはしているんです。危ない橋だったのは間違いないですけど、あの勝負があったから今の弊社があるのかなと思います。
そして今、パチンコ×AIへ
今はAIに全集中
もともと弊社は、コンサルティングや経営支援、営業支援といった領域が強かったんです。もう10年、20年とやっているので、マッチングなどのいわゆるプラットフォームビジネスも手がけています。そのうえで今は、AIに全集中しています。パチンコの現場×AIということで、売上や利益、集客にきちっとつながるAIを開発して、販売を始めました。非常に力強く事業が進んでいるところです。
現場出身という強み
弊社の強みは、現場から上がってきていることです。私を含め全員が実績を積み上げてきているので、「髙橋が言うんだったらやるわ」という関係性ができています。何も知らない人がパチンコホールに商材を持ってきても、「おまえに何がわかるんだ」となりますよね。これは建築でも人材紹介でも同じだと思います。大手がたまに参入してきますけど、うまくいかないことがほとんど。集客や業績改善を、本当の意味できちんとやる会社でありたいと思っています。
いい会社をつくるという未来
神社で祈る3つのこと
これから先のことで言うと、私はジョギングの帰りに神社でお参りするのがルーティンになっているんです。祈っていることは大きく3つ。自分を律すること、弊社を15億円企業にすること、そしていい会社にすることです。今後のビジョンは、いい会社をつくっていくこと。これに尽きるかなと思っています。数十億円、数百億円規模の会社であれば、結局は社長が頑張るしかないんですよね。
いい会社の条件は3つ
いい会社というのは、フォーカスすると「いい仕事」「いい報酬」「いい環境」の3つしかないと思っています。私自身、月に10冊くらい本を買って読みなさいとか、車は前から突っ込まずにきちっと後ろから止めなさいとか、そういうことを教わってきました。これがつまり、いい環境の原理原則なんだろうなと。昔は気恥ずかしくて言えなかったんですけど、いい年になったので、伝えていかなければいけないことなんだと思っています。
少数精鋭で天下を取る
今はまだ、チームで6人くらいです。この時代なので、100人雇う未来はないと思っています。AIでできてしまうので。突き詰めれば、一人社長とAIでもできなくはないでしょうね。ただ、効率化しすぎて人を雇わないというのは、人生の充実度で言うと下がるんだろうなと。10人、20人いれば、たぶん天下は取れると思うんです。その先にAIや外注先がいて、結局は何百人かが動いているという形ですね。だからこそ、いい人材を求めています。
「君が欲しい」の逆採用
弊社の採用は、どちらかと言うと逆採用なんです。「君が欲しいから、うちで働いてくれ」という形で、出会った人を一人ひとり口説いていく。今はそれくらいがちょうどいいのかなと思っています。実際に、博報堂や日立といった有名企業で活躍してきた人たちとも一緒に仕事をしています。人数を増やすことより、一緒に働きたいと思える人とどれだけ出会えるかが大事なんですよね。
学生へのメッセージ
やるならとことんやれ
学生へのメッセージは一番悩みました。作家の椎名誠さんと野田知佑さんが対談したときの話があって、雑談で「ネッシーっているんですかね?」と聞かれた野田さんが、「学生のときに旅行で行って投網を投げたけど、ネッシーはかからなかったよ」と答えたそうなんです。たとえば今だと、「ビールがうまいよね」と言う人より、「好きが高じてビールをつくったけど、めっちゃまずかった」と言う人には勝てないわけですよ。だから、やるならそこまでやれよと思いますね。
一生に一度の勝負どころ
私自身、見切り発車の開発はもう二度とやらないと思っています。それでも、どこかで成り上がるというか、一発勝負を当てないといけない。信長の桶狭間じゃないですけど、どこかで勝負しないと元手ができないんですよね。飛行機と同じで、ある程度離陸してしまえば、また違う競技になる。0から1がやっぱり一番大変なんです。だからこそ、人生で1回、ここぞというタイミングで勝負に出るのがいいのかなと思います。
編集後記
アルバイトの時給の高さから業界に入ったというお話が、今振り返ると「伸びている業界を選んでいた」という合理性につながっていて、とても印象に残りました。給料が2万4000円まで落ちた時期やロレックスを売ったエピソードを笑いながら話される姿に、外的環境をエネルギーに変えるという言葉の重みを感じました。私自身も学生起業に取り組むなかで、つい頭で考えてばかりになりがちです。ネッシーを探しに網を投げた話のように、「やるならとことんやる」姿勢を大切にしたいと思います。ぜひ、あわせてチェックしてみてください。