学生時代
単位はギリギリ、引っ越し屋に明け暮れた4年間
私は埼玉県にある城西大学の経済学部経営学科を卒業しました。もともと経営というものに漠然と興味があって、経営と経済を勉強しようと思い進学したんです。ただ、そんなに頭が良かったわけでもない上、大学時代はほとんど勉強もせず、遊んでばかりいました。1年生で取得したのは8単位くらいで、卒業もギリギリだったと思います。
そのころずっと熱中していたのが引っ越し屋のアルバイトでした。もともとは友達がやっていて、来てみればと誘われて始めたんです。かなりきつい仕事でしたが、上下関係が厳しく体育会系のノリで、それが自分に合っていました。やっていくうちに体もみるみる変わっていって。そのままハマってしまって、引っ越し屋を5年ほど続け、最終的にはチームリーダーの肩書きをもらってトラック運転手までやっていました。
新卒からの下積み時代
接客が向かず半年で退職したレストラン時代
新卒で入社したのは、ガストなどを運営するすかいらーくホールディングスでした。店長候補の見習いとして入ったのですが、半年で辞めてしまいました。とにかく接客が向いていなくて。お酒を出すお店で近くにゴルフ場もあったので、酔っ払ったお客様に絡まれることも多く、そういったことに耐えられなくなってしまったんです。辞めることへの抵抗も特になく、その後はまた引っ越し屋のアルバイトに戻りました。
ものづくりに出会った営業時代
その後、地元の企業に営業として就職し、4〜5年ほど勤めました。そこでものづくりを一から学びました。もともとプラモデルなどが好きで、樹脂を加工して形にしていく仕事が自分に合っていたんです。
お客様には自動車メーカーなど大きな企業が多く、図面を見ながら打ち合わせをして、この形状をこうすればもっと安くできますといった提案型の営業をしていました。長く続けているうちに、お客様よりも自分のほうがものづくりに詳しくなっていったんです。そこで何を勘違いしたのか、言われたものを作る立場だったはずが「自分が考えたほうがいいものができるじゃないか」と思うようになり、作る側ではなく考える側に回りたいと転職を決意しました。
マネジメントを学んだトランスコスモス時代
そして転職したのがトランスコスモスです。ここでは10年以上勤めました。最終的には西日本の統括を任せていただき、部下は800名ほどいました。ここでマネジメントを学んだことが、のちの独立に大きくつながっています。
創業を決意した25歳
15年かけて描いたロードマップ
会社を作ろうと最初に決意したのは25歳のときでした。もともと計画を立てるのが好きで、ノートに15年のロードマップを描いていたんです。10年後に起業するなら5年後はこう、3年後はこう、1年後はこう、今月はこれをやらなければ、というふうにトップダウンで逆算して考えていました。15年間、そのロードマップをずっと立て続けてきたと思います。40歳までにできなかったらやめようと決めていたので、40歳での独立は、いわば15年越しに叶えた夢でした。
コロナ禍からのスタート
独立のきっかけには、ものづくりが好きだったことと、トランスコスモスでマネジメントを学んだ経験がありました。ものづくりが好きで、マネジメントも学んだのだから、もうできるだろうと。そうして2021年、今の会社を立ち上げたのですが、時期はちょうどコロナ禍の真っただ中でした。
潰れかけた瞬間、大阪での出会い
口座残高30万円、往復交通費だけでもいい
取引先は一社もおらず、新規営業をする日々で、半年間は売上がゼロという状態が続きました。潰れそうになった瞬間も何度もありました。当時アルバイトを2人雇っていたのですが、その子たちに給料が払えなくなるかもしれない、というところまで追い込まれたんです。資本金300万円を切り崩していき、半年ほど経ったころには口座残高が30万円を切ってしまいました。
どうしようと考えていたある日、大阪にある企業様に新規で電話をかけたところ、「図面があるから来る?」と言われました。すぐに行きますと答え、当時会社を構えていた八王子から片道6、7時間かけて車で向かったんです。お金がなかったので、正直に「往復の交通費3万円だけでもいいから受注させてほしい」と伝えました。すると翌週、300万円の受注をいただけたんです。
嘘のような本当の話ですが、あのとき救っていただかなければ、今の会社はなかったと思います。そこから取引が続き、いろいろなお客様に出会うことができました。1日300件ほど電話をかけ続けた時期もありましたが、コロナ禍で対面での営業もしにくく、しんどい時期だったのは間違いありません。それでも踏ん張れたのは、社是に掲げている「ポジティブ」「リスペクト」「ドリームス」という言葉、なかでも夢を見ることを大切にしていたからだと思います。社長になってベンツに乗るという小さな夢から、自社ビルを建てるという大きな夢まで、少しずつ叶えてきました。
事業内容とアダムトライアルマネジメントの強み
世に出る前の製品をつくる「試作屋」
弊社は金属加工と樹脂加工を手がけるものづくり企業で、いわゆる「試作屋」と呼ばれる業態です。かなりニッチな領域ではありますが、お客様の業種は自動車メーカーをはじめ、医療、航空宇宙、OA機器、家具家電など多岐にわたり、世の中に出ている製品のほぼ全業種を網羅しています。
新しい車種が世にリリースされるまでには、デザイン性や機能性、安全性が向上しているかを確かめるため、試作品を何度も作ってトライアンドエラーを繰り返します。私たちはその試作段階のものづくりを担っている会社です。
小ロット多品種、高い利益率の理由
試作の特徴は、量産と違い小ロット多品種であり、定価がありません。量産品なら数十円という単価のものでも、試作では形状によって1万円を超えることもあります。1個1,500円の仕事から2,000万円規模の仕事まで、スポット業務が連続していくという特性があります。安定しない部分はリスクですが、大きな受注が入ることもあります。利益率でいうと、業界では30%以上を確保できていれば良いとされる中、弊社は32〜33%程度で推移しています。
今後のビジョン
守りを固める1年に
今年度の年間目標数字は、あえて据え置きにしています。昨年も目標は同じ数字で、結果的にそれを上回る実績となりましたが、今年はその分をAI導入や社内ルールの強化、コンプライアンス体制の整備に充てようと考えています。これまでは売上を上げることに注力して突っ走ってきたので、社内の地盤がまだ固まりきっていない部分がありました。マンパワーでなんとかしのいできたところを、これからは少しずつ仕組み化していきたいと思っています。
ホールディングス化という夢
将来的には、ホールディングス化したいと考えています。まずは社内に事業部をつくり、それを分社化していく動きを進めていく予定です。今年はその第一歩として2社目のグループ会社を立ち上げる予定で、来月には株式取引も完了する見込みです。ものづくりに特化した工場をもう一つつくるという計画で、実現に向けて着実に進めています。
学生へのメッセージ
SNS時代の落とし穴
私には21歳の息子がいて、彼も今、大学生です。学生の皆さんにまず伝えたいのは、SNSには気をつけてほしいということです。今はどんな失敗もすぐに拡散されてしまう時代ですが、こうした失敗は今のおじさんたちが同じ年齢のころにもたくさんしていたことです。ただSNSがなかったから大ごとにならなかっただけ。同じことでも、時代が違うだけでその影響力は違うという点は意識してほしいと思います。
人間力を磨くという原点
AIの活用が進んだり、社会がより国際色豊かになって、これからもさらに世の中は変わっていくと思います。それでも最終的には人間対人間です。だからこそ、コミュニケーション能力を含めた人間力を磨くことが一番大切だと、私は真剣に思っています。学生のうちは、より多くの人と関わって、遊んで、飲みに行って、時にはぶつかり合って。そうやって経験値を積むことが、非常に重要な作業だと思います。人間力を磨くには、結局のところ人と関わるほかに方法はありません。
ロジカルシンキングも、私自身サラリーマン時代にマネジメントをしながら学び、今に生きている部分があります。ただ、それは諸刃の剣でもあると思っていて、ひけらかすと人を遠ざけてしまいます。大事な意思決定の場面ではツールとして使いますが、普段は意識してバカになっているくらいがちょうどいい。社員とも、そんな距離感で日々向き合っています。
編集後記
引っ越し屋のアルバイトから始まり、レストラン、営業職、大企業でのマネジメント経験を経て独立された川原さんのお話には、遠回りに見える一つひとつの経験がすべて今につながっているという説得力がありました。とくに印象的だったのは、25歳で描いた15年のロードマップが、今もほとんどぶれずに実現しているというお話です。目先の年収や条件だけでなく、自分なりの逆算した人生設計を持つことの強さを、あらためて感じさせていただいた取材でした。貴重なお話をありがとうございました。