広告会社25年、「世の中」を本当によくしていたのか?
疑問が積み重なった先の独立
私は1999年に大学を卒業して、広告会社に入社しました。それから25年、ずっとひとつの会社で働いてきました。正直、いつか起業したいといった目標があったわけではなく、むしろ独立するとは夢にも思わなかったんですよね。きっかけは一つではなくて、いろんな理由が積み重なった結果というのが実際のところです。
広告会社での仕事は、クライアントのさまざまな課題解決を主に広告というコミュニケーションの領域でお手伝いすることでした。その先には、商品やサービスを使う生活者の暮らしがあり、企業には社会に対する存在意義がある。そこに貢献しているという思いで働いていました。
ただ、長く働くうちに、時代の変化も含めてだと思うのですが、「自分が今やっていることは、本当に世の中をよくしているんだろうか」という疑問や葛藤を強く感じるようになりました。また、自分にはこどもが二人いて、一生活者として親として「こどもたちの10年後」を本気で考えたときに、今の社会や企業、学校のあり方などに対して「本当にこのままでいいのか」という危機感を強く抱くようになりました。
「だれかがやらないと」という半ば勢いで
つまるところ、自分でやってみるしかないという感じでした。正直、今自分が取り組んでいる教育の領域は、すぐに収益化できるというようなものではありません。大きな組織でいわゆるビジネスとしてやろうとすると、「いつ利益が出るのか」「どれだけ儲かるのか」という話が先に立ち過ぎて、本質的なことが軽視されてしまい、結局世の中は何も進まないし変わらない。それはやっぱり良くないと思うんですよね。
学生が待遇や数字だけを見て企業を選んでしまうという話にも、どこか通じるものがあると思っています。もっと大事なものが世の中にはたくさん埋もれているはずです。もし解決すべきとだれもが感じているのに、だれもやらない、やれないのであれば、自分にどこまでできるかはわからないけれど、ひとりででもやってみようというやや勢いも含めた決断でした。
体育会一色の学生時代、後から気づいた心理学とのつながり
部活に明け暮れた日々
大学時代は、ずっと体育会の部活に励んでいました。勉強は試験前に単位を取るために頑張るくらいで、あまり感心できる学生の姿ではなかったかもしれませんが。
ただ、後から振り返って学業面で広告会社につながることがあったかもしれないと思うのは、心理学の講義だけは面白いと思って必ず出席していたことです。広告というのは、そのCMがなんとなく気になるとか好きとか、心理学と多分に関係の深い世界だと思うんですよね。そういう点で、結果的にはつながっていたのかなという感じです。
最近の言い方でいう「答え合わせ」的に振り返ってみると、小中学生の頃からCMが好きだったり、高校生の時に読んでいた漫画も広告宣伝に関係のあるものだったり、きっとつながっていた面があったんだろうと感じます。日頃はそんなこと全然意識していなかったので、自覚はありませんでした。ですから、なにかの目的を持って一直線に頑張る人がいる一方で、なんとなくやってきた先にふと気づいたら「実は自分はこういうのが好きだったのかも」「得意だったのかな」ということもあると思っています。
小中学生には、想いが直接届きにくい
オンラインの学び場「ねこだま」にとっての課題
今、私たちはまだコンテンツやサービスを拡充している真っ只中です。小中学生向けのオンラインプラットフォームを提供する上での一番の悩みは、こどもたちに直接届けにくいということなんですよね。
大人であれば比較的、SNSやさまざまなPR、広告的な手法で届けることができます。一方で小中学生の場合、最近はスマホの所有率も比較的高くなっていたり、若者が見ているようなSNSがあったりはするものの、親のフィルターがかかっているなど、そもそも自由度を持たせてもらえない状況があります。あるいは、子どもたち自身も面白い動画ばかりを追いかけてしまって、それが時間の浪費になっているだけなんじゃないかということもある。「こういう場もあるよ」とサービスを届けようとしても、こどもたちの目になかなか触れられず、届けづらい対象だと感じています。
そんな中、最近は不登校がとても増えているという非常に大きな社会課題があります。たとえば、不登校のこどもを支援している組織もあるので、そういった活動をされている団体と連携しながら、この場を必要とするようなこどもたちに少しでも多く届けられるようにしたいというのが、これから実現していきたいことのひとつです。
不登校は、もはや「こどもの問題」じゃない
不登校は全国で12年以上、地域によっては13年以上連続で増加していて、今や35万人、予備軍を入れると50万人超ともいわれています。私はこれをこどもの問題だとは思っていません。社会の問題、つまり大人や学校側の問題だと思うんですよね。
義務教育という制度ができてから、もう80年ほど経っています。その間、社会はガラリと変わっています。YouTubeやAIなど、いろいろなものが登場して多様な情報が得られる今、むしろYouTubeの動画の方が余程わかりやすく、たとえば歴史を面白く楽しく学ぶことだってできます。そうなってきている状況で、学校に行く意味や先生という存在について、いよいよ本質が問われている時代なんじゃないかと感じています。
だれだって・いつだって・なんにだって・なれる
学歴という方程式を追いかけた時代の先へ
現在、「ねこだま」というサービスの中で掲げているビジョンは、「だれだって・いつだって・なんにだって・なれる」ということです。これまでは学歴のようなものを追いかけて、より良い学校、より大きい企業に入れば安心という、ある種の方程式にみんなが右へ倣えという時代が続いてきました。
学校というのは、測れる力とその測り方が決まっていて、それを相対評価の中で比べる場所です。うまくできない人は落第点、よくできる子は優秀という評価になってしまいます。本来、人間には「測り知れない力」が、特にこどもの頃にはそれぞれにたくさんあると思うんですよね。科目や部活に当てはまらない、本人の得意なことや好きなこと、やりたいことがあっても、学校の中では評価されず、まったく見向きもされないことさえあります。
社会に出たとき、学力や学歴だけでどうこうなるものではありません。それまでの人生で培ってきた経験や感覚、考え、実行力といったものが、活躍するための原動力になります。だからこそ、凹んでいるところを一生懸命直そうとする学校とは違う、”凸”の出っ張っている部分をぐんと引き上げてあげられるような、こどもたちにとっての「まなびそだち」の場をつくってあげたいと思っています。
大人自身も、蓋してきたものをあける
実は、こどもたちのためという話でありながら、裏テーマとして埋もれている大人たち自身の「本当はやりたいこと」や「好きなこと」を、もう一度ちゃんと掘り起こしたいという思いもあります。
AIなどが出てきている昨今、脅威や恐怖ばかりが語られがちです。取って代わられてしまうんじゃないかと。しかし、それは機械化されたようなことばかりやっていると、そうなってしまうわけですが、基本的にAI自身が自ら「好き」や「やりたい」と思うことはありません。だからこそ人間にしかできない部分を磨き、苦手な部分はAIに手伝ってもらったり任せたりしながら、その分、自分の力を発揮すべきところに時間をかけて伸ばしていく。そうやって大人もこどもも輝いていけたら、失われた時代が30年来続いてきた日本にも、ようやく活力が戻ってくるんじゃないかと思っています。少し話は大きくなってしまいますが、本当はそこまでつなげていきたいという思いでいます。
自己分析は、就活のときだけのものじゃない
自分を知る作業は、早ければ早いほどいい
学生に向けて伝えたいこととして、私自身は就職活動を始めたのが遅い方で、部活のリーグ戦などの大事な試合を自分の中で最優先にしていたために活動が出遅れてしまい、そこからバタバタと自己分析をやり始めたんですが、すごく思うのは、こうしたことは日頃からやっておいた方がいいということです。
私は転職をしたことがなく、25年間ずっと同じ会社にいたので、改めて自分の人生を振り返って人に伝える機会はあまりありませんでした。心理学や広告のことも、就職活動の時に初めて深掘りしてつながっていたなと思いましたが、早い段階でそこに気づいていれば、もっと早くからその磨き方や、そこに突入していけるようなエンジンのかけ方もあったかもしれません。
自己分析はお金がかかるものでもなく、いつでもできるものです。自分を知るということは、実は一番難しいことだと思うんですよね。知っているようで知らないのが自分自身のことです。まずは自分を知る作業をやってみて、その上でいろいろな経験を積んでいく中で、また新たな自分に気づいていく。それは自分の可能性を信じることにもつながっていて、そうやってどんどん自分を発掘していけるといいんじゃないかなと思います。
編集後記
今回のインタビューを通して、澤田さんが語られた「条件ではなく思いを届けたい」という姿勢に、深く共感いたしました。私自身も就職活動をするなかで、待遇や知名度に目が向きがちな学生をたくさん見てきましたが、長く続く仕事の土台には、条件では測れない「思い」が必要なのだと改めて感じます。25年勤めた広告会社を離れ、儲けが出にくいとわかっていながらも、こどもの学びに向き合う決断をされたお話は、私たち学生にとっても大きな気づきになりました。自己分析は就活のときだけのものではないという言葉も、心に留めておきたいと思います。貴重なお話をありがとうございました。