東京生まれ、強いコンプレックスを抱えていた学生時代
身長も学力もスポーツも自信がなかった
会社は大阪でやらせてもらっているんですけど、私自身は東京生まれなんですよね。スタジオジブリで知られる三鷹市という街で育ち、三十年以上は東京にいました。
4人兄弟で、姉、私、妹、妹という構成です。父はサラリーマンとして物流業に従事しており、年収でいうと1,000万円以上稼いでいました。一方で埼玉にいる叔父は起業しており、なんとなく独立志向のある家系だったんですよね。姉や妹は起業に関心があるタイプではありませんでしたが、男が私一人だったこともあり、自分だけはいつか違う道を選ぶことになるのではないかという予感がありました。
ただ、そうした上昇志向のある家系にありながら、小柄で、学力やスポーツにも自信が持てず、強いコンプレックスを抱えていました。自分が冴えない立ち位置で、どの集団にいても馴染み切れない感覚はずっとありましたね。
大学の学びに意味を見出せなかった
そのコンプレックスをどこかで晴らしたいという思いと、家庭的に起業している人が多かった影響もあって、何かやっていきたいという気持ちは学生の頃からずっとありました。
大学は経営学部に進学したんですけど、何のためにこの授業を受けているのか、将来的に何をしたいのかがあまり分かっていなくて、通う意味を見出せなくなってしまったんです。単位も取らずにアルバイトばかりしている状態が続いて、結局単位が取れなくなってしまいました。目的や意図が見出せていないと、やっぱり学業にも身が入らないんですよね。
そこで気づいたのは、自分は仕事のように、ちゃんと自分を鍛え上げられる環境じゃないと成長できないタイプなんだということでした。
大手焼肉チェーンのフランチャイズ店長として社会人をスタート
年間休日三十日のブラックな日々
ITやオフィスワークでパソコンに向かって黙々と働くイメージが湧かなかったため、「自分の店を持ちたい」と考え、1社目は大手焼肉チェーンのフランチャイズ店に入社しました。そこで店長として3年ほど勤務しました。
正直、かなり過酷な環境でしたね。休みは年間30日ほど。飲食業界は経費がかさむ一方で売上を伸ばすのが難しく、利益が雀の涙ほどしか出ないことも少なくありません。そうなると、一緒に働く社員にも無理を強いるしかなくなる。休みなく接客や施策、店舗運営に奔走し続ける日々でした。
30代、40代を見据えて転職を決意
仕事自体は楽しかったのですが、23歳から26歳までこの働き方を続ける中で、「30代、40代も同じ熱量で続けられるだろうか」と考えるようになりました。そこで、人材業界への転職を決めたんです。
人材業界に転職した理由は、求人広告を売る営業マンとして、人の採用の支援をすることで色々な業界や会社を知っていって、自分に合う会社を見つけたかったから。最悪起業できなかったとしても、仕事に触れているだけでやりがいを見出せるような、対価うんぬんではなく仕事をしているだけで楽しい、幸せだと思える仕事に出会いたいという気持ちがありました。
人材業界で見つけた「天職」への視点
百社以上を回っても出会えなかった
求人票を見ているだけでは、どういう会社かどうかは分からないですよね。。だから、私は求人広告を売る立場でいろいろな会社に営業をかけて、求人枠を載せていただく際に取材やインタビューをさせてもらっていました。オフィスも見学できるし、仕事の内容も詳しく聞ける。営業活動をしながら自分に合う会社を見つけようとしていたんです。
そうやって100社以上を回ったのですが、なかなか理想の会社には出会えませんでした。
コロナ禍で選択肢がなくなった
そんな中でコロナがやってきました。人材業界というのは経済が停滞すると、採用したとしての人件費が経営を圧迫してしまうので、企業も採用に気乗りしなくなるんですよね。上場しているようなちゃんとした会社だったんですけど、営業をすればするほどお客さんに嫌がられてしまう状況で、営業という仕事柄、社内で数字が上がっていないと居場所がなくなっていきました。
そもそも自分に合う会社を見つけるためという、どこか打算的な気持ちで人材業界に入っていた部分もあったので、ここで一度仕切り直そうと思ったんです。
フリーランスから大阪へ、法人化までの道のり
テレマーケティングが自分に合っていた
そこから個人事業主として、電話での営業を中心にテレマーケティングやインサイドセールスの仕事を始めました。これが自分には板についていたというか、しっくりきたんですよね。対面営業もやっていたんですけど、テレマーケティングの方がアポイントの獲得効率がよかったんです。ちょうどコロナ禍で三密回避が言われていた時期だったので、対面営業自体が避けられる流れもあり、リモートワークが浸透していきました。
正直、めちゃくちゃ好きで選んだというよりは、他に選択肢がなかったのでやらざるを得なかったというのが実際のところです。ただ、やっていくうちに案件を任せてもらえるようになり、組織化していけるような形になっていきました。
コロナの時期は、電話がつながらないことも多く、事業がなかなか軌道に乗らない時期もありました。頓挫するかしないかの瀬戸際で、かといって他に仕事があるわけでもない。八方塞がりの状態だったんですけど、逆にこの仕事でやるしかないと腹をくくれた瞬間でもありました。コロナがなければ、もっと違う仕事を見て選択肢を広げていたかもしれません。ただ、あの状況があったからこそ、選択肢が狭まって、逃げずにやりきれたんだと思います。
大阪への転身と法人化
東京で2年半ほど個人事業主として活動した後、「大阪でオフィスを出すので手伝ってほしい」というお話をいただき、拠点を移しました。その1年後には、担当するメンバーが15人ほどの規模に成長。いよいよ法人化すべきタイミングだと考え、2024年10月に会社を設立しました。
現在はテレマーケティングの延長線上で、SNS運用などのWebマーケティング代行も手がけています。業務委託で関わってくれているメンバーは、現在30人ほどになりました。
新規事業の壁と、これからの課題
テレマーケティングのノウハウをどう伝えるか
現時点での課題は、新規顧客の獲得だと感じています。SNS関連の事業はノウハウを持つ会社がいくらでもあるので、そこで信用や信頼をつかんでいかないといけません。
弊社としては、テレマーケティングで培ってきたノウハウを新規事業であるWEBマーケティングやSNSマーケティングにも活かせるはずだと思っています。お客さんの興味や関心を引き上げるトークスキルは、コピーライティングにも通じるものがあるんですよね。どんな文言で打ち出せば、お客さんがファーストビューでインパクトのある印象を受けるのか。それは電話で散々トークを重ねてスクリプト化し、再現性を確立してきた経験があるからこそ言えることです。ただ、それを実績のない状態でクライアントさんにイメージしてもらうのは、なかなか難しいと感じています。
実績づくりが最大の課題
信用や信頼がまだない状態なので、そこが今の一番の課題です。AIやSNSがどんどん普及している時代なので、そちらの領域にも事業を広げていきたいと思っているんですけど、テレマーケティングと並行しながら新しいことに挑戦していかないと、事業として広がりが生まれません。
新規事業をどんどん立ち上げて会社を大きくしていきたいというビジョンはあるものの、そのためのノウハウや実績がまだ足りていないというのが、今向き合っている課題です。
学生へのメッセージ
直感を信じ続けてほしい
人生は一回しかありません。雇われて働くにしても、個人事業主やフリーランスとして働くにしても、自分で起業するにしても、自分がどんな将来像を描いているかによって行動は変わってくると思うんです。
自分の直感やインスピレーションを信じ抜いてほしいですね。頭の中で描くビジョンの大きさが、人生やアクションを決定づけます。年収300万円でいいと思えばその範囲の動きになりますし、年収1,000万円、あるいは1億円を目指すなら、そのための学びや行動を自ずと選択するはずです。思いの強さや欲の大きさに応じて、未来は変わっていくと確信しています。
妥協はいつでもできる
20代や学生のうちは、とにかく上を目指すべきだと思います。可能性があるなら、すべてに挑戦してみる。妥協なんて、いつでもできますから。
全力を出すことが「格好悪い」とされる風潮もありますが、周囲が冷めている中で一人全力を出せば、それだけで抜きん出た存在になれます。それがブランディングになり、圧倒的な差へと繋がる。たとえ厳しい環境であっても、20代であれば学べることは山ほどあります。ゆっくりするのは40代、50代以降でも十分間に合いますから、今は全力でやり遂げてほしい。そうしたマインドで動いていれば、能力や結果は後から自然とついてくるものです。
編集後記
今回のインタビューを通して、コンプレックスから始まった原動力が、コロナ禍という逆境の中で確固たる覚悟に変わっていく過程が印象的でした。選択肢がないからこそ腹をくくれたというお話は、就職活動で悩む学生にも通じるものがあると感じます。テレマーケティングのノウハウを新規事業へ応用しようとする視点も、業界の枠を超えたヒントになりそうです。貴重なお話をありがとうございました。