インタビュー

「何のために会社をやるのか」キャリアを重ねる中で見つけた事業会社の自立支援

「何のために会社をやるのか」キャリアを重ねる中で見つけた事業会社の自立支援
PROFILE
株式会社ブラインドフォース 代表取締役
佐藤 敦

合宿方式で乗り切った数学科生活

数学科を選んだ理由

私は早稲田大学理工学部の数学科に進みました。高校時代は数学より物理の方が成績はよかったのですが、物理は身近な例に置き換えて説明されることが多く、それがかえって自分にはしっくりきませんでした。

作用反作用の法則で「同じ力で向こうから押し返している」というような説明が、何だか気持ち悪くて。それなら抽象的な数学の方が自分に合っているかなと思って、数学科を選びました。

全科目数学という現実

ただ、大学に入ったら想像以上に数学が難しかったですね。当たり前ですが全科目数学なわけです。これはやばいと思って、数学をゆっくり勉強するのではなく、とりあえず試験を突破することに切り替えました。

4年で卒業するために、成績を取ることよりも、試験をクリアすることを優先するようになったんです。単位を取るには4から5問出題されるうち、最低1問は解かなければなりませんでした。

みんなで乗り切った試験前合宿

私と同じように苦しんでいる仲間が大勢いたので、そのメンバーを集めて試験前に合宿を開いていました。私が付属高校出身だったこともあり、過去問を調達するネットワークがあり、それをみんなに解かせる係でした。

誰かが1問でも解けたら、それをみんなに教えてもらう。私自身はほとんど問題を解かず、おにぎりを買ってきたりカップラーメンを作ったりと、食事の調達を担当していました。それでも合宿を重ねるうちに、少しずつ点数が取れるようになって、なんとか卒業できたんですよね。

数学が得意とはお世辞にも言えませんが、この合宿方式で切り抜けたことは今でもよく覚えています。チームで難しい課題を解決するという意味では、今の仕事にも通じるところがあると感じていますね。

山登りで学んだ計画とチームづくり

もう一つ、高校時代から続けていたのが山登りです。大学では登山サークルに入り、雪山や沢登りなど、高校時代には挑戦できなかった山にも毎月のように登っていました。周りには変わった仲間が多く、それぞれに理由とスタイルがありました。

個性あふれるメンバーを集めてツアーの計画を立てて、それを実行していくのが好きでしたね。振り返ると、数学の合宿にしても山登りにしても、メンバーの力を束ねてプロジェクトを遂行したり、課題を解決したりするのが、学生時代から好きだったんだなと思います。

21年間の新聞社勤務からの独立

キヤノンでの9年間

大学を卒業した頃は景気がよく、キヤノンというカメラや事務機のグローバル企業に入社しました。キヤノンはカメラ用だけでなく、医療機器や内視鏡・天文台・放送用カメラなど、さまざまな産業用のレンズをつくっています。

私は、そのレンズをコンピューター上で設計するシミュレーションソフトウェアを開発する部隊に配属になりました。レンズの断面図に光線を通し、結像するかどうかをシミュレーションするといったように、かなりマニアックな仕事です。

9年ほど頑張っていましたが、どんどん専門的になっていくことに窮屈さを感じ、退職を決めました。

新聞社のデジタル部門で21年

キヤノンを退職したときは、インターネットが盛り上がってきた頃だったので、文系の会社に行こうと思って朝日新聞社に転職しています。

新聞記者や新聞発行に携わったわけではなく、デジタル部門でニュースのネット配信や、通信キャリア各社と提携したコンテンツサービスの開発、ベンチャー投資などを担当していました。

デジタル・イノベーション本部長として、新規事業やベンチャー企業への出資、組織開発、デジタル人材育成にも力を入れていましたね。朝日新聞社には21年間在籍していましたが、退職を決意しました。

事業会社で重ねたキャリア

その後は、新日本製薬という会社に入り、IT/DX戦略を担う執行役員として、基幹システムの開発運営やECプラットフォーム、次世代ネットワークの構築に携わりました。

それから東京に戻って、カルチュア・コンビニエンス・クラブ、いわゆるTSUTAYAやTポイントの会社に入っています。IT本部長として、グループ全体のIT基盤やセキュリティ統括、新規事業支援を担当していました。

その頃に副業で自分の会社をつくり、続けているうちに、本業と同じくらいの売り上げが立つようになったんですよね。そこで、もう「独立してもいいのでは」と考えるようになりました。

ビジョンより独立が先だった

正直なところ、初めから「このビジョンを実現したい」と思って、創業したわけではありません。どちらかというと、副業でやっているうちに仕事が取れるようになり、少し迷いはありましたが、思い切って独立に踏み切りました。

ただ、どんな会社にしていくかは、辞めてからじっくり考えました。私は事業会社に長くいたので、ITやDXを外部の企業に任せることに、ずっと違和感を持っていたんですよね。

システムを外部に委託すると、発注側が思い描いたものと実際にできあがるものの間にギャップが生まれやすく、予定通り進まない、不具合が出るといった問題も起こります。

その背景には、発注側と受注側でプロジェクトに対するインセンティブが異なるという、構造的な問題もあります。例えば準委任契約では、プロジェクトが長期化すると受注側の売上も増えるため、必ずしも「早く終わらせること」と双方の利益が一致するとは限りません。

一方、発注する側の社内エンジニアにとっても、外部に委託することで自分たちの負担を減らせるというメリットがあります。その結果、両者の利害が部分的に一致してしまい、問題が長期化することがあります。

こうした仕組みがある限り、システム開発はうまくいかないと感じていて、ここに自分のチャンスがあるのではと考えるようになりました。

事業会社の「自立」を支援する

契約期間は短ければ短いほどいい

一般的なIT・DXソリューション会社は、幅広い業務を請け負い、長期契約を前提とするところが多いのですが、私はまったく逆の発想を持っています。契約期間は短ければ短いほど、お互いにとってハッピーだと思うんです。

事業会社が自分たちでやるべきことをできるようになれば、私に発注する必要はなくなるでしょう。気がつくと「もう佐藤さんは要らないですよね」と言ってもらえることこそ、会社の成功にしたいと考えています。

短期的な売上だけを考えれば、必ずしも効率のいいビジネスモデルではありません。それでも、事業会社が自立していくことを成果と考えています。しかし、日本の事業会社がシステム開発やDXでうまくいかないと言われる背景には、外注に頼りすぎている構造があると思っているんですよね。

その間に入って調整して、成果を出したり、逆にやめた方がいいことを指摘したりする役割を担うことも重要だと思っています。

日本の産業構造が抱える課題

会社を立ち上げて分かったのですが、営業代行や採用代行・マーケティング支援・業務BPOなど、外部企業からの営業メールが毎月のように届きます。

私のような一人会社に、そこまで大きな仕事があるわけではないのに、それでもたくさん来るんです。これは、今の日本の事業構造をよく表していると感じています。

過去30年で大きく伸びたのは、事業会社ではなく、大手コンサルティングファームやITソリューション会社の方です。事業会社から仕事を受ける側のビジネスが伸び、給料もよくなるので、優秀な人材はそちらに流れてしまいます。

日本のベンチャーが大きな企業に育ちにくいと言われる背景には、こうした構造もあるのではないかと考えているんですよね。こうした課題意識を、自社のレポートやコラムという形で発信しながら、言語化してきました。

事業会社が自分でできる体制を目指す

会社を経営していると、やるべきことは無限にある一方で、やりたくないことも多くあるんですよね。そこで「ブラインドフォースがやらないこと」というコラムも書くようになりました。

私は、発注した先が単に成り立つことを支援するのではなく、事業会社そのものが自立できるように支援したいと考えています。

月々決まった額をもらって業務を代行し続けるのは、売り上げにはなりますが、それでは仕事がワンパターンになってしまいます。そこで、社内でその業務を担える体制さえ整えれば、事業会社は自分たちでできるようになるはずです。

最初は、事業会社が自力で対応できるようになるまで支援しつつ、人を育てる。さらに、予算の使い方を見直すといったことを、CIOやCFOクラスの方に対して、直接アドバイスできる立場でありたいと思っています。

独立して気づいた「何のためにやるか」

会社員時代から仕事にはあまり困らない状態だったので、独立した直後にキャッシュがないとか、仕事がないといった苦労はありませんでした。

ただ、独立してみて気づいたのは、社会的意義や何のために会社をやっているのかという部分が、すっぽり抜け落ちていたことですね。

何人かの経営者に話を聞くと、独立した直後はキャッシュを維持するために、受託仕事を増やしているみたいです。それが2年・3年と続いた頃に「自分は何のために独立したんだっけ」と思い出し、改めて創業時の理念や、コーポレートアイデンティティを考えるというパターンが多いようでした。

それなら私は、独立してすぐに、会社が何のためにあるのかを考えて発信していこうと思い、レポートやコラムという形で情報発信を続けています。そこから差別化戦略を考えるというプロセスは、今も継続中ですね。

事業会社を自立させ、日本全体の生産性向上に寄与する

私はコンサルタントですが、自分の会社を大きくすることをゴールにはしていません。クライアントである事業会社の事業が大きくなることがゴールという点が、大手ソリューション会社との大きな違いだと説明しています。

事業会社がソリューション会社に利益を加える構造に寄与するのではなく、日本全体の生産性の向上を、事業会社側から支援していきたいと考えています。

主な領域としては、IT・DX・セキュリティ・組織設計・経営戦略といった分野で、事業会社自身が独自に判断できる体制をつくることを目指しています。そのためには、経営層と現場が同じ方向を向き、必要なことを率直に話せる状態をつくることも重要です。

実際、経営者と現場が本音で話せていないケースもあるでしょう。そこで私は、その間に立ちながら、時には厳しいことも伝えつつ、事業会社をたくましくすることに力を注いでいきたいと考えています。

学生へのメッセージ|選択肢は少ない方がマッチングしやすい

今は価値観が多様化した時代

私が学生だった頃と比べると、価値観は大きく変わったと感じています。かつては大きな会社に就職したり、結婚して家族を持ったり、家や車を買ったりといった、分かりやすい「成功モデル」がありました。

ですが、今は結婚しなくてもいいし子どもを持たなくてもいい、車を持たなくてもいいし、偉くならなくてもいい。価値観が多様化した分、迷う人も増えているのではないかと思いますね。

選べる時代ほどマッチングは難しい

最近、会社のホームページでコラムを書く中で、人生のマッチングについて考えたことがあるんです。それは、結婚相手を探すことと仕事を見つけることの2つで、1990年代半ばから急激に難しくなっています。

その理由はインターネットの力で、たくさんの相手や企業に応募できるようになったからです。昔は学生が出していたエントリーシートの数は、せいぜい5社ぐらいで、頑張っても10社程度でした。しかし、今は100社ぐらい応募する人もいるでしょう。人によっては、200社・300社と応募するかもしれません。

さらに恋愛においても、マッチングアプリを使えば、100万人に出会えるわけです。例えば、ある部内に男子学生が20人・女子学生20人がいたとして、インターネット以前なら、おそらく8割方がマッチングできていました。

ところが、そこに100万人と出会えるアプリを持たせた途端、ほぼ全滅すると思うんです。街の中では、20人のうち19人と競えばよかったのに、アプリの世界では100万人と競うことになる。

だから、20人の輪の中では8割方マッチングできていたのに、100万人のプールに放り込まれた途端、ごく一部の「強い」人にマッチングが集中し、大多数は取り残されてしまいます。

これは、内定を10個取るような一部の学生に対して、実際に内定が集中する構造と同じです。誰でもが簡単にエントリーできる分、負ける人がとても増えているんですよね。

選択肢が多いからこそ「やりたくない」で絞る

だからこそ気付いたのは、選択肢は少ない方がよいのではないか、ということです。少ない選択肢の中で競い合った方が、実はマッチングしやすい。私は自分の会社の方針を決めるときも、「やりたくないこと」を先に決めて、選択肢を絞るようにしています。

今はさまざまな価値観があって、YouTuberになってもいいし、VTuberになってもいいし、投資家になってもいい。まずは自分がどう生きたいか、どんな自分にはなりたくないかを考えて、そこから少しずつ選択肢を狭めていくのがよいでしょう。

その上で、とりあえずやってみて確かめるという第二段階に進む方が、見つけやすいのではないかと思います。何もない状態からいきなり動き出すと、いろいろなところに手を出してしまい、前に進んでいる感覚を得にくいものです。

私がクライアントにアドバイスするときも、まずは選択肢を減らしてあげることを意識しています。ほかの会社がこうしているからではなく、その会社の業界や体制に合った範囲の中から選んでいく方が、結果的に前に進みやすく、納得感も得られると感じています。

編集後記

株式会社ブラインドフォース代表取締役の佐藤敦さんにお話をうかがいました。数学科での合宿エピソードや21年間の新聞社勤務について、さらに独立後に気付いた「何のためにやるか」という問いまで、幅広くお話しいただきました。

特に、マッチングが難しいからこそ「選択肢を絞る」という考え方は、就職活動を控える身としては、とても参考になります。貴重なお話をありがとうございました。