インタビュー

世界を旅した機械系エンジニアが、コンサルを経て「地方の家づくり」に懸ける理由

世界を旅した機械系エンジニアが、コンサルを経て「地方の家づくり」に懸ける理由
PROFILE
株式会社コラボハウス 代表取締役
松坂 直樹

株式会社コラボハウスで代表取締役をしている松坂直樹です。愛媛県を拠点に、広島・香川・徳島・高知・岡山・大阪・秋田など全国8府県で、設計士がお客さまと直接向き合う注文住宅・デザイナーズ住宅を手がけています。もともとは機械系のエンジニアで、鉄鋼メーカーからコンサルティングファームを経て、今の会社にたどり着きました。学生時代からずっと、「自分が社会に貢献できる場所はどこか」を考え続けてきたように思います。

大学院まで進んだ理系学生が、旅に出た理由

何も考えずに大学院まで進んだ

大学は理系の学部に進み、工学部の機械系で学んでいました。そのまま大学院まで、6年間通っています。理系だと分かってもらえると思うのですが、何も考えずにいると、ほとんどの方が大学院まで進学するようなルートができているように思えるのです。私も、あまり深く考えずに進学していました。

一人で17カ国をバックパックした

流れが変わったのは、大学4年生のころです。同級生や高校時代の友人が就職活動をはじめるのを見て、「大学院生活も充実させないといけない」と思うようになりました。学生のうちにできることは何だろうと考えたとき、とにかく時間があったので、バックパッカーとして世界を旅することにしたのです。仕事は入社してからでもできる。そう思い、一人で17カ国ほどをまわりました。

旅のなかで強く感じたのは、「幸せな日本という国で生まれた自分に、途上国の恵まれない方たちのため何ができるのか」という思いでした。途上国では、物心がつく前の子どもたちが、寄ってたかって観光客からお金を得ようとする場面によく出会います。そうして、その日暮らしが少し楽になるだけの現実を目の当たりにし、これでいいのかと考えるようになったのです。機械系の学生でしたので、日本の技術を持って途上国の社会インフラを支えることこそ、日本人としてできることではないかと思うようになりました。

鉄鋼メーカーからインドへ

入社式で「インドに行きたい」と宣言した

最初に選んだ会社は鉄鋼メーカーでした。当時、インドで大きなプラント建設プロジェクトが動いていることを知っていたので、入社式で「誰よりも早くインドに行きたい」と宣言していたのです。とても威勢のいい新入社員でしたが、先輩たちからは「お前は3年後にはもうインドに行ってるよ」などと言われていました。

最年少でプロジェクトに携わった

実際に、本当に3年後、最年少でインドに行かせてもらえることになりました。苦労も多かったのですが、自分がやりたいと思っていたことを、ひとつ成し遂げることができたと感じています。ただ、3年かけて夢がかなった後は、完全に燃え尽きてしまいました。この先の社会人人生をどう生きていけばいいのか分からなくなっていたときに出会ったのが、データサイエンスだったのです。

データサイエンスとの出会い

見た目で品質が分からない3つの業界

当時、製造業のなかでもデータ活用が特に進んでいると言われていたのが、半導体・鉄鋼・製薬の3つの業界でした。この3つに共通しているのは、「見た目だけでは品質が分からない」ということです。硬さや電気の通りやすさは、見ただけでは判断できません。だからこそ製造技術の現場では、製造プロセスのデータを細かく取り、目標値・目標範囲・許容範囲という3つの管理値を使い、すべての工程を管理範囲の中に収めるように操業していく。こうした考え方は「統計的プロセス管理」と呼ばれます。ちょうどビッグデータやディープラーニングといった技術が広がり始めた時期とも重なり、インドから帰国した後、私はこの分野に取り組むことになりました。 これが、いわば自分にとっての「鉄鋼メーカー第2章」だったと思っています。

アクセンチュアで挑んだ国家プロジェクト

ものづくりの全体を理解するため、コンサルの世界へ

その後、コンサルティングファームのアクセンチュアに転職しました。もともと、コンサルティング業界は入社前からずっと視野に入れていた選択肢でした。製造業に身を置いている以上、ものづくりの動き方を全体感を持って理解したいという思いが、ずっとありました。データサイエンスの面白いところは、データさえあればさまざまな問題解決につながっていくところです。次のキャリアに向けて大事な武器を身につけたいと思い、アクセンチュアに飛び込みました。

「Connected Industries」という構想

7年間在籍したなかでも、特に印象に残っているのが、石油業界を横断した協調領域をつくるプロジェクトです。当時、世界的に企業や業界の壁を越えてデータを活用しようという動きが広がるなか、日本政府もこうした潮流を受けて「Connected Industries」というコンセプトを打ち出しました。企業や業界の枠を越えてデータをつなぎ、新しい価値を生み出していこうという非常に大きな国家構想で、その重点分野の一つが「プラント・インフラ保安」でした。石油・石油化学業界においても、安全保安や設備管理にデータを活用していくことがテーマになっていました。

グローバルにはShellやBPのようなオイルメジャーが存在する一方、日本では複数の企業がそれぞれ技術やデータを持っています。そこで、競争する領域と協調する領域を分け、安全保安のように業界全体で取り組む価値のある部分についてはデータを出し合い、日本全体として競争力を高めていこう、という構想がありました。私自身も各社の経営層が集まる議論の場に参加し、どのようなデータなら共有できるのか、どうすれば各社にメリットが生まれるのかを議論しながら、データ共有のためのプラットフォームづくりに携わりました。

プロジェクトが思うように進まなかった理由

ただ、実際には思い描いたほど簡単には進みませんでした。一番大きかったのは、私は技術よりもインセンティブ設計の問題だったと思っています。データを共有すれば業界全体としてはメリットがある。しかし個社の立場に立つと、「自社が持っているデータを、なぜ競合他社に提供するのか」という問題が出てきます。特に、自社だけでも十分なデータ量や技術力を持つ企業にとっては、データを提供するメリットよりも、リスクの方が大きく見えてしまう。実際、政府側でもデータ共有を進めるうえで、「データを提供するメリットをどうつくるか」「データ流出への懸念をどう払拭するか」といった点が課題として議論されていました。

この経験から学んだのは、正しい構想を掲げるだけでは人や企業は動かない。参加するそれぞれの主体にとって、きちんとメリットが成立する仕組みまで設計しなければ、構想は実装されないということでした。

コラボハウスとの出会い

業界を変えることに抵抗はなかった

コンサルティング会社に入ったのは、自分一人のビジネス戦闘能力を高めたいという、純粋な成長意欲からでした。ただ、7年ほどいると仕事がある程度ルーティン化してきます。「このお客さまはこのパターン」というのが見えてくるようになり、それは裏を返せば、コンサルティング会社という立場で背負いきれる責任には限界があるということでもありました。事業を持ち、PL(損益)の責任を負いたくて事業会社を目指しました、自分自身のこれ以上の成長はないだろう。そう考えて、事業会社への転身を考えるようになったのが、今の会社に出会うきっかけです。

知人の紹介でコラボハウスを知ったとき、ちょうど会社が大きく成長していて、次の成長ステージに差しかかっているタイミングでした。周りからは「畑違いの業界に飛び込むことに抵抗はなかったのか」とよく聞かれますが、実はまったくなかったのです。コンサルティング会社にいると、担当する業界がころころ変わります。電力、石油、製造業、金融機関と、プロジェクトが変わるたびに一生懸命業界の勉強をして、言葉についていけるように学び直す。それをみんな当たり前のようにやっているので、業界そのものへのこだわりは、もともとなかったのだと思います。

コラボハウスという会社

住宅営業を置かない理由

コラボハウスは、「設計士とつくるデザイナーズ住宅」をコンセプトにしています。通常の注文住宅であれば置くはずの住宅営業を置かず、家づくりの専門家である設計士が、直接お客さまと向き合うことをとても大切にしている会社です。

注文住宅は、人生でそう何度もできる買い物ではありません。「3回建てて、ようやく思い通りの家が建つ」と言われるほど、後悔が起きやすい買い物でもあります。その一因として私たちが考えているのが、お客さまと設計士の間で情報のバトンリレーが発生することです。一般的な注文住宅会社では、まず住宅営業がお客さまの窓口となり、その後、設計士へ要望を引き継ぐという役割分担が多く見られます。設計士はお客さまの声を直接聞く機会がないまま、営業からの引き継ぎだけをもとに間取りを起こしていくことになるので、お客さまが本当に叶えたかった要望のニュアンスが、十分に伝わらないまま形になってしまうのです。これは一人ひとりの能力の問題ではなく、情報のバトンリレーそのものの構造的な課題だと考えています。だからこそ私たちは、はじめから設計士がお客さまと直接話し、そのニュアンスをくみ取りながら間取りに落とし込んでいく方法を選んでいます。

「すべては友人のために」という指針

住宅業界は、営業力の強さがイメージされやすい業界です。だからこそ私たちは、お客さまに対して誠実でありたいという思いを、行動指針として掲げています。それが「すべては友人のために」という言葉です。目の前のお客さまが本当に大切な友人だったら、無理な資金計画は立てないし、いらない提案もしない。一人ひとりが、お客さまにとって心からベストだと思う提案をしていこう、という考え方が、社内に根付いています。

地方創生への挑戦

シェアの奪い合いは消耗戦になる

私が入社して早々に、経営陣で議論を重ねてきたテーマが、地方のハウスメーカーとしてのあり方です。人口減少にともなって、地方の住宅市場は縮小していきます。これは避けられない流れです。そのなかで成長しようとすると、どうしてもシェアの奪い合いになってしまう。それは値引き合戦であり、標準性能を上げ続ける消耗戦でもあります。それが自分たちの本当にありたい姿かというと、経営陣の誰もが「違う」と一致していました。

「NEXT LOCAL, NEW LIFE」というビジョン

では地方の会社である私たちに何ができるかと考えたとき、たどり着いたのが「地方に人の流れをつくること」でした。都市部から地方へ人が戻ってくる、あるいは他の地方からさらに人が移り住んでくる。そうやって人が増えていかなければ、市場全体は大きくなりません。デザイナーズ住宅を手がける建築の技術を通じて、この流れに貢献できないかと考え、今かかげているのが「NEXT LOCAL, NEW LIFE」というビジョンです。次の地方の暮らしのあり方そのものを、私たちが新しく定義し、提案していく。地域の暮らしそのものを変えていく会社になりたいと思って、事業を続けています。

私自身、東京から愛媛に移り住んだ一人ですし、マーケティングの責任者として来てくれている執行役員も、20年ほどプロマーケターとして活躍してきた人物です。都市部で身につけた技術を、地方企業へ還元していく。これができれば、地方にとって非常に大きな成長のドライバーになると考えています。

学生へのメッセージ

大企業を頂点とした序列は変わっていく

大企業を頂点に置くようなキャリア観は、日本にはまだまだ根強く残っていると感じます。ただ、これからの時代を考えたとき、今の学生の世代が活躍する頃には、大企業を軸にした序列でキャリアを築くという価値観も、大きく変わっていくのではないかと思うのです。だからこそ、自分がやりたいことや、社会に存在する意義、取り組みの意義を今一度見つめ直し、地方企業も含めてゼロベースで、自分が貢献できる場所を探してもらえるといいのではないかと思います。地方には、私たちのような会社の受け皿もあります。東京や大阪で働くことだけが選択肢ではないと知っていただけたなら、きっと面白い会社に出会えるはずです。

編集後記

今回のお話をお伺いして、印象に残ったのは、松坂さんがキャリアの節目ごとに「自分は何に貢献できるのか」を問い直してきたことです。バックパックの旅も、インドでのプロジェクトも、データサイエンスとの出会いも、すべてがひとつの軸でつながっているように感じました。就職偏差値や待遇だけでなく、自分が本当に貢献できる場所を探すことの大切さを、あらためて教えていただいたインタビューでした。