大学を出て、まずは旅に出た
創業のきっかけは、もともと自分で会社をしたいという思いがあったことです。ただ大学を卒業した時点では、技術も人脈もありませんでした。どうしたらよいかわからず、とりあえずバックパッカーとして海外に出ることにしたんです。
大学卒業後は放浪から
約半年間、アジアを旅しました。タイを出発し、ベトナムやカンボジアを巡ったあと、ミャンマー、インドへと足を延ばし、そこからスペインへ向かいました。旅費として用意していた約100万円が少なくなってきたタイミングで、ワーキングホリデーを利用してオーストラリアへ渡航。約1年間働いて資金を貯め直し、その後は再び旅に出て、さらに半年ほど世界を巡りました。
もともと子どもの頃から、「いつかバックパッカーになろう」と考えていたわけではありません。本当は、大学在学中に会社を立ち上げ、大きく成長させたいという夢がありました。しかし、当時は技術も人脈もなく、そのままでは思い描いていたことを実現するのは難しいと感じていました。そこで、すぐに就職するのではなく、働き始める前にあえて旅に出ることを選びました。さまざまな国や文化、人との出会いを通じて視野を広げることが、将来につながる経験になると考えたからです。
コロナで足止めされた旅
旅をしていた2年目のちょうど終盤、世界では新型コロナウイルスの感染が広がり始めていました。当時、私はスペインのマヨルカ島に約1か月滞在していました。
もともとは、カミーノ・デ・サンティアゴを歩くことが目的でスペインを訪れ、その前にバルセロナでサグラダ・ファミリアを見ておこうと考えていたんです。
ところが、マヨルカ島は比較的のどかな島だったこともあり、世界で何が起きているのかを十分に把握できていませんでした。空港へ向かうと「飛行機は飛びません」と告げられ、初めて事態の深刻さを知りました。すでに大都市ではロックダウンが始まっており、島を出ることもできません。かといって、一度出ようとすると今度は島への入島が制限されていて、どこにも行けない状況になってしまいました。
その後、さまざまな手段を探し、なんとか日本へ帰国することができました。
実は、この旅を通して、今の仕事につながる考え方も固まっていきました。
会社をつくるのであれば、日本国内だけを市場にするのは難しくなるだろうと、6〜7年前から考えていたんです。日本は今後、人口減少が進むことが予測されており、市場そのものが縮小していく可能性があります。だからこそ、海外でも通用するサービスを選ばなければ、長期的な成長は難しいと考えました。
旅先で日常的に使っていたのがGoogleです。国が変わってもGoogleのサービスや仕組みは基本的に共通で、世界中の人が利用しています。「Googleを軸にした支援であれば、日本だけでなく海外にも展開できるのではないか」そう考えたことが、この業界を選ぶ大きなきっかけになりました。
独立へ
MEO業界で経験を積み、独立への一歩を踏み出す
帰国後は、MEO(マップ検索エンジン最適化)を手がける会社へ入社し、営業職として働き始めました。将来的に独立したいという思いは変わらず持っていましたが、まずはネット業界で経験を積み、自分に何ができるのかを模索していた時期でした。
独立の転機となったのは、勤めていた会社の組織体制の変化です。当時は、社長が東京に1人、大阪には直属の上司とその上司の2人という少人数の体制で事業を運営していました。その後、大阪の上司2人が相次いで退職することになり、私もこのタイミングを新たな挑戦の機会と捉えて退職を決意。独立という道を選びました。現在で創業から6年目を迎えています。
AIO対策を軸に
主軸はAIO対策
現在の主力事業は、LLM(大規模言語モデル)を対象としたAIO(AI検索最適化)支援です。そのほかにも、MEO対策や口コミ対策、ECモールの運用支援など、企業の集客・売上向上につながる幅広いサービスを提供しています。
私たちが重視しているのは、単にAIOで上位表示を目指すことではありません。その先にある集客や事業成果の実現を目的に、これまで社内で蓄積してきたノウハウを活かしながら、お客様一社一社に最適な支援を行っています。現在は14名体制で事業を展開しています。
6年間で向き合った壁
1年目は採用できず
会社の成長にともなって、毎年違った苦労がありました。1年目はとにかく人が採用できませんでした。最初はぼろぼろのビルの6畳ほどの部屋にトイレも入っているような環境からのスタートで、なかなか誰も働きたがらなかったんです。
2年目は定着せず
2年目は人を採用できるようにはなったのですが、今度は定着しないという課題が出てきました。営業職は未経験の方を採用するしかない状況で、営業という仕事自体に拒絶反応が出てしまう方もいます。
3年目は組織づくり
3年目になると人は定着しはじめたものの、今度は組織をつくることに苦労しました。この会社が生き残るために大事にすべき考え方、いわば文化のようなものを、どう育てて社員に伝えていくかというところです。無理に伝えても反発されるだけなので、どうすれば社員に弊社を好きになってもらえるか、というところに向き合ってきました。
これからのビジョン
AIOでトップシェアへ
今後のビジョンとしては、もともとMEOからはじまった弊社の事業を、AIOのサービスを軸に展開していきたいと考えています。まずはAIOの業界でトップシェアを取れるように取り組んでいきたいところです。
人と仕組みを育てる
このビジョンに向けた課題は2つあります。1つは営業で成果を出せる人を育てること。ネット業界は独立もしやすく、データや口頭の説明だけで進めてしまう会社も少なくありません。トップシェアを取るには、お客様にとって「契約してよかった」と言ってもらえるようなサービスを、目に見えないネットのサービスだからこそしっかり強化していく必要があると考えています。
若い世代へのメッセージ
諦めないが信条
私自身、今でも学ぶことばかりで、学生のみなさんに偉そうにアドバイスできる立場ではないと思っています。
それでも、一つだけ大切にしていることを挙げるとすれば、「諦めないこと」です。どんな状況でも簡単には諦めない。極端に言えば、「諦めるのは人生の最後でいい」と思えるくらい、その気持ちを大切にしています。
実は、高校時代は柔道部に所属していましたが、顧問との相性が合わず、退部せざるを得なくなったこともありました。当時は思うようにいかない経験もたくさんしましたが、そうした挫折を経験したからこそ、「最後まで諦めない」という考え方が自分の軸になっています。
譲れないことだけ貫く
自分の長所は、真面目さと諦めない心だと思っています。人よりも頭の回転が速いわけではないと感じることもありますが、この2つだけは人と比べても負けない自信があります。だからこそ、これまで積み重ねてきた経験を大事にしたいんです。
とはいえ、すべてに対して諦めないというわけではありません。諦めてもいいことは、賢く諦めて、うまく生きればいいと思っています。ただ、自分にとってこれだけは絶対に譲れない、というところだけは諦めない。そのバランスを自分のなかに持てるかどうかが大事だと感じています。
編集後記
今回、新川さんのお話をうかがって印象的だったのは、バックパッカーという一見遠回りに見える経験が、実は今の事業の海外展開の発想につながっていたことです。学生起業を志すなかで、私自身も「経験の意味は後から見えてくる」という言葉に励まされました。組織づくりに悩みながらも、社員の方に会社を好きになってもらいたいという姿勢に、経営者としての誠実さを感じるインタビューでした。