農村で生まれ育った少女が、夢の舞台へ
田園地帯で育った子ども時代
生まれは兵庫県宝塚市です。宝塚と聞くと歌劇団や華やかな市街地を想像される方が多いと思うのですが、私が育ったのは市内でもかなりの田園地帯、いわゆる農村地区でした。小中学校まではずっと地元で過ごし、高校に上がってようやく宝塚の市街地に通うようになったんです。
実家は祖父母の代からダリアという花を育てる農家で、周りもほとんどが農家さんという環境でした。地域全体で子どもを見守り、育てていく文化のなかで大きくなったので、右を見ても左を見ても自分のことを知ってくれている大人たちに囲まれていたんですよね。この感覚は、のちの活動にもすごく生きていると感じています。
宝塚音楽学校に合格した
そんな環境から、宝塚歌劇団を目指して受験レッスンスクールに通うようになりました。そして高校3年生になる前の年の3月、宝塚音楽学校に合格。そこから芸の道に進む人生が始まりました。
音楽学校は2年制で、実家が近かったので自宅から通っていたのですが、通学のたびに地元の人たちからたくさんのエールをもらえる環境でした。「頑張ってね」という声かけが当たり前にある日々でしたね。
学校生活を終えたあとは劇団に入団し、7年間、男役として舞台に立たせてもらいました。地元のみんなが何度も応援に来てくれたのですが、退団後は「自分のことを知らない街に行きたい」という気持ちが芽生えたんです。というのも、タカラジェンヌという立場は、たとえば日用品をスーパーの袋に入れて街を歩くようなことができないんですよ。決まりがあるわけではないのですが、皆さんの夢を壊さないよう、イメージ商売の世界で常に見られ方を意識しながら生活する必要がありました。
介護の世界から、地域への恩返しへ
上京とメイクの道での迷い
退団後は東京に上京しました。もともと縁のある街だったので、そこでメイクの勉強をして、宝塚の舞台で培った見せ方やビジュアル面を生かした仕事をしたいと考えていたんです。ただ、なぜか身が入らなくて、どうしようかと迷っていました。
そんな頃、実家から段ボール箱いっぱいの農作物やカップ麺が毎週のように送られてくるのを見て、ふと気づいたんです。自分でお米を買ったことがない、旬の野菜が常に家にあるのが当たり前だった生活が、実は当たり前ではなかったのだと。地域や家族への愛情、大事にしてもらっていたことを思い出し、何か恩返しできないかと考えるようになりました。
介護福祉士として現場に立つ
そのタイミングで知人が教えてくれたのが介護という世界でした。当時はヘルパー2級・1級という資格があった時代です。そこから勉強を始めてすっかりハマり、特別養護老人ホームやデイサービス、訪問介護など現場で経験を積み、最終的には国家資格である介護福祉士まで取得しました。
介護士として働いて3〜4年ほど経った頃、同僚だった夫と結婚を意識するようになり、子育てするなら地元がいいという思いから、Uターンで宝塚に帰ってくることになりました。
過疎化した故郷に衝撃を受けた
ところが、帰ってきた故郷はあまりにも過疎化が進んでいました。同級生もほとんど残っておらず、驚くほどみんながいなくなっていたんです。芸事に打ち込み、自分のことだけを見つめて生きてきたおよそ10年のあいだに、こんなにも月日が経っていたのかと痛感させられました。当時お世話になったおじいちゃま、おばあちゃまが亡くなられていたり、施設に入られていたりする現実も突きつけられました。
ダリア農家の娘として、ブランドを立ち上げる
「ダリアジェンヌ」誕生のきっかけ
実家は地域の一大産業でもあるダリア農家です。ここで何か力になれないかと考え、地域活性化の活動を始めました。パソコンも電卓もまともに触ったことがなかった私が、帳簿付けや販売接客を学ぶことになったりと、いろいろな偶然が重なってスキルを与えてもらったんです。
観光地であるダリア園にいらっしゃるお客様に向けたお土産品が何もないことに気づき、ダリア農家とタカラジェンヌを凝縮したブランド名「ダリアジェンヌ」をつくり、商品づくりを始めました。最初は個人事業主からのスタートでしたが、宝塚時代のファンの方や仲間たちに支えられながら少しずつ波に乗り、2020年に法人化するところまでたどり着きました。
その道中、10年のあいだに3人の子どもを授かり、子育てをしながら百貨店でのポップアップショップや地域のPR活動を続けてきました。実家がダリア農家でなければ、そして自分がタカラジェンヌでなければ、この会社は立ち上がっていなかったと思います。
メイクへの憧れも今に生きている
不思議なもので、かつて目指していたメイクの世界も、今はダリアを使ったコスメという形で生きています。介護士として健康の大切さを学んだからこそ、彩りのある生活の価値も実感できるようになりました。
「しんどい」と言わない世界で生きてきた
タカラジェンヌは弱音を口にしない
正直なところ、自分自身はあまり苦労してきたという感覚がないんです。タカラジェンヌの世界では、多くの方が「疲れた」「しんどい」を口に出しません。辞めてから一般社会に出て、皆さんが普通にしんどさを口にすることに驚いたくらいです。メンタルやフィジカルの強さの問題ではなく、口に出すことで認識してしまうことを避けているような感覚があります。
宝塚の世界は前を向いて向上心を持ち、自分をアップグレードし続けることが絶対条件です。芸事を仕事にさせてもらっている以上、しんどいと言うこと自体が申し訳ないという感覚もありました。上級生や先輩からどんな指摘を受けても「何でもありがとう」の世界。点数がつく勝負事ではなく、目に見えるか見えないかの成長を積み重ねる総合芸術だからこそ、常に謙虚でいられたのだと思います。
やりたいことしかしてこなかったので、積み重ねる大変さはあっても、それもすべて「やりたいことの一つ」として捉えてきました。そのぶん、苦労という感覚はあまりないんです。
世代間の視座のギャップに悩んだ
ただ一つ挙げるとすれば、世代間のギャップや、見えている世界の大きさの差には悩まされました。たとえば地域活性の活動で「テレビ局を呼んできます」と言うと、皆さんすごく大ごとのように捉えてしまうんです。
私からすると、タカラジェンヌという経歴がどうこうではなく、取材を受けることや顔を出すことは早いうちから覚悟を決めてきたことなので、まったく平気なんですよね。でも、そうした経験がない方からすると、取材で顔が出るかもしれないというだけで想像が膨らみすぎてしまう。実際にはテレビに出たからといって何十万人もの人が押し寄せるわけではないのに、「そんなに受け入れができないからやめてくれ」と言われてしまうこともありました。
地域を知ってもらい、観光地に人を呼びたいという純粋な思いがあるのに、現場の方々が影響力を怖がってしまう。知名度を上げたいわけでもなく、良かれと思ってやっていることが「売名行為」のように受け取られ、味方だと思っていた人たちから「あなたが出たいだけかもしれないけど」と言われてしまうこともありました。それを説得し、わかってもらうことの難しさは、ただのダリア農家の娘だったら起きなかった食い違いだと思います。タカラジェンヌというブランド価値が力になるときと、邪魔になるとき。その両方と向き合いながら生きていくのは、一生背負うべき大きな看板なのだと感じています。
ダリアの知名度を上げ、一日中楽しめる場所をつくる
バラと違い、イメージが湧きにくい花
事業の課題としては、ダリアを商材にしたビジネスモデルがほとんど存在しないことが挙げられます。バラであれば香りや味のイメージが湧きやすいですが、ダリアの場合は「香りはあるの?」「ダリアって何?」というところから説明が必要になるくらい、知名度がまだ高くありません。
商品の良さや効果を伝えながら、地域の受け入れ体制も柔軟にできるようにしていく必要があります。アプローチする側とされる側、両方を伸ばしていかなければならない点が、大きな課題だと感じています。
一日中ダリアを楽しめる場所を
最終的には、この場所に来れば一日中さまざまなダリアを楽しめる、そんな場をつくることが夢です。花としてのダリアはもちろん、食としても、健康・美容の面でも、いろいろな角度からダリアを楽しんでもらえる場所を提供したいと思っています。
来期あたりからは、これまでOEM(他社ブランドの製品を製造すること)で手がけていた化粧品やハーブティーなどの製造を、自社でおこなえる体制も整えていきたいと考えています。
学生の皆さんへ
今やりたいことに全力を注いでほしい
将来のことを考えて、いろいろな道を探しながら日々励んでいる学生の皆さんも多いと思います。私は、今の時点でやりたいと思うことをやるのが一番だと考えています。先のことは正直わかりませんし、時代がどんどん変化していく今、あまり先を考えすぎるのはもったいないとすら感じています。
もちろん、5年後・10年後を見据えた逆算思考も素敵な考え方です。ただ、それを目指すあまり、一番若くて体力があり、記憶力もある「今」という時間の過ごし方が変わってしまうのはもったいない気がしています。
私自身、いろいろなキャリアチェンジを重ねてきましたが、振り返れば本当に好きなことばかりで生きてきました。だからこそ、すべてが幸せで、一つも悔いがありません。「やりたいことをやる」というと無計画に思われがちですが、そんなことはなく、人間の脳はやりたいことから自然と手をつけるように考えているものです。今、命を燃やせるものがあるなら、それに全身全霊でコミットして楽しんでもらえたらと思います。
編集後記
今回インタビューさせていただいた株式会社ダリアジェンヌ代表・梓晴輝さんは、宝塚歌劇団、介護福祉士、そして経営者と、異色の経歴を歩んでこられた方でした。私自身、大学生として将来を模索する日々のなかで、「今やりたいことに全力を注ぐ」という梓さんの言葉がとても印象に残りました。華やかな世界で培った謙虚さと、地元への深い想いが両立している姿が印象的で、ダリアという花に人生を捧げる覚悟を強く感じたインタビューでした。貴重なお話をありがとうございました。