リクルートで学んだ、営業という仕事の面白さ
学生なのに社員と同じ扱い
大学2年生のとき、リクルートが学生アルバイトを募集しているという話を聞き、それがきっかけで働きはじめました。当時のリクルートのアルバイトは、学生であろうと社員とまったく同じ仕事をするというスタンスでした。スーツにネクタイ、名刺まで作ってもらって。当時はまだウェブ媒体がなかったので、紙の求人媒体の飛び込み営業をするという仕事を、学生の時代からしていました。
商店街の喫茶店から一部上場企業まで、リクルートという看板を持っていけば、どこでも話を聞いてもらえる、それがすごく楽しくて、学校に行かなくなるくらい、昼間はずっとリクルートで働いていました。楽しいということが、やっぱり一番仕事で成長できる機会になるんだと思います。
ナンバーワンの実績を手に、内定なしで入社が決まる
大学3年生のとき、社員も含めたリクルート関西エリアの営業成績で、ナンバーワンになったんです。そのタイトルを持って就職活動を考えるようになったとき、リクルートの人事に直接掛け合って、内定を出してほしいと伝えました。結果、選考なしで、内定を出してくれました。
ただ、大学にはほとんど行っていなかったので、内定と引き換えに「とにかく学校に行け」と言われました。4年生になった時点で残りの単位数が60もあって、普通に考えたら卒業できる状態ではありません。4年生の履修登録できる最大数まで単位を取れば、なんとか卒業できるという状態でした。それでリクルートを一度離れて、とにかく学校に通いました。
結果的に1つだけ単位が足りず、卒業できないところだったんですが、たまたま翌年から卒業に必要な単位数が1つ減るということになって、本当に運がよかったです。4月1日付で卒業して、その日のうちにリクルートに入社しました。
キーエンスとの内定を比較して、リクルートを選んだ理由
リクルートから内定はもらっていましたが、就職活動は自分自身を試す場でもあると思っていたので、何もしないまま終わるのもどうかと思い、1社だけ受けてみることにしました。それが、当時株価が日本一だったキーエンスです。キーエンスからも内定をもらって、最後はキーエンスかリクルートかでかなり悩みました。
学生の頃から「将来は起業する」と決めていたので、起業するならどちらが役に立つかを考えました。キーエンスはセンサーの会社なので、営業に行く先はほとんど工場です。一方でリクルートは、さきほど話したように営業先を選ばないため、将来自分が起業するという前提で考えたときに、リクルートのほうが向いているなと思いました。
家業の経営を引き受ける
経営がしたかっただけだった
リクルートに入社して6年ほど経ったころ、学生時代から付き合っていた彼女と結婚しようという話になりました。彼女のご両親にご挨拶にいったとき、「娘をやるから会社を継いでくれ」と言われたんです。彼女のお父さんは2代目で、彼女は一人っ子。日本によくあるファミリーカンパニーでした。
当時はまだ、娘がすぐに会社を継ぐのは難しいという時代だったため、私に声がかかりました。もともと起業はしたかったものの、「何がしたい」という明確な事業があったわけではありません。求められて経営をやらせてもらえるなら構わない、というよりむしろやらせてもらいます、という気持ちでした。私がやりたかったのは、事業内容がなんであれ経営そのものだったんです。その1年後にリクルートに退職を伝え、家業に入りました。
差別化できない問屋業の厳しさ
家業は、問屋業を営んでいました。メーカーから商品を仕入れて小売店に卸すというビジネスは、自分でものを作っているわけではないので、商品での差別化ができません。メーカーはケース単位でしか出荷しないけれど、販売店はそこまでの量はいらない。そのすき間を、問屋がばらして納品するという役割もありましたが、それでもやはり厳しい状況でした。
家業に入って、このまま行くと将来がないと感じました。リクルートは情報を売る会社だったので、ものを売るという仕事の難しさを、はじめて実感しました。しかも、より安く仕入れられる大手が勝つというルールになっている業界です。これは先がないな、と一時期は腐っていました。入社してからの5年間はトラックに乗って、配達をする日々です。リクルート時代とはまったく違う世界でした。腐って、トラックを公園の横に停めて寝ていた時期もあります。「何をしているんだろう、俺」と思いながら。
トラックの荷台で見つけた、eコマースという光
昼はトラック、夜はEC作業
このまま行けば会社がなくなってしまう。何かやらなければいけない、どうせだめになるなら何かやってやろうと考えて始めたのが、eコマース事業でした。日本ではまだそこまで定着していませんでしたが、アメリカではアマゾンがすでに大きく伸びていて、当時はまだ本しか扱っていませんでした。
これからの世の中は、オンラインやeコマースに変わっていくはずだと考えました。海外の状況を見れば日本の未来がわかる、いわゆる「タイムマシン経営」です。海外で先行しているものは、いずれ日本にも来る。そこに賭けようと、社内の新規事業としてeコマースを立ち上げました。ただ、社員はベテランばかりで、担当できる人がいません。昼間はトラックに乗り、夜にひとりでEC作業をするという生活がはじまりました。社内起業したような感覚です。
やってみて実感したのは、最初にやることの重要性です。それと、eコマースは立ち上げてすぐに爆発的に伸びるものではなく、世の中が少しずつ変わっていく中で、徐々に普及していくものだということです。
はじめて注文をくれたのは、福島県の方でした。弊社は大阪にあって、面識のない福島の方が買ってくれる。夜な夜な一人で作業していた分、はじめての受注は本当にうれしくて、「インターネットってすごいな」と思いました。ワールド・ワイド・ウェブという名前のとおり、世界とつながっているんだ、と。これはもしかしたら、すごく面白いことになるかもしれないと感じました。
目的と手段を取り違えていた1年半
一人で頑張って、少しずつ注文が増えていきましたが、昼はトラック、夜は作業という生活は体力的にかなり大変でした。まだ30歳くらいだったので、撤退してもいいという気持ちの余裕はありましたが、赤字続きの会社に固定費を持つ余力はありません。とにかく一人で頑張ると自分の中でルールを決めて、月商100万円に届いたら一人採用しようと決めていました。そこに到達するまでに、1年半かかりました。
大阪の下町にある会社なので、地域の折り込みチラシのような媒体で募集をかけたところ、「パソコンが得意です」という若い女性が来てくれました。私が昼間トラックに乗っている間に、彼女が受注処理や商品登録をすべてやってくれるようになったんです。お客さまへのレスポンスが早くなり、注文がぐっと伸びました。
そのとき、すごく後悔しました。もっと早く採用すればよかった、なぜ1年半も一人でやっていたんだろうと。売上が上がったら人を入れようと考えていましたが、逆だったんですよね。人を入れるから売上が上がる。人件費はコストではなく投資なんだと、そこではじめて気づきました。それ以降は採用を先行させるようになり、売上もどんどん伸びていきました。
問屋事業に幕を引き、eコマースに集中する
全員解雇という決断
2002年にeコマースをはじめて、2007年になっても、問屋事業は全体の売上の大半を占めていて、社員15人のうち、ほとんどが問屋事業の担当でした。それでも会社は赤字続きで、問屋のメンバーには「今期も赤字なら廃業する、そのつもりで頑張ろう」と伝えていました。そして、その年の終わりに見事に赤字となり、全員に退職金を払って解雇しました。それが2007年です。
選択と集中とよく言われますが、要するに何かをやると決めたら、何かをやらないと決めるということです。中小企業はお金にしても人にしても、リソースが限られています。集中して頑張っていく分野を決めないと、勝負に勝てません。ECに集中しようと決めて、問屋事業を終わらせました。
個人保証と、代表交代のタイミング
問屋事業をやめてからは、eコマースしかない状態でした。先代はもう会社にほとんど顔を出さなくなっていましたが、これは中小企業によくある話で、銀行からの借り入れに対する個人連帯保証というものがあります。代表者が個人で保証をするという仕組みで、代表を交代すると私が保証を引き継がなければなりません。義理の父は、それを申し訳なく思ってくれていて、「借入金がもう少し減ったら交代しよう」と言い続けていました。
私が42歳になり、厄年が明けるという年だったので、そのタイミングで代表を交代しようという話になりました。2021年2月、節分で厄が明けるのに合わせて、代表交代をしました。
後継ぎと起業家は、まったく違う生きもの
ミッションは後付けでいい
いろいろな社長を取材されているなかで、後継ぎの方も多いと思います。経営者という意味ではみんな同じですが、起業家と圧倒的に違う点が2つあると思っています。
1つ目は、自分のやりたいことからスタートしていないという点です。起業する場合は、自分でこういう事業をやりたい、社会のこの課題を解決したいと考えて起業するわけですが、後継ぎは今ある事業をどうするかというところから考えなければなりません。私自身、工具にはまったく興味がありませんでしたし、そういう業界で働いたこともなかったので、そこのギャップは大きかったと思います。
だからこそ、ミッションやビジョンを考えるときは、どうしても後付けにならざるを得ません。この社会課題を解決するために起業したのだ、というスタートではないからです。この事業をどうやって世の中の役に立つものに変えていくかを考えなければいけない。そこの意識を切り替えられたときに、はじめてこの事業をやってよかったと思えるようになりました。やっていくうちに、この事業の意味や社会にとっての価値を考えるようになり、腹落ちした瞬間に大きく変わったんです。
2つ目は、組織です。起業家は自分でチームをつくり、気に入ったメンバーを集めていきますが、後継ぎはすでにあるチームの中に入って、「このメンバーで頑張ってください」というところからはじまります。私の場合はやや特殊で、問屋事業を解体したこともあり、ほぼゼロから組織をつくり直したようなものでした。
役職ではなく、名前で呼び合う文化
これは2010年、社長に就任する前からやっていることです。当時、私は会社の中で専務と呼ばれていて、先代は社長と呼ばれていました。あるとき、台湾の取引先を訪ねる機会があり、はじめて先方の経営者にお会いすることになりました。出てきたのは、お年を召した方でした。役員クラスの方だろうと思って名刺交換をすると、その方も「ロバートです」と名乗ったんです。どう見ても年配の経営者なのに、ロバートと名乗る。
聞くと、台湾は内需がほとんどないので、取引先は基本的にヨーロッパやアメリカなどの先進国が中心になります。そうした海外の経営者とコミュニケーションを取るために、英語の名前、いわゆるミドルネームを全員が持っているとのことでした。韓国の企業でも、同じような文化があると聞きます。
そのとき、ふと気づきました。役職で呼び合っているのは、日本だけなんじゃないかと。社長、部長、課長と呼び合うのは、いわば階級のようなもので、昔の軍隊の「何等兵」という呼び方と近いものがあります。フェイスブックの社員はマーク・ザッカーバーグのことを「マーク」と呼び、アップルの社員はスティーブ・ジョブズのことを「スティーブ」と呼ぶのが当たり前でした。
考えてみると、リクルートも役職で呼ぶことは禁止されていて、創業者の江副さんのことを、社長と呼んだことは一度もありません。私自身、専務と呼ばれるのも好きではなかったので、もう全員が名前で呼び合うようにしようと決めました。どうせいずれは世界に出ていく事業をするのだから、最初から英語名にしようと。当時「24」というアメリカのドラマがあり、その主人公がジャック・バウアーという名前だったので、私は「ジャック」という名前を付けました。
役職で呼ばないというルールにしてから、社員との距離がぐっと近くなりました。私のことを社長と呼ぶ社員は一人もいません。さん付けもくん付けも敬称もなく、みんなジャックと呼びます。偶然ですが、その後ベトナムに法人をつくり、今ではグループ社員の半数以上が外国人です。ベトナムには「グエン」さんという苗字がとても多いのですが、メンバーそれぞれにメッシやフィーゴ、ディビットといった名前を付けていて、名前で呼び合うという文化は、非常に理にかなっていると感じています。
週2日出社という、社員の幸福度を大切にする働き方
心理的安全性をとても大切にしていて、会社の生産性と社員の幸福度を、2つの軸で考えるようにしています。働き方としては、週2日出社です。週休2日ではなく、週2日だけ出社するという意味で、月曜日は全員出社、残りは火曜日から金曜日のなかで1日来てくれればいいというルールにしています。曜日はチームごとに相談して決めてもらっています。
コロナ禍でフルリモートを経験して、それでもやれるという感覚をつかんだことと、社員の幸福度という観点があります。たとえば台風で大雨が降っているときに、びしょ濡れになって出社しなければならないと、それだけでテンションが下がりますよね。若いメンバーが多く、結婚したばかりだったり、子どもが小さかったりするメンバーも多いので、毎朝子どもを幼稚園に送っていけるようになったという声もあります。それまでパートナーに任せっぱなしにしていたことで喧嘩になり、嫌な気持ちのまま出社して仕事をする、というのでは生産性は上がりません。
プライベートの状態は、業務にとても影響します。プライベートがボロボロで仕事だけうまくいくということはありません。結果として社員同士が仲良くなり、生産性が上がり、利益につながっています。仲良しの会社をつくりたいわけではなく、みんなが働きやすい環境を提供することが、結果的に儲かることにつながっている、という順番です。
IPOは手段であり、目的ではない
いまは「トラノテ」という自社サービスにフルコミットしています。モール事業もおこなっていますが、モール事業はいわば売り子としてお店を出しているだけで、自社のサービスとは言えません。トラノテは、建設業の方向けの通販サイトで、日本にはまだこれという決定的なサイトがない領域です。ここを伸ばしていくことに力を入れています。
2025年末には、株式会社カインズのグループに入りました。2015年には、日本トップクラスの独立系ベンチャーキャピタルであるグロービス・キャピタル・パートナーズから、4億円ほどの出資を受けて、10年間上場準備を進めてきました。最終的には、上場を選ばないという決断をしました。
事業を成長させるためのIPOであって、IPOそのものが目的ではありません。ただ、上場準備をずっと続けていると、いつのまにか上場することが目的化してしまうんですよね。「上場するためにこれをやらなければ」「これはやってはいけない」といったことに縛られてしまう。最終的には、上場ではなく、事業成長のためのグループ入りという選択をしました。カインズには260の店舗があるので、店舗を活用したeコマースや、オンラインで決済して店頭で受け取るといった連携を、これから進めていきます。
もともと弊社は、大工道具の問屋業として89年前にスタートしています。紆余曲折はありましたが、最終的には建設業の職人の方の作業効率を上げるサービスをつくっていく、というところにたどり着きました。日本の住まいの領域は、空き家問題をはじめ、これから必ず課題になる分野です。オンラインとオフラインをつなぐ、日本でまだ誰もやったことがないサービスをつくっていきたいと思っています。
採用は、未来への投資
採用には力を入れています。採用が未来をつくっていくからです。いま活躍しているメンバーの多くは、新卒として5年前、6年前に入ってきたような人たちです。5年後、6年後の会社の中心になるのは、いま採用する人たちです。業績が悪いからといって採用を止めてしまう会社もありますが、それは成長をあきらめたということだと思っています。次の世代に代表を交代することも、5年ほどのスパンで考えているので、新卒・中途を含めた採用は、とても重視しています。
社員数は国内で30人ほどの小さな会社なので、細かいスペックを求めているわけではありません。いつも言っているのは「グッドパーソン」であってほしいということです。いいやつと一緒に仕事がしたい、というシンプルな思いです。新卒では、何ができるかということはあまり見ていません。ポテンシャル採用なので、自分で考えて、自分で何かをやりたいという人には向いていると思います。大企業で「この部署のこれだけをやっていてくれたらいい」と言われるほうが気が楽だという人には、あまり向いていないかもしれません。自分で考えて動く人たちと、ああでもないこうでもないと言いながら新しいサービスをつくっていく、そのプロセスがとても楽しいんです。
誰と働くかが、人生を左右する
どこで働くかも大切ですが、誰と働くかは、実際に働きはじめてから強く感じることだと思います。一緒に働く人たちがどんな人たちかによって、まったく違ってきます。仕事は毎日のことなので、楽しめているかどうかを常に自問自答しながら、しんどいこともたくさんあるけれど、なんだかんだ楽しいと思える仕事をしてもらいたいです。
一度きりの人生なので、後悔のないように、どんどん挑戦してほしいと思います。いまの若い人たちは公務員志望が多いと聞きますが、安定志向というよりも、若いうちであれば何にでもなれる時期です。挑戦することを、ぜひ大事にしてほしいと思います。
編集後記
学生時代から起業を志し、家業を継いだ山田さんのお話からは、「経営がしたい」という意志の強さと、状況に応じて柔軟に手段を変えていく姿勢の両方が伝わってきました。目的と手段を取り違えていたことに気づいた瞬間の話や、IPOを目的化しないという考え方は、事業に限らず学生の私たちにも通じる学びだと感じます。役職ではなく名前で呼び合う文化や、社員の幸福度を軸にした働き方など、弊社の制度や文化のひとつひとつに、山田さんご自身が体験してきた葛藤が反映されているように感じました。挑戦できるうちに挑戦してほしい、というメッセージを胸に、私自身も日々の学びを大切にしていきたいと思います。