履歴書も受け付けてもらえなかった時代に、出版社へ
厳しい就職環境のなかで出版社へ
大学を卒業した年は、まだ男女雇用機会均等法がない時代でした。私は九州出身で、自宅から通勤できない地方出身の大学生でした。特に4年制大学の女子大生に対しては、門戸を開いていない企業がとても多かったのです。一部上場企業になると、就職試験の応募書類すら受け付けてもらえないような状況でしたね。
今は甥などから「就職氷河期で大変だった」という話を聞くことがありますが、1980年代前半はまだ女子学生が不遇をかこった時代で、受験できたのがマスコミと公務員試験。バブルも経験しましたが、リーマンショックを経て、今、女性が堂々と管理職になったり新しい分野で活躍したりして自らの価値を高められる時代になった。そう思うと、とても喜ばしいです。
就職活動では、私は広告代理店と出版社をいくつか受験し、中堅どころの出版社に就職することができました。書籍編集部に所属し、編集者としてのキャリアをスタートさせました。
就職情報誌の編集から外資系出版社へ
転職は二度しています。1回目は30代後半で、日本経済新聞社の子会社にあたる出版社で就職情報誌の集稿管理に携わりました。
現在はオンラインでのエントリーが当たり前ですが、当時は企業情報・就職情報を紙の冊子にして、学生の自宅に送るというやり方をしていました。学生はそれを見て、希望する企業に「資料請求はがき」を送るわけです。
そういうやり方で会社説明会に出かけるのが90年代まで続いていたと思います。企業の人事担当者に会い、原稿を回収する仕事はおもしろかったものの、早晩インターネットで就職活動をする時代が来るだろうと読めました。
40歳になり、読みどおり各社とも採用エントリーがオンライン主流になるのを見て、転職したほうがよいと考え、北米資本100%の外資系出版社に就職しました。
外資系での経験が独立の契機に
その出版社で、私は北米やイギリスで書かれた小説(原書)を、日本語に翻訳・編集する部署にいました。
初めは「これは売れるだろう」と思う企画が次々売り上げを伸ばすのでおもしろく、夢中で働きました。月100時間くらいの残業も平気。たしか当時、データベースがIBMだったと思うのですが、まだ個人でパソコンを持つ人が限られた時代に、数字で書籍を「見える化」して協議、プロモーションに生かす素地ができたのは大きかった。
おかげでマーケティング的な視点が培われたと思います。ところがエディターからスーパーバイザーに昇格した際、上層部が外国人だけになり、信頼していた部長クラスの日本人がいなくなりました。
私たちは黒船来航と言っていたんですが、トップが会計士で数字ばかり見る人で、日本の出版文化への理解がどうしても薄くなりがちだったんですよね。
英語をフランス語やスペイン語・ドイツ語などに訳すのと違い、日本語に訳す場合は、文化的な背景や日本人の心情、歴史といったものを理解していなければいけません。そういった翻訳者でなければ、フィクションはうまく訳せないんです。
しかし、北米本社の圧力はとても強く、当時の社長はまさに「女トランプ」のような人で(笑)、毎日のようにディベートを重ねるうちに疲弊していきました。
極端なコストカットは翻訳物の質の低下を招くと思い、私は200人の翻訳者を原書とマッチングさせて発行スケジュールを策定するような仕事もしていたので、外国人社長を相手に戦う側の人間だったのですが、日本の出版社が大切にしてきた翻訳文化には制作コストが付きものですよとディベートしても、合意形成の場になると、結果的に声の大きい方に押し切られてしまうんです。
そうして戦っているうちに、今で言う同調圧力にやられて社内が沈静化したというか、孤立無援になったというか……これはもう一人で飛び出して独立しないと心身をやられちゃうんじゃないかと思うようになりました。それで退社して、50歳のときに事務所を立ち上げ、法人化。今に至ります。
紙とWeb、そして新しく始めた出版プロデュース事業
紙媒体とWebコンテンツの両輪
現在の事業は、大きく紙媒体と電子媒体の企画・制作の2本柱です。紙媒体では、書籍のほか、海外向けの企業パンフレットやカタログの翻訳・校閲も手がけています。
一方、電子媒体では、電子書籍や大企業のWebコンテンツを制作しています。WebコンテンツにはBtoBとBtoCの2方向があり、これまで弊社の事業を支える重要な領域の一つでした。
ところが最近、そのWebコンテンツを取り巻く環境が大きく変わってきています。生成AIの能力がとても高くなり、基本的なライティングであれば、分野によってはAIが担うという流れが急速に進んでいる状況です。
弊社が得意としてきた医療・健康・アンチエイジングの分野はまだ大丈夫ですが、それ以外では「ライターさんがいらない」という流れになりつつあるんですよね。
AIが進化すればそうなるだろうということは、以前から分かっていました。それにしても最近の加速度はすさまじく、これは媒体制作だけに甘んじていては潰される、その前に新しい事業を起こさなければ!と考えるようになりました。
見えないエンドユーザーに向けた出版プロデュース事業
そこで新しく始めたのが「出版プロデュース事業」です。これまでは出版社と企業が取引先でしたが、そこから裾野を広げて、まだ見ぬエンドユーザーに向けて「本を出しませんか」と提案し、本づくりをサポートする事業です。
デジタルで情報を得るのが当たり前の世の中だからこそ、逆に本の価値が改めて見直されるのではないか、という思いがあるんですよね。
スマートフォンの画像やテキストは、次から次へと新しい情報に置き換わって流れていくため、なかなか脳裏に定着しないような気がするんです。情報だけでなく、スマホが暮らしに入り込み、なかにはスマホ1本で生活が完結する人もいて、反射的に自分の好きなものだけを見たり選んだりするようになっていますよね。
一方で、本は一つのテーマについてまとまった情報や知識を深掘りできて、じっくり考えるきっかけになります。実際、成功した経営者の方々のお話を聞くと、「大切なことはみんな本から学んだ」と皆さんおっしゃるんですよ。
沈思黙考という言葉がありますが、自己と向き合うにはそういう時間が必要で、それには本はもってこいのツール。私はもう一度「本への回帰」がある、デジタルからの揺り戻しがあるのではないかと思っています。
経営危機を乗り越えた人とのつながりと、独自の強み
マルウェア感染で失った信用
会社の経営でもっとも打撃を受けたのは、社内のデバイスがマルウェアに感染してしまったことです。
コロナ禍でニューノーマルな生活スタイルが推奨されていた時期に、社員を全員自宅勤務にしました。その際、各人のノートパソコンに法人アドレスを付与したのですが、マルウェアに感染してしまったんです。医療情報に見せかけた添付ファイルが原因でした。サーバーごと乗っ取られてしまい、ドメイン・アカウントが使えなくなって、新たに法人アドレスを取り直すハメになりました。
弊社のBtoBコンテンツ制作は医療系が中心で、信用が何より大切な分野です。最新の医療情報や海外の医療機器メーカーの企業情報など、特に秘匿条項が盛り込まれています。それがマルウェアに感染してしまったことで信用を失い、仕事が一気に減りました。しばらく呆然としてしまい、廃業もちらつき……あれは本当に危機でしたね。
人とのつながりに支えられた
厳しい状況で事業から撤退することも考えましたが、起業後ずっと応援してくれた末期ガンの母が亡くなり、子どももいない私にとって会社を続ける道しか見えませんでした。一時、体調を崩したのですが、そこから立て直せたのはなぜでしょう、やはりちゃんと仕事をしている姿を誰かが見てくださっていたからだと思います。
弊社の強みは、何といっても医学・医療・薬学などのメディカルに強いことです。そして、著名な大学の医学部教授や世界の第一線で活躍する研究者の方々と、学会の場を中心に長く人脈を築いてきました。
人との付き合いを大切にして、真摯に仕事を続けることで人脈は築かれていくものです。マルウェアの件でBtoBコンテンツの取引先は失っても、著者や取材対象者を失うことはありませんでした。
独自のコンテンツという強み
もう一つの強みは、オリジナルのコンテンツです。弊社は忍者・恐竜・神社仏閣ご利益案内に強く、競馬ノンフィクションの本も作っています。
例えば、JRAの取材記者証を取得してジョッキーや調教師、厩務員などを取材し、テレビでは追えない競馬ノンフィクションを数冊企画、編集しました。フランス凱旋門賞を4回制したジョッキー、オリヴィエ・ペリエ氏の自叙伝を手がけたこともあります。
馬券予想の本じゃありませんよ。馬房で働く人など、競馬界を支える人たちの真相も含めて本にしたいと思ったんです。日本で最初の国際レース「ジャパンカップ」を創設し開催に漕ぎつけた元JRA職員の物語も出しました。『ミスター・ジャパンカップと呼ばれた男』という題名で、管轄の農林水産省とのやり取りなんかも理事の実声を聞くことができました。
また、忍者本については、中小企業向け助成金を活用しました。「日本のよいものを世界に発信しましょう」という趣旨で、錦鯉や盆栽、和菓子などの企画をいくつも出したなか、通ったのが忍者だったんです。
伊賀・甲賀へ6回ほど取材に行き、忍者学科がある三重大学にも出かけて英語版の電子書籍を作って、ドルの口座を開設。アメリカのAmazon.comから配信したんですけど全然売れませんでした。まあ、文化的な出版を成し遂げたということで、成果があったことにしましょう(笑)。
こうした独自の動きができる企画力に加えて、ライターさん・デザイナーさん・カメラマンさん、翻訳者さんたちとの確かなネットワークも大きな支えになりましたね。
全幅の信頼をおける人たちと、案件ごとに座組みし、一体となって仕事を動かしていく。そうした確かなつながりがあるからこそ、創りたい絵図やビジョンも描けるんです。結局は、人なんだと思いますね。
これから見据える、健康長寿というテーマ
生成AI時代に考える次の一手
これまでは、「こんな本を作りたい」「こんな本が世の中にあったらおもしろい」と考え、それを一番分かりやすく伝えられる最上級の著者を探し、構成を練り、形にしてきました。
その著者とタッグを組んで、企業や出版社にプレゼンして採用される。営業というよりも、企画そのものから仕事をつくるやり方を続けてきたんです。
ただ、生成AIによる効率化、精度の向上を考えると、今までのやり方では経営が立ちゆかないでしょう。企画力や人脈といった強みはありますが、その上で、これから自分が何に力を注いでいけば社会のためになるのかを考え続けています。
健康長寿を次のテーマに
現在、私が考えているテーマの一つが「健康長寿」です。団塊の世代をはじめとする高齢層は、高度経済成長時代を生きてきました。この年齢層は企業年金が潤沢で、向上心が高く、お金と時間に余裕がある大きなマーケットでもあると見ています。
そうした方々が、今後さらに年を重ねていくなかで、豊かに年をとり、生を全うしていく。そのための健康長寿に関わるさまざまな社会連携やヘルスケア関連事業の中に、弊社が介在できればと思っています。
高齢者が医療・介護、とりわけ認知症などに大きな不安を抱えず、人生を終えていけるような社会。それは、その方々を支える40代・50代の世代が楽になるということでもあります。ひいては、その下にいる20代・30代の世代も楽になるでしょう。であれば70代以上の方々こそ、楽しく穏やかに過ごしてもらうことが得策なのではないでしょうか。
「生きていてよかった」と思える社会へ
私自身、毎月帰省しながら両親を10年間看護し、看取りました。その経験を通じて、つくづく思うのは、人間は「生きていてよかった」と思えなければやりきれない、ということ。
悲惨な老後は誰にとっても不幸です。これから社会実装のうち何ができるのかを見極めながら、さまざまな媒体を展開していけたらと思っています。
学生に伝えたいこと
自分の立ち位置を確認する
終身雇用制が崩壊し、失われた30年の日本を生きる若者は、私が想像する以上に生きにくさを感じていらっしゃると思います。「承認欲求」や「自己肯定感」「レジリエンス」といった言葉は、私が若いころにはありませんでした。
若い方々が以前より繊細で、傷つきやすくなっているように見えるのは、未来を明るく感じにくいことも関係しているように思います。日本社会が縮んでしまい、閉塞しているという感覚は私にもあります。若い方は、それをもっと強く感じているのではないでしょうか。
そんな状態でも、まずは自分とは何か、自分の立ち位置がどこにあるのかを棚卸ししてみてください。働くことは、単にお給料をもらうための生活の糧でよいのか、それとも仕事にやりがいを求めたいのか。自分の仕事に対する目的や価値観を明確にした上で、働けばよいと思います。
自分の心の声を大切に
自分がどういう状態のとき、一番心地いいのかという感性を、大切にしてほしいです。周りの声はいいかげんで、たいてい無責任なもの。そういう周囲の人たちに惑わされず、自分の心の声に耳を傾け、澄んだ心で、よく聞いてみてください。
会社が嫌だったらやめてもいいし、転職してもいい。働かない時間があってもいい。ただ、自分がどんな存在で、どうありたいのかは、人生という長いスパンの中で見つめ続けてほしいです。
人とぶつかることを恐れない
昨年、AIを恋人のように愛してしまい「バーチャル結婚式を挙げた」という女性が、テレビで紹介されていました。AI恋人は、あなたの言い分を投影するので喧嘩するわけがないし、甘い言葉をかけてくれて、決して傷つけません。いつもあなたを肯定してくれます。でも、それって自分自身と結婚しているようなものじゃないかと思うんです。
人とぶつかることを恐れなくていい。皆に好かれようとする必要もありません。自分の意見や気持ちを言うことは、あなたが考えているよりずっと重要な行為です。意見を交わし、着地点を見つけて、合意する。そういう経験をたくさんすると真の友が見つかりますよ。
「自分をあきらめない」「好きな自分で生きる」ーーあなたの幸せな人生を願っています。
編集後記
福永さんのお話を伺い、時代の壁にぶつかりながらも、自分の強みを信じて前に進み続けてこられた姿が印象的でした。就職活動が難しかった時代から、生成AIが台頭する現在まで、環境の変化を敏感にとらえて、事業を展開する柔軟さに驚かされます。
「生きていてよかった」と思える社会をつくりたいという言葉は、就職活動を控える私たち学生にとっても、働く意味を考えるきっかけになりました。