インタビュー

中学生で覚悟を決め、17歳で現場に入り、24歳で独立した男の哲学

中学生で覚悟を決め、17歳で現場に入り、24歳で独立した男の哲学
PROFILE
株式会社井手解体実業 代表取締役
井手 隆彦

家が売られた日から、独立を決めていた

中学生で「独立」を意識した

私がいつから独立を意識したのか、明確な日にちまでは覚えていません。ただ、中学生の頃にはもう「独立したい」「自分で仕事をしたい」という思いを持っていました。

きっかけは、家の話です。私は福岡県太宰府市の出身で、庭付き一戸建てに住む、ごく普通のサラリーマン家庭で育ちました。ところがある日突然、親から「この家に住めなくなった」と告げられたんです。当時は中学1年生で、詳しい理由は教えてもらえませんでした。あとから知ったのですが、父が人の保証人になっていて、その保証をした相手と連絡が取れなくなり、父が責任を取って家を売ることになったようです。

そこから、将来は建設系の経営者として独立しようという志が芽生えてきました。工業高校に入学したのですが、先生から「学校は就職するための場所で、経営者になるための場所ではない」と言われ、思い直して中退しました。そして会社に入り、とにかく働くようになりました。日曜日でも祝日でも、夕方でも夜でも仕事があれば現場に向かい、工事現場や廃棄物の回収など、休みなく働き続けていたんです。365日のうち360日は仕事をしていた、というくらいの感覚でしたね。

17歳で現場に入り、24歳で独立した

8年間、ただがむしゃらに働いた

私は17歳でその会社に入りました。当時はまだ車の免許すら持っていない年齢です。もともと30歳で独立するつもりでいたのですが、実際には24歳で独立することになりました。

理由は、当時の社長と考え方や方向性が合わなくなってきたからだと思います。「もう卒業していいぞ」というような雰囲気になっていったんですよね。今振り返ると、そういうことだったのかなと思います。

17歳から24歳までの8年間は、丁稚奉公的な働き方をしていて、給料をもらって働くという感覚ではありませんでした。将来独立するために何をすべきか、という視点でずっと動いていたので、苦にはならなかったですね。

道具ひとつ、準備もなく飛び出した独立

バールとスコップだけで始まった

独立が当初の予定より早まったので、準備する期間もありませんでした。道具も車も人も、何ひとつ整っていない状態で「独立します」と決めたんです。事務所を借りる準備もなく、もちろんお金もありません。とりあえず親に頼み込んで、実家の一部屋を事務所代わりに使わせてもらうところから始まりました。

経営者として必要な経理や税金、人を雇うための手続き、資金繰りといったことも、まったくの素人でした。現場作業や営業活動は一生懸命やってきたのですが、それ以外のことはすべて手探りです。そこは苦労しましたね。

前職の顧客ではなく、新しい縁を探した

独立してすぐは、お世話になった前の会社のお客さんを奪うようなことはしたくありませんでした。ですので、前職とは別のところへ営業活動を始めていったんです。

すると意外なことに、「あんた独立したんだって」と、それまで付き合いのなかった方から仕事を頼まれることが増えていきました。前の会社とはあまり合わなかった取引先の方から「あの会社には頼まないけど、あんたが独立するなら頼むよ」と声をかけていただくこともあり、本当にありがたかったです。

大切にしてきたのは、真面目に、誠意を持って対応することです。ありきたりな答えかもしれませんが、それに尽きます。とくに田舎はみんな知り合いのような土地柄なので、信用がないとやっていくのは難しいと感じています。

プレハブ小屋から始まった会社

事業を始めて1〜2年目あたりで、トラックや資材を置くための土地を入手しました。処分を急いでいた土地だったので、安く手に入ったんです。そこにプレハブ小屋を置いて、事務所として使うようになりました。立派な事務所ではなく、本当にボロいプレハブ小屋でしたね。

その頃には従業員も数名、10人にはまだ届かないくらいの人数がいました。大きな設備投資もなく、みんなで働いた分だけが積み上がっていくような、そんな雰囲気の良さがありました。

社員による本格的な野球チーム

私自身、野球は中学校まで一生懸命やっていましたが、高校では続けていません。創業した当初、会社で始めたのは草野球程度の遊びの延長でした。ただ今は、当時とは比べものにならないくらい本格的なチームに育っています。国民スポーツ大会の佐賀県代表になったこともあるくらいのレベルで、うちの社員を中心に構成されたチームです。国スポの出場時には他チームから補強選手を数名迎えることもありますが、基本は軟式野球で、社員たちが中心となって活動しています。

目指すのは、社員幸福度九州一の会社

今後の会社の方向性として、私が一番目指したいのは「社員幸福度が九州一」の会社になることです。社員一人ひとりが仕事に達成感や満足感を持って、日々をこなしていけるような会社にしていきたいと考えています。

就職活動中の学生へ、挑戦を後押しするメッセージ

いい学校を出て、大きな会社や有名企業に入るために頑張ってきた学生さんは多いと思います。安定した大きな会社を選ぶことは、まったく悪いことではありません。大きな会社だからこそできることもたくさんありますし、そこには大きな会社ならではの長所も短所もあるはずです。

一方で、私自身は東京大学や京都大学を出て大企業に入った方たちと比べても、遜色ないくらい人生を楽しんでいるつもりです。やりたいことをやっていますし、経済的に困っているわけでもありません。ただ、中小企業、まして零細企業はいつ潰れるかわからないという現実もあります。それも含めて楽しんでいるのか、苦労しているのか、自分でもよくわからないところはありますね。

それでも私は、挑戦してほしいと思っています。私自身、起業して挑戦してきましたが、たとえ会社が倒産したとしても、日本という国で飢え死にすることは、まずないと思うんです。挑戦して失敗して、たとえ破産したとしても、生きていくための環境は整っています。だからこそ、失敗を恐れずに挑戦してほしいと思いますね。

編集後記

井手さんのお話を伺い、中学生の頃の経験が、その後の人生をまっすぐに方向づけていたことが印象的でした。準備もなく飛び出した独立から、誠実さを積み重ねて信頼を得ていく過程には、地に足のついた強さを感じます。「社員幸福度九州一」という目標や、学生へのメッセージからも、挑戦する人を後押ししたいという思いが伝わってきました。私自身もこれから社会に出るにあたり、失敗を恐れず一歩を踏み出す勇気をいただいたインタビューでした。