インタビュー

地域は「ゆるい選択」じゃない。課題が山ほどある場所だから、私はここで働き続ける

地域は「ゆるい選択」じゃない。課題が山ほどある場所だから、私はここで働き続ける
PROFILE
Inquiry合同会社 代表社員兼CEO
山本 一輝

貯めた120万円が教えてくれた社会

定時制高校で働いた日々

私は、いわゆる優等生ではありませんでした。高校時代は定時制高校に通っていて、アルバイトと学生生活を両立するような形で過ごしていました。裕福な家庭ではなかったこともあって、将来大学に行くための学費を貯めるために、奨学金とは別にアルバイトをしていました。当時はスーパーで、平日は週4、5日ほど働き、お金を貯めながらその傍らで生徒会の活動や美術部の部活動もやっていました。色々な掛け持ちをする大学生みたいな高校生活でした。

定時制といっても夜間部と昼間部があって、私は昼間部でした。朝から行って、早ければ午前で授業が終わり、そのあとは部活か生徒会かアルバイト。高校は四年間通いましたが、4年生のときは週1、2日しか学校に行かず、あとはずっとアルバイトをしていました。2年半アルバイトを続けて、高校四年間で120万円を貯めて、そのお金を元に大学へ進学しました。16歳から働き始めていたので、社会経験はかなり早かったと思います。同級生と遊びまくるというよりは、異年齢の方たちと社会人のように経験を積んでいく感覚で、高校生ながら時間帯責任者を任せてもらったりもしました。割と早熟な学生だったと思います。

大学四年間はサブスクだった

大学では心理学を学びました。中学校で不登校を経験したことがあって、そのときに助けてもらったスクールカウンセラーの先生のように、生きづらさを感じている子どもや若者の支えになりたいという思いがあったんです。教職課程も取れる大学に行きたかったので、新潟出身ですが県外の私立大学に推薦で進学し、心理学科で教育発達を専攻し学んでいました。

とはいえ、生活費は自分で奨学金を借りて賄わなければならなかったので、授業を取りまくりながらアルバイト漬けの忙しい日々でした。ただ、学びたくて行っていたので、大学四年間を今で言うサブスクリプションだと捉えていたんです。いくら学んでも学費は同じなので、教職課程はもちろん、興味のある選択科目や他学科の授業もたくさん取って、四年間で199単位を取りました。目標を持って学びたいと思って通っていたぶん、興味のない授業は出欠だけ取っていなくなるような、意欲の低い同級生を見て、少し幻滅することもありましたね。

震災が教えてくれた、命の使い方

内定取り消しが当たり前だった就職活動

大学の就職活動は、ちょうどリーマンショックの時期でした。世界的な大不況で、先輩の代では内定取り消しが普通にあるくらい厳しい状況で就職活動をしていました。教職課程を取っていたので教育実習にも行ったんですが、そのとき、自分が新卒で先生になっても、高校の先生では勉強は教えられても、進路選択のようなキャリアに寄り添うことは、社会経験も含めてまだ難しいと感じました。そこで、一度社会に出て修業したいという気持ちもあったため、学校法人の職員や外食業界、塾など、教育系とサービス業を中心に就職活動をしていました。

自分が経験してきたサービス業や人と接する仕事なら、対人経験やマネジメント経験が教員になったときにも生きるだろうと思っていましたし、民間で教育に関わる仕事から教員につながる道もあるだろうと思っていたんですが、なかなかうまくいかなくて。結局、一社目は外食の仕事に就きました。

仙台で経験した東日本大震災

東京の会社に入社したのですが、配属先は仙台でした。そして入社2年目に、仙台駅の店舗で東日本大震災に遭いました。一緒に働いていたスタッフの方のご家族が被災して亡くなられるという経験もして、そのときがキャリアの大きなターニングポイントとなりました。

人はいつ死ぬかわからないということを直感的に強く感じて、自分の命の使い先を何に使うのか?を考えるようになり、それがきっかけで転職し、二社目でリクルートに入社しました。

リクルートでは学び領域のサービスの営業をしていたのですが、東北支社だったこともあり、震災復興が大きなテーマでした。若者がどんどん地元から出ていってしまう状況のなかで、本業とは別にプロボノとして震災復興関連のプロジェクトや若者支援コミュニティに関わっていたときに、高校生や大学生が自分の学校の活動以外に地域でさまざまな活動をする「マイプロジェクト」という取り組みの立ち上げ期に、高校生たちと出会ったんです。自分が10代の頃はバイト漬けで地域のことなど全く考えていなかった私ですが、彼らは震災をきっかけにボランティアの方たちや地域の方への恩返しとして、地域の課題解決のプロジェクトやイベントに取り組もうとしていました。その姿にすごく感銘を受け、人口減少や地域の衰退が進むなかで、若者がこれだけ一生懸命やっている姿に、大きな希望を感じたんです。

地域の受け皿がないという問題意識

ただ、その活動が続いていくなかで、高校生たちがそのまま地元就職しても、地域の中小企業では育成体制が整っておらず、未来を感じられずに早期離職してしまう若者や、都会の大学を出て地元に戻りたいと思っても、生かせる職場のイメージが持てず断念してしまうという若者を見てきました。地域で若者が離れていく、戻ってこないのは、若者の意識の問題だけでなく、地域の事業者側が受け皿になれていないことにも課題があるのではないかと考えるようになったんです。

そこで29歳のときにフリーランスとして一念発起して独立し、地域のさまざまな事業者の研修や、自治体と一緒に対話の場をつくるような地方創生のプロジェクトに関わり、組織や地域への支援を面的に展開していきたいと考え5年前に法人化しました。今年でちょうど10周年になります。

3つの領域で、地域の「人」を支える

HRパートナーとラーニングデザイン

現在、力を入れている領域は大きく三つあります。一つ目はHRパートナー領域です。地方の中小企業には人事の専門家がいないことが多く、バックオフィスがある程度規模の大きい会社に比べてどうしても弱くなってしまいます。事業承継ができない、採用ができないといった悩みをどこも抱えていて、突き詰めると、人を育てる、組織をつくるという専門性の知見がないところに行き着くんです。事業そのものは製造業や建設業などさまざまで、私たちはその専門家ではありませんが、事業を回していくのは結局は人ですから、その組織を整えるための人事や組織づくりの伴走を行っています。

二つ目はラーニングデザインです。学びを起点に個人や組織、地域が変わる仕組みづくりで、研修やワークショップのデザインを行いながら、企業が変わるきっかけとして実践型インターンシップや越境学習プログラムのコーディネートも行っています。

インパクトデザインという第三の領域

三つ目がインパクトデザイン領域です。一つの会社が人事制度を整えて採用に力を入れても、地域全体が変わろうとしなければ、その地域に人は来ません。経済産業省が提唱している「地域の人事部」という概念があるのですが、こうした仕組みを地域ぐるみで行いながら、企業同士が一緒になって採用活動を行ったり、共同で人材育成のプロジェクトを行ったり、産官学と言われる行政や教育機関と連携しながら地域の課題解決に取り組むプロジェクトをつくっています。そこにいろいろな方のお金や人の力を集めて回していくような仕組みをつくることをしています。

中長期で変化を起こす仕組みをつくる

同じようなことをしている競合はあまりいなくて、「どうやってやっているのか」とよく聞かれます。強みがあるとすれば、短期的に顕在化した課題よりも、もっと中長期で変化を起こしていくことに向き合っている点だと思います。たとえばロジックモデルやTOC(セオリー・オブ・チェンジ、変化の理論)と呼ばれるものを、行政だけでなく教育機関や企業の方々と一緒につくりながら、それを実現するためのプロジェクトや事業を組み立てて、人やフェーズが変わっても自分たちが何のために何をするのかという合意形成を図っていくプロセスをつくれることです。それを回すための仕組みや設計図を可視化できるという点は、なかなか他ではやっていないところかもしれません。だから採用代行やコンサルティングでは終わらない、組織や地域自体のシステムを中長期的に変えていく支援ができるところが強みだと思っています。

コロナ禍が教えてくれた、逆転の発想

創業からの10年で大変だったことのひとつが、コロナ禍ですね。私たちは地域に出向いて、人と人がface to faceで関係性を築くことをすごく大切にしてきました。研修もそうですが、人が集まって顔を合わせることが肝なんです。特に地域は土着の関係性があって、リモートだけでは築けない部分があります。それがコロナ禍で一気にできなくなり、依頼を受けていた一年間の研修や対面で行うプロジェクトのほとんどが飛んでしまって、とても苦労しました。

国の支援策なども使いながらつなぎつつ、そのなかで対面でなくても提供できる価値やサービスは何かを考え、自分たちのサービスの届け方を再設計するいい機会にもなりました。

そこから生まれたのが、今も続いている「地域人事部アライアンスネットワーク」です。地域の人事部の互助団体として実践者同士が学び合うプラットフォームとなる取り組みです。地域に根差した人材支援の事業者同士は、同じサービスをやっていても競合になりにくいんですよね。たとえばリクルートやマイナビ、パーソルのような全国展開の人材サービスの大手企業同士だと競合のため簡単にアライアンスは組めませんが、私たちはお互いの強みを掛け合わせて苦手分野を補い合えます。2022年にこのネットワークを立ち上げてオンラインでつながっていったコミュニティが、コロナが終わった今も続いていて、そのおかげで全国のいろいろな地域からお仕事の機会や関係性をいただけているのは大きいと思います。

選ばれる地域をつくる、次の10年

今年で創業10年を迎えました。次の10年は、意志ある若者が「ここでこれをやりたい」と思って戻ってくる、集まってくる状態や、地域内外から人的投資が集まって成長する企業が出てくる状態をつくっていきたいと考えています。

それぞれの立場が何をすべきかを申し合わせながら共同体制やコラボレーションが生まれ、固定観念や成功体験をアンラーン(一度身につけた知識や固定観念を意識的に忘れ、捨て去る)して学び続けられる個人や組織が増えていく。そうした状態に逆算的に近づけるために、初期・中期・長期という形で変化を起こしていきたいんです。

そのために、私たちが手掛けているさまざまな事業を、自分たちだけで提供するのではなく、いろいろな事業者や行政と組み合わせながら届けていく。選ばれる地域、人が集まってくる地域、それを支える地域の企業や産業界を、自社だけでなく多くの方たちとともに、私たちがハブとなりながらつくっていく。このメディアを見てくれる若者や企業、行政、人材の皆さんも含めて、一緒につくりたいと思ってくれる方たちが入ってくるようなエコシステムをつくりたいと思っています。

人口動態の変化や地域財政といったコントロールできない部分もありますが、コントロールできる要因として乗り越えなければならないのは、自社のリソースをどう確保していくかだと思っています。AIで業務効率を改善できるところは改善しながらも、こうした考え方を理解した上で一緒にやっていきたいと思ってくれる人材を、適切なタイミングで迎えていくこと。専門性が高く特殊な業務をしているので、求められるスキルセットを一口には言い表しにくいのですが、そのなかでどう人を育成し、私たちがつくってきた生態系のなかで役割を担ってもらい、活躍してもらうかが、今後の課題だと感じています。

誰と働くかが、その後の自分をつくる

ファーストキャリアをどう選ぶかについては、いろいろな方がいろいろなことを言っていると思いますが、結局のところ正解というものは存在しないと思うんです。どの会社に行くか、どの仕事に就くかということよりも、若いうちに大事なのは誰と働くかだと思っています。どこに所属するかより、誰と働くかという意識のほうが大事です。

教育学や心理学の研究や論説のなかにも、特に25歳ぐらいまでに一緒に働いた方との経験に裏付けられた価値観が、その後の20代後半から30代の意思決定や価値観の重要な部分を占めていくというものがあり、私自身の実体験としてもそうだと感じます。リクルートに25歳で入って働いた4年半の経験は、今でもすごく生きているし、それが原点の価値観だと思うんです。それは会社が良かったとか、何の仕事をしたかということよりも、そう思わせてくれる関係性、上司や先輩と働くという体験があったからだと思っています。

だから、有名な会社や大手に入ろうということよりも、自分が望む人生を歩む上でより良い考え方や価値観を与えてくれる場所に入れれば、それが長い目で見たときに人生における正解になるんじゃないかと思っています。どの会社に入ってもいい。ただ、そういう環境や関係性がある場所を自らの意思で選び、選んだ道を正解にするための努力をしてほしいんです。

このメディアを見てくれるのは、首都圏や都市部の大学生が多いと伺いました。そうであれば、地域で働くキャリアが実はとても面白くて、可能性を秘めているということを伝えたいですね。

もちろん何の変哲もない中小企業もたくさんありますが、地域のなかで自ら事業や生業をつくって、面白い働き方や事業を生み出している同世代の仲間もたくさんいます。そういう場所で働くと、大手企業の与えられたポストを受動的にこなすだけでは得られない、外資系コンサルティングでも得られないような泥臭い経験を積んで成長できると思うんです。

地域=ゆるい、というわけでは決してないし、逃げや負けの選択でもありません。地域ほど生きた課題が山ほどあって、総合格闘技のように個人のあらゆる経験や能力が求められる場所だということを、皆さんには伝えたいです。

編集後記

正解のないキャリアの話を、こんなにも実感を持って語ってもらえる機会は貴重でした。誰と働くかが後の自分をつくるという言葉は、まさに今、自分がどんな環境でどんな人たちと過ごすかを考えている私にとって、とても刺さるものでした。配属や環境は選べなくても、それにどう向き合うかは自分で選べるという姿勢は、地方で働くか都市部で働くかを迷う前に、まず持っておきたい考え方だと感じます。地域はゆるい選択ではなく、総合格闘技のように課題と向き合える場所だという言葉を胸に、自分自身の選択にも向き合っていきたいと思います。