専門学校でバレーボールに打ち込んだ日々
バレーボールとバイトの日々
私は大学には進学せず、専門学校に通っていました。熱中していたのはバレーボールです。専門学校なので部活というよりサークルに近い感覚でしたが、それなりに一生懸命取り組んでいました。学生時代のイメージでいうと、スポーツとアルバイトに明け暮れていて、勉強は三番目くらいの優先順位だったと思います。
製薬会社での二年間
専門学校を卒業して一社目に選んだのは、製薬会社でした。大阪で営業をしていたのですが、二年ほど勤めたところで退職しています。今の仕事とはまったく異なる業種からのスタートでした。
消去法から始まった林業との出会い
選択肢が三つしかなかった
私は岡山県英田郡西粟倉村(あいだぐんにしあわくらそん)の出身で、今もそこで仕事をしています。もう30年以上前の話になりますが、当時のこの村には「仕事を選ぶ」という概念自体がありませんでした。役場に就職するか、土建屋さんに入るか、工場で働くか。基本的にその三択しかない状態だったんです。
役場はちょうど募集をしていない。土建屋さんは体力的にしんどい。工場のベルトコンベアで作業をするのも気が進まない。となると、もうまったく別の場所で就職先を探すしかないかと思っていたところに、たまたま地元の森林組合が募集をかけているという話が入ってきました。農協が農業版の組織で、漁協が漁業版だとすれば、森林組合はその林業版にあたる組織です。消去法で工場も土建屋さんも役場も難しいとなれば、残るは森林組合しかない。そうして就職したのが平成七年でした。ですから、林業に対して高い志や熱い思いがあったわけではなく、正直なところ流れでこの世界に入ったというのが本当のところです。
巨大組織のもどかしさ
森林組合は全国各地にある、いってみれば巨大な組織です。だからこそ、簡単には動かない。組織の中でいろいろな葛藤を抱えながら、最終的には自分自身で退職をして独立し、仲間とともに会社を立ち上げることになりました。
一気通貫で届ける、木の里工房木薫の仕事
消費者と山をつなぐ発想
弊社を立ち上げる出発点にあったのは、衰退産業である林業をどうにかしたいという思いでした。たとえば野菜を買いに行ったときに「このお米を作ったのはこんな人です」というポップを見かけることがあると思います。ああいう情報があるだけで、消費者は農家をぐっと身近に感じますし、その作物に興味を持つきっかけにもなります。芸能人が漁船に乗って漁を体験する番組が成立するのも、視聴者がそういう現場を知りたいと思っているからです。
ところが林業の世界では、この二十年ほど、消費者に向けたそうした発信がほとんどありませんでした。私たちの生活のまわりにある木製品も、誰が切り出して誰が加工したのか、考えたこともない人がほとんどだと思います。同時に、木を切る側の人間も、その木が最終的にどんな人の手に渡るのかを知らない。これが林業という業界の構図です。
日本人のうち、山側に住んでいる人はおよそ15%しかいません。残りの多くは都会に住んでいます。都会の人と山側の人を直接結びつけるような仕組みをつくらなければ、都会の人が山に思いを持つきっかけは生まれない。これが弊社のスタートにあった考え方でした。
第一次産業から第三次産業までを一気通貫で担うことを「六次産業」と呼びますが、弊社は創業当初からこの形をとっています。山で木を切り、その木を加工し、商品として実際にお客さまへ届けるところまでを、商社などを介さずに自社でおこなう。この形を創業以来二十年間、ずっと続けてきました。
セリに頼らない理由
林業の業界では、切り出した丸太の多くがセリ市場に出されます。岡山県内だけでも五か所ほどあり、東京都や神奈川県、千葉県にもそれぞれ市場があります。十日に一度ほどのペースで開かれるこのセリ市場は、出す側が自分で客を探す手間がいらないという意味では便利な仕組みです。
ただし、ここには大きな落とし穴もあります。喫茶店を経営するなら、コーヒー一杯の値段は自分で決められます。原価を計算して、この値段なら利益が出ると判断して価格をつける。しかしセリの場合、値段を決めるのは出す側ではなく買う側です。マグロのセリと同じように、丸太を出した側は「これだけ経費がかかったから一万円で売りたい」と思っても、買い手がその値段をつけなければ、五千円でも成立してしまいます。
だからこそ弊社は今、ほとんどセリには出していません。山林の所有者さまから「セリにかけてほしい」とご要望をいただいたときだけ、例外的に出すことがある程度です。丸太のまま使われることはほとんどなく、板になったり柱になったり、加工されて初めて価値が生まれます。テーブルとして十万円の価値があると思ってもらえるお客さまを自分たちで見つけ、その中に丸太の原価や加工賃、諸経費を織り込んで価格を決める。セリに委ねるのではなく、自分たちで値段を決められる関係づくりを大切にしています。
弊社の主なお客さまは保育園や幼稚園です。営業スタッフが直接足を運んで、家具や遊具についてご案内し、ご注文をいただくという流れがほとんどです。営業エリアとしては岡山、関西、首都圏を中心とし、東北、北陸、中京、九州にもお客さまがいらっしゃいます。
森から子ども達の笑顔へ、五十年先を見据えて
五十年後にしか実らない仕事
弊社の社是は「森から子どもの笑顔まで」です。第一次産業である農業、林業、水産業のうち、農業は春に田植えをして秋に稲刈りを迎えますし、漁業も船を出したその日のうちに収穫があります。汗をかいた人がその手で収穫を迎えられる仕事です。
ところが林業は違います。植林をしてから収穫を迎えるまで、およそ五十年かかるのです。自分が植えた木を、自分がチェーンソーを持って収穫しに行けるかというと、現実的には難しい。だからこそ、次の世代にきちんとバトンを渡していく必要があります。ただ、その受け手となるはずの子どもたちの世代は、今のところ山にあまり興味を持っていないのが実情です。SDGsという言葉が広まったこの二十年で関心はずいぶん高まりましたが、弊社を立ち上げた当時はまったくといっていいほど興味を持たれていませんでした。
山側に住む人の多くはすでに高齢化が進み、子どもがいるエリア自体が全国的に少なくなっています。そうなると、次を担ってもらうには都会の子どもたちに働きかけるしかありません。
子ども達への原体験づくり
弊社が保育園や幼稚園向けの家具づくりを続けているのは、まさにこの原体験をつくるためです。小さいころから木に触れる機会があれば、そのうちの百人に一人くらいは、山や森に関わる仕事を選んでくれるかもしれない。ただ、それは誰かが仕掛けなければ自然には起こりません。
実際にうれしい話を園長先生から伺ったことがあります。幼稚園のときに弊社の家具と関わったことがきっかけで、その子がずっと興味を持ち続け、大学進学の際に森林や林業に関わる学部を選んだというのです。こうしたきっかけをこれからもつくり続けていきたいと思っています。五年後も十年後も、変わらずこの取り組みを続けていくつもりです。
編集後記
今回のインタビューを通じて、林業という業界が抱える構造的な課題を、はじめて具体的に知ることができました。セリという仕組みひとつとっても、価格を決める権利がどちらにあるかで事業のあり方が大きく変わるというお話が印象的でした。植林から収穫まで五十年という時間軸を持つ産業だからこそ、子どもの原体験づくりという地道な取り組みが未来への投資になっているのだと感じます。貴重なお話をありがとうございました。