インタビュー

内定4社を断って起業した私が、世界最大の資本を人類のために使いたいと思う理由

更新: 2026年9月17日
内定4社を断って起業した私が、世界最大の資本を人類のために使いたいと思う理由
PROFILE
株式会社Myoshin 代表取締役
齋藤 健太

5カ国8都市で育った幼少期

5カ国8都市で育った幼少期

私はタイのバンコク出身です。そこからドイツのデュッセルドルフ、シンガポール、兵庫県の西宮市、アメリカのシカゴ、そして東京の吉祥寺へと引っ越しを重ね、その後1年間アラスカに留学しました。いまは東京と新潟の2拠点で生活しています。振り返ると、5カ国8都市で暮らしてきたことになります。この移動の多さが、のちの自分の価値観にも大きく影響していると思っています。

シンガポールで見た懸け橋の仕事

小学校でシンガポールに住んでいたころ、親友の父親が大手キー局で現地の駐在員兼ニュースレポーターをしていました。当時のシンガポールは経済が急成長している時期で、その様子をレポーターとしてリアルタイムで日本に伝えていたんです。海外と日本の懸け橋になるこの仕事に、私はとても憧れを感じました。それ以来、小学生のころからテレビ局のニュース解説者になることが、ひとつの目標になっていました。

テレビ局を目指した高校受験からインターンへ

テレビ局を目指した高校受験

中学生の夏にアメリカから日本へと帰ってきたとき、高校受験の選択肢として考えたのは、東京のキー局に多くの人材を輩出している早稲田や慶應の付属高校でした。そのため早稲田大学高等学院に進学し、高校3年間をそこで過ごしました。この高校は大学受験がないため、自分の興味関心に全力で熱中できる環境だったんです。

日本テレビでNA(ニュースアシスタント)に

高校3年間は、テレビ局について自分なりに調べたり理解を深めたりする時間に使いました。高校3年生の後半には、実際に日本テレビの「news every.」と「NEWS ZERO」で、ニュースアシスタントというポジションをインターンとして1年数ヶ月ほど働かせてもらいました。働くなかで見えてきたのは、憧れだけでは分からなかったテレビ業界のリアルな姿でした。

憧れの転換、そして起業への一歩

解説者への道に感じた限界

テレビ局で働く人の9割5分ほどは派遣社員で、新卒で報道局に配属されたとしても、5年から10年は雑務のような仕事を任されるのが現実でした。しかも解説者として画面に出られるのは、40代や50代のベテランになってからです。このスピード感では遅いと感じました。そこで憧れの対象が、解説者そのものから、起業して自分の専門分野をつくり、コメンテーターとして活躍する落合陽一さんや、ショールームの前田裕二さんのような方々に変わっていきました。起業に興味を持ち始めたのは、高校3年生の終わりから大学1年生の夏ごろのことです。

フリーランスで経験を積む

起業するにはいくつものステップが必要で、勢いだけで始めても意味がないと考えていました。そこでまずは、当時流行していたフリーランス、いわゆる業務委託という働き方を選びました。有名なウェブマーケティング会社にインターンとして入り、企業様の商材をどう売るかという戦略立案と実行を担う、営業代行の仕事を任せていただいたんです。第1号インターンだったこともあり、さまざまな経験を積ませてもらい、1年ほどで月収は大体100万円ほどに達しました。

稼ぐだけでは続かなかった

月収100万円という当初の目標は達成できましたが、その後も収入自体は増え続けました。ところが、自分の懐を満たすために働くという意識が強かった分、月収がある水準を超えたあたりから、仕事へのモチベーションがなくなっていったんです。仕事がただお金を稼ぐための手段になってしまい、以前抱いていたキャリアへの憧れや、仕事そのものへの意欲が消えてしまいました。このままでは就職するかどうかの判断すら曖昧になると感じたため、就職する、しないのどちらの選択肢も取れるよう、就職活動を始めました。

内定4社、それでも起業を選んだ理由

内定4社、選ばなかった道

帰国子女であることや、フリーランスをしながら留学の経験も積んでいたこともあり、就職活動はテンポよく進みました。最終的に、外資系コンサルティングファームでトップ3に入る企業1社、外資系投資銀行でトップ3に入る企業1社、そして日系のメガベンチャー2社の、合計4社から内定をいただきました。内定後は内定者インターンなどの案内も届くようになり、このままフリーランスや起業で1人で進むのか、それとも一度就職して基盤をつくるのか、二択を迫られる状況になりました。

属することは遠回りだと気づいた

そのときに気づいたのは、社会的意義のあることを成し遂げている起業家たちを振り返っても、一旦就職して基盤をつくるという行動指標を選んでいる人はいないということでした。ひとつの企業に属すれば、その企業が目指すビジョンに自分も合わせざるを得なくなります。それはたとえ修行だとしても、一種の遠回りだと感じたんです。加えて、自分にとって仕事へのモチベーションはお金ではなく、自分が達成したい目標や社会的意義に沿っているかどうかにかかっていることにも気づいていました。

起業という第3の選択

フリーランスを続けるのでも、就職するのでもなく、私は起業して自分で会社をつくり、自分が理想とする社会的意義を実現するための法人を立ち上げる道を選びました。この決断のロジックは、いま振り返ってもきれいに筋が通っていると自分でも思っています。

グループが掲げる壮大な目標

資本主義という戦国時代

現在、私たちのグループは株式会社Myoshinや株式会社Zanshinを中心に、「世界最大の資本を人類の発展に行使する」という目標とビジョンを掲げています。歴史の教科書で戦国時代の領土の奪い合いを学び、なんて野蛮な世の中だったんだと感じたことがある人は多いと思います。でも、いま私たちが生きている資本主義の時代を俯瞰してみると、片方では困窮している人がいる一方で、国家予算を超えるような資産を築いている人もいて、明らかな格差が生まれています。要するに、私たちはいま資本版の戦国時代を生きているんです。1,000年後の人たちが教科書でいまの資本主義の時代を学んだとき、効率的な社会だったとは思わないだろうと考えています。

資本を築くいまのフェーズ

だからこそ、資本主義の時代に生きるからには、巨大な資本を、人類がより発展して、より良い世の中になるための新しい技術に使う必要があると考えています。ただ、いまの私たちにそれほど大きなことはまだできません。まずは資本をしっかりと築く必要があります。ですので、いまは世界最大の資本をつくるフェーズにいて、数十年後の中長期的な目標として、蓄えた資本を人類の発展に行使していくという第2フェーズに進む計画です。

求人にかけた長期的な思い

ビジョン図鑑をはじめ、営業代行やウェブマーケティング、人材紹介といった現在の事業は、これから複数の事業を立ち上げ、企業群を作り上げていくうえで欠かせない要素だと考えています。Web マーケティングや営業代行、人材紹介の会社として実績を確立しながら、社内で力をつけた従業員やパートナーには、次の新しい事業の責任者や役員、代表を任せていく。この人のポテンシャルを一番生きる場所にアサインできることこそが、企業群構想ならではの強みです。ですので今回の求人も、単に1つの事業のインターンを募集しているのではなく、長期的な目線で私たちのビジョンに共感し、伴走してくれる人を探しています。

頑張る日々こそが幸せだった

頑張る日々こそが幸せだった

自分のためだけに稼ぐことには限界があり、それだけでは大きな企業や大きなことは成し遂げられないと思っています。それに加えて、高校受験のときに強く感じたことがあります。志望校への入学が決まったあと、受験勉強をしていたころのほうが幸せだったんだと気づいたんです。達成した瞬間はもちろんうれしいのですが、その学校に入って送る生活を目指して、仲間たちと塾や学校で切磋琢磨する毎日こそが、一番幸せな状態だったのだと、あとになって分かりました。

ケタ違いの目標を掲げる理由

だからこそ私たちは、10兆、100兆、1,000兆円ととんでもなく大きな目標を掲げ、それを心の底から達成したいと思っているメンバーとともに、日々その達成に向かって頑張っています。この頑張っている過程こそが幸福で、目標を達成するまで欲深く、不幸を感じているということは一切ありません。この幸福な状態を保つために、大きな目標に向かって日々前進し続けることが、グループ全体の推進力になっていると思っています。

学生たちに伝えたいこと

学生たちに伝えたいこと

私たちはいまこの挑戦を心から楽しんでいます。もちろん自分自身が幸せになる分の資本を稼ぎながら、それでも人類のためにという大きな目標に少しでも共感してくれるなら、その目標に向かう日々は本当に面白いものだと思っているので、ぜひ来てほしいと思っています。私たちの強みは、採用のブランディングや見せ方を一切気にせず、本気でこの状態を目指し、みんなで猛進していることです。守るべきは日本でも私自身でもなく、人類です。この地球に住む一人ひとりが、より良い未来を描けるような世界にしていきたい。世の中を動かすのは政治ではなく、資本主義である限り資本を持つ組織だと考えているからこそ、人類の発展に資本を最大限行使できる組織を、本気で目指しています。