海苔との出会い
医薬品MRから海苔屋へ
大学卒業後はバイオテクノロジー企業に入社し、医薬事業部でMRとして働いていました。それなりに仕事は充実していたんですけど、当時の営業スタイルっていうのは、どちらかというと接待で売り上げを伸ばしていくような文化があって。先輩方を見ていると、40手前でほぼ全員が健康診断に引っかかっているような状態でしたから、「これを一生の仕事にしていくのはどうなのかな」というのは正直ありましたね。
「小さい釣り堀」で大きな魚を釣る
父の会社に戻るまで
前田屋という会社は父が創業した会社でして、当初は「戻ってこい」とか「後を継いでほしい」という話は全くなかったんですよ。父は30歳のときに独立して、いわゆる典型的な昭和の仕事人間でした。人生イコール仕事、みたいな人ですよね。
そういう父が、自分の人生をかけて築いてきた会社を、もし息子が継いでくれるなら——それが一番幸せなんだろうなと思って、戻ることを決めました。
衰退業界だからこそ入る価値がある
海苔の加工販売がこれから急成長していくマーケットだなんて、誰も思わないわけです。業界全体が徐々に高齢化していましたし、この業界って新規参入がほとんどないので、「いけるかも」と感じたんですよね。
大きなマーケットには優秀なビジネスマンがたくさん集まってきます。大きな釣り堀には当然、優秀な釣り人がたくさん来る。私は別に小さい釣り堀でいい。そこで一人でじっくり大きな魚を釣れればそれでいい、という考え方でした。
通販事業と、泥臭い試行錯誤
決算書が突きつけた現実
会社に戻ってすぐ社長になったわけではなくて、何年かかけて取締役、常務を経て最終的に代表に交代する流れでした。だんだん決算書が読めるようになってきたころ、3年ほどしたころですかね、「これはかなり厳しいな」と感じていましたね。
1996年、誰もやったことがない通販に挑戦
そこから最初に取り組んだのが通販事業部の立ち上げでした。当社はメーカーなので、通販というのは小売業になるんですよ。社内の先輩社員も誰もやったことがない領域で、最初は反発もありましたね。
ただ、1996年当時というのは産直通販自体がまだ非常に珍しかったんです。メーカー直販なので、全国トップ5%に入るような高品質なものをかなり安く提供できた。それが口コミでどんどん広がっていきました。順調に行きすぎたせいで、お中元やお歳暮の時期は毎日のように遅くまで働くような、なかなかハードな時期でもありました。
海苔の目利きこそ最大の不安
経営の技術的なことは学べる機会もたくさんありますし、いくらでも勉強できる。でも一番不安だったのは、海苔の目利きなんですよ。海苔って目利きがものすごく難しい食材で、相場の中でちゃんと一人で仕入れができるようになるまでに、5年〜10年かかる世界ですから。本当に自分はこれができるようになるのか、というのが一番の不安でしたね。
父から受け継いだ、2つの経営哲学
本業を離れるな、本業を続けるな
父からやかましく言われてきたのが、「本業を離れるな、その代わり本業を続けるな。本業の中身を変えろ。」という格言です。自分たちの得意なところから離れてはいけない、でも、同じことを繰り返していたら下っていくのと一緒だよ、という意味です。今は本当に骨身にしみる言葉です。
人の行く裏に道あり花の山——ただし下の句がある
もう一つが「人の行く裏に道あり花の山」という格言です。逆の視点を持つことが重要という言葉として有名ですが、実はこれには「ただし、花のちらぬ間に行け」という下の句があります。
つまり、人と違うことや新しいことなら何でもやるかというと、そんなことはない。今は普通じゃないけれど、5年後か10年後には普通のことになっているんじゃないかな、と思えることをやる。通販もそうでしたし、「漁師のまかない海苔」へのシフトも、その考えに基づいて取り組んだものです。
「面倒くさい」を手放さないことが、うちにしか出せない味をつくる
秘伝のタレは大釜で炊き出す
味付け海苔のタレは、今でも瀬戸内のイリコと北海道の昆布を大釜でじっくりと煮出して作っています。夏場は本当に重労働で、同じ海苔メーカーさんでも外注で調達したりするところがあるんですが、うちはそれをやらない。完全に独自のレシピで作っているタレなので、前田屋の味付け海苔はうちにしか出せない味になるんですよ。
漁師のまかない海苔は「引き算」の発想から生まれた
通常の海苔は板状に加工する過程でミンチにかけるんですが、そこで旨味やビタミン、ミネラルがどんどん流れ出てしまうんですよ。それに対して漁師のまかない海苔に使用している「ばらのり」は、海から取ってきたそのままの姿を乾燥させて焼き上げているので、旨味がたっぷり残っている。
新商品開発というと、みんな足し算で考えるんですよ。でもこれは逆に引き算した商品です。引き算したことで逆に美味しくなるというメリットをうまく活かせた商品が「漁師のまかない海苔」だったんです。
海外市場と、AIによる次の変革
日本国内だけでは限界がある
これからは輸出というか、海外市場にどう向き合うかをじっくり取り組んでいきたいと思っています。日本国内だと人口は減っていきますし、私たちがいる広島は県外流出人口が全国でもトップクラスに多い県なんですよ。周辺の島根・鳥取・山口も高齢化が進んでいて、年を取ると食べる量も減りますから、長期的にはここが苦しくなってくるな、という危機感はあります。
Claude Coworkの衝撃
AI活用については、2026年に入ってから「Claude Cowork(クロード コワーク)」というサービスを知って、これは本当に画期的でしたね。社内のコミュニケーションはSlackを使っているんですけど、現場から「これってAIで自動化できるんじゃない?」というアイデアをどんどん上げてもらって、今は有料アカウントを3つ用意して、外部の講師にも手伝ってもらいながら、手作業でやっていた業務をどう自動化できるか具体的に動いています。
これからは、規模を追いかけるためにとにかく人を増やしていくというビジネスモデル自体が、おそらく行き詰まってくるんですよ。少ない人間でちゃんと仕組みが回る会社にしていくことが、これからの肝だろうなと思っています。
編集後記
前田社長のお話を聞いて、一番印象に残ったのは「引き算の発想」という言葉でした。ビジネスというと、どうしても機能やサービスを足していく方向に考えてしまいがちですが、むしろ余計なものを取り除くことで本質的な価値が浮かび上がる——漁師のまかない海苔はまさにその象徴だなと思いました。「人の行く裏に道あり花の山」の下の句まで知っている人はほとんどいないはずで、逆張りにも「いつか普通になる」という裏付けが必要なのだという考え方は、経営だけでなく自分自身のキャリア選択にも刺さりました。広島の小さな海苔屋が通販やAI活用まで果敢に挑戦し続けられるのは、ぶれない哲学と、父から受け継いだ言葉があるからこそなのかもしれません。