インタビュー

グランプリを取った学生が、テレビの内側からPRを仕掛ける会社を作るまで

更新: 2026年8月15日
グランプリを取った学生が、テレビの内側からPRを仕掛ける会社を作るまで
PROFILE
PR株式会社企画 代表取締役
知久 哲也

9歳で褒められた言葉が、今もぶれない指針になっている

小学3年生のとき、担任の内田先生に褒められた一言を、今でもはっきり覚えています。内田先生はお笑いが大好きで、オール巨人・阪神さんの漫才を研究するくらいの、いわゆるお笑いマニアでした。内田先生曰く、「この学年に面白い生徒は3人いる。ただ、そのうちの2人は前の晩にテレビで見たことをモノマネしたり、芸人のネタをそのまま再現したりして笑いを取るタイプだ。しかし君はちがって、机を囲んだその場で、ゼロから1の何かしらを生み出して笑いを創れる。」と、その才能をめちゃめちゃ褒めてもらったんです。「自分って面白いんだ」「人を笑わせたり、喜ばせたりする仕事を将来したい」と思ったのは、そこがきっかけでした。

もともと母がフジテレビに勤めていたこともあって、テレビという世界は比較的身近な存在でした。そういういろいろな要素がつながっているとは思うんですが、いちばん根っこにあるのは、やはりあの日、内田先生に褒めてもらった言葉だと思います。

授業に出席していなかったにも関わらず、学内コンテストでグランプリを取った

卒業したのは大阪芸術大学の芸術学部放送学科です。テレビ番組制作を専門に学ぶ学部で、そのなかでもテレビCMを制作する広告専攻のコースに最終的に在籍していました。ただ、学生時代に何をしていたかというと、小学校からずっと続けていたバスケと、部活の飲み会とアルバイトに時間のすべてを使っていて、授業にはほとんど出席していませんでした。そんな状態にもかかわらず、大学3年生のとき、学内で150作品ほどのテレビCMが集まる大きなコンテストがあって、そこでグランプリを取ってしまったんです。その経験が自分のクリエイティブの才能を大人から評価をしてもらった最初の成功体験だったと思います。面白いことを考えたり、何かを作ったりすることは、幼いころからずっと好きでした。大学卒業後すぐに吉本の芸人養成所に入ったのも、その延長線上にあると思います。人を喜ばせたり笑わせたりすることがずっと好きで、それが作品にうまく表れて、いい評価をいただけたんじゃないかなと思っています。

バスケで培ったのは、距離感と緩急というコミュニケーション

小学校から大学まで続けていたバスケを通して培ったのは、コミュニケーション能力でした。毎日飲み会をやるような部活だったので、お酒の飲み方や先輩の立て方をそこで覚えたのはもちろんですが、たとえばパスを出すときに人との距離感やアプローチの強度、タイミングを肌感覚として覚えたり、ドリブルの緩急が今の営業における心理的な駆け引きにつながっていたりします。そのなかで組織の立ち回り方も、今になって生きていると感じます。長くバスケを続けていてよかったなと、心から思いますね。

芸人での挫折から、放送作家という裏方の世界へ

大学を卒業してすぐ、吉本の芸人養成所であるNSCに入って芸人を目指しました。ただ、M-1では1回戦で落ちてしまい、1年ほどで辞めることになります。そこからテレビ番組を制作する裏方の仕事、放送作家に転身して、今でもう17年、18年目になります。

放送作家はサラリーマンではなく完全に個人事業主で、番組が放送されて初めてお金がもらえる世界です。下積み時代はそれだけでは生活できなかったので、昼間は放送作家の下積みをしながら、夜は水商売のアルバイトをしていました。お客さんにテレビの仕事をしていることを話すと、「うちの会社に取材来てよ」とか「俺を情熱大陸に出してくれ」といったことをよく言われるようになったんです。あまりに頻繁に言われるので、これは需要があって、事業になるなと感じました。それが後に弊社のメインサービスになる、現役のテレビマンによるテレビPR代行サービスを考えるきっかけになりました。

最初はフリーランスとしてテレビ番組制作の仕事を続けながら、どうすればテレビ番組から取材されるのかを企業にコンサルティングする形で始めたのが、創業の経緯です。

番組の内側から提案できることが、いちばんの強み

弊社は、現役のテレビマンを起用したテレビPR代行サービスをメインに扱っています。一般的なPR会社の多くも、テレビPRのサービスを扱っていますが、弊社には大きく2つの優位性があると思っています。

1つ目はコネクションの部分です。一般的なPR会社は、テレビ番組の外側からアプローチをします。たとえば番組の代表ファックス番号にプレスリリースを送ってみたり、番組宛てに郵送で企画書を送ってみたりとか。しかし弊社の場合、現役のテレビマンのみが在籍しているPR会社なので、番組の企画会議の場で「最近注目されている社長がいます」「面白いサービスがあります」と直接提案できたり、プロデューサーやディレクター、放送作家といった各番組のスタッフは私たちにとって同僚にあたるので、かなり近い距離感からアプローチすることができます。なので、番組へのアプローチ方法も各番組に配属されているスタッフの中で、企画やネタを決めるディレクター以上の人間に直接連絡をしてアプローチをするといった手法をとっています。だからこそ、圧倒的な露出確度や取材獲得率が実現しているのだと思います。

2つ目はノウハウの部分です。私自身、朝の情報番組『ZIP!』の「HATENAVI」という特集コーナーを担当していたので、事業会社さんやPR会社から送られてくるプレスリリースを見ながら、企画を決め、構成に落とし込み、台本を作るという作業をずっとやってきました。なので、現役のテレビマン目線で、クライアントの商品やサービスがどういう切り口で番組にアプローチすれば取材獲得率や露出確度が高まるのかをアドバイスできることも、強みのひとつだと思っています。

会社自体は社員ゼロで運営していて、パートナーはすべて個人事業主のフリーランスか業務委託という形です。固定費がほぼゼロなので、経営面でのリスクも少なく、その分、クライアントに安価な料金体系として還元できているわけです。

苦労と感じたことがあまりない、という自覚

正直に言うと、会社を始めてから大変だったことはあまりないんです。30歳くらいから個人事業主として放送作家を続けながらPRの仕事を始めたので、食いっぱぐれたことはありませんでしたし、ある程度売上が立ってから法人化したので、経営面でも大きな苦労はありませんでした。番組制作で視聴率を上げる作業もPRで注目を集める作業も使う脳みその思考回路はほぼ同じなので、テレビマンとPRパーソンの二足のわらじを履くことは難しくありませんでした。

人生全体を振り返っても、あまり苦労した感覚はありません。私の父親が法律関係の会社を経営しているのもあって、かなり厳格な家庭環境で育ちました。小学生のころから2つの塾へ同時に行かされたりしていて、友達と遊べるのは毎週金曜の18時から20時までだけでした。そのぶん、勉強はそれほど努力しなくてもできていた方で、偏差値70くらいの進学校にも苦労せず入学できましたし、バスケ部でも2年生からレギュラーで、3年生ではキャプテンを任せてもらいました。オール4タイプで何でも器用にこなせるタイプだったので、苦労という感覚自体があまりなかったのかもしれません。

あとは、性格的にお昼はちょっとM気質なところがあって、例えば、仕事でトラブルが起きたときも「うわ、ヤバい」と思いつつ、ワクワクしながらこの困難をどうクリアしようかというゲーム感覚で処理できてしまうんです。それも、苦労を感じにくい理由のひとつかもしれません。

会社を7億円で売り、ハリウッドスターを目指す

今後のビジョンは、会社としては7億円でバイアウトできるまで成長させることです。個人としては、7億円で会社を売却して税引き後に残る5億円ほどの現金を持って、アメリカのビバリーヒルズに移住し、ハリウッドスターを目指しながら余生を過ごしたいと思っています。

元々、芸人を目指すくらい承認欲求と自己顕示欲は強いほうです。あのときは資金も精神的な余裕もなかったので、芸人生活が思うようにいかないことが多々ありました。だからこそ、数十年何もしなくても生活できるくらいの現金を持ってアメリカに渡り、余裕を持って楽しみながらハリウッドに挑戦できたら、すごくいい余生を過ごせるんだろうなと思ったんです。せっかく稼いだお金を、キャバクラで散財したり高級車を乗り回したりといった使い方はあまり好きではありません。それなら、アメリカの語学学校やハリウッドの養成所に通いながら、もしかしたら大きな夢をつかむチャンスがあるかもしれないと思い、ワクワクしながら過ごす余生のほうが、魅力的だと思っています。

夢中になれることを仕事にしたほうが、結局は稼げる

就職活動中の学生さんに向けてお伝えできることがあるとすれば、年収の高さや企業のブランドで就職先を決めるのではなく、時間を忘れて夢中になれることを仕事にした方が最終的にもらえるお給料は増えるということです。夢中になれる仕事なら、努力を「努力」と感じにくく、自然と人より多くの時間を使い、有意義な経験を豊富に積むことができます。その積み重ねが専門性や希少価値を生み、やがて「この人に任せたい」という市場価値につながっていくんです。「どこに就職するか」ではなく、「時間を忘れて夢中になれる仕事は何か」を考えながら就職活動をすることをおすすめします。

編集後記

今回、知久さんのお話をうかがって、いちばん印象に残ったのは「苦労したという感覚があまりない」という言葉でした。学生時代から今に至るまで、環境や出来事をポジティブに捉え直しながら進んでこられた姿勢が、随所から伝わってきました。放送作家としての経験を土台に、番組の内側からアプローチできる独自の強みを築かれた経緯にも、大きな学びがありました。7億円でのバイアウトという明確な目標と、その先にあるハリウッドスターという個人的な夢を、同じ熱量で語られていたのが印象的で、好きなことをやり続ける姿勢の大切さを改めて感じる取材となりました。