高知から東京へ、好奇心が原動力だった学生時代
落ち着きのない好奇心旺盛な子ども
小学校6年間、成績通知表に毎回「落ち着きがない」と書かれるくらい、好奇心旺盛でやんちゃな子どもでした。夢中になると周りが見えなくなったり、おっちょこちょいだったり。成績は平均的で、超がつくほど頭がよかったわけでも、悪ガキだったわけでもなく、なんというかお調子者で落ち着かないタイプだったんだと思います。
好奇心旺盛だった分、「男に生まれたからには一度は日本の首都を見なきゃ」くらいの気持ちで、なんとなく東京に憧れていました。学費が比較的安い私立大学を探して、「ここなら親に負担をかけない」と説明しながら親を説得して、高知から上京したんです。振り返ると、興味を持ったことにはとにかく飛び込むタイプだったのかもしれません。
高校では、初めてアメリカと姉妹校提携をするという話があり、その記念でできた交換留学プログラムの第一期生に応募しました。「初めてだし、今逃したら卒業してしまう」という気持ちで手を挙げて、選考を通過し、春休みの1ヶ月ほどシアトルに行かせてもらいました。とてもよい経験でした。
サッカーと福祉、2つの原体験
子どもの頃からずっとサッカーが好きで、中学・高校とサッカー部、大学もフットサルサークルという具合に、サッカーに明け暮れていました。一方で、母が福祉の仕事をしていた関係で、幼少期からボランティア活動や老人ホームでの介護など、福祉系の活動にも参加していたんです。
小さいころから人に親切にする、人の役に立つという感覚が自然と染みついていたのだと思います。高校生くらいのころには、人と接するのが好きだ、子どもが好きだ、人に教えるのが好きだという理由から、一度は教師を目指した時期もありました。大学では教育学部に進み、実際に英語の教員免許を取得して、中学校での教育実習も経験しています。
ただ、就職活動をするタイミングで、教壇に立ち続ける人生が本当に自分に合っているのかと考えるようになりました。大好きなサッカーはプロになるのが難しく、福祉の経験から教員免許を取って教師を目指したものの、それ以外の選択肢もあるのではないかと感じ始めたんです。就職活動を通じて気づいたのは、人と人、あるいは物と人の「あいだ」に立って価値を発揮することが好きなんだ、ということでした。
60社にエントリーした就職活動
PR会社という存在を知った
人と人、物と人の「介在価値」を高められる仕事という軸で、広告代理店や人材系の会社を受け始めた中で、PR会社という存在を初めて知りました。ただ、マスコミ業界は狭き門で、軒並みご縁がありませんでした。当時はまだ売り手市場ではなく、ぎりぎり就職氷河期の時代です。
社会人になるとアルバイトも副業もなかなかできないので、最後の学生の時間で、いろいろな業種の会社を知っておこうと思い、5、60社ほどエントリーシートを出しました。結果として3社ほど内定をいただき、「まずは営業を究めたい」と思い、そのうち人材系の会社に一社目として入社することになりました。PR会社は、その時点ではご縁がありませんでした。
1日100件の飛び込みで鍛えられた新人時代
入社してすぐ、先輩から新宿区のフロアマップを渡されて、「今日から新宿区担当だから」と言われました。朝9時から夕方6時までの間に、名刺を100枚もらわないと帰れないという名刺獲得キャンペーンがあり、18時に100枚集めて帰れる人はほとんどおらず、19時、20時、時には22時までかかることもありました。
マップを蛍光ペンで塗りながら、「今日はこの通りのこちら側を行こう」と決めて、一日100件、飛び込み営業を続けていました。そこでかなり度胸がついたと思います。中小企業の経営者や人事の責任者の方に、若いからと侮られないようにするにはどうすればいいか、初対面のわずか数秒、数十秒で信用してもらい、名刺交換や会話につなげるにはどうすればいいか。この時期に、身をもって学びました。
17年勤めたPR会社時代
一度落ちた会社に、あえて出したエントリー
営業として経験を積み、結果として数字がついてくるようになってきた中で、このまま30代、40代と同じような働き方をしていくことに葛藤を感じるようになり、社会人3年目の25歳で、新卒のときに夢破れたPR業界への転職活動を始めました。今度は広く受けず、1年目に落ちた会社にもう一度自分でエントリーを出したんです。
ありがたいことにPR会社2社から内定をいただき、そのうちの一社が、結果として17年勤めることになる会社でした。未経験の第二新卒枠での入社で、同い年の新卒入社メンバーはすでに3年目だったこともあり、負けず嫌いな性格から「人の3倍のスピードで成長する」と決めて、常駐や出向を含めたさまざまなPR業務、大きなプロジェクトまで幅広く経験させてもらいました。おかげさまで、当時最年少の32歳で部長になることができました。
「消費されるPR」への違和感
部長として8年ほど過ごす中で、現場から離れてマネジメントに寄っていくことへのもどかしさを感じるようになりました。同時に、SNSの広がりとともに情報があふれる時代になり、「話題化」や「バズ」だけを狙ったPRに対して、危機感を覚えるようになったんです。タレントを起用して話題になっても、翌日には忘れられてしまう。瞬間最大風速で消費されていくPRでは、企業やブランドの本当の価値は育たないのではないか、と感じていました。
その後、コーポレートPRを担当する部署に異動し、クライアントの事業成長やステークホルダーからの信頼獲得、採用活動の後押しなど、企業価値を高めていくPRの重要性を痛感する場面に、数多く出会いました。地味な取り組みの積み重ねが会社の資産になり、企業価値が高まっていく。今でこそ「コーポレートブランディング」の重要性はよく語られますが、当時からその価値を強く感じていたんです。
社長を目指した先で見えたもの
会社員として働く以上、会社にはミッションがあり、個人の目標や期待役割も付与されるので、自分の思うようにはできない部分があります。PRのキャリアが15年を迎えた40歳を機に、今後は「経営」領域の専門性を高めることで、自分が理想とするPRでの価値提供を、理想の仲間と理想の働き方で追求してみたいと考えるようになりました。
もともとは17年在籍した会社でそのまま最年少役員、そして社長を目指していた時期もあります。ただ、既に歴史もあり、組織としての制度や体制、提供サービスなども充実している恵まれた環境で役員を目指すよりも、リスクをとってでも自分で全て意思決定しながら、一から組織を作ってみたいという想いが段々強くなり、自分のモチベーションの向かう先を、あらためて考えるようになったんです。
PRという仕事自体は大好きで天職だと思っていたので、17年の経験で得た知識を後進の育成や業界の発展に還元したいという思いと、自分自身が新しく挑戦したいという思いが重なり、独立を決意しました。
PRefullyという会社の名前に込めた思い
「PR」×「クリエイティブ」×「プレイフル」
弊社の社名「PRefully」は、「PR×Creative , and Playful !」というコーポレートタグラインの頭文字を組み合わせた造語です。会社の規模や知名度にかかわらず、大きな情熱を持って事業を育てている経営者やチームがあるのに、その価値が正しく世の中に伝わっていない状況を、自分の力で少しでも変えられたらと思っています。
志のある企業のブランド価値を正しく社会に届け、共感を生み出す。プレイフルという言葉の通り、少しワクワクするような、遊び心のある価値づくりをしたいという思いで、創業しました。
一気通貫で対応できる体制
弊社の強みの一つは、PRのプランニングから実行まで、一気通貫で対応できる体制が整っていることです。ブランドの価値を「作る」「磨く」「届ける」「守る」という4つのサイクルをPRの視点から一貫して支援できることが、他社にはない強みだと思っています。
ブランド価値を「作る」段階ではロゴやホームページを制作会社に依頼することが多いのですが、作った後にどう広めるか、どうサイトへの流入を増やすかまでは対応できないケースがほとんどです。「磨く」段階では、対外発信の前に社員の意識統一を図るインナーコミュニケーションや、広報の組織体制づくりが必要になりますが、これもコンサルティング会社だけでは完結しません。「届ける」はまさにPRの本質で、メディアやSNSを通じて情報を広げていく部分です。そして情報を発信すればするほど、炎上のリスクも高まるため、正しい対応や、育ったブランド価値を「守る」というフェーズも欠かせません。
これらは本来、各フェーズごとにクライアントがそれぞれ専門の会社に発注して分業で担うことが多いのですが、弊社では17年の経験と信頼できるパートナーとのネットワークによって、すべてのフェーズをまとめて対応できることが強みになっています。
業種を問わず頼ってもらえる幅広さ
もう一つの強みは、支援実績の幅の広さです。17年間で100社を超えるお客さまを担当してきた経験から、BtoBからBtoCまで幅広い業界のPR活動を支援可能です。
お堅い業種から柔らかい業種まで幅広く経験してきたことで、どんな相談にも似た事例やエピソードを示せることが、お客さまの安心と信頼につながっているのだと思います。おかげさまで営業活動はほとんど行っておらず、創業してまだ1年ではありますが、飲料メーカーの食育を通じたPR活動や、老舗時計メーカーのスポーツ大会協賛を通じたコーポレートブランディング、地域密着型のスーパーを展開する小売企業の周年PRなど、指名での相談やリピート、紹介によってお仕事をいただいています。
経営者一年目、資金繰りという壁
PRという仕事は極端に言えば携帯電話とパソコンさえあれば始められる仕事で、専門的な資格も不要なため、比較的少ない資本と在庫リスクなしでスタートできる業種です。そのため、当初は資金繰りについて楽観的に考えていました。
しかし、創業してすぐに多くのお仕事をいただけるようになった一方で、前職の看板を離れた、実績のない新しい会社ということで、発注側になる時は初回取引で前金を求められることが多くありました。ある月、来月には1,500万円ほどの入金が見込まれる中で、目の前で600万円ほどを先に支払わなければならない状況が発生し、いわゆる黒字倒産の危機に直面したこともあります。
このときは、渋谷区の創業融資として借りていた500万円を活用してなんとかなりました。本来は投資や採用のために確保していた資金でしたが、こうした場面でも使えるお金として助けられました。
大きな売上を作れたという成果の裏には相応の支払いも待っているため、計画的な資金繰りが重要だということを改めて認識することができ、ありがたい経験でした。経営者としてはまだ1年目なので、経営については日々手探りで勉強を続けています。
あらゆる価値と向き合い、輝きを放つ
弊社のパーパスは「あらゆる価値と向き合い、輝きを放つ」です。ニッチな領域で事業を展開されている企業や、世の中にまだ浸透していないサービスを提供している企業でも、従来の価値観に捉われず、Public Relationsでその企業が持つ提供価値の向上や新たな価値を生み出していくことで、 独自の輝きを放つブランドとなることを支援することが、弊社の社会的存在意義だと考えています。
たった一人にとって価値があること、あるコミュニティや、ある悩みを持つ人たちの暮らしをよくするようなサービスを提供している会社とも、きちんと向き合って価値提供をしていきたいというのが、創業以来ぶれずに持ち続けているビジョンです。
数字の面では、今後3年、5年で売上を1億円、3億円、5億円と伸ばしていきたいという目標もありますし、事業拡大に伴って人の採用にも力を入れていきたいと考えています。ただ、根底にあるのは、どんな小さな志を持つ会社でも、誰もがPRやコーポレートブランディングに取り組める世の中をつくりたいという思いです。予算がない会社には、予算の作り方から一緒に考え、伴走していく。そこは本来のPR業務の範囲を超えるかもしれませんが、お客さまにとって価値があることなら、取り組んでいきたいと思っています。
編集後記
今回、浜永さんのお話を伺って、17年という長いPR会社社員時代の経験を土台に、志のある会社と本気で向き合おうとする姿勢がとても印象的でした。資金繰りの危機を乗り越えたエピソードからは、経営者としての誠実さと粘り強さが伝わってきました。学生時代から一貫して「人と人のあいだに立つ」ことに価値を見出してきたという浜永さんの原点が、今の事業の在り方につながっているのだと感じます。取材を通じて、こちらまで応援したくなるようなお人柄でした。