PRは「漢方薬」のような仕事
伝えたいことを、伝わるまで伝える
私が今メインでやっている仕事は、企業や組織の伝えたいことを外に伝えるという仕事です。いわゆるPRの仕事ですが、伝えたい人に伝えたいことを、伝わるまで伝えるのが仕事だと思っています。
会社の社長であれば社員に伝えたいことがありますし、事業部の部長であれば事業の内容を外部に伝えたいこともあります。広報であれば、たとえばメディアに自社のことを伝えたい。突き詰めると、誰かに何かを伝えるという行為をしない仕事はないと思っていて、その意味でPRは経営そのものだとも捉えています。
今は「発信なきものは無」の時代だと感じています。どれだけ良い商品やサービスがあっても、知られていなければ選択肢に入ることすらありません。よくスティーブ・ジョブズの言葉として紹介されるように、「素晴らしいものを作っても、伝えなければないのと同じ」だと思います。PRは会社を有名にする仕事ではなく、その会社の価値を社会につなぐ仕事だと捉えています。
具体的には、企業の広報部やマーケティング部、ブランド戦略室、経営企画室などと連携しながら、発信のお手伝いをしています。私は一人法人としてPR業を行っていますが、案件ごとに、その分野に強いフリーランスやイベント会社、動画制作などのクリエイティブパートナーとチームを組み、プロジェクトを進めています。現在はHRテック、大学、製造業、インフラ、美容・ライフスタイル、観光業など、さまざまな業界の企業・団体を支援しています。
新規のお客さまを開拓して規模を広げていくフェーズには、まだ意識的に力を入れていません。むしろ、目の前のクライアントに全力で向き合うことを大切にしています。その積み重ねが次のお声がけにつながっている実感がありますし、自分自身も新しい業界に触れながら知識や視野を広げられることが、この仕事の魅力だと感じています。
PRは漢方薬、広告は抗生物質
独立して難しかったのは、自分の仕事の価値を説明することでした。PRは伝える仕事なので、ものやサービスのようなわかりやすい実体があるわけではありません。たとえば広告なら、新聞広告やWeb広告を打てば、何人に届いたか、どれだけクリックされたかといった数字で結果が可視化されます。ただPRはイメージ作りに近い仕事です。人の中のイメージは商品やサービスの利用体験はもちろん、記事やSNSなど、いろいろな接点を通じて少しずつ変わっていくもので、何が効いたのかがわかりにくい。
だからよく、漢方薬みたいな効き目だと説明しています。組織改革などの経営にメスを入れるような手術や、抗生物質やステロイドのような即効性のある広告などの施策とは違って、体を良い状態に保ち続けるための活動なんです。そして法人も人と同じで、体調が悪くなるのは長年の積み重ねの結果です。治療できない状態になってから慌てても遅い。PRはその手前で、会社の体を整え続ける仕事だと思っています。
業績が振るわなくなると先に削られるのが広告宣伝費や販売促進費です。人件費や家賃のような固定費はすぐに削れない分、PRのような費用から削られやすいんです。業績不振だけでなく、社内での内製化や発信方針の転換によって契約が終わることもあります。だからこそ、常に価値を出し続けなければいけない仕事でもあります。
流れと機会に、応えてきた道のり
心理学専攻から、クリニックでの仕事へ
大学では心理学を勉強していました。自分のことも、他人のことも知りたかった。人にとても興味があったんだと思います。それは今も変わらず、人が何を考えているのか知りたいという、ただただ素直で誠実な好奇心が自分の中にずっとあります。今より大学というものがゆるやかだった時代だったからか、モラトリアムを満喫させてもらったなとも思います。正直に言うと、就職活動をせずになんとなく卒業論文を終え、周りが就職を決めていくのを見て「就職しないとな」と決めました。そうして入ったのが、都内のクリニックでの仕事でした。3年ほど勤めましたが、当時としてはまだ珍しく、プレスリリースをメディアに郵送するだけでなく英語や中国語でも公開していたり、メディアの取材対応も担っていたりと、知らないうちに広報の実務を幅広く経験できたのは、今思えば恵まれていたと思います。
フランチャイズ本部で広報に出会うまで
その後、全国に1,000店舗ほど展開するフランチャイズ本部に転職し、経営支援やマーケティングに13年ほど携わりました。長くいる中で新規事業などいろいろな部署を経験しました。自分の中に葛藤がなかったわけではありませんが、社員である以上、組織の最適化や経営戦略上の理由で決まる異動は基本的に受け入れるものだと思っています。あるとき、それまで外部のPR会社に委託していた広報業務をインハウス化する流れになり、広報部が立ち上がるタイミングで携わることになりました。
声をかけてもらえた理由のひとつは、好きなものに対する熱量の高さを、社長をはじめ社内が見ていてくれたからではないかと思っています。当時会社が女子サッカーチームのスポンサーをしていて、選手も社員として働いていたのですが、担当部署ではなかったにもかかわらず、毎試合欠かさず応援に行って全力で応援していました。その後実際に担当になってからは、スポンサードをどう活用するかを考え、グッズを制作したり、記事やSNS用の素材を集めるためにセミプロのカメラマンを試合ごとに手配したりしていました。
もう一つ理由があるとすれば、長く会社に携わる中で、人や組織、事業のこともある程度把握できていたことかもしれません。入社したときから、社内の人をよく知ろうとする行動を続けていました。当時はまだ内線で電話をつなぐのが当たり前の時代で、誰からの電話をどの部署の誰につなぐかだけでなく、相手の役職まで把握していないといけませんでした。内線表だけですぐに覚えられる人数ではなかったのですが、取り次ぎのスムーズさは相手はもちろん、自分の時間にも直結します。そこで、朝礼で社員が順番に行う1分間スピーチを真剣に聞いてメモするようになったんです。エレベーターや廊下、給湯室ですれ違ったときにその話題から会話を広げていくうちに、電話の取次ぎだけでなく、情報を早めにキャッチアップできたり、細かな交渉ごとも含めて業務そのものがうまく回るようになっていきました。こうした人とのコミュニケーションの取り方も、広報という仕事に合っていたんだと思います。
PRの「いろは」を学び直すためにPR会社へ
ただ、また異動のタイミングが来ました。一つの会社にい続けるより、そろそろ自分でやりたいことを選んでもいいかなと思い、PR会社への転職を選びました。PR会社なら、どこに異動してもPRの仕事ができると単純に思ったからです。ただ実際には、それまで経験していた広報の仕事は、PRという仕事のほんの一部でしかなかったと痛感しました。だからこそ、PR会社では改めて「学ぶつもり」で臨みました。
入社したのは、間もなく40歳という時期でした。ちょうど新入社員として20代前半の人たちと一緒に研修を受ける機会に便乗でき、基本的な研修を受けられたのはよかったです。とはいえ、社会経験のある中途入社だったので、そこから先は業務をしながら覚えていく並走型でした。当時の同期とは今もよく連絡を取り合っていて、PR会社での経験を活かして違う分野で活躍していたり、独立して起業していたりする人も多いです。
PR会社では、一つの企業にいたらなかなか経験できない幅広い仕事に携われました。新商品のローンチイベントの企画から、記者発表会やメディアリレーションズ、動画コンテンツの制作、SNS運用まで、PRに関わる一連の仕事を横断的に経験しました。上場企業を含め、業界を問わずさまざまな企業のPR戦略に並走してサポートできたことは、大きな財産になっています。
コロナ禍で訪れた「起業」という選択肢
PR会社に入ったのは、年齢のわりに自分に足りていないPRの経験を積むためでもありました。まずは数年、真剣に向き合おうと決めていて、ある程度経験を積んだら、自分の得意な業界などに絞って企業の広報職に戻ることも選択肢として考えていました。ちょうどそうした次のキャリアを考え始めたタイミングでぶつかったのが、コロナ禍でした。転職活動を始めようとした矢先に緊急事態宣言が出て、企業の採用活動がすべて止まってしまったんです。
そんな中、会社を立ち上げないかと声がかかり、数名でPR支援の会社を立ち上げました。一年ほど経ち、今後の方向性や力を入れたいことを考えるタイミングで、別の法人にした方がお互いスムーズだという話になり、今の株式会社PRorderを立ち上げました。
個人事業主でも仕事はできますが、企業によっては契約先が個人か法人かで社内の予算区分や承認フローが変わったり、個人への支払いには源泉徴収の手続きが必要になったりします。そうした違いから、契約や予算の引き継ぎに時間がかかることも多いので、法人のまま引き継げるように法人化しました。
フランチャイズの広報への異動も、PR会社での経験も、今の起業も、振り返ってみると、その時々の流れと自分の興味に沿って行動してきた結果だと思っています。意志を持って自発的にそうなるように仕組んできたかと言われると、正直そうではないかもしれません。ただ、そのときどきで自分が選んだことには、真摯に、必死に向き合ってきました。目の前のことにきちんと向き合い続けてきたことが、細々とつながって今があると思っています。新しい挑戦がうまくいくかどうかは、正直やってみないとわかりません。それでも、これまでも誰かの助けを借りながらなんとかやってこられたので、新しいことへのハードルは以前よりだいぶ下がった気がしています。
中小企業にPRの価値を届けたい
「作る技術」はあるのに「伝える技術」がない
日本の企業数のうち、大企業は0.3%ほどで、残りの99.7%は中小企業だと言われています。それにもかかわらず、PRにしっかり取り組んでいる企業はごくわずかです。日本のものづくりの企業は「作る技術」にとても長けていますが、それを外に伝える技術が足りていないと感じます。作って終わりではなく、それを外に伝えるところまでが一つの仕事のはずなんです。
新潟のものづくりの企業を集めたセミナーでもそうでしたが、いい技術を持っていても、伝わらなければ買い手の選択肢にすら入りません。今はAIの時代でもあるので、たとえば贈り物を探して「職人が作った特別な一品」と検索したときに出てこないようでは、選ばれる機会そのものを失ってしまいます。発信まで設計しないと、会社は続いていかないのかもしれないと思っています。
PRの理解を広める活動もPRの仕事
PRへの理解が低いことは、PRをしている側の課題でもあり、企業側の課題でもあると感じています。とくに地方の中小企業では「PRって何?」「ホームページを作ることやDMを送ることでしょ?」と捉えられてしまうこともあります。だからこそ、PR TIMES公認のプレスリリースエバンジェリストとして、商工会議所などを通じて中小企業や地方の経営者に向けて発信の大切さを伝えるセミナー活動もおこなっています。自分の事業の理解を広めなければ、事業自体も成り立たないという思いからです。
予算が出るかどうかは、中小企業になるほどトップダウンで決まります。ボトムアップで動く予算はほとんどないので、経営者自身が発信の優先度を上げてくれるかどうかが鍵になります。先ほどお話ししたように、PRの効果は漢方薬のように数字で示しにくいからこそ、経営者自身が長期的な視点でその価値を理解してくれるかどうかが重要になってきます。目先のことだけでなく、五年後、十年後を見据えた打ち手として、発信への理解を高めてもらえたらと思っています。
AI時代に残るのは、「信頼」をつくれる人
自分の言葉を信じてもらえるかどうか
PRの仕事で大事なのは、自分の言葉を信じてもらえる人であるかどうかだと思っています。私自身、特別な肩書きがあるわけではありませんが、クライアントの良さを言葉で伝えなければいけません。この人の言葉なら信頼できると思ってもらえなければ、何も伝わらないんです。
今はAIに聞けば、プレスリリースの書き方や発信戦略の基本的な部分は答えが返ってくる時代です。それでもPRという仕事がなくならないのは、実行の部分に必ず人の力が必要だからです。戦略を立てても、それを実行できる人が社内に何人いるか、実行できる組織の状態にあるか。メディアを選定できたとしても、実際にその記者と連絡が取れて、話を聞いてもらって、記事にしてもらえるかどうか。つまり「人や組織、世の中を動かせるかどうか」は、まったく別の問題なんです。AIが「日経新聞で紹介されるといい」と提案しても、実際にその記者に話を聞いてもらえるかどうかは別の話ですよね。技術が進めば進むほど、その「間に立つ人の価値」が高まっていると感じています。
一次返信の早さが信頼をつくる
これから就職活動などをしていくうえで伝えたいのは、一次返信は早くした方がいいということです。仕事の連絡において、返事を待たせることは相手の時間を奪っていることになります。すぐに完璧な返事ができなくても、「いつまでに返事します」という一次返信だけでもいいです。
忙しい人ほど、実は一次返信が早い傾向があります。相手を待たせてはいけないという意識があるからです。それだけであなたのことをちゃんと考えてくれていると伝わりますし、結果的に助けてもらえる人になれます。一言だけでも返す。こんなコスパのいい信頼の積み重ね方はないともいえます。
根っこにあるのは、人やものごと、世の中や未来に対する誠実な好奇心なのかもしれません。その好奇心を持ち続けることが、結局は信頼にも、PRという仕事にも、つながっていくのだと思っています。
編集後記
平田さんのお話から、PRという仕事の「伝わりにくさ」と「価値」の両方が見えてきました。とくに印象的だったのは、独立するつもりがなくても、目の前の流れに乗り続けた結果として今の事業にたどり着いたというお話です。AIが発達するほど人の信頼が問われるという視点は、私自身も就職活動を控える身として、とても参考になりました。一次返信の早さという小さな習慣から、信頼を積み重ねていきたいと思います。