インタビュー

「目標は社長」、倒産した日に独立を決めた、佐渡島発・魚の生ハムメーカーの流儀

「目標は社長」、倒産した日に独立を決めた、佐渡島発・魚の生ハムメーカーの流儀
PROFILE
シーサイド・ファクトリー株式会社 代表取締役
大塚 育生

負けず嫌いの少年は、小学生で人生の目標を決めていた

勉強より部活動に夢中

学生時代は、スポーツに明け暮れていました。少年野球からはじまって、サッカーもやって、一通りひとしきり体を動かしていましたね。とにかく負けず嫌いだったので、部活動には一生懸命でした。逆に勉強はほとんどやっていなくて、気づいたらやらなきゃいけない状況になって、そのときだけ少しやる、みたいな感じでした。

六年生で人生の目標を決めた

みなさんに持っていただきたいのは、目標です。今、メジャーで活躍している大谷翔平選手も、幼少期から目標を設定して、それに向かって何をすべきかという明確なビジョンを持っていたと思うんですよ。私も同じで、小学二年生くらいのころから、誰に言われるでもなく目標設定をしていました。小学六年生のときにはもう、何歳で何をするというところまで、はっきり決まっていましたね。

その目標は達成できました。ただ、達成したあとにどうするかというのは、また別の話です。目標設定した場所がゴールではなくて、ゴールはその先、もっと言えば自分の人生が終わったときにあるものだと思っているので、まだゴールはしていません。

会社が倒産したその日に、独立を決めた

目標は「社長」、職種は関係なかった

1985年に学校を卒業して、1988年に、市場関連の会社に就職しました。朝は早かったんですが、夕方からゆっくりしたかったので、朝早い仕事なら何でもいいと思っていました。職種はどうでもよかったんです。私の目標は、ただ「社長になる」ということだけだったので。何の社長とか、そういう限定はなくて、ただ社長。もともと水産業に強い興味があったわけでもなく、たまたま就職した先が、エビと魚を扱う会社だったというだけです。

目標が社長であれば、その会社に入って何をすべきかは自然とわかってきます。まずは自分のために頑張るのが、目標への近道なんですよ。給料がどうとか、そういうことは関係ありません。給料は同期の中でも一番低かったと思います。それでも、与えられた土俵の中で頑張れない人間は、ほかで何をやってもダメだと思っていたので、がむしゃらにやっていました。結果として、営業成績は一位になりました。自分のためにやったことが、結果的に会社のためになっていた。あのときの経験は、今の会社にもいきていて、当時の取引先とは今でも取引が続いています。

不渡りの朝、独立を決めた

就職した会社が不渡りを出して倒産した日、朝礼で「しばらく待機」と伝えられました。多くの人は、そこで何もできなくなってしまうと思うんです。でも私は、そのとき「あ、このタイミングだ」とピンときました。すぐに配達先のお客さまに電話して、会社の状況を説明し、「私でよければやらせてください」と伝えました。その日のうちに全部のお客さまを回って、終わったのは夜十時ごろだったと思います。帰りに両親のところへ寄って車を一台借りて、そこから個人事業主としてのスタートを切りました。

行動力というより、準備をしていただけなんです。いつ自分が社長になるタイミングが来るかはわからなくても、いつでも動けるように、この会社に入社したときからずっと準備をしてきました。だからこそ、あの日に迷わず動けたんだと思います。

メーカーが一番強い、買収から生まれた水産加工会社

卸から貿易、そして製造へ

一番最初に起業したのは、市場から魚を仕入れて飲食店に届ける、魚の卸売業でした。これがダイエー食販です。そのすぐあとに、貿易関連を主な事業とする大塚食産株式会社を立ち上げました。そこからさらに十年後、全国を回っているうちに新潟の佐渡島にある水産加工会社を見つけ、買収というかたちで、2011年10月にシーサイド・ファクトリー株式会社として事業をスタートしました。

なぜ水産加工メーカーをやろうと思ったかというと、メーカーはどの業界でも一番強いからです。品物をつくれる会社が、最終的に一番残ると思って、この会社を引き受けるかたちで運営をはじめました。今も卸・貿易・製造の三社を運営しています。

添加物ゼロ。「お魚の生ハム」へのこだわり

食塩だけでつくる安心

弊社の看板商品である「お魚の生ハム」は、添加物を一切使っていません。使っているのは食塩だけです。食塩も広い意味では添加物に入りますが、摂り過ぎなければ、口に入れて悪いものではありません。設立当初から十一年ほど研究開発を重ねてきて、魚の生ハムというジャンルでは、リーディングカンパニーとしてやらせていただいていると思っています。安心して食べられて、食卓に笑顔を届けられる。それが一番の強みです。ほかの水産加工品についても、大人から子どもまで楽しめるビジュアルにこだわってつくっています。

コロナ禍、財務省・金融庁を15分で動かした行動力

大インパクトだったコロナ禍

創業してから、資金繰りや事故など、山あり谷ありの連続でした。中でも一番インパクトが大きかったのは、新型コロナウイルスです。2020年1月ごろに海外で「訳のわからない病気」が広がっているという報道を聞いたとき、ちょうど沖縄でダイビング中で、これは大変なことになるかもしれないと覚悟しました。実際、6月を過ぎたころから、日本国内でも状況が悪化していきました。

嘆願書を持って大臣のもとへ

そこで、北海道から九州までの取引先に声をかけて、嘆願書へのサインと押印を集め、現大臣のもとを訪ねました。このままでは一次産業と水産業がダメになってしまうと伝え、国としての支援を頼んだところ、わずか十五分ほどで財務省と金融庁の担当者が来てくれました。片山大臣がその場で電話をかけてくれたおかげです。そこから一か月も経たないうちに、支援の枠組みができあがりました。これは弊社だけのためではなく、業界全体のための枠組みとして動いてもらえたと思っています。

会社の未来は社員が決める時代

社員教育に力を注ぐ

これからの会社をどうしていくかは、正直なところ、私がどうこう決めるというより、今会社にいる社員一人ひとりが考えていくことだと思っています。だからこそ、社員教育にしっかり力を入れて、それぞれが会社の方向性を考えられるようにしていきたいですね。合言葉を持って、それに向かって進んでいけば、自然と答えは出てくると思っています。

新商品開発が次の一手

業界をリードし続けるには、新しい商品開発が欠かせません。今も新しい商品を開発している最中ですが、詳しくはまだ言えなくて、世の中に出てからのお楽しみです。弊社の商品は、取引先が情報発信をしてくれるので、新商品が出たら、また検索すればすぐに見つかると思います。楽しみにしていただければと思います。

学生へのメッセージ「目標が決まれば、あとは進むだけ」

次世代を担っていくみなさんには、しっかりとした目標とビジョンを持ってほしいと思っています。自分がどこを目指すのかを決めることが、自分のためになり、やがて社会や会社のためにもなっていきます。

目標を続けるコツを聞かれることがありますが、答えはシンプルで、達成するまで続けるだけです。しっかりとしたビジョンと目標を設定できれば、あとはそこに向かって突き進むだけ。壁にぶつかっても、また乗り越えていく。それだけのことで、難しいことではないと思っています。早いか遅いかの違いはあっても、行動そのものは、決して難しくありません。

編集後記

大塚さんのお話を伺って、一番印象に残ったのは「目標が社長だった」という言葉です。職種にこだわらず、まず自分のために全力を尽くすという考え方が、結果として周囲や会社のためになっていくというお話には、私自身の就職活動への向き合い方も考えさせられました。倒産の朝にすぐ行動できたのも、日々の準備の積み重ねがあったからこそだと知り、目の前のことに全力で取り組む大切さをあらためて感じました。