大学時代、暇つぶしで出会った芸術
サークルは暇だから入った
大学時代は芸術鑑賞会というサークルに入っていました。きっかけは全然かっこいいものではなくて、暇だったからとりあえずあそこに行ってみようと誘われただけなんです。もともと絵を描くのは好きだったくらいで、芸術について詳しかったわけではありませんでした。ただそこで、いろいろな面白い仲間に出会えたんですよね。
ニューヨークで美術に目覚めた
その後、休学してニューヨークで一年間過ごしました。美術館関係の人に会ったり、いろいろ学んだりするなかで、この世界がいいなと。趣味なのか仕事なのかわからないですけど、そんな気持ちを抱くようになったのが、就職活動前の時期でした。
絵画については、知識や感覚の持ち方、絵の見方が少しずつわかってくると、自分の好みが明確になっていきました。その作家の背景や時代の中での立ち位置を探れば探るほど、つながりや発想が自分の中で組み上がっていく感覚が楽しかったです。あわせて、美術館という建物そのものにも強く興味を持ちました。装飾や空間、デザイン、歴史を踏襲したパーツや構成。作品だけでなく空間ごと好きになった時期でしたね。
当時大阪に住んでいて、好きだった美術館は京都の「何必館(かひつかん)」という小さな美術館でした。小さな庭園があって、建物は近代的なのに中に入ると穏やかで。関西に行く機会があれば今でも何回かに一回は立ち寄っています。
証券会社を選んだ理由、そして独立の失敗
バーで出会った憧れの背中
証券会社に新卒で入社したのには、はっきりとした理由があります。ニューヨークで一人バーに飲みに行ったとき、奥の方に日本人らしき人がいたんです。話してみるとシカゴで先物取引の仕事をしていた人で、話し方も雰囲気もものすごくかっこよくて。ほんの少し話しただけなのに、こんな大人になりたいという憧れが芽生えました。
日本に帰ってきて、将来自分で事業をしたいと思ったとき、いろいろな経営者や開業医、権威のような人たちと出会える証券会社はいい道のりだと考えたんです。東京で働かせてくれるところだけに絞って就職活動をしました。
日本橋の丸善の支店で、1年目から飛び込み営業と電話、先輩からのわずかな引き継ぎ、そしてクレーム対応。新規開拓に力を入れる職場で、1年目、2年目を過ごしました。
独立の失敗と唐揚げの日々
2年目で数字を一番上げて、正直有頂天になってしまったんです。一人で新しい事業をやったほうがいいんじゃないかと思い込んで、独立しました。ただ、これがうまくいきませんでした。会社の看板の力を思い知りましたね。看板があれば会える相手も、何の看板もない自分だと誰も会ってくれない。それどころか法律が変わったりして事業として成り立たなくなってしまい、諦めざるを得ませんでした。その借金を返すために、お弁当屋さんで店長をしながら、揚げ物をしたり米を研いだりする時期を過ごしました。半解凍くらいの冷たい鶏肉を、大きなボウルいっぱいに切って、手で混ぜ続ける毎日。その冷たさは今でも忘れられません。何日も繰り返すうちに、これをずっと続けるわけにはいかない、自分は何がしたいんだと考えるようになって。行き着いたのはやっぱりアートでした。仕事なのか趣味なのかわからなくても、これを自分の軸にしたい。そう思った次の月か、その次の月には画廊の面接に行っていました。
結果を待たず出社した画廊時代
面接の結果を待たなかった
画廊の面接には4人くらいの候補者がいましたが、結果を待たずに次の日、当たり前のように出社したんです。「何しに来たんだ」と聞かれて、「今日から力になります」と図々しく言いました。「じゃあわかった」と受け入れてもらえて、仕事を学び始めました。絵を売るためには、絵を知って、しっかり扱って説明できないといけません。掛け軸や日本画、洋画、版画、彫刻。いろいろな種類がある中で、弱点は見せられない。学ぶことを本当に真剣にやった時期でした。1年ほどで腕を認められて、独立してやっていくだろうと言われ始め、そこで独立を決めました。
設計事務所との提携、そして挫折
神宮前に小さなギャラリーを構えました。設計事務所と提携して、新しくできるホテルや商業施設に、設計段階から絵を提案して販売する形がとてもうまくいったんです。ただ、景気が悪くなった影響もあって、提携する設計事務所がどんどん減っていきました。家具屋さんなどにも営業をかけて、最終的には内装工事とセットで絵を提案するようになりました。ここで大きなものを掴みそこねてしまい、店を畳むことになったんです。
リノベーションで見えた、建築とアートの重なり
このときに内装やリフォームを実際に学んで、その後いくつかのリフォーム会社を経験しました。それぞれの会社の良さも、良くないところもわかって、最終的に積水ハウスグループのリノベーション部門に入りました。富裕層の方やアーティスティックなものが好きな方、住まいにこだわりを持つ方がお客さんとして多く、これまでの経験がとてもマッチしていたんです。玄関に飾られた絵を見て「これは〇〇先生の作品ですね」と話すだけで距離が縮まったり、内装についても照明や壁の配置について話ができたり。設計陣とも現場の人とも話が合い、部下もできて、チームのリーダーとしていいお客さんに出会える、充実した日々でした。
大病を経て、たどり着いた書道
生死の境で読んだ哲学書
5年ほど前、大きな病気になりました。命があるかないかという瞬間があって、そのときにたくさんの哲学書を読んで、いろいろな文化を知りました。自分でも何でも形にできるんじゃないかと、勝手に思い込んだり学んだりしていたんです。
公文の書写教室からの再出発
退院した後、近くの公文に書道を学びに行きました。小学生に混じって、大人が1人でぽつりと書いている。それを1年間続けて、もう少し面白いことをしたいと思い、近くの書道塾に通い始めました。決まった形をなぞるのではなく、自分なりの表現をしていいというスタイルで、書道という表現の広がりや可能性を強く感じたんです。
小学生のころに少し習っていたものの、それ以来はあまり触れていませんでした。学べば学ぶほど、日本の歴史や文化背景の良さが、若い頃にはわからなかったぶん、50代になった今しみじみと感じられるようになりました。
浅草の三日間が教えてくれたこと
握手を求められた三日間
3年前、書道の先生と一緒に浅草の新仲見世通りにあるレンタルスペースを借りて、3日間のワークショップを開きました。値段は安くしていたのですが、もう帰ってほしいと思うほどの人気になりました。特に漢字を使わない欧米圏の方々が非常に興味を持ってくれて、書き終えた後には握手を求められることもありました。
大きな筆で大きな紙に向き合い、和服を着て真剣に教えた後、その筆を握ってみんなの前で書く。その緊張感と、書き終えた後の達成感による表情の違い、書いている途中の真剣な横顔がとてもかっこよく見えました。
芸術は完成したものだけが評価されがちですが、書く前のその人の心境や、なぜその字を選んだのか、書く時の雰囲気、掠れたりにじんだりする自然な偶然性まで含めて味わうものだと思います。書き終えて安堵の表情を浮かべた瞬間に、その人の魅力が出てくるんですよね。バーテンダーがシェイカーを振る前の一つひとつの仕草に気持ちが込められているのと同じで、芸術やものづくりはその結果だけでなく、始まる前からトータルで楽しんだり喜んだりするものなんだと気づいたんです。
Treasure Japanの誕生
浅草での3日間は、今でも心を強くしてくれる出来事です。その後も同じような試みを重ねて、修正や改良を繰り返しながら、これでいけるだろうというところまで整えて、先月株式会社にしたばかりです。大手の旅行会社との提携や、リッツカールトンの契約も進み始めています。
事業は書道を軸に、その前段階として座禅や茶道、和服の着用を組み合わせたプログラムです。お寺と提携し、境内を散策したり、茶室でゆっくりお茶をいただいたりしたのち、目を閉じて心を静め、墨を磨り、大きな筆で思いのすべてを一文字に集約して書いていただく。日本人にとってもなかなかない機会を、主にインバウンドの外国人向けに、堅苦しくなりすぎない入門編でありながら本格的、という両立を目指してつくりました。正座が難しい方には補助椅子を用意したり、座禅の時間を短くしたりと、無理なく続けられる体験ができるよう工夫しています。書道は他にないくらいの型を8つ作り、手順として組み立てました。
これからの展望
事業の広げ方については、無理に形を決めすぎず、いい人やいい場所との出会いの中で、自然にたどり着く先を見つけていきたいと思っています。
これまで過信して失敗した経験もあるからこそ、今は書道や茶道の先生、寺社関係者の方々、通訳ガイド、撮影チーム、サポートしてくれる仲間を大切にしながら進みたいです。同時に、書道の型をさらに磨き、自分だけでなく、誰が提供しても一定の質を届けられる形にしていきたいと考えています。
そして今、この体験の新しい舞台や仲間も大募集中です。
「あまり使っていない広間がある」「外国人にもっと知ってほしい場所がある」という寺院や神社、古民家などがあれば、ぜひお声がけください。その場所ならではの情緒や歴史を生かしながら、一緒に新しい日本文化体験をつくれたらと思っています。
学生さんへ
育ってきた環境や教育、社会の状況自体が、限られた物差ししか与えてくれていないかもしれません。だからこそ、もう一つ自分なりの物差しを見つけてほしいです。何をすべきとか、これはダメとかではなく、この方向に伸ばせるものが自分にはあるかもしれない、という意識を持ってみること。私にとってはそれがアートでした。優しく眺めたり、真剣に向き合ったりすることで、経済的なものや社会的なものよりも大事にしなければいけないものになっていきました。いろいろな道を歩いたりつまずいたりしましたが、最終的に立ち上がれたり、いい出会いに恵まれたりしたのは、そういうもう一つのベクトルがあったからだと思います。
編集後記
今回のインタビューを通じて、証券会社、独立、画廊、リノベーション、そして書道と、一見バラバラに見えるキャリアの一つひとつに、アートという軸が静かに通っていることに気づかされました。特に印象的だったのは、冷たい唐揚げをかき混ぜながら次の一歩を決めたというエピソードです。華やかな転機ではなく、地道な日常の中から進む道を見出す姿勢に、大きな学びをいただきました。私自身、学生起業に挑戦する中で、つい派手な成功だけを追いがちですが、今元氏のお話を伺い、遠回りの経験こそが後の強みになるのだと感じました。貴重なお話をありがとうございました。