経験を追い求めた大学時代と、気づいた「学歴の使いどころ」
「今しかできない」を優先した大学時代
大学時代は、正直あまり真面目とは言えなかったです。留年しかけるくらい 遊びに夢中でした(笑)。 1〜2年生のころは友人との時間を楽しみ 、3年生になったらアルバイト、4年生になってようやく就職活動を始めました。 最後は教授にも助けていただきながら、なんとか卒業したというのが実際のところです。
就職活動時は、学生ながら、いずれはアダルに入るのだろうという意識はありました。 だからこそ、入社前にいろんな経験を積んでおきたいと考えていました。せっかくなら、 腕一本で評価してもらえるような、みんなが知っているような名だたる企業で社会勉強をしてから戻ろうと考えていたんです。
就活でわかった、学歴の現実
私は特別な学歴や強みがあったわけではなく、就職活動も手探りの状態でした。 その中でも、自分のやりたい「モノづくり」に携わりたいと考え、努力した結果、内定を4つほどいただきました。
しかし、就職活動の中で、学歴の現実を知ったのも事実です。私の時代はインターネットなども無かったので、情報収集が大変でした。そんな時代に、情報収集の鍵となるのが学校だったんです。学校を通じて企業の情報をもらったり、紹介してもらったりするのが一般的だったので、学歴が高いほど就職活動は有利だったと思います。
また、一緒に選考を受ける学生も学歴の高い人ばかりだったので、将来の選択肢を広げるという意味合いでも、学歴は大切なんだと実感しました。
住宅メーカーの営業職から、家族の会社へ
「売れば勝ち組」の世界の洗礼
新卒で入ったのは住宅メーカーの営業職でした。給料が良くて、実力を試せると思って飛び込んだんですが、なかなかしんどい仕事でしたよ。月末になると会議室のど真ん中に立たされて、売れていない人が詰められる。40代のベテランの方が泣いている姿も見ました。22〜23歳のころの私は売れていた時期もあったので、内心「俺は売ってる側でよかった」と思っていましたけどね。
住宅展示場って、来場されたお客さんが実際に家を建てる確率が100分の1くらいなんです。さらにその1件を、並んでいる何十社かで取り合う。飛び込み営業もするし、朝から団地やマンションを回って、ほとんどドアを閉められるような毎日でした。今じゃとてもじゃないけど考えられない世界でしたね。
祖母の一言で、27歳のUターン
住宅メーカーに3年ほど在籍したころ、祖母から携帯に「戻ってきなさい」という電話がかかってきたんです。今まで一度もなかったことで、しかも会話は一言二言の短い内容でした。何か意味があるんだろうなと思って、返事は「戻ります」の一言だけ。そのまま福岡に戻り、アダルに入ったのが26〜27歳のころです。
入った当時は、マニュアルもなければ業務フローも整っていなかった。そんなとき、たまたまISO(国際規格)を取ろうとしていたタイミングだったので、入社半年後くらいから工場の書類や業務認証の仕組みをゼロから作り始めたんですよ。
工場で経験を積むなかで、先輩たちが抱える不満や葛藤に触れるようになりました。そして、その思いを抱えたまま会社を去っていく人も少なくありませんでした。 27〜28歳のころです。教育なのか、給料なのか、福利厚生なのか、社内体制なのか、理由はいろいろあると思うんですが、それがものすごくショックで。しかし、当時の立場ではその流れを直接止められなかったので、自分から「総務に移らせてください」とお願いしたんです。
組織の課題と向き合った30代
組織づくりの原点となった東京時代
総務へ異動して試行錯誤を繰り返していた頃、会社ではさまざまな課題が表面化していました。そんな中、 創業者にいきなり「来週から東京に行って」と言われて。その1週間後には向こうに住んでいましたね(笑)。東京で営業責任者として赴任しましたが、拠点では離職が相次ぎ、組織として非常に厳しい状況でした。 採用活動や営業にも自ら携わりながら、まずは組織を立て直すことに奔走し 、32歳で専務になりました。そして35歳で社長になったのが、この10〜20年の経緯です。
世代を超えて受け継ぐ経営
社長になってから一番苦労したのは、創業者とのギャップでした。相手は60年以上この業界を生き抜いてきた人ですから(笑)。私との年齢差は40歳あって、やり方や手法は全然違う。
ただ、根っこにある考えは一致していたんです。良いものを作って、お客さんに喜んでいただいて、それが利益として返ってきて、会社が世の中に必要とされ続けていく。その「遠い先」の部分は共有できていた。だから「じゃあ今何をすべきか」という落としどころを繰り返し探っていきました。創業者は言葉が少なくて感覚的な方だったので、私がその意図を噛み砕いて現場に伝える役割も担っていましたね。
「困りごと全部引き受ける」が、アダルの出発点
椅子の修理屋から始まった
アダルはもともと「椅子の修理屋」がスタートです。家具が欲しいというより、椅子が壊れて困っている、椅子が汚くて困っている、そういうお客さんの困りごとに応えることから始まった会社なんです。
修理やメンテナンスで丁寧にお付き合いしていると、「じゃあ次は新しいものを」という話になっていく。新しいものが欲しいと言われても、まだメンテナンスで十分使えるなら張り替えをすすめます。利益が上がらなくても、お客さんの家具が役に立ち続けてほしいからです。そういうスタンスは昔から変わりません。
雨漏りの修理まで手配した理由
アダルの象徴的なエピソードがあります。昔、ある大きなお店で雨漏りが起きたことがあって。たまたまその場にいたスタッフが、声をかけられたんです。もちろん、雨漏りの修理なんて管轄外です。それでも断らずに、知り合いの業者に連絡をして雨漏りを治す業者を手配した。もちろん自分たちがやったわけじゃないし、利益もない話です。でもそれがアダルの根っこにあるスタンスなんですよね。
世の中にないものであれば全部作ろう、困りごとは全部引き受けよう。この「フルサービス型」のスタンスは、業界でもかなり珍しいと思います。
福岡の自社工場が生む「スピード」という価値
業務用家具はスピードが命です。お客さんは商売を始めなきゃいけないし、その間も家賃はかかっていますからね。アダルが福岡に100人規模の自社工場を持っているのは、そのニーズに応えるためです。業界の中でもかなり大きな工場だと思っています。
かっこいい家具を作ることだけが価値じゃない。スピード、修理対応、別注への柔軟な対応、そういうお客さんのリアルなニーズをすべて拾って応えられることが、アダルの強みだと思っています。
お客さんのために動く、その原点となった出来事
「あなたと契約したい」と言われた日
お客さんのことを最優先に考えるようになったのは、住宅営業時代の最後のお客さんとの出会いにあります。
私が会社を辞めることを決めた頃、まだ土地も間取りも決まっていない段階にもかかわらず、「あなたと契約したい」と言ってくださったお客さんがいました。 なんでそこまで信頼してもらえたのか、当時は分からず、 辞めてからずっと考えていました。
思い返すと、売れない時期が続き、成績に追われる毎日でした。その中でも、そのお客さんのためにできることを考え、動き続けていたんです。 話を聞いてくれたり、ありがとうって言っていただけたりすることがうれしくて。だからこそ今思うのは、営業のテクニック以上に大切なのは、本当にお客さんのことを考えて行動しているかどうかだということです。その姿勢は言葉にしなくても伝わるものだと思います。 そのことを実感したのが30歳くらいのころでした。
「この人と働きたい」がすべての始まり
採用で大事にしている「目が笑う瞬間」
採用面接では、きれいな言葉でうまく話してくれることよりも、自分の言葉で話しているかどうかをすごく大事にしています。面接は企業と働きたい人のマッチングだと思っているので。
一番わかりやすいのは、話しているときに目が笑っている瞬間とか、前のめりになる瞬間とかがあるかどうかです。友達になる感覚に近いかもしれないですね。スペックで友達を選ばないように、仕事も「なんかこの人と一緒にいたら楽しそう」という感覚を大事にしています。言葉数が多くなくても、自分の考えや気持ちを一生懸命伝えようとしている人には、その人らしさが表れるものです。
若い人へ、「ピンと来たら3年やってみて」
今の学生や若い人に伝えたいのは、データでうまく処理しようとしすぎないでほしいということです。仕事は楽しいことばかりではありませんし、時には苦労することもあります。それでも続けられる何かに出会えるかどうかが大事なのだと思います。
ピンとくるものがあれば、とりあえず3年やってみればいいんじゃないかと思います。思い通りにいかないことや、人間関係で悩むことがあったとしても、それを乗り越えた経験は必ず自分の力になります。だから焦って答えを出そうとしなくていい。まずは自分が少しでも可能性を感じる場所に飛び込んでみる。その経験の積み重ねが、きっと自分らしいキャリアにつながっていくと思います。
家具の価値観を変える挑戦
家具事業単独で100億円を目指す
今、アダルの売上は90億円まで来ています。業界で売上100億円を超える企業はありますが、多くは家具だけでなくトータルサービスを手掛けています 。私たちは家具事業単独で100億円を達成したい。 50億円くらいのころから言っていたので、ようやくゴールが見えてきたなという実感があります。
ただ、単純に足し算で100億にしても息切れするので、仕組みから変えていくことが必要です。DX(デジタルトランスフォーメーション)に力を入れていて、業界の中で一番トップを走っている自負があります。お客さんへの販路を広げることはもちろん、 アダルがやっていることの社会的な価値をもっと知っていただいて、ブランド力を上げていきたい。一言で言えば、「家具の価値観を変えていきたい」ということですね。
工場にゲームを持ち込む理由
もう一つ今やっているのが、工場へのゲーミフィケーション(ゲーム要素の導入)です。工場では日々、生産額という数字を積み重ねていきますが、 「今月100%いきました」くらいの数字では面白くない。ゲームのように日々の目標があり、それを達成すると小さなご褒美がある。そんな仕掛けがあれば、仕事はもっと楽しくなるのではないかと考えています。
今まさに、あるゲーム会社と一緒に育成ゲームの要素を取り入れた仕組みづくりを進めています。 生産額を積んでいくプロセスって、育成ゲームの要素に似ているんですよ。驚きや楽しさがある方が、新しい取り組みも自然に受け入れてもらいやすい。そうした考えのもとで進めている挑戦であり、おそらく業界でも前例の少ない取り組みになると思っています。
アダルの強みを 世界へ
これから10年は人口減少が本格化して、国内市場はもっと厳しくなっていくと思います。そうなったとき、アダルの「ものづくりとホスピタリティ」という強みは世界でも通用するんじゃないかと考えています。日本人のホスピタリティって世界的に見てもすごいレベルにあるし、そのものづくりのサービスや組織体力を海外に持っていけるはず。現在も海外事業部として展開していますが、売上規模はまだこれから。今後3年ほどで事業部として確かな売上基盤を築き、アダルの成長を支える事業の一つへ育てていきたいと考えています。
編集後記
武野社長のお話を聞いていて、「お客さんのために動く」という言葉の重さが伝わってきました。住宅営業時代、売れなかった時期でも一人のお客さんのために動き続けた結果、何も決まっていない段階で「あなたと契約したい」と言ってもらえたエピソードは、就活を前にした私にとって刺さるものがありました。テクニックや条件よりも、「馬が合う」かどうか、「ピンとくる」かどうかを大切にしてほしいというメッセージは、つい情報やデータに頼りがちな自分への問いかけのようでもありました。DXやゲーミフィケーションといった新しい挑戦を進めながら、創業当時から変わらない「困りごとを全部引き受ける」姿勢を持ち続けているアダルに、これからも注目していきたいと思います。